▲渋谷から伸びる東急東横線(大倉山)
長野県青木村出身の代表的な人物として知られる五島慶太氏。農家の次男として生まれ、決して裕福な家庭ではなかったが、12㎞の道のりを片道2時間掛けて3年間通ったという。
上京し進学を考えたが、経済的に進学できず青木村小学校の代用教員となった。その後、お金を使わずに学問をしようと思い、東京高等師範学校に入学し、東京帝国大学へと進み、暇さえあれば遅くまで図書館に閉じこもって猛勉強をしていた。
大学卒業後、農商務省に入省し官僚となる。その後、鉄道院に転属。退官後、武蔵電気鉄道の常務に就任。教職から離れ鉄道に従事し、東急グループ創業者として多くの功績を残した。晩年は、東横学園理事長に就任し、教育事業に情熱をそそいだという。
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日本で初めてのプラネタリウムを設置したのも五島慶太氏と言われています。北村政夫村長は「苦学して東急を創業した五島氏生い立ちを、子供たちに是非見てもらいたい」とこの度、記念館の建設を行いました。
平成30年8月14日に落雷で焼失した(奇しくも五島慶太氏の命日も8月14日)生家は模型やバーチャルリアリティーで再現するとともに、展示品や書などを用いて五島慶太氏軌跡を紹介する施設となります。4月18日(土)の開館予定です。(※イベント自粛のため中止・延期の場合があります)(本部 長内望)