新潟◆出雲崎町/妻入り街道【本部スタッフ・出雲崎だより】
本部・地域担当より
盗人に 取り残されし 窓の月」
良りょう寛かんが寝ている時に泥棒に入られたが金目のものが全く無く、(気づいていたが寝たふりをして)掛け布団を取らせてあげたという逸話を呼んだ句。泥棒がその布団で幸せになれば良いと、いう良寛の寛大な心を表した。
そんな良寛が生まれたのは越後の海沿いの出雲崎町。江戸時代、東北と京都を結ぶ北前船や佐渡金山からの寄港地であり宿場町でした。

▲街道と海に対して建物は縦方向で並ぶ。日本海へ山が迫る狭い地域で、先人達が作り出した生活様式。
そんな町ではたくさんの人が行き交うため、多くの建物(店や宿)が必要となり、生れたのが道路に面した部分を狭く、奥行きが長い建物。
俗に言う町屋造りです。当時は建物が道路に面した長さ(間口)で、税金や役割負担の大きさが決められていたため、
その対策としてこのような細長いに建物が作られることもありました。
ただ、出雲崎町ではそれに加え、日本海からの暴風避けとしての対策もありました。
「妻」とは建物の側面を指し、そちら側に玄関(出入り口)を設けた造りを妻入造りと言い、それに対して一般的なのが平入り造りです。
本来は北国街道という国道ですが、4㎞にも及び妻入り住宅が立ち並ぶことからいつしか〝妻入り街道〞と呼ばれるようになりました。
美味い海の幸を食べに是非、訪れてみてはいかがでしょうか、良寛記念館も街道から少し山側へ入ったところにあります。
(本部新潟担当 金澤和宏)












