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秋田◆男鹿市/横縞ジャージと角のない使者【行くぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所・中村健二

2021年1月28日

常勝早稲田に対し小柄なウイング吉田義人選手(よしだよしひと)率いる明治フィフティーン。鍛え抜かれた両チームの選手たちが国立のフィールドを駆け回る。

一九九〇年前後は、わが国大学ラグビー界にあって黄金期ともいえる時代だった。ユーミンの歌とともにその大学ラグビー界を早稲田と明治が牽引していた。まさにその年に行われた関東大学ラグビー対抗戦の最終戦早稲田対明治の試合はチケットを持たないファンが国立競技場を取り囲むという騒ぎとなり、試合前から両チームに対し熱い視線が注がれていた。

結果は引き分け。ノーサイドの笛がフィールドに鳴り響くと一種異様な叫びが地響きのごとく沸き起こったことを記憶している。早稲田と引き分けた明治は翌年一月に行われた大学選手権で優勝し八回目となる大学日本一の座についたのだった。

東北地方では、ラグビーといえば「北の鉄人」で知られる岩手県釜石市のラグビーチームが有名だが、男たちのぶつかり合いに象徴される当時の現業を地域で支えてきた工業高校の存在も忘れてはならないだろう。黒沢尻工業、盛岡工業、そして秋田工業。男鹿東中学より進学し秋田工業で一年生からレギュラーだった吉田選手は、そこで全国制覇も達成した。明治の名将・北島監督は新入生時代から彼の抜きん出た素質を見抜いていたという。

この冬、大正時代から連綿と続く「秋工」の横縞のジャージが高校ラグビーの全国大会・花園行きを決めた。ちなみに当社秋田駐在の片山の奥様はこの高校の隣が実家だった。また、高校サッカーではみちのく岩手事務所の所長・佐々木の母校である遠野高校が全国大会の切符を手にした。(わたしも両校の活躍を両県の皆様とともに応援しています)

男鹿市(おがし)には有名な道の駅「オガーレ」がある。毎日新鮮な日本海の魚介類が入荷され、その場でさばいてもくれる。わたしは「しょっつる」をお土産に買った。

そこから山道を一時間ほどいくと「なまはげ」の発祥地ともいわれる真山(しんざん)神社に着く。山自体が御神体だといわれるスケールの大きな神社で、静謐(せいひつ)な境内には平日にもかかわらず、御朱印をいただきにきた人もチラホラ見受けられる。実はこの地区のなまはげには角(つの)がない。

大みそかの夜に一軒一軒を訪ねる彼らこそこの地区の守り神の使者だからだ。家の中に隠れた子供たちを探し出して荒々しく説教し、今年の厄払いと来るべき年も家族の無病息災を祈念する。どこの家でも丁重なおもてなしを受けて、凍りつくような夜道を彼らは帰っていくのだ。 (北東北担当 中村健二)

▲なまはげと家のあるじとの問答(「なまはげ館」にて)

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男鹿市への移住について
1 市の窓口:企画政策課移住定住促進班
       電話0185-24-9122
2 オンライン移住相談(月曜から金曜日、10:00~17:00)
  希望日の3日前までに申込。
3 移住支援補助金制度あり。
4 空き家バンクは売買物件の登録が多い(HP)
 ※直接登録業者へ問い合わせる仕組み。

http://www.city.oga.akita.jp/index.cfm/13,0,87,html

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山梨◆山中湖村/三島の湖の見せる文体【いくぞ!甲州・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所・中村健二

2021年1月19日

▲三島文学館入口(山中湖村)。

佐藤秀明館長はその朝、地元紙に書いていた。

山中湖の三島文学館の展示室で、遺作となった『豊饒の海」の原稿を見ていると(中略)原稿用紙に力を入れて万年筆で彫ったような文字が連なっている

「山梨日日新聞」(二〇二〇年十一月二十五日)

同館長三代目となる佐藤秀明さんは、わたしが入学した大学を翌年卒業されている方でもある。万年筆で彫るとはどういうことか。わたしは三島由紀夫の自筆原稿を見てみたいと、そのとき強く思ったのだった。

山梨県では甲府盆地に周囲の山を越えずに接する地域を「国中(くになか)」、甲府盆地から山を越えていく地域を「郡内(ぐんない)」と呼ぶ。山越えの山中湖は郡内地域にあたっている。八ヶ岳南麓の北杜市からは富士北麓の山中湖村へ行くにはいくつかのルートがある。行程は約80キロあまりだ。

わたしはふと、「若彦(わかひこ)トンネル」を通ってみたいと思った。

国道20号線を小瀬(こせ)の先「蓬沢(よもぎさわ)交差点」で右折すると景色が一変する。集落を過ぎて御坂山系へと向かう県道は、いつのまにか畑の真ん中を走っている。

周囲にはぶどう棚と観光農園が現れてきた。その先は一面もも畑だ。「更埴のあんず、高遠のさくら、八代のもも」と呼ばれ、毎年三月中旬のほぼ同じ時期に見ごろとなる。

山梨長野両県をまたぐ大きな三角形をなすこのあたり一帯は、春の百花繚乱の場所として名高い。ゴルフ場を左に見ていくつかのヘアピンカーブを上り切ると、峠の鳥坂トンネルだ。トンネルを出るとそこは旧芦川村(あしがわむら)。五百人ほどが暮らし、地域おこしの里としても知られる。

▲日当たりの良い段々畑に石積みが続く(旧芦川村)。

段々畑の石垣造りは芦川ならではの景観といえる。目指す若彦トンネルはもうすぐ。この県道はかつて甲斐国と駿河国を結ぶ古道「若彦路」であったため、この名がつけられたという。いまは「国中」と「郡内」を結ぶ主要道路である。

若彦トンネル

標高が千メートルを超え、甲府盆地とは気温が五、六度下がったように感じた。長さ二千六百メートルの若彦トンネルを出ると一気に下り坂になる。そこはもう富士山のお膝元富士河口湖町だ。

この町に住もうとお考えの方には、湖も山も見えないこのあたりの高台をわたしならお勧めする。河口湖から忍野八海(おしのはっかい)を過ぎると目的地の山中湖村に入る。小学四年生の夏休み、父親に連れられて御殿場を経由してこの湖に来たときのことだ。湖畔には数多くの欧米人が水着姿で日光浴をしていた。日焼けした背中と腹、そしてサングラス。片手に持った缶。いまもなぜかそのことを鮮明に覚えている。日本人と思しき姿はそこにはなかった。

▲いまも山中湖にはレジャーボートが係留されている。

目指す文学館は、林を切り開いた閑静な場所にひっそりとたたずんでいた。三島は生きていれば九十五歳になる。入口で検温と連絡先を記入し展示室へ。

観てまわったものの、『豊饒の海』の直筆はなかった。

そのかわり、わたしが十代のころ慣れ親しんだこともあった『美しい星』の原稿がうず高く机上にあった。ブルーブラックの万年筆で二十字×二十行のマス目いっぱいに書かれた文字。もうみごととしか言いようのない端正な文字だ。

丁寧にゆったりと書かれている。それはあたかも演劇的な、見せて見られるような文体だ。

たとえば「行つてしまつた」と書くときの「つ」。雑誌編集者にもどうだと言わんばかりの筆圧を三島は見せつけている。いっぽう彼は昭和三十四(一九五九)年ごろからボディビルを始め肉体の改造をしていたという。鍛え上げられた肉体を惜しげもなくさらけ出し、カメラの前でポーズを取る。どうだと言わんばかりのその筋肉。見せて見られる肉体だ。

なるほどね・・・。三島にとってはそういう意味で、文体も肉体も自己のひとつも隠しごとのできない「正直さを映すことば」(佐藤氏)だったのかも知れない。

陽が落ち一気に寒さの増す文学館をわたしは後にした。(八ヶ岳事務所 中村健二)

三島由紀夫文学館

群馬◆安中市/物件ウォッチ誌上オンエアー (文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所・中村健二

2021年1月13日

群馬の奥座敷 伸びやかな丘陵地帯の二棟の住宅

◆群馬県安中市(鷺宮)1400万円

今から三十数年前、信越本線を使って長野県へ仕事に向かっていたころのこと。高崎駅を過ぎ車窓に妙義山が見え始めると横川駅だ。到着するとしばし電車が止まる。これから碓氷峠の急こう配を登るために、「アプト式」と呼ばれる歯車型の車両を連結する作業を行う。

信越本線の難所中の難所で文字どおり一歩ずつ歯車をかみ合わせながら長野県側へと向かっていく。その時速は10㎞に満たないといわれた。 旅行者の多くはこの停車時間を利用してあるひとつの行動をとるのが常だった。

ホームに出た売り子や駅の売店を目指し、名物の駅弁をすばやく買っていく。これが「峠の釜めし」である。あるとき私のとなりに乗り合わせたワイドショーの司会者がいた。テレビで見るそのままの短髪とだみ声で「わたしはいつも買っていますョ」と誰彼となく話し始めた。軽井沢に向かうそのひとときを釜めしとともにいとおしそうに味わっているような印象であった。旅の速度は遅い方が良いのかもしれない。安中市とは、わたしにとってはそんな町であった。 

この物件は、高崎から西へ車で三十分ほどの距離にある。私は逆向きのコースで山梨県の国道141号線(清里ライン)から小海町の中部横断道を経由して上信越道下仁田インターで下車した。ひところと比べ、高速道路の車の数は格段に増えていた。このあたりの地域の特徴は散村(さんそん)と呼ばれ、耕地の中に点在する民家がつかず離れずに建っていることだといえる。かつて建築家の原広司氏が『集落の教え』のなかで展開した「離れて建つ」という論を思い起こさせもする。

その耕地は伸びやかな台地状の一面すべてを覆いつくしている。畑に植えられているのはコンニャクイモだ。物件はそうしたコンニャク畑の一隅にあった。のどかな丘陵地帯と日当たりの良い立地、集落からの距離感など、都市と農村を結びながら密を避けたこれからの暮らしを希望される方にふさわしいのではないだろうか。

いっぽう、この場所は都市計画の区域内(非線引区域)であるため、無秩序な開発行為はしづらく今後もこうした景観が確保・維持できるだろう。それは心強い話である。建物は二棟あるが、まず目につくのはその基礎と擁壁の堅牢さだ。がっちりと躯体を保持している。また、公営水道も苦労して引き込んだという。東京都内在住のオーナーはここで、自らの作品を展示するギャラリーと知人たちの作品を紹介するサロンを目指していたと聞く。そのためこの両方の建物の特徴は壁が多いということだ。

プロでなくとも自らの手仕事で作り出したパッチワークやコットン刺しゅうなどを壁掛けできる場所はここには豊富にある。そうした利用の仕方がこの物件では活きるのではないか。

そして二棟あるうちの手前一棟は賃貸に回すという手も考えられる。ここから1.4㎞ほどの所には親子が休日に校庭でキャッチボールをしている小学校もあるし、都市の喧騒を離れて家庭菜園を楽しんだり、登山や渓流釣りなどレジャーの拠点としても利用したいところ。

その後、隣接市の富岡市が誇る世界遺産「旧富岡製糸場」を見学した。わたしは子供のころから工場見学が好きで、お土産にパイが出るわけでもないがここでもじっくりと見て回ることができた。前日にこけら落としとなった建物では演劇が始まっており、密を避けるために人数制限をしていた。

日も暮れなずみ最後に磯部駅近くの土産物屋によって素朴な磯部焼を買い、「塩泉」として名高い磯部温泉(日帰り)に入って帰路についた。ちょっとした小旅行気分を味わうことができたのだった。(八ヶ岳事務所 中村健二)

A棟内部

B棟内部

山梨◆八ヶ岳/新春の候、1月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年1月7日

▲北杜市大泉町。凛と透き通った空気の中、夕陽を浴びて輝く富士。

令和3年、新しい年の始まりです。年が替わると、何か新しい事を始めようとワクワクしたり、奮い立ったりと、気持ちまで切り替わります。今日から新しい生活のスタートですね。

さて、昨年は大変な一年でした。思い返せば、1月こそ、大相撲で返り入幕、幕尻の「徳勝竜」が優勝という快挙で賑やかに年が明けましたが、2月にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」が横浜港に帰港してからは、新型コロナウィルスに大きく影響された日常となりました。

数ヶ月間、家から一歩も外に出ない生活で過ごした方もいらっしゃったと思います。海外からの渡航者がいなくなり、観光立国を目指し、成長してきたインバウンド(外国人の日本旅行)市場が消滅しました。観光地である北杜市は、「緊急事態宣言」、都道府県をまたぐ移動が制限された4月から6月にかけて、県外ナンバーの車がぐっと減り、普段は賑わう観光スポットが閑散となりました。

八ヶ岳事務所でも「緊急事態宣言」の期間中には、ご案内を山梨県内の方に限って営業をさせていただきました。その後、移動の全面解除、さらには「GoToトラベル」が開始されると、近場の観光地として都市圏から多くの方が訪れ、例年以上の忙しさになった飲食店も多かったようです。北杜市は元々、インバウンドの利用が少なかったので、他の観光地より若干は良かったのかもしれません。

▲北杜市高根町での畔焼きの様子。空気が乾燥する1月の下旬頃に、越冬害虫を駆除するために行われます。

仕事では「リモートワーク」が浸透しました。1箇所に固まって仕事をしなくて良いということから、生活も都市一極集中から分散が可能になり、田舎での生活が脚光を浴びた1年でもありました。インターネットや物流のネットワークがあれば、距離という、今までは大きな足枷であったものを気にせずに生活ができる。八ヶ岳事務所のお客様も現在の仕事をそのままに、移住をしたいという方が大変増えました。昨年までは、「移住」と「転職」がセットになっていたのですから、田舎暮らしのハードルが大きく下がったと言えます。大きな変化でした。

令和2年、後世からは「コロナ禍の年」、「停滞の年」と言われそうですが、個々の人々にとっては生活を見直し、「新しい生き方への道筋」が見えた年でもあったのではないでしょうか。 そして令和3年は「停滞から復帰」、「新しい生活」、「理想の田舎暮らし」へシフトする一年になればと思います。八ヶ岳事務所では、そんな皆様のサポートを出来ればと思います。どうぞ今年もよろしくお願いします。

(八ヶ岳事務所 大久保武文)

ふるさと情報館・八ヶ岳事務所

山梨◆八ヶ岳/新年の言祝ぎは祈りへ【新年に寄せて】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所・中村健二

2021年1月1日

当時、軽井沢と人気を二分していたリゾート地・清里にわたしの入学した大学は縁があって、学生時代の夏は毎年のように「清泉寮」へ来ていた。キャンディーズが後楽園球場で解散コンサートをしたころのことである。

牧場から伸びる山々の稜線のその先には富士山があり、素直に感動したものだった。たとえば「普通の女の子たち」が遊びに来るこんなところで暮らしたいとその当時は思ったのかどうかはわからない。

人よりも長く学生生活を送っていた5年生時は長野側の野辺山の農家に半年にわたり住み込みをし、キャベツなどの収穫を手伝ったことも。いまもペンションの売却相談などであのあたりに行くと「どこ泊まってただ?」とときどき畑のほうから誰かが声をかけてくる。

「キクチさんのとこ」というと「このあたりはみんなキクチずら」。それで打ち解けることもあるから不思議だ。

千曲川の水はその当時と比べて温くなってきたと聞くこともある。ステイホームの日常がはじまるとこれまでの「普通の暮らし」がいかに有り難かったか身に染みる。

それでも、思わぬ発見もある。

八ヶ岳南麓の我が家近くには池の周りをゆるく整備した遊歩道がある。知る人ぞ知る貴重な野鳥の宝庫だといわれるが、ここを散歩することを日課と決めて兼好法師のごとく池をめぐっていると、大小の石に生える苔のなんと多いことかを気付かされる。

ここは「苔のほそ道」だったのだ。

そこにいつか甕を設置して水琴窟が作れないものだろうか、と思案している自分が怖い。

新年の言祝(ことほ)ぎは祈りへと変わる。それはたとえば「健康」であり、気象庁が断念した「生物季節観測」でもある。失われる前に手を打つことが必要なのだ。

昨夏九十七歳でお亡くなりになられた外山滋比古先生の言葉ではないが、「中心だけでなく周縁をよく観察してみる」こと。2021年もますます大事になってくる「セレンディピティ」。

そして先生は、「ゆっくりいそげ」と。 (八ヶ岳事務所 中村 健二)

長野◆富士見町/物件ウォッチ誌上オンエアー (文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所・中村健二

2020年12月26日

テレワークを進める富士見町~菜園楽しむカラマツ林の中の家~

◆物件名:長野県富士見町980万円 中央自動車道小淵沢インターを出て北上しながら道の駅で左折すると、赤松の森にはいります。そこはいまでも大河ドラマなどで撮影に使われている富士見高原リゾートエリア。その先は一挙に視界が開け長野県富士見町になります。八ヶ岳の西域に位置する丘陵地帯です。

山梨県から長野県側に入ると印象的なのが赤いトタン屋根。私が20代のころから仕事で諏訪地域に来るたび目を引いたのがこの屋根の色でした。この地域では栗材の下地に雨の漏らない3寸6分の屋根勾配をつけ、仕上げに軽くて丈夫なトタンを葺いてきたようです。色は赤、茶、緑。それが今日まで諏訪地域の風景になってきているのですからおもしろいですね。

中央本線信濃境駅は、長野県側の最初の駅。下りを走る貨車はこの先塩尻駅で中央西線(ちゅうおうさいせん)の名古屋方面に向かうことになります。古くからこの八ヶ岳山麓は縄文文化が花開き「縄文銀座」ともいわれています。一級の展示館「井戸尻考古館(いどじりこうこかん)」の最寄駅にもなっています。

富士見町にゆかりある著名な文化人も多くいらっしゃいました。アララギ派の歌人伊藤左千夫をはじめ田山花袋、井伏鱒二、そして竹久夢二などなど。堀辰雄が療養したサナトリウム治療の最先端であった富士見高原病院はいまでも地域医療に欠かせない総合病院です。

富士見町では高原のテレワークタウンとして「明日からオフィスワークを富士見町で」をキーワードに、シェアレンタルオフィス「森のオフィス」を中心にテレタウン構想を進めています。とても今日的なテーマで、信州人の進取の気性を感じさせます。(八ヶ岳事務所 中村健二)

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物件は甲州街道の西側、旧甲州街道筋にある「森のオフィス」よりさらに山側にいった入笠山の懐にある若宮高原別荘地内にあります。水量豊かな「武智川」の小さな橋を超えると、別荘地の入口には昔の別荘地らしい名前の入った各家の木の表札が並んでいます。

昭和40年代に開発されたというこの一帯も、著名な創作家や学者さんなどが八ヶ岳の眺めを楽しみながら別邸を建てられたところです。道路が未舗装のままではあるものの、当時しっかりとした部材で建てられた建物が、第二、第三世代へと売却依頼がなされ、手頃感のある中古住宅が出てきます。富士見町の公営水道の大きな水道タンク施設があるので、完全に孤立するようなこともなく安心です。

物件は弊社でも移住者が多いメインストリート沿いのちょうど角地に位置します。北側隣地が傾斜地で、下りることはできませんが、下に武智川が流れ、せせらぎの音と冷涼な風を感じます。敷地は道路を挟むように駐車スペース、東側に広く囲われた独立したお庭があるのが特徴です。動物の放し飼いやバーベキュー、菜園・ガーデニングなど考えられます。

建物は山小屋風の建物で、和室部分を増築。一軒平屋に見えますが実は2階建て。床下部分に物置きスペースがあります。

ffファンヒーターが付いていますが、経年劣化が考えられるので、思い切って薪ストーブを入れてみるのもよさそうですね。


https://furusato-net.co.jp/16560

岩手◆一関市(本寺)・奥州市(水沢江刺)もちとあてるいとナイアガラ【いくぞ北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所・中村健二

2020年12月20日

▲雪の本寺地区。

「荘園」っておぼえていますか?

奈良時代、時の朝廷が農地の拡大を図るため、地域の豪族等有力者が新たに開墾した土地の私有化を促したことに始まり、平安時代には全国の社寺に属する領民が開墾した土地だといわれています。

日本史の教科書では、その後の「守護・地頭」、「武士」の台頭というカテゴリーで語られてきました。そんな過去の遺物的な荘園が、ここ岩手県一関には当時そのままに残されているといいます。場所は本寺(ほんでら)地区(かつては骨寺(ほねでら))。名勝地・厳美渓(げんびけい)を過ぎたあたり、里山と磐井川(いわいがわ)が独特の景観を醸し出している地区で、かつての平泉・中尊寺の荘園が当時の地図そのままにいまも広がっています。

実はいま、この地を「中尊寺世界遺産の構成群」として再登録に向けて地元の有志たちが精力的に活動しています。本寺にあった中学校が2018年3月に閉校しました。当社の成約者もその校門近くにいらっしゃいます。

その閉校間近の中学校に通う女子中学生を主人公にした映画『もち』(脚本・監督小松真弓、上映時間61分、2020年)をこの夏地元一関市の「一関シネプラザ」で観ました。客席150人ほどの小劇場で、東京の岩波ホールやユーロスペースにも似た空間はわたしにとっては久しぶりに心地良いものでした。

降りしきる雪の中で主人公のユナと祖父がもちをつくシーンが印象的で、本寺ではなんと年に50回以上ももちを食べる風習があると、その祖父は言います。まもなくそこを巣立つ少女にもその習慣はどこかでかならず受け継がれていくものであると、わたしもどこかで信じています。本寺村荘園遺跡がこれからも続いていくように・・・。

▲もち料理・「道の駅厳美渓」にて。8種類のもちと大根おろし。隣接して市立博物館がある。

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国道4号線沿いにある岩手銀行あてるい支店(ローンプラザあてるい、奥州市水沢)で決済が行われた。その名前を聞いたとたん、えっ?地名として残っていることにわたしは少なからず驚いたのだ。「あてるい」は漢字だと「阿弖流爲」。

平安時代初頭の9世紀前半ごろまで、この北上平野のあたり一帯を治めていた蝦夷(えみし)の族長の名だ。大和朝廷の支配を確立するため、その任を得て東北地方に遠征した征夷大将軍・坂上田村麻呂と対峙し、その後帰降した。同志のモレとともに京の都に送られた彼は、河内国で斬首され帰らぬ人となったという。

そんないわれのある「あてるい」だが、受付の行員にわたしはそのとき尋ねてみたのだった。「もちろん、歴史的にみてこの地にゆかりある方ではありますけれども、わたしたちは普通に地名として使わせていただいております」。

わたしは岩手銀行あてるい支店の預金口座をその場で作ったのだった。

この10月1日より東北新幹線水沢江刺駅では、いまの奥州市出身で2013(平成25)年の暮れに亡くなられたミュージシャン・大瀧詠一の功績を称え、名盤『A LONG VACATION』の中の代表曲である「君は天然色」(作詞は松本隆)が地元の有志たちの粘り強い活動のおかげで、発車メロディーとして流されることとなった。

盛岡方面の下りはツンと尖らせた唇で、なにごとかを企んでいるという出だし、仙台方面の上りは松本隆が一番に歌詞ができたというサビの部分だ。君との想い出はモノクロではなくカラーにしてくれと、切ない言葉が滲みる。乗降客には「この曲で勇気をもらった」と好評だという(発車メロディーに歌詞は付きません)。

この名盤の最後を飾るのが「さらばシベリア鉄道」。冷ややかな心の自分であっても、別れた恋人に想いを届けようとする。それは12月の旅人に託されるのだが、わたしには花巻の土沢駅を12月3日に南サザンクロス十字星に向けて旅立ったジョバンニたちの姿に重なってくるように思えてくる。

銀河鉄道を生んだ岩手の土壌はシベリア鉄道に引き継がれ、発車のメロディーがいまも鳴り続けているのだった。(北東北担当 中村 健二)

▲東北新幹線水沢江刺駅にて。

山梨◆八ヶ岳/冬を間近にする今、今年もあと少し【八ヶ岳スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2020年12月7日


2020年も後半戦。年の初めには、あれをしよう、これをしようと目標とまではいかないものの、皮算用といいましょうか、気持ちも新たに色々考えたものですが、振り返ってみると、毎度のことながら出来たものの方が少ない状況です。

冬に向けての薪割は一向に進んでおらず、薪棚は制作途中のものが半年ほど庭に放置されています。錆びだらけの自転車も処分したいと思いながら、まだ庭にあります。コロナウイルスの影響で出来なかったものもありますね。

一番最たるものがオリンピックの観戦。チケットの入手は出来なかったものの、テレビで観戦できると思っていたものです。昨年より始めた登山も思うように行けませんでした。今年はテント泊で登山を楽しもうと、シーズン前にテント一式を購入しましたが、未だに実現しておりません。

冬を間近にする今、一度くらいは行きたいと、体力、時間に無理のないコースを検討しています。登山とは言えませんが最有力は尾瀬。鳩町峠から尾瀬ヶ原へと続くコースは距離も短く、高低差も少なくテント泊初心者には良さそうです。出来なかったことを振り返りつつ、今から出来ることに集中して年末へ進みたいと思います。(八ヶ岳事務所 大久保 武文)