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岩手◆花巻市/物件探しの旅 ~ 早池峰の賦 ~【行くぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年3月27日

映画評論家の蓮實重彦(はすみしげひこ)氏の授業を受けたのは、今から40年ほど前のことだ。当時通っていた学校で「ジャズ研」に籍を置く知人から紹介され、履修した。

そこでは蓮實先生が非常勤講師として「映画表現論」を担当しておられた。いまとは異なり、痩せ面でアゴ髭を伸ばした風貌はどこかストイック、そして草刈正雄並みの長身で教室に背をかがめるようにして入ってきたことをなぜかいまも鮮明に記憶している。


先生はのっけから、いま観るべき映画として挙げたのが、高野悦子氏が主宰する神田神保町の岩波ホールで上映していた「名作映画上映運動エキプ・ド・シネマ」だ。国内外を問わず秀作を集め上映する高野さんのバイタリティに、時間だけを持て余す我々学生は圧倒され続けてしまった。

「家族の肖像」、「木靴の樹」、「旅芸人の記録」、「ブリキの太鼓」などの大作を狭い空間で前の人の頭を気にしながら観続けるという至高の時を過ごすことができたのは、学生時代の数少ない心暖まる出来事ともいえた。

▲「早池峰の賦」の映画パンフレット。羽田澄子監督作品。1982年。上映時間は3時間5分

ある年、日本の東北地方で連綿と行われてきた神楽のドキュメンタリー映画がその岩波ホールで上映された。「早池峰の賦(はやちねのふ)」という。

場所は岩手県花巻市大迫町(おおはさままち)。上質な葉巻用の南部葉が唯一の地場産業の山村で早池峰神社へ奉納するふたつの舞が行われる。岳神楽(たけかぐら)と大償神楽(おおつぐないかぐら)を演ずるふたつの村の人々だ。

真剣を振りかざす迫真の形相は観る者を圧倒しつつ、一方で坂道を通勤通学するのどかな人々の日常を、早池峰山の厳しくも暖かい四季を背景に天からの贈り物のごとく描いた渾身の秀作だった。

早池峰山は北上山地の最高峰で(標高1917m)、日本百名山のひとつ。古くから信仰の山として知られており、その頂上は遠野市、宮古市、花巻市の境界となっている。遠野地方の附馬牛町の山掛けルートでは沿道の曲がり家で参詣者に対してお茶出しなどのお接待も広く行われてきたという。

そして令和2年の本年も、大迫町では伝統的な神楽が毎月第二日曜日に花巻市大迫交流活性化センター(早池峰ホール)にて行われている、と。そのポスターをヨーグルトのおいしい産直センターで目にした。

▲産直センターに貼られたポスター。

そのときこそが、わたし自身40年の時を経て「ハヤチネ」という頭の片隅にあった名前が突如として顕在化した瞬間でもあった。なんと、こういう再会もあるのかと。

宮沢賢治が描く「風の又三郎」の小学校のモデルとなった火ノ又分教所のその先には「早池峰の賦」が今も確実に息づいているのだ。(北東北担当 中村健二)

▲盛岡より宮古へ向かう遠野街道大迫は古くからの宿場町であった。

岩手県花巻市大迫町

宮城◆白石蔵王/野鳥の森自然観察センター・ことりはうす【蔵王ツーリズム・遠刈田からの手紙】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2020年3月25日

蔵王町には県営の宮城県森林インストラクター協会の指定管理施設「野鳥の森自然観察センター〝ことりはうす”」という施設があります。私のペンションからすぐ近く、蔵王の深い緑の中に建ち、年間1万人ほどの来訪者が来ます。

開設後すでに25年、お堅い役所仕事で運営されている小さな博物館という印象で、この間1、2度足をはこんだだけでしたが、昨年、このことりはうすから外部評価委員の1人として他の委員4人とともに参画してくれと要望され、評価委員となりましたが実に楽しい施設でした。

「野鳥の森の自然観察」がテーマの館ですが、今はより広い視野から森の体験が実感できる自然の仕組みや、命の大切さなどを学ぶ場として県内外から客を呼んでいます。1階は夏と秋のジオラマ、蒲生干潟、伊豆沼の実景、蔵王の昆虫、植物、動物、野鳥、蔵王のおいたち、2階は野鳥の形態、世界を渡る鳥、足の不思議、鳥の視野、そして野外観察室に出ると、双眼鏡により生きた野鳥が観察できます。

一年中の週末はさまざまなイベントが用意され、広大な森には七つの野鳥観察コースができています。 入園料は大人350円と格安。お子様とぜひ一度どうぞ。(白石蔵王駐在 渡辺和夫)

公式ホームページ
http://mifi.main.jp/kotori/index.html

東京◆本部/物件にはふしぎな「縁」がある。という話【北の国発・制作スタッフ進行日誌】

この記事の投稿者: 編集

2020年3月23日

「定年退職をしたので、今住んでいる東京の家を息子に残して移住したいと考えています」と相談がありました。

そのA さんは、のんびりと高速バスや格安航空を使って移住先を模索しながら、「釣り」をして1ヶ月近く全国を回っていました。なかでも鹿児島県の某所は特に気に入り、その地には1週間いたそうです。

東京に帰ってきて移住先の家をネットで探していると、気に入った釣り場所のすぐそばの物件が掲載されているのを見つけました。A さんは「東京からだとすぐにいけない。このタイムロスで誰かに先を越されたくない。」と見学していないのにも関わらず直感で「ここにしよう!」と物件を抑え、購入されたのです。※原則は見学後にお申し込みの手続きとなります。

その物件の売主様は、親が亡くなり早く処分をしたかったそうで、すぐ住める状態ではあるものの、その家まで行く進入路が車1台ギリギリ通れるかどうかの細い道で駐車場もありません。さらに近隣に借りられる駐車場もなく、家は良いのですが車の条件でなかなか買い手が見つからなかったのです。

しかしA さんは車の所有はしていません。

つまり、その物件から徒歩で釣りに行けて少し歩くとバス停があるので大丈夫。とデメリットが全く気にならなかったのです。相談を受けて、その物件はA さんの為の、まさに「縁がある物件」だったのだと感じました。(本部 井上美穂)

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山梨◆北杜市/住み始めて発見・案外快適なことお教えします!【巡り巡って北杜市探訪記】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2020年3月21日


住み始めてから発見する、生活の仕方
というものがある。北杜市に移住してから発見したものの一つが、「高速バスは使える!」である。移住したての時は、新宿へは電車で行くものと思っていた。昔の歌謡曲にも出てくる特急「あずさ」。振り子式の独特な揺れは、今となっては良く覚えていない。結局、あずさに乗ったのは、最初の2回程。その後は、新宿へは高速バスを使っている。


大きな理由は電車の半分ほどの交通費。そして乗ってみると案外と快適だった。席にはスマホ充電のコンセント、WIFI が無料で使える車両もある。靴を脱いで、フットレストに足を乗せ、バスの心地よい揺れに身を任せると、あっという間に眠りの世界へ。

高速バスの停留所は駅とは離れた、何にも無いところに多い。その為、観光ではなく、地元の交通の延長といった雰囲気である。ただ、渋滞時は時間が読めないのは弱点。北杜市に移住されたら是非とも一度、市民の足の延長、高速バスもお試しください。

(八ヶ岳事務所 大久保武文)

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アルピコ交通(新宿←→茅野・諏訪・岡谷)
https://www.alpico.co.jp/traffic/express/suwa_shinjuku/

山梨交通
http://yamanashikotsu.co.jp/highway_bus/shinjuku_okaya/

富士急行
https://bus.fujikyu.co.jp/highway/detail/id/28

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長野◆東御市/海野宿のひな祭り【地域深堀り・のぞむ歴史紀行】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年3月18日

▲和服で宿場町を散策。

中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿場町として栄えた「海野宿(うんのじゅく)」。見事な街並みが残り、「日本の道百選」「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されているこの場所では、毎年3月になると「海野宿ひな祭り」が開催されます。

3月1日から29日の間、海野宿・北国街道沿いの家々にひな人形が飾られます。情緒ある古い街並みに可愛らしいひな人形が並ぶさまを、和服を着て歩けばタイムトラベルをした気分。夜はひな人形がライトアップされ、期間中毎土曜日は街道にも灯篭が灯されます。

この時期だけのいつもとは一味違う、幻想的な海野宿で静かな佇まいを眺めながら歴史に思いを馳せてみませんか。(本部 長内 望)

▲夜は街道に灯篭が並び幻想的。

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観光協会告知イベント、行事、中止、延期のお知らせ(3/14現在)

「第6回海野宿ひな祭り」

新型コロナウィルスの感染拡大の状況を鑑み、令和2年3月29日(日)のイベントについては、中止することになりました。なおひな人形の展示、土曜日の灯篭ライトアップについては29日(日)まで引き続き実施いたします。

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群馬◆箕郷町/名のみぞ残る箕輪の里【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年3月14日


榛名山の南東に位置し、平成の大合併で高崎市に編入された箕郷町(みさとまち)。ここには日本百名城にも数えられる箕輪(みのわ)城(跡)がある。築城された正確な年は不明だが、長野氏によって築城され、戦国期には長野業正(業政・なりまさ)によって上州に侵攻した武田信玄を幾度と無く撃退。「業正一人が上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と言わしめ、箕輪城攻略は、業正の死を知って初めて成就された。

武田氏滅亡後は、業正と縁のあった真田家を経て、箕輪城は織田家中の滝川一益、相模の北条家など大国に翻弄されることとなり、徳川家四天王・井伊直政が入城、直政が高崎城に本拠地を移すまで、北関東の要であった。高崎城への移城は武士、職人や商人、寺社仏閣まで城下町全てが引っ越すまでのもので、連雀町や鍛冶町など箕輪から高崎に町名まで引き継がれ、反対に空き家となった箕輪城下を指して西明屋や東明屋の地名が生まれたと言われている。

現在の城跡は直政在城当時のものとされ、広い敷地は散策コースとなり、四季折々の自然、特に深さのある土塁は見応えある。近隣の箕郷梅園と共に、梅や桜の季節にかつての群馬の中心に訪れてみてはどうだろう。(本部 星野努)

※落城時の城主・業盛(業正の息子・享年23)の墓碑より:春風に梅も桜も散り果てて、名のみぞ残る箕輪の里かな

▲本丸を囲む深い堀跡と土塁。百名城スタンプは支所と公民館にある。

高崎市箕郷町の物件(16268H)

岩手◆遠野/奥州市水沢公園散策記【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年3月11日

▲江戸時代後期に活躍した蘭学者・高野長英(1804年生まれ)の記念館。

岩手の立春のころは、一年で一番寒く雪におおわれている風景ですが、今年は雪も積もらず、温かい日が続いています。そんな中で小春日和とも言えそうな暖かさに誘われて、奥州市の物件案内の帰り、水沢公園を散策しましたら歴史の重みに感激しました。

先ずは公園内にある「高野長英記念館」を見学し、日本史の教科書に出て来るような幕末の先覚者に出くわしました。水沢生まれの彼は、江戸、長崎と極貧・苦学し、かのシーボルトの「鳴滝塾(なるたきじゅく)」に学び、鎖国時代の国の行く末を憂えて、開国に向けた「日本の夜明け」を提唱。医学、天文学、兵書と、外国書の翻訳や医業をしていく中で、幕府による激しい弾圧をうけ、投獄、脱獄、逃亡生活の果てに自害する破天荒な生涯を送りました。

▲東京都知事を務めた後藤新平公の銅像(1857年生まれ)約125年前に流行した疫病対策、水際作戦の責任者として伝染病の拡大を阻止した人物。

明治になるとそれらの功績が認められて「正四位」を没後に追贈されています。江戸時代に、この北東北の水沢から、長崎まで勉学に行き、国の夜明けの必要性を著書『夢物語』で提言するパワーの源は、何だったのかと、不思議でなりません。※日本漂流民を乗せて渡来したアメリカ船モリソン号をめぐる幕府の対外政策を批判した著作。『戊戌夢物語』とも。

この公園には、他に内閣総理大臣を務めて、二・二六事件で凶弾に倒れた齋藤實(さいとうまこと)公や国鉄総裁、東京都知事を務めた後藤新平公の銅像があります。時間のある時にお寄りいただきたいものです。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

高野長英記念館(岩手県奥州市水沢中上野町1−9)

栃木◆那須/仲間が集う年末イベントのご報告【高久の里山日誌りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2020年3月8日

▲「昔とった杵柄」をシルバーパワーで発揮?です。かっこ良いでしょう?

12月30日 餅搗きイベント 27人参加

今年も年末恒例のお正月用餅搗きを開催しました。昨年はマイナス4℃で雪が降り、今年は4℃で雨になり、テントの中で餅搗きです。予定の時間近くになると、寒くない様にいっぱい着込んだ人たちがぽつぽつ集まって来ました。そして開口一番「今年雨が降ったのは誰のせいかな?」と犯人捜しが始まり朝から賑やかです。

朝一番の仕事はカマドに火を焚き付けて湯を沸かし、もち米を蒸すという責任ある仕事を、千葉から参加の方が、早く着いたからと毎年やって下さってます。今年も雨の中、原っぱの方で、もち米を蒸すセイロから立ちのぼる湯気の側で、早く蒸しあげようと男衆達は頑張ってくれています。お陰様で開始予定の9時には「サァ~始まるよ?!」と声が掛かり令和初めての餅搗きが始まります。

少し経った時「待った!」がかかり「今年もしくじったよ??」の言葉に臼の中を見ると、見るからに腰の弱い餅が・・・。トラブル発生に昨年も始めのひとうすが今回と同じ状態だったことを思い出しました。

あの時も「カマドの火が強すぎる!」とか、「もち米の水切りが不十分!」とか、「蒸しすぎ!」等といっぱい意見が出ましたが、2回目から上等の餅ができるとすっかり忘れて原因を突き止めないまま、今年も同じことを繰り返しています。

そうこうしているうちに餅搗きは順調に進み、搗き手はそれぞれの体調と相談しながら無理せずスムーズに交代しています。ざっと見たところ還暦祝いを過ぎた年頃の男衆が多そうで、シルバーパワーで「昔とった杵柄?」を発揮しています。足を踏ん張り杵を振りかざし腰を入れたフォームが「かっこ良いね?」と言った人がいたとかいないとか・・・。シルバーの見せ場ですよ?皆さん頑張ってね?!そのうちファンクラブができる?かな?

▲今年は2台になった「豆餅切機」これで順番待ち解消できる。

搗きあがった餅は隣のテーブルで待機している女性達の所に運ばれ、のし餅にするのですが一年たつと「手順を忘れた~」と皆で思い出していました。ひと臼4升(6㎏)のもち米を今年は11回搗き、最後に搗いた餅で「みずぎり餅」を搗きたての餅にあんこ、納豆、ゴマ、大根おろし等の好みの味を絡めて食べ、おいしいと大好評です。

疲れて箸を持つ手が震えるという人がいる中、薪割で鍛えているから平気だよという人もいました。ちょっと寒かったけど、今年も立食でいつもの田舎料理を「おいしいね~」と言いながら頬張る皆さんを見ているだけで嬉しくなって来ます。

その後、豆餅を抱えた人達が「今年も借りるね~」と集まって来ます。前日に作っておいた豆餅が固くなって切るのにひと苦労するので数年前に買った「餅切り機」が今では便利なものとして皆さんの役にたっています。いつも順番待ち気味なので年末に思い切って「豆餅切り」専用を買って来ました。夜はいつものように忘年会をやり和気あいあいと今年も暮れました。

12月31日 晦日そば打ち

我が家で収穫した「そばの実」を、「道の駅・東山道」の巨大石臼で碾ひいた「そば粉」を使って晦日そばを打つ日です。ベテランと初心者が入り交じって水回しが始まります。我が夫も年に1度皆さんに交じってご指導をいただきながら始まるのですが途中で「あー息切れがするー」と呟いている様でした。

ひと通りそば打ちが終わると、外に出て今年最後になる「締めのラーメン」です。福島県西郷村(にしごうむら)のみもり製麺より白河ラーメンの生麺を買ってきて、チャーシューは仲間の手作りで食べ放題です。今年もおいしいラーメンを食べて1年を締めました。

その後「食事だけでも~」とお誘いした仲間が、帰省したばかりの娘さんご夫婦を連れてやって来ました。ラーメンを食べた後で「今夜食べる晦日そば打ってみない?」と声を掛けると若いご夫婦は腕まくりをして初めての「そば打ち」に挑戦です。ベテランのご指導で無事「晦日そば」をお持ち帰りしましたが、上手にゆでることができたかな?とちょっと心配でした。(那須店 高久タケ子)

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