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北海道◆道東/標茶町~鶴居村~弟子屈町の冬景色【地域担当・出張旅ガラス】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年5月12日

▲雪原を歩くキタキツネ。

2月下旬、コロナ流行初期段階で半分くらい空席の目立つ航空機に乗って、北海道の道東、弟子屈町へ行ってきました。暖冬とは言え、厳寒期には変わりありませんからマイナス20℃を覚悟して行ったのですが、最低気温でマイナス9℃、昼間はプラスの気温になり日差しに暖かさもありました。

今回は鶴とキタキツネを目撃したのでご報告します。キタキツネは都合3回ほど見ましたが、酪農家から少し離れた林の中によくいるような印象を受けます。人の気配を感じたら一目散に逃げだす、というほどではありませんが、じっとしている動物ではないのでなかなか写真を撮るまでに至りません。

こちらから見えない位置まで逃げるとそこからこちらの様子を伺っている気配もあります。群れを作らない習性らしく、雪原を単独で歩く姿は見ていて飽きません。餌をあげる人もいるため、中には住宅地に居ついたキタキツネもいるようです。

2年前に初めて鶴を見た場所と同じ「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」にも立ち寄りました。今度は相当数の鶴の群れを見ることができ、餌やり場の柵の前には多くのカメラマンの姿も見られました。一眼レフのカメラがあればよい写真が撮れたでしょう。(本部 山中準一)

▲鶴の写真を撮る人々。

宮城◆白石蔵王/未曾有の事態と新しい出会いへ【蔵王ツーリズム・遠刈田からの手紙】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2020年5月9日

新型コロナウイルスの感染問題は、予想に反して終息の極みを見せません。東京オリンピックの開催延期も、ともかく、それどころではあるまいと判断するのが現実で、一蹴で処理されてしまいました。楽しみはすべてお預け、やむなしです。

ジワジワと広がる戦後最悪の世界の光景を、テレビは速報してくれています。この先はどうなるのでしょうか?朝起きると一日でどれだけの感染者が発生し、被害が深まったかがこのところの毎日の関心事です。観光、エンターテイメントの業界をはじめ、飲食、車、交通機関、土産物、金融を中心に、恐ろしいほどの総合不安のキズは、深まる一方。高齢事情で私どものペンション業の切り上げを、今年の年賀状でお知らせしたばかりに発生した困ったニュースです。

私どもは一応3月いっぱいで従来の22年来の営業を止めました。4月からはイギリスの民泊風にB &Bつまり、夕食は出さず、朝食のみをお出しする宿に変えて売却が決まるまでは少し続けたいとはお知らせしています。ただし、コロナ渦の一掃が再開の条件です。

夕食は遠刈田(とおがった)温泉の中心にある魚屋「あいざわ」さんの瀟洒(しょうしゃ)な店で召し上がっていただけたらと話し合っています。20年来、当ペンションに酒類を届け続けていただいた店でご夫婦とも気性が合い孫同士も仲のよかった間です。「あいざわ」さんと私どもは、車なら5分と近く、便利です。 定休日は水曜日、夜は8時までオーダーできます。「そらまめ」とは違った南三陸産の食材がメインです。

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『月刊ふるさとネットワーク』誌に「ふるさと発」の記事を書いてほぼ20年。蔵王に住み、ここから地域情報を重ねてきました。1年に12回×20年ですから240回。雑文ですが文庫本1冊の量になりました。蔵王だけではとても原稿のネタが続かず、時には提案、発想、傾向と、時事番外編の内容になってしまいましたが、皆様の田舎暮らし実現へのお手伝いのお役にたったでしょうか。

蔵王に移ってペンションを経営しながら、場面によっては不動産物件の仲介のお世話もしてきました。60歳からはじめ、寄る年波、高齢となり、ペンションでの接客も限界よ!と妻にせかされる日々が増え、いよいよ来たかと、代替わりの気持ちに変わりました。蔵王のペンション村では長老扱いですが、建物はとってもよい状態にキープしていますので譲渡の翌日から営業可能です。 新しい視点からペンションの業態を見直して、収入のある田舎暮らしをここでみつけてください。ご覧になりたい方は私までお電話をどうぞ。物件は本誌5月号27ページです。(白石蔵王駐在 渡辺 和夫)

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☆渡辺さんが経営する宮城蔵王・遠刈田温泉郷ペンションそらまめのホームページ
http://www.soramame-p.com/
「ペンションそらまめ」で検索できます。

ペンションそらまめ

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東京◆本部/横文字緊急事態宣言??【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年5月6日

毎年、新年が明けると、新生活が始まる4月を経てゴールデンウィークまで一気に駆け抜ける印象があります。今年は様相の違う春を迎えているのは皆さんも同じはずです。

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京本部でも満員電車を避け、在宅勤務・リモートワークが認められた。また本部と八ヶ岳事務所を繋いだテレビ会議は初めての試みで行いました。対面による密集・密閉・密接を避けるために有効な手段であり、まだ色々と改善の余地はあるものの新たな可能性を感じるものでした。

確かに昨年あたりから、海外に住む売主様と現地からSkype で指示をもらったり、東京で重要事項説明を一緒にfacetime でニューヨークのご自宅から聞いて頂いたりしたこともありました。またSNSを見ると、静岡の山奥に移住し地域活動されている方、夜な夜な誰でも参加ができるZoom 会議でたくさんの方とのオンライン雑談を楽しんでいらっしゃる。秩父でローカルメディアを主宰する方は、有名な編集者の方と300人規模のオンライン飲み会を仕掛け、誰でも自宅からオンラインの可能性を説いている。巷ではインフルエンサーと呼ばれる人が夜な夜な生放送配信する世界も。

なかなかそこまで到達するのは難しそうですが、ふるさと情報館でもオンラインサービスの第一弾として「360°カメラによるオンライン物件内覧」を公開・さらに増やす予定。普通のカメラでは感じづらい吹き抜けの天井の高さや見事な格天井、伝えたかった空間の広がりなどを今まで以上に感じることができます。

コロナ禍でますます暗い気分になりがちですが、「新たな技術への苦手意識」「インターネットは複雑だから」を少しでも克服するきっかけとしたいですね。(本部 星野 努)

山梨◆八ヶ岳/惜春のみぎり・5月のお知らせ【八ヶ岳南麓・高根の里だより】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年5月3日

▲移住者の庭先に咲く五月の花ばな(北杜市大泉町)。

ヤマツツジが萌えるがごとく咲きほこるこの時期。移住者の庭先などにもよく見られるこうした光景。毎年、五月になると若葉が芽吹き新緑の力強い色合いを見るにつけ、なにか生命力の源がいっきに溢れ出るように感じられます。

「風薫る」とは言い得て妙。さて、八ヶ岳の南麓では四月の半ばから高根町長澤地区の谷あいをつないで、五百ものこいのぼりがこの薫風のなかを泳いでいます。「北杜24景」のひとつといわれ、地域の人々のいとなみが創り出したみごとな風景となっています。普段は気流の音さえ聞こえてきそうな趣のあるこの谷がこの時期ばかりは華やかになるから不思議です。

また、八ヶ岳の佐久口に当たる長澤地区は戦国時代から交通の要衝地であったため、いまも豪壮な民家が残りそれを移住者のご家族がリニューアルしてフランス料理店をはじめ話題となっています。

もうひとつこの時期の特徴といえば「五月雨」という言い方です。陰暦五月の長雨を表現する言葉であり六月の梅雨にあたります。読み方は「さみだれ」となります。それと対をなすのが梅雨時のいっときの晴れ間をあらわす「五月晴れ」。読み方は「さつきばれ」。いっぽう、大陸の移動性高気圧がもたらす五月の晴天であれば「ごがつばれ」。ではあるけれども、五月の晴れを「さつきばれ」と思い込んだり五月に降る雨を「はしり梅雨」とも言ったりします。

こうした日本語の微妙な感覚を、私たちは意外にも平然と使い分けをしていて、暮らしてきています。もっとも、この「ごがつばれ」どきの田植えもずいぶん早くなって、水ぬるむ五月下旬ではなくゴールデンウィークかその明けにおこなうのがここ南麓でも一般的になっているようです。個人的には「さみだれ」と聞くと、温泉好きな与謝野晶子の短歌を思い出してしまいますが。

▲四層のこいのぼりが薫風の空に泳いでいる(北杜市高根町)。

◆民家と観世榮夫(かんぜ ひでお)さん

私がふるさと情報館に入社したのは、1995(平成7)年のこと。その年は一月に阪神淡路大震災が起こり、入社の一週間前には地下鉄サリン事件がありました。バブル景気ははや過ぎ、日本経済は長い混迷のトンネルに入っていました。私はいつも「遅れてきた青年」であり「祭りのあと」の虚しい余韻を味わってしまうようでした。

じつは私の入社当時の『月刊ふるさとネットワーク』はAB 版サイズ16ページで中綴じモノクロ印刷でした。年間購読料金は3000円。そして当社業績も水面にやっと顔をのぞかせる程度だったとはずいぶん後から聞かされた心温まる?エピソードです。

しかしながら、そういう時だからこそなにかを真剣に探し求める人びとの気概というものをひしひしと感じてもいました。NHK の「おはよう日本」などテレビ取材がはじまったのもその頃からでした。特にすごかったのは日本民家再生協会の立ち上げ報道が日経新聞に出た時です。

▲本部が昔、四ツ谷駅前の白石ビル2階にあったことを知っている方は通です。

1997(同9)年の五月の今頃だったと思いますが、私と代表の佐藤は静岡県の清水市興津へ出張中でその帰り。国道52号線を山梨方面へ車を走らせていると、本部の電話が鳴り止まないと経理から興奮冷めやらぬ口調で連絡が入りました。その後「日本民家再生リサイクル協会」の初代会長になられた観世榮夫さんが就任あいさつで述べられた言葉はいまも私の中に鮮やかに息づいています。

その趣旨は「民家は日本文化の礎なり。大切な文化を引き継いで行きましょう!」と。

その言葉は私には、「あなたは、日本のそれぞれの風土に培われた物件をその暮らしとともに後世へ引き継いで行きなさいよ」というエールにも聞こえました。

今思えば、私が黎明期の当社に籍を置き今日まで続けられているのは観世さんのおかげかも知れません。(八ヶ岳事務所 中村健二)

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特定非営利活動法人(認定NPO)日本民家再生協会
http://www.minka.or.jp/

岩手◆一関市・奥州市/北東北物件探しの旅 ~ 吉里吉里国から人首へ ~【行くぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年4月30日

▲骨寺村は中尊寺のかつての荘園がいまも残る場所。

吉里吉里国(きりきりこく)から人首(ひとかべ)へ

東北本線を走る車両が仙台を過ぎ、岩手との県境にさしかかると、突然東北弁が車内放送から流れ始めた。吉里吉里国が日本国から独立した瞬間だった。作家井上ひさしが描いた『吉里吉里人』(1981年刊)の冒頭だ。売れない三文作家の主人公・古橋と名前が同じだったわたしは、我がことのように井上の流れるような筆致と展開に引き込まれていったことを記憶している。

新幹線一ノ関駅あたりは北上川が作り出した肥沃な流域に広大な農地が広がり、それが途切れた西の山裾(やますそ)には平泉の世界遺産構成群が千年の都を静かに伝えている。十七世紀の終わりには松尾芭蕉も中尊寺を訪れ光堂の名句を残した。

東の山裾は桜の名所で西行法師が京に模すると絶賛した束稲山(たばしねやま)が横たわる。現代の「はやぶさ」は平均時速二百五十キロ以上の高速で移動していく。巻き上がる旋風によって吉里吉里人が話す流暢な東北弁はかき消され、それが入る余地はもはや無いようにもみえる。

地形的には奥羽山脈の東側では「くりこま高原」などの高山がそびえているため、それを乗り越えてくる雪は骨寺村や厳美渓ぐらいまでか。極端な標高差があるわけではないが、低山が広がる花巻市と比較するとこのあたりの降雪量は少なめだという。ことに今年の冬はまったくと言っていいほど雪はない。個人的には残念だ。

さて、遠野で用事を済ませたのち、もう一つの目的地である奥州市(おうしゅうし)江刺米里(えさしよねさと)へ向かった。関東在住の方が田舎暮らしをしたいと十数年前に都内の業者から購入した物件の売却相談があり、所有者の了解のもと今日はその物件の現況確認をする日だった。住所は特定できる。が、衛星写真では建物らしきものは写っていない。嫌な予感がした。

川に沿って県道水沢米里線を南下していくと右手に緑青色の山肌と、その手前には無人と思われる砕石工場が威容な姿をあらわしていた。さらに県道を進むと、川を過ぎたとたん急カーブが出現し、その両脇に歴史の重みを感じさせる町並みが突然姿をあらわした。旧街道筋に入ったのだ。

▲人首地区入口の急カーブ。

▲賢治が旅館から見たような町並みが残る。

そこは「人首(ひとかべ)」と言われる地区でその名前に思わずたじろいでしまう。平安時代の「蝦夷(えにし)」伝説が息づく町と言われ、江戸期の伊達藩時代には街道の御番所もあった。明治期に入ると坂本龍馬のいとこが日本で初めてロシア正教の教えを駐在する役人に説いた。そしてビザンチン様式のハイカラな教会も建てられたという(しかし昭和8年の大火で焼失)。歴史的に見ても国内外の交流が盛んに行われてきた宿場町だ。

そして宮沢賢治もここを二度訪れている。最初は盛岡高等農林学校在学中の1917(大正6)年のことだ。地質調査で初めて江刺を訪問している。先ほどわたしも見た青い山肌もきっとご覧になり調査されたはずだ。

二度目は花巻で教壇に立っていた1924(同13)年。過酷な地質調査のため、自身の寿命があと15年だと知己にこぼしたあとのこと。この時は遠野側から峠越えをし、詩も創作している。一泊の旅。この日賢治の逗留した「菊慶旅館」は2011年に起きた東日本大震災で大打撃を受けてしまう。六つあった客室の天井の一部が崩落するなど建物は大きく損壊し、岩手県知事も宿泊したという名門旅館は廃業を余儀なくされてしまった。そして多くの方々に惜しまれつつ昨年秋に取り壊された。

▲街道筋に建つ趣のある洋風の家。

人首で味わった高揚感を体のどこかに残しながらさらに南下。無人の小学校を過ぎ「チェーン着脱場」の標識にさしかかると、道路脇の雪がいちだんと増え始めた。目指す物件はもうすぐだ。

急な坂道を登っていくと数軒の集落があった。軒の深い民家がほどよく点在している。岩手の奥座敷に位置し農家民宿でもできそうな築百年を超えるほどのどっしりとした民家群だ。

携帯電話の衛星写真が指し示す物件の場所は雪に埋もれた道なき道の先だ。どうやら幅一メートルほどのこの道らしきところを行けば、売却相談を受けた物件にたどり着けるだろう。そう見当をつけて雪道での歩き方が下手なわたしは雪に足を取られながらゆっくりと一歩ずつ進む。百メートルほど行くと山から湧き出てきた水の流れがあった。そこが里と山の境のようだ。その境目に三軒の「家」が並んで建っていた。目指した物件はそのうちの一軒だった。

東北電力の古びた郵便物の住所地が所有者から教えられた所在地と一致したのだ。そこでわたしの見たものは、無残にも屋根が落ち、いたるところにカビが生えてしまった「家」であった。かつて人の住まいであったものがいわば「廃墟」と化していたのである。

時の過ぎ行くにまかせて人の手が入らずに朽ちつつあったのだ。放置され続けながらも風雪に耐えてきた「家」は、近い将来には確実に自然に帰す運命にあった。雪の中でたたずむ三軒は寄り添いながらその日を静かに待ち続けているようでもあった。

今回は、吉里吉里国も賢治の旅館も物件もいずれもタスキを引き継ぐことなく、わたしの中では残念ながら終わりを告げてしまった。こんなこともある。これが初めてでもないし最後でもないのだから。(北東北担当 中村 健二)

▲雪の中で育つタラノ木。

東京◆本部/ほっこりする春の歌を【北の国発・制作スタッフ進行日誌】

この記事の投稿者: 編集

2020年4月28日

「君がため 春の野に出でて 若菜摘

わが衣手に 雪は降りつつ」

この歌は光孝天皇が親王の頃、現在の京都市右京区嵯峨周辺で詠まれた歌です。

意味は「あなたのために親王である私が春の野原に出掛けて若菜を摘んでいましたら、私の着物の袖に雪が降ってきましたよ。」です。

古今集の詞書(ことばがき)には大切な人の長寿を願い、春の野草を贈った時に添えた歌だと記されています。 『日本三代実録』に「天皇少わかくして聡明。好みて經史(けいし)を讀(よ)む。容止閑雅、謙恭和潤、慈仁寛曠。」とあります。

光孝天皇は若い頃から聡明であり、学問を好み、立ち振る舞いは美しく、性格は謙虚で穏やかであり、また温厚であった。と記載されています。どちらからも光孝天皇の思いやりがあり、心優しい人柄がよく伝わりますね。私のお気に入りのほっこりする春の歌です。(本部 井上 美穂)

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宮城◆蔵王/魚を食べたい!【蔵王ツーリズム・遠刈田からの手紙】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2020年4月26日


私ども夫婦の生まれは静岡県沼津、伊豆半島の付け根。真っ白な富士山を背に、南西は深海で知られる駿河湾にひらけ、魚が豊富に獲れました。「獲れる魚の種類の多さは日本で一番だ」と親父から口癖気に聞かされていました。

沼津市(人口はいまで23万人)は、戦前まで御用邸があったほど気候温暖な地で、老後に暮らす永住地として人気があるようです。量が獲れた駿河湾の鯵あじは「干もの一」となり、地元では「猫マタギ」とよんで、卑下された食品でしたが、昨今は漁獲量が極端に減り、「沼津のあじのひもの」として高価な名産品にかわりました。

魚で育ちましたから蔵王で暮らしていても魚への渇望が止まりません。ここでも虹鱒などの川魚の養殖ものは手にはいりますが、あじ、すずき、さばなど形のよい新鮮な魚を並べて売る魚屋のないのが残念です。

2年ほど前、車で40キロほど東に走り、三陸沿岸の亘理町に小さな漁港をみつけました。東日本大震災の大津波に懲り、造られた大堤防の内側に建てられた漁協の道の駅です。地域の野菜や魚が集められて人気をよんでいました。

私が気に入ったのは、魚の安さと新鮮さ、品揃えです。早朝の海から上がった地魚が船頭にもちこまれ、売れるハシから補充されていく光景です。めばる、ひらめ、ほうぼう、めひかり、のどぐろなどスーパーの売り場では目にしない魚種も日替わりに並び、しかも安くて新鮮。小さな売店ですが、味を占めたリピーターが多く集まり、賑わっています。

月に2回は通う私どももその一組です。蔵王に暮らして久しぶりの充実感を感じています。(白石蔵王駐在 渡辺和夫)

「鳥の海ふれあい市場」

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http://www.soramame-p.com/
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ペンションそらまめ

東京◆本部/一日も早くウイルスが終息し、日常が戻りますように・・・【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年4月23日

オリンピックイヤーの始まりを楽しみにしていましたが、事態は思いもかけない方向に動きました。コロナウイルスがこんなにすさまじく猛威を振るうとは、発生してしばらくは想像もしていませんでした。「いくらなんでも、春にはおさまるかなぁ」という甘い見通しもどんどん時間が過ぎていくにつれ、夢物語になってしまいました。

東京はやはり事がおこると人口過密地だということが、まざまざとわかります。千葉から四谷に通勤している私ですが、時差通勤を推奨されても、「若干、車内が空いている?」という程度です。東京では不足している商品も千葉に帰れば手に入ったりして、東京との差に驚いたりします。

八ヶ岳事務所のメンバーに聞いてみると、山梨には東京とは別の居場所を求める方がいらっしゃるとの事です。東京に限らず、私の周辺でも子供達の元気な声が「騒音だ!」と言われる場合があり、なんともかわいそうです。

薫風の候、一年で一番爽やかな季節が過ぎて行きます。本当だったら思いっきり外を駆け回るのに最適な季節。一日も早くウイルスが終息して日常が戻るのを祈らずにはいられません。(本部 杉田 玲子)