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岩手◆遠野市/遠野パドロン ~ 新しいビール農業の挑戦 ~ 【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2022年7月23日

▲遠野ホップ収穫祭で販売された遠野パドロンフリット。

日本有数のホップの産地・岩手県遠野市。毎年秋にはキリンビール株式会社から遠野産のホップを使用した「一番搾りとれたてホップ生ビール」が発売され、全国の食卓に彩を添えます。古くから原料のホップの産地として知られてきた遠野市の中で、近年ビールのおつまみにピッタリなある野菜の生産が行われています。それが今回紹介する「遠野パドロン」です。

▲遠野パドロン(500g)

パドロンとは・・・あまり耳に馴染みのないこのパドロンという野菜、見た目は細いピーマンのような印象ですが、シシトウガラシの一種で、原産地となるスペインにある地名(Padron)が由来になっているそうです。

で、どのように食すのか?どんな味なのか?ビールとどう合うのか?という話になってくるわけですが、私がパドロンの虜になるきっかけとなったフリットは作り方が多少難しいため、家庭で調理する場合はシンプルに素揚げにするのがおススメです。

生産者さんのレシピ通り170℃の油で30~45秒ほど転がしながらサッと揚げれば、最高のおつまみの完成です。味については表現が難しいのですが、ピーマンのような苦みはなく、皆さんご想像のトウガラシのようにビリビリと辛いわけでもなく、主張は強くないけれどもとにかくビールが飲みたくなる、ススム味です。しかし流石にシシトウの仲間、中には稀にピリッと辛い「当たり」もあるので、油断は禁物です。

▲吉田代表と共に奮闘する奥さんの美保子さん。収穫中です。

それにしても、そんなスペイン原産のパドロンがどうして遠野で生産、ブランド化されて広まってきたのか?という疑問が出てくるはずです。そこで今回は遠野パドロンの生産者、遠野市青笹町の農業法人BEER EXPERIENCE(ビアエクスペリエンス)株式会社さんに伺ってお話を聞いてきました。

現地についてまず一番に感じた事。「建物、デカッ!」施設は普段通る道から見える場所にあり、テレビのニュースやSNS でも見て知ってはいたつもりでしたが、実際に行ってその目で見るとやっぱり違います。ハウスの規模、温度や水の管理方法、全てが先進的で国内のそれとは思えないほど質実共に大規模な施設でした。

それでも収穫や袋詰めはやはりヒトの手仕事。会社では10数人の方が働いているそうです。その中で選別袋詰め作業をされていた方から話を伺ったところ、なんとお一人の方は、以前ふるさと情報館の仲介で遠野に移住して来られた方、もうお一人は本誌『月刊ふるさとネットワーク』のラーバニスト訪問に寄稿してくれたことがある方でした。なんという偶然?と驚くとともに、この仕事のやりがいを再認識した瞬間でもありました。

▲数年前に訪れた時は他野菜のビニールハウスだった。

BEEREXPERIENCEの歴史は2008年に代表を務める吉田敦史さんが奥様の美保子さんの実家である青笹町(あおざさちょう)でキュウリやトマトの栽培をしたところからスタート。2012年に露地栽培の小さな畑でパドロンの栽培を開始。2018年に会社を設立、ホップと遠野パドロンの栽培を本格化するため他野菜の栽培を終了。2019年からホップはドイツの栽培方法へのチャレンジを、遠野パドロンは現在のオランダ式の高規格栽培ハウスでの栽培を開始しています。

▲パドロン生産工場内部。開閉可能な屋根は高く、とにかく広い。

▲パドロンの実が次々と実る。

▲袋詰めは手作業。移住者の二方は忙しい中でも話を聞かせてくれた。

日本産ホップ生産、遠野パドロン生産、遠野ビアツーリズムの3つの事業を柱とした「ビール農業」を展開、「日本のビアカルチャーをもっとおもしろく」をモットーに日々奮闘中です。(会社紹介より抜粋)

今回紹介した遠野パドロン他商品のお求めやイベント出店情報、遠野ビアツーリズムへの参加申し込みはBEER EXPERIENCEホームページまで。ホップ生産によりビールの文化が根付いた遠野に一から新しい文化として加わった「遠野パドロン」。ビールを飲まれない方も是非一度お試しを。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)

BEER EXPERIENCEホームページ
https://www.beerexperience.jp/

投稿者プロフィール

みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 
みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 ふるさと情報館・みちのく岩手事務所 所長・スタッフ
元JA職員で都市と田舎を結ぶ取り組みを約15年担当者として務め、退職を機にふるさと情報館・みちのく岩手事務所所長として一念発起。民話の宝庫・岩手県遠野市在住にて、地元神社の神主としての顔もある。令和3年よりデジタルを駆使して後方支援していた息子も全面的に加わり情報発信いたします。