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宮城◆蔵王/物件ウオッチ誌上オンエアー(文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年12月19日

▲ペンション外観。四季を通じて観光客の絶えないのがここ蔵王。

宮城県蔵王町 ペンション1900万円

このコーナーで営業物件を取り上げるのは初めてのことだと思う。「蔵王町」は言わずと知れた東北屈指の温泉リゾート地で、宮城県南に位置しており152平方キロメートルの町域に1万1千人が暮らす。「蔵王連峰」の東南側にひらけた地形で松川の河岸段丘が作り出した強固な岩盤の下から湧く良質の温泉が自慢だ。

コロナ前の2014年の町の観光協会資料によれば、年間の入り込み客数は177万人ほどだという。仙台市内からは約45キロで1時間もかからない。スキーや温泉、日帰りドライブ、グルメ、こけし土産のほか森林浴や健康増進など一年を通じて手軽なリゾート地として人気がある。

▲赤茶けた排水溝からは湯煙が立ち昇っている。

課題は地域の高齢化と若年層の流出だが、蔵王町は移住政策の取り組みにも積極的だ。ペンションオーナーも徐々にではあるが代替わりしているという。そのペンションの数は20件がリストアップされており、本物件はそのサイトでも上位にランクされている。場所は「蔵王の御釜」に行くエコーライン入口の分譲地の最奥にあり、雑木林のなかにたたずむ静かで落ち着いた環境も自慢のひとつだ。

オーナー夫妻はお隣の山形県のご出身。わたしが初めて蔵王の御釜に行ったのは実に40数年前の高校2年の秋だった。新幹線は当時まだ無く、「奥入瀬渓谷」から観光バスでひたすら南下し、寒さに震えながらみどり色の御釜を奇跡的に30秒ほど見ることができたのだった。

その後、一昨年の3月に今回とは別のペンションの売却相談のあとに訪れたのが2度目。このときはエコーラインがまだ冬季のため開通しておらずスキー場のところで引き返してきた。そして今回が3度目ということになった。

▲田園の先にある蔵王連山は黒い雲に覆われていた。

そのペンションのオーナーいわく、「エコーラインは積雪のため今日は通行止めよ。残念だったわね!」道路看板では「11月5日から封鎖」と案内が出ていた。もしかしたら、善良なる市民のために特別に開いているのではないか。まだ紅葉も始まったばかりだし、雪なんか積もるハズがない。そんな淡い期待を胸にわたしの四駆はヘアピンカーブをひたすら登る。

スキー場の先のゲートは閉まってはいなかった。どうだ、と内心ほくそ笑む。わたしのほかにも上がって来る車は多い。勇気をもらうようにわたしもさらに高みを目指す。するとどうだ。路肩には雪が積もり始めているではないか。

▲エコーライン入り口の大鳥居。

気温はまたたく間に2度まで下がった。氷点下までもわずかだ。キツいカーブを過ぎ、蔵王寺の先にはトイレ休憩できる駐車場があった。ゲートはここで閉ざされていた。

残念ながら今回はここまで。しかしながら、次々に登ってくる車が後をたたない。駐車場内にも積雪がある。午後になればさらに気温は低下する。ちょうどいまが潮時なのだ。

▲またしても御釜の展望台を前にしてU ターン。

それにしても多くの人が「行けるところまで行ってみたい!」という心理や気分はとても分かる気がした。これまで緊急事態で押さえつけられていた日常からいっきょに枷が外れたように、、、人々の情熱がそれこそ堰を切ったように溢れ出してきているのである。

「八ヶ岳」でも清里の先にJR最高地点という場所(標高1375メートル)があり、昔から根強い人気の観光スポットとなっている。そこに建つログハウスでボリューム満点の「そば定食」を出す飲食店がすごい。店の名前は「最高地点」。満月よりもその前の14番目の月が良いという歌もあるが、「ココがサイコー。最高地点に行ってきたよ!」というのは結構な土産話になるそうだ。

蔵王でゲートの前で雪だるまを作ったよ、というのは良い話のようにわたしには思えるし、なにほどか共感もしたのである。この蔵王物件の話は12月25日に放送される予定です。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

▲バイクで来ていたカップルは可愛いサイズの雪だるまをこしらえてくれた。

 

(文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

北東北◆宮城蔵王/みちのく物件探しの旅 ~ 蔵王の師匠いざ、ジャンプ!【いくぞ北東北!中村所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年5月15日

その人と初めてお会いしたのは私が入社間もないころだった。当時一世を風靡していた「清里のペンション」売却をご一緒させていただいた時だ。

それがその人との実に一回限りの仕事上のお付き合いだった。

そのころ当社が加盟していた団体に彼も横浜の不動産事業者の所長として参加されていたが、テキパキとした仕事のこなしぶりから颯爽とした風貌と身ぶりまでその道のプロと呼ぶにふさわしい印象だった。しかし私が真に影響を受けたのは次のような言葉だった。

「中村クンね、仕事で最も大切なのは」と彼が言った。

「間なんだよ、間。人と人との間、物件との間。間取図はうまくかけても間を持たせられるやつはホントに少ない」と。

その後定年退職を機に宮城県蔵王町でご家族とともにペンション経営を始められたとうかがった。遠刈田温泉の休養村で都会からのお客様を迎える仕事とは、あの人らしい。新幹線駅からも空港からも高速からもほどよい距離という間の取り方をここでも実践されるのかと、唐突に思えるほどの転身にも私はひとり合点がいった。

私の蔵王の記憶は、高校時代の古典の教師につながる。大の「奥のほそ道」ファンで、修学旅行先を東北か九州のいずれかを生徒に選ばせる時も国東(くにさき)半島よりも松島湾、阿蘇山よりも蔵王のお釜と、その見どころを力説していた。あげくに阿蘇は霧がかかって山など見えないものだと言い出す始末。将来に鬱屈した思いを持つ多くの地方の純真な高校生の一人であった私(たち)は、紅葉も終わりかけた寒さの東北方面へ長旅に出かけたのだった。

▲修学旅行での蔵王お釜。奇跡の一枚だ。

氷雨に見舞われた修学旅行はおおかたバスの中から見た景色として思い出のアルバムに占拠されてしまったが、なんと蔵王の山頂では霧が晴れ奇跡的にお釜が現れた。男どものむなしい旅行が唯一救われたと思ったほど。蔵王とは私にとってはそんな思い出の場所だ。

東北新幹線白石蔵王駅からレンタカーで20キロ、蔵王町遠刈田(とおがった)の休養村まではほぼ一本道。目的地に近づくにつれ、変わったものと変わらぬものが頭をもたげ心もち緊張感に包まれてきた。道路には着雪時に融雪される装置が付いているため、スタッドレスタイヤでなくても登ってくることはできるとのことだが、山道は用心に越したことはない。

しかしながら三月下旬であるためかどうか、物件にたどり着いても雪はまったく積もっていない。車の窓を全開し蔵王の山肌を流れるせせらぎの音を聞きながら、明るいグリーン色の外壁が特徴の物件の駐車場に車を停めた。マイナスイオンが溢れたような落葉樹に囲まれ、森しんとした雰囲気がただよう。ゆっくりと物件のドアを開ける。ちょっとの間、買い物に出かけていて私の方が先着したペンションに戻ってきたその人はこうあいさつをした。「中村クン、久しぶり」。じつに二十二年ぶりの再会だった。

▲ペンションには季節の花々が日当たりの良い窓辺に飾られていた。

都会での会社勤め、リタイア後のペンション経営、そしてさらに次へと向かう飛躍の年。ホップ、ステップときて、最後のジャンプの時に、また仕事で私も関われること。それもまた「僥倖(ぎょうこう)」とよぶべきことなのかもしれない。「ペンション」という言葉が日本に定着してもはや半世紀が過ぎようとしている今日、これからを継業して行く人たちに思いを馳せながら私はその物件を後にした。

美味しく焼かれた奥様の手作りパンをお土産にいただいたが、私にはもう一つやるべきことがあった。それは蔵王のお釜を見に行くことだった。4500メートルのダウンヒルコースを持つスキー場から帰ってきた若者に15:30まで滑れるチケットあげるよと言われ、道を間違えたことに気づく。蔵王エコーラインは国道457号線から大鳥居を抜けて入っていくのだ。

十七歳であった「私」を探すようなその日最後の旅。しかし、ロングアンドワインディングロードの先に待っていたものは案の定山頂付近での通行止めのゲートだった。気温1度、蔵王の春はまだ遠い。(北東北担当 中村健二)

▲山頂付近の通行止めのゲート。

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☆渡辺さんが経営する宮城蔵王・遠刈田温泉郷ペンションそらまめのホームページ
http://www.soramame-p.com/
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ペンションそらまめ

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