▲郡山市は人口もさることながら、水稲の収穫量も県内一位にランクインするほどの巨大穀倉地帯となっています。
福島県郡山市は仙台市に次ぐ東北地方第2位の人口を誇る中核市で、都市としての規模は県庁所在地である福島市や県内面積第1位のいわき市を上回っており、商業・工業・文化等のあらゆる面で実質的に福島県の最大都市として現在に至っている。
とはいえ近代以前の郡山は現代ほどの賑わいはなく、城も無く単なる一宿場町としての位置付けであった。
それまで阿武隈川西部に広がる安積原野は、流域面積が小さく水利が悪い丘陵地帯であったことから、明治維新後に猪苗代湖から取水する構想が政府に打ち出された。
1879年(明治12年)に国直轄の農業水利事業第1号地区として着工され、猪苗代湖東岸から奥羽山脈の中山峠を越え、安積原野の各拠点へ水を供給する総延長130㎞の大事業が、僅か3年という突貫工事で完成した。
猪苗代湖は元来西岸から会津盆地の穀倉地帯へ流入する日橋川を通っており、こちらの水量を考慮しなければ会津地方の農業に影響を及ぼすことから、流量を調整する水門を設けることで両方に安定した供給量を維持することに成功。
これにより安積原野では稲作を繁栄させることが出来た結果、一時期は米穀生産量日本一を誇る大穀倉地帯へと生まれ変わることとなった。
これを契機に鉄道・道路網の発展から郡山市は人口が増え、1965年に郡山市も周辺市町村を合併し、お隣のいわき市と肩を並べるほどの広大な面積を有する市町村となり、今日に至ります。(本部 髙橋瑞希)