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山梨◆八ヶ岳/若葉青葉の候・6月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年6月1日

▲タンポポの黄色い花は気づくと綿毛に。

6月と聞くと、「今年もう半分まで来てしまった!折り返し地点まであと少し!!」と焦る気持ちになりそうですが、八ヶ岳の自然の移り変わりを見ながら生活をしていると、どうも違います。一年のスタートが「1月」では無く、【春から】に感じてしまうのです。

冬の間は、自然はただただ静かにそこにあります。そしてその「静」の状態が「動」に代わるのが春。八ヶ岳の春はゆっくりと訪れる為、4月以降も寒さで震える日が度々あります。暖かい日が続くようになり、活動的になろうと思えるのがGW の後くらいからでしょうか。

何というか自然の変化に意識が向いていると、6月になっても、まだ今年は始まったばかりという気がするから不思議なものです。

北杜市でカッコウの声が聞こえ始めるのも「6月初旬」のこの頃です。聞こえる場所は、標高が上がった「高原のエリア」になるでしょうか。私の家からも声が聞こえ、季節の訪れを感じさせてくれる鳥となっています。

ただ、声はよく聞くものの、実際に鳴くところを見たことはありません。そして改めて考えると、カッコウの姿を知らない自分に気が付きました。実は姿を見たことはあるけど、鳴いてないからそれがカッコウと思っていないだけだろうか?

頭に浮かんだのは「ブッポウソウ」という鳥の話です。森の中で夜間「ブッ・ポウ・ソウ」と聞こえ、漢字に直すと「仏・法・僧」と鳴く鳥と長らく信じられてきたのですが、実際に鳴いていたのは別の鳥だったというものです。案外、鳥の外見と声は一致しないものという話。

ということで、実はカッコウを見たことのあるのでは?と姿を調べてみました。

▲カッコウの写真。

写真を見てみると初めて見る鳥でした。声のきれいさから、鮮やかな目立つ鳥かと思っていたのですが、かなり地味な外見に感じます。全長は35 ㎝、ハトより少し大きいくらいで、野鳥としては大きい方でしょうか。

腹のしま模様が特徴とのこと。正直、見たことがあっても印象に残らなそうです。ただ、実際に鳴いている姿を見ると、印象がガラッと変わりそうな予感も。いつかは実際に鳴く姿をこの目で見たいと思うこの頃です。

こちらに来てから初めて聞いた話で、昔からカッコウの鳴き声は、「種まき時期」を知らせると言われているそうです。実際に、北杜市では5月下旬から6月の初旬に田植えの最盛期を迎えます。植えたばかりの苗は、水を張った田んぼの中では、まだまだ小さな存在ですが、僅か4か月後には稲穂が垂れ収穫の時期を迎えると考えると、なんだか不思議な気持ちになります。

同じ道を歩いていても、日々、どんどんと景色が変わっていく。植物の確かな成長を身近に感じられるのも田舎の良さでしょうか。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

▲北杜市は田植えの時期を迎えました。(北杜市高根町)

岩手◆紫波町/紫の波と水分け(みずわけ)の里【いくぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年5月24日

▲モダンな紫波町役場。

色の名が付く日本の自治体は数多い。青、赤、白、黒(玄)といったら土俵の房下がりではないが、北海道から九州まで数多く存在している。その中で「紫」の付く自治体は日本に二つしかない。「筑紫野市(ちくしのし・福岡県)」と今回ご紹介する「紫波郡紫波町(しわぐん・しわちょう岩手県)」だ。

この「紫波町」、名前の由来は多々あるという。地名とは、地形と有力者と寺社仏閣がそのルーツだとわたしは考えているので、今回注目した「紫波」の謂れとは、わたし的には次の三つに絞られる。

1)北上川の河岸段丘の縁へりが「ツバ」というらしい、の転意→これは現在ダム工事が行われて社を移転中の「志賀理和気神社」(「しかりわけ」と読む。しがと濁らない)の場所からみてもよくわかる。この名前のなかにも「志」と「和」がある。

2)室町時代にこの地を治めていた足利氏の一派・斯波氏(しばし)が日詰の高水寺城(こうすいじじょう・現在のサクラの名所である城山公園)を拠点としていた。

3)盛岡と結ばれた稲荷街道沿いにある有力な、地元では日本三大稲荷神社の一つと言われる「志和(しわ)稲荷神社」がある。境内には樹齢千二百年の杉の御神木があり、町の天然記念物だ。

▲ビューポイントでもある東根山。

でもなぜ「紫の波」なのだ?

一説にあるように、斯波氏の治めた北上川の川面が陽の照り返しで紫の波のように輝いていた、だから今日から「紫波」にしようという説が安易な割にわたしには面白かったけれども、いかがでしょう。

この紫波町は隣接の紫波郡矢巾町(やはばちょう)と並んでいまや県内でトップクラスの人気を集める自治体となっている。超大型商業施設と岩手医大病院の進出によるらしい。全国的にも県庁所在地に隣接した小さな町が脚光を浴びている例がほかにもある。

それは、当町の中心に位置する紫波町役場やオガールプラザ(図書館と地域交流センター)そしてそこに整然と区画された街並みを見ればすぐによくわかる。町の企画課の担当者の話では「移住者も普通に暮らしています」とのこと。

▲町内に四つある酒造メーカーのひとつ「月の輪酒造」。

要するに特別扱いはせず、何かやりたいことがあれば応援しますというスタンス。事実、町産のりんごを使ったホップサイダー(アルコール分6・5%)を製造販売しているのは、外国語教師として町に赴任経験のあるアメリカ人だ。また、ラ・フランスやリンゴなどのくだもの、野菜、もち米などの農家の産直所はいまや十箇所を数える。

町の面積は二百四十平方キロメートル、人口は三万二千人の活気ある町それが「現在の紫波町」だといえる。北上川が流れ、国道4号線や東北道インターや鉄道駅のある中央部と、伸びやかな田園と奥羽山脈が見渡せる東部地区(今月号掲載の紫波町の住宅(16764N))も、そして町境にあるコタツのような形で親しまれている東根山(あずまねさん・標高928メートル)の麓の西部地区。その西部地区には清流を利用した南部杜氏(なんぶとうじ)発祥の地として名高い酒蔵も点在している。名水の基となる「水分神社」には水を汲みに来られる方々が後をたたない。

▲名水を汲みに来る人が後を絶たない水分(みずわけ)神社。

この稲荷街道から見下ろす市街地はどこか信州安曇野の山麓線あたりの牧歌的な雰囲気を彷彿とさせる。おいしい「たまご家」もある。東北道紫波インターから3分のところには、純手うちさぬきうどん「たかのはし」がある。ここでの食事代はうどんを食べたあと自己申告して支払うようになっている。平日の昼前にもかかわらず席は半数以上埋まっていた。

またこの紫波町は保育所・幼稚園、小学校が各十一箇所、医療機関が三十二箇所もあり、子育て世代には特に住みやすい環境といえるかもしれない。町の担当者も明るく元気だ。(北東北担当 中村健二)

▲たかのはしの手打ちうどん。アットホームな雰囲気も人気を集める。

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紫波町企画課総合政策係電話 019-672-6884(直通)メール対応可(※町のHPより)
〒028-3392岩手県紫波郡紫波町中央駅前二丁目3-1

山梨◆八ヶ岳/惜春の候、5月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年5月1日

▲道の駅南きよさと。鯉のぼり500匹が大空高く舞い上がる。4月上旬~5月中旬頃。(北杜市高根町)

ゴールデンウィークのなか日、時刻は夕方。清里から須玉IC をつなぐ国道141号線、車道には観光を終え、家路へ向かう車が連なり、ノロノロと進む。高原の強い日差しが弱まり、顔の火照りが治まってくる。少し日焼けをしている事に気づく。

ふと、道の脇に目を向けると、道と平行した峡谷に、長い長いロープが張られ、沢山の数の鯉のぼりがバタバタと泳いでいる。一つのロープだけでもかなりの数の鯉のぼりだ。それが何本も谷間に張られ、鯉のぼりが渓谷の空を埋め尽くしている。昼から夜へ変わる、黄昏時、心が少し曖昧になる時刻。いきなり現れた鯉のぼりの大群に、現実感を欠いた気持ちになる。

鯉のぼりの下には何か大きな建物があるようだ。なんの建物だろうか。疑問に思いつつも、前の車の動きに合わせ、車を前に進めた。2011年のゴールデンウィーク、北杜市を訪れた時の記憶だ。

▲混み合う峠道(イメージ写真)

道の駅「南きよさと」毎年恒例の鯉のぼりの写真を見ながらふと思いだした。記憶の底に沈んでいた風景だ。東日本大震災の起きたその年、自分は東京の狛江市に住んでいた。最寄り駅は小田急線の喜多見駅。震災後の落ち着かない雰囲気の中で、ゴールデンウィークに旅行に行くか悩み、直前で選んだのが人から勧められた清里。初めての北杜市を訪れたのがその時だった。

残念なことに、北杜市の第一印象は曖昧なものだ。何処に行ったのかあまり覚えていないのだ。牧場に行ったのは覚えている。今から思うと、あれは「まきば公園」だったのだろうか。車が一杯で駐車するのに苦労した。お店の中も人でいっぱいだ。あれは「清泉寮」だったのか。

▲5月上旬頃に田んぼの水張が始まる。奥に富士山。(北杜市長坂町)

木造の広い食堂で「ほうとう」を食べた。とても美味しかった。あれは何処だったのか。何より面白いのが、山を見た記憶が無いのだ。「八ヶ岳」も「南アルプス」も記憶の中には無い。北杜市の印象は、「観光客で溢れた高原」といったところだった。ゴールデンウィークに行ったのだから、騒がしくて当然なのだが。北杜市に惹かれるのはもう少し時間が経ってからとなる。

観光で訪れるのと、実際にそこで暮らすでは、見えてくるものが全く違うのかもしれない。私の好きなフレーズに、「暮らすように旅をする」というものがある。じっくりと時間をかけ旅先を過ごすということだろう。地元のスーパーに行ったり、休憩では無く、コーヒーを味わうためにお店に入ったり。主要道路から一歩、脇道に入り、なんとも無い場所を散歩したり。そうすることで、その人の中に立ち上がってくる景色というものもあるのだろう。少なくとも私は、最初の訪問では、北杜市の景色が大して見えていなかったと思う。鯉のぼりは素敵だったけど。

5月のゴールデンウィークの時期、北杜市に居を構える私のお勧めスポットは、水を張った田んぼの景色だ。夕方の黄昏時、静けさとの中、ピンクの空を映す田園はとても魅力的だ。観光道路から一歩、脇道に入ることで見えてくる景色の一つだ。(八ヶ岳事務所 大久保 武文)

▲黄昏時に空の色を映す水田。(北杜市高根町)

まきば公園

山梨◆南部町/たけのこと南部氏と富士山と【いくぞ甲斐路!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年4月22日

▲白鳥山から見た富士山と富士宮市街地。

この町に来ると静岡に帰ってきた気になってしまう、というのが静岡県人のわたしの昔から変わらぬ心持ちなのである。

南部町は山梨県内の最南端に位置しており、町域は二百平方キロメートルで現在七千人ほどが暮らしている山間地である。今は静岡神奈川方面からだと新東名から清水ジャンクションを経由すれば、中部横断道南部インターまでは十数分で行けるようになった。町の真ん中を富士川が流れ、それに寄り添うように身延線とみのぶ道(国道52号線)が走る。

北側は身延町に隣接しているがその三分の二以上は静岡県(静岡市、富士宮市)と接していて、日々の買い物は大型商業施設のある富士宮へ行かれる方が圧倒的に多い。高校の進学先も静岡県内が増えていると聞くし、静岡県から嫁いだ女性も多くいらっしゃるようだ。特産の「南部茶」の茶畑の風景は、大井川上流の川根あたりにどことなく似ている。

また、山梨から見る富士山は山越しの秀麗さであるが、ここ南部町だけは後述するように東海道と同じようなドーンと見える場所がある。わたしのいとおしき町、それがここ「山梨県南部町」なのである。

南部町内の森林面積は百七十五ヘクタール(約八十八%)。そのほかの農地は茶畑となっていて水田や果樹は少ない。また、宅地は富士川に向かって河岸段丘の広がるその一帯が新たに分譲されているほか、山あいの扇状地で日当たりと水はけのよい場所に地元の集落が点在している。

▲竹の町・南部。

別荘地は身延山地の東側、ちょうど居ながらにして富士山を山越に望める場所で、山あいの杉林を切り開いた一角に集中している。気候的には県内八地点あるアメダスの観測データによると、南部は降水量がもっとも多く冬場の最低気温は高い。銀行や商店街など町の中心地にある水準点(百二十七・四メートル)は県内ではかなり低め。こうした気候の特徴から南部町では昔から竹林が多く、エグさの少ない「たけのこ」の産地として知られてきた。

米ぬかで煮なくてもおいしいと評判が立ち、毎年四月になると東海地方から訪れる人が後を絶たないともいわれる。わたしも一度地元の山持ちじいさん・市川さんと朝早くたけのこ掘りに連れて行ってもらったことがある。斜面で足を踏ん張り歯の狭い独特の鍬で掘り出す作業は慣れないと大変だが、地元の方々は素早い。ものの一時間ほどで籠いっぱいに。

▲盛岡南部藩と遠野南部藩の家紋。

わたしは二つほどを手土産にいただいた思い出がある。取れたてのしゃっきりとした歯ごたえがいまも懐かしい。その市川家には代々の家紋がある。「向かい鶴」だ。清和源氏の流れを引く源義光(新羅三郎で長男は八幡太郎義家)の六代目にあたる光行が南部氏の祖といわれる。

当地に勢力を成していたが十二世紀の終わり頃には、源頼朝の命により奥州藤原氏討伐の任を得て海路で北東北に進出した。南部氏はその後三戸南部氏(盛岡)、八戸南部氏(遠野)などに領地を拡大し、戦国時代以降北東北の雄と称されてきた。その南部氏の家紋が「向かい鶴」なのである。南部町に残る市川家はその南部氏末裔の一派だといわれている。この歴史的な流れは二〇一八年に南部インターチェンジ出口にオープンした「道の駅なんぶ」で見ることができる。

また、南部町内のさらに南にあり、静岡との県境の山が白鳥山(「しらとりやま」。山梨百名山のひとつ。標高五百六十七メートル)で、なんとここにも東征したヤマトタケルの伝説が残されている。その開けた山頂から、すそ野まで大きく伸びた正面の富士山剣ヶ峰(標高三千七百七十六メートル)に飛び立った白鳥を見届け、進軍の道を定めたというのだ。近在の集落「万沢(まんざわ)」はアイヌ語で日の当たる場所なのだという。

そして、鎌倉時代にこの地から東北地方へ渡った南部の方々は、見上げた先の岩手山の姿をこの白鳥山から望む富士山とオーバラップさせ、きっと甲斐の故郷を懐かしく「ありがたき」場所として思い出しているのだ、とわたしは確信したのだった。(八ヶ岳事務所 中村健二)

▲白鳥山登山道入り口の看板にも向かい鶴が。

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16743S 南部町店舗付住宅 物件詳細はこちら

 

物件ウォッチ誌上オンエアー(文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)次回は4月24日

宮城◆白石蔵王/こけしと宮のたまご【いくぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年4月15日

▲蔵王町こけし館(入館料は300円)

東北地方を代表する民芸品といえばやはり「こけし」の右に出るものはないにように思う。蔵王町遠刈田温泉(ざおうまちとおがったせん)で物件の所有者と打ち合わせをする前、「蔵王町こけし館」に寄ってみて驚いた。その数の「多さ」と「多様性」にである。

ふつう「こけし」といえば頭が大きくなで肩で、一直線に伸びた胴の愛らしい姿を思い浮かべるが、同じ宮城県内でもこの「こけし」の発祥地といわれる遠刈田や「こけし」の生産量日本一の鳴子(なるこ)そして名湯の作並(さくなみ)や秋保(あきう)などの各温泉地などのほか、岩手県の南部系や山形蔵王系によっても違いがあるのだ。姿・胴・頭・瞼(二重か一重か)・鼻(丸鼻か猫鼻か)などはそれぞれの地域によって特徴があり、しかも体系的に作られてきたという。

秋田県の皆瀬村(現湯沢市)木地山系の「こけし」はなんと頭頂部に赤いリボンがつけられているらしい。「こけし」工人の心意気が感じられて良いですね。ちなみに「こけし」の樹種は東北地方に自生する「みずき」がもっとも多く使われるという。その理由は心材辺材とも白色か黄白色で、木の肌目が緻密であるからだとも。

▲展示されているこけしたち。

遠刈田温泉から十数キロ南下すると「宮(みや)」という地区がある。その地名のいわれとなったのが十世紀の『延喜式』にも名を連ね、伊達家家臣で白石(しろいし)城主片倉家の総守護神の「刈田峯(かったみね)神社」だといわれる。刈田峯とはこれまでにもたびたび噴火を繰り返してきた蔵王連山のことである(蔵王町ジオパーク推進室)。

また、「白鳥(しらとり)大明神」の別名を持っており、まさにそれは『古事記』の神話的世界なのだ。生き別れとなったヤマトタケルの子が成人し、やがて生まれ故郷に白鳥として舞い戻って帰ってきたことに由来するという。そんな話を教えてくれたのが、遅い昼食をどこで取ろうかと車を走らせていた時にたまたま寄った高台のレストランのオーナーだった。名前を我妻(あがつま)さんという。

この辺りではよく聞くお名前だが、わたしとしては『民法総則』(岩波書店刊)の著者である我妻(わがつま)栄先生(山形県米沢市出身)を思い出してしまう苦い思い出のある名字なのだ。このレストランのある辺り一帯は、蔵王連山の東側を流れる松川の段丘地帯で、背後に蔵王連山の一角をなす青麻山(あおそさん)(標高799m)がそびえる。その東端に位置し、そこだけ舌状に飛び出した高低差のある丘陵地となっているのが特徴だ。

その後、店舗建築にあたり事前に町の教育委員会による遺跡発掘が行われた。その結果、なんといまから四千七百年前の縄文中期後葉の囲炉裏を持つ竪穴住居跡七軒のほか、土器や石器が発見されたのだった(「根方(ねかた)A 遺跡」)。ここにはひとつの集落が形成されていたのである。

近隣の松川沿いの河岸段丘にもこのほかの縄文遺跡が発掘されており、その当時の人々の暮らしぶりがうかがえる。見晴らしの利くこうした場所を選ぶセンスというか、縄文人はあらためてすごいなと感心させられるほどの場所である。

▲ corrot 蔵王町宮字持長地104-3 電話0224-26-8565

farmer’s cafe corrot.

このファーマーズ・カフェ「corrot(コロット)」では鶏卵農家である我妻さんのたまごを使った絶品料理が味わえる。雌鶏の産むたまごの数を少なくすることによって濃厚な黄身になるという。口コミでそうした評判を聞きつけた人たちが来てくれるようになり、その日も平日の午後遅くにもかかわらずテーブル席はほぼ埋まっていた。

▲この渾身の一皿(税込1380円)。ランチは11:00~14:30(水休)

宮城県には移住定住に積極的な市町村が多い。わたし的にはそういった印象があり、今後このコーナーでも随時取り上げていきたいと思っている。この蔵王町もそのひとつだ。仙台方面からは車で一時間程度。蔵王連山の南東側に広がる町域には別荘やペンション、レストランも数多い。面積は百五十三平方キロメートル(東京二十三区の約四分の一)あり、一万一千四百人ほどが暮らしている。

遠刈田温泉(高原地帯)から宮地区(田園地帯)まで標高差が大きいのも特徴だ。別荘地には有名なチーズ工場があり冬場もレストランや直売所がオープンしている。町役場の窓口は庁舎二階にあるまちづくり推進課が担当している。「住むなら蔵王だ!!」として移住定住ガイドブックを市のHP からもダウンロードできる。丁寧な職員の対応が心強い。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

お問い合わせは蔵王町まちづくり推進課へ

宮城県刈田郡蔵王町大字円田字西浦北10番地
電 話:0224-33-2212(町づくり推進課・直通)
電 話:0224-33-3284(環境政策課・直通)
メールでの問い合わせも可

山梨◆八ヶ岳/桜花爛漫の候、4月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年4月1日

▲北杜市須玉町。満開の桜の下、道行く人をお地蔵さんが見守る。

季節は冬を終え、春となりました。この原稿は3月の初旬に書いているものですが、北杜市の今シーズンの冬を振り返ると、まず思うのが「雪が少なかった」ということでしょうか。

標高1200m の我が家では雪かきは1回だけ、それも積雪は少なめで、やらなくても支障が無い程度でした。標高760m の八ヶ岳事務所では積雪すら無い状況でした。

一方で寒さが身に染みる冬でした。例年に比べ、朝の冷え込みが厳しい日が多かったように思います。我が家は朝にお風呂に入るのですが、冷え込んだ朝に給湯器の調子が悪くなり、お湯は出るものの、追い炊き機能が使えない日が数日ありました。設置から10年以上、もう寿命が近いのかもしれません。北杜市に来てから初めての経験でした。その後、気温が上昇すると給湯器は復活。取り換えると40万円程かかるもの。家計の為に、少しでも長く頑張って欲しいと願うばかりです。

新型コロナウィルスの密閉対策の為に、窓を開けて仕事をしたことも、寒さが身に染みた原因の一つでした。室内を温めても、少しだけ開けた窓からどんどん熱が逃げてゆく。必要なことですが、どこまで換気をしたら大丈夫なのか判断に迷った方も多いのではないでしょうか。光熱費もですが、身体にも負担が多い冬でした。

▲北杜市長坂町。晴天の青空の下、菜の花畑の先には南アルプスの眺め。

さて、北杜市も4月になると冬が終わり、春めいてきます。まず風が変わるような気がします。八ヶ岳おろしと言われる北の風、冷たく乾いた風が止み、南から湿度を帯びた温かい風に変わります。春の風は香りも連れてきます。春の訪れと供に芽を出す山菜や、花々、野草、様々な植物の匂いが、風にのってくるのでしょうか。

気づけば、身体がホッと緩んでいる自分がいます。身体が緩むと、心まで緩んでくる。ガチガチになっていたつもりは無かったのですが、やはり何処かで緊張が続いていたのでしょう。春の季語に変わったもので、山笑うというものがあります。春の山の生き生きとして明るい様子を擬人的にいったものとのことです。

正岡子規は、「故郷や どちらを見ても山笑う」と詠んでいます。普段、俳句に全く縁が無く、俳句って何を言っているか分からないと思っていたのですが、北杜市に住み、冬を越え、春の自然の芽吹きを間近に見ていると、「山笑う」という言葉がとてもストンと腑に落ちます。なんだか心が浮き立つ言葉ですね。

春の風を受けに、命の芽吹きを見に、北杜市を訪れてはいかがでしょうか。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

▲北杜市高根町。田へ水を引く水路の脇には春の草花。

山梨◆甲府/御書印帖と印伝栞 ~ その二 ~ 【いくぞ甲州!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年3月29日

山梨県内では昨年十一月の終わりまで、県内書店の連携イベントがあった。それは「印伝栞(いんでんしおり)」。あらかじめ指定された県内の書店を三つ以上まわり、そこで一店あたり千円以上の買い物をすると紙のカードにスタンプを押してもらえる。三つ目のスタンプを押した書店で、もれなくオリジナルの印伝栞が貰えるのだ。「書店スタンプラリー」である。

▲印伝栞(「印伝の山本」作)

栞は幅一センチ×長さ五センチほどのごく薄いものだった。しっとりとした手ざわり感がある。「だからどうした」とも思うけれど・・・。 でも以前、東京・池袋の西口にあった芳林堂書店の上階にカウンターだけの珈琲屋があり、わりと長く本を読めてその店の名前がたしか「栞」だったなとか、作家・山本周五郎の付き人だった北杜市在住のご婦人が周五郎の遺品を保管・管理されているご自宅を「栞庵」と名付けていたな、などと取り止めのないことを思い出してもいた。

そこである日の午後、この栞を作っている甲府市朝気(あさけ)の「印伝の山本」を訪ねてみた。「現在市内で印伝を作っているところは三つあります。わたしのところもかれこれ創業七十年になります」すごい。

十坪ほどの店内にはバッグや財布、印鑑入れ、携帯ストラップなど大小小物の印伝が所狭しと並んでいる。県内には水晶、印鑑、和紙、雨畑硯(あめはたすずり)、絹織物など地場産業をいまも伝えそして支える手工業品が数多い。印伝もそのひとつだ。これらに共通しているものとはなにか?それは、手に触れてその質感を堪能または感応できること。手ざわり感を楽しみ長く使うことによって愛着が増す生活用品たち。非接触の世にあって、だからこそ目をかけてやりたくなるモノたち。わたしは心の中でそっと拍手を送った。

▲印伝の入れ物は数多い(財布、名刺入れ、判子入れ)

さて、書店である。かつて広告代理店の博報堂が入社試験に「千円」という作文問題を出して話題になったことがあったが、本屋で千円の買い物をすることは意外にもむずかしい。たとえば昨年末にいっとき品切れ状態となった脳科学者・中野信子さんの『ペルソナ』(二〇二〇年、講談社現代新書)は消費税込みで九百六十八円。持続可能な開発目標の入門書『SDGs 入門』(村上芽・渡辺珠子著、二〇一九年、日経文庫)は同九百九十円。年明けから話題の『人新世(ひとしんせい)の「資本論」』(斎藤幸平著、二〇二一年、集英社新書)は同千百二十二円。P 社製の四色ボールペンは同千百円など、わりと微妙な価格設定のものが多いように思う。

もちろん価格で購入を決めるわけではないものの、値段のハードルは確かに存在している。ちなみに、『ペルソナ』の目次を繰っていくと最後の章立てはこんなタイトルになっている。「おわりに わたしはモザイク状の多面体である」もうこのタイトルだけで購入動機になるぐらいすばらしいですね。昔、詩人のA・ランボーが語り、作家の中上健次が『熊野集』で引用した「わたしは一個の他者である。」をわたしは思い出しました。

では、どこで本を買うか?

県内でゆったりとした書店といえば、これはもう岡島百貨店内の「ジュンク堂」だ。静かで密にもならず天井も高い。店内のあちこちに椅子も置かれている。個人的に洋書や語学の類を見たいときは大概この書店にしている。以前、ヤフーの訪問先評価でわたしは最高ランクの星をつけたこともあった。

もうひとつのおすすめ書店は、「天真堂(てんしんどう)書店」。県内には三店舗あるが塩山店のレイアウトはとても見やすく探しやすい。もともと中央本線塩山駅南口にあったけれども、街路整備によっていまの塩山市民病院近くに移ったものだ。親子連れが目を引くが本好きな中高年の姿もよく見かける。奥の平積みコーナーにはそれほど話題にはなっていないけれども、これからの世の中を生き抜くワザ的な、店長のこれぞおすすめ的な本があったりする。老若男女を問わず来店者が多い。ここは流行りの書店なのだと思う。

▲天真堂塩山店(甲州市塩山熊野88-1、電話0553-33-1110)

▲和洋の趣き「宮光園」(甲州市勝沼町下岩崎1741、電話0553-44-0444)

天真堂の帰りには勝沼の甲州市近代産業遺産である「宮光園(みやこうえん)」に寄ってわたしの好きな工場(ワイン)を見学したり、はす向かいの「蒼龍(そうりゅう)葡萄酒店」で甲州ワインを買っていく楽しみもある。(八ヶ岳事務所 中村健二)

岩手◆八幡平/岩手山と日なたの猫【いくぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年3月23日

▲稜線もくっきり、岩手山。

八幡平市(はちまんたいし)は岩手県北西部に位置し、秋田県鹿角市(かづのし)・仙北市(せんぼくし)、青森県田子町(たっこまち)との県境となっている。2005年(平成17年)に旧岩手郡の西根町(にしねちょう)、松尾村、安代町(あしろちょう)が合併して八幡平市となった。

東京二十三区の約一・四倍、八百六十二・三平方キロメートルの市域に二万三千八百人ほどが暮らしている(本年1月1日現在)。市の名前は西に聳える日本百名山の八幡平(標高千六百十四メートル)に由来している。山域は十和田八幡平国立公園に指定されている。

「八幡」は奈良時代の応神天皇に由来するらしく国内に広く分布していて、京都府八幡市(やはたし)、滋賀県近江八幡市(おうみはちまんし)、愛媛県八幡浜市(やわたはまし)、北九州市八幡(やはた)東区・同西区があり、それぞれの市で呼び名が異なっている。また、平安後期の陸奥国で国守となり東北地方にもゆかりのある八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)は、源頼朝や足利尊氏などの祖ともいわれる(八幡平とゆかりがあるかどうかまではわたしは存じ上げておりません)。

▲写真撮影も自由なイーハトーブ火山局。

さて、二十一世紀の初めに三町村が合併してできた八幡平市だが、岩手山(日本百名山で標高は二千三十八メートル)の北麓に位置する旧松尾村。まずは「イーハトーブ火山局(岩手山火山防災情報ステーション)」を訪ねたい。火山局の入口では宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』に出てくる博士のスタンプを押してもらえる。ここでプレートや火山の成り立ちから噴火や防災の基礎知識をまず学んでおきたいものだ。

本州屈指の良雪質で知られる八幡平スキー場や高温泉が自慢のリゾート地であるこのエリアはペンションや別荘も数多い。スーパー、小学校、銀行、郵便局、警察署、クリーニング店など日常生活をおくるための施設等が集中し、幹線道路の除雪も完璧に行われる。別荘族に人気のハンバーグ店も近い。そして診療科目十一科、病床数百五十を誇る中核病院の東八幡平病院も小学校の道路向かいにある。こうした環境を求め近年では中高年の移住者が増えているという。

また、静かな雑木林に囲まれた近在の別荘地には創作活動を志す若者も移住し始めており、「クラフト村」を目指している分譲地もある。地域おこし協力隊のおひとりは、「富士山は年間でその姿を見られるのは三分の一だけ、岩手山はほぼ一年のあいだ町のどこからでも見られるからとても愛着が湧く山です」と話す。花巻以北の住民には共通の思いかも知れない。

新しくできたモダンな八幡平市役所は田園風景越しに岩手山から安比高原(あっぴこうげん)までをパノラマで見渡せる場所にある。やはり冬の岩手はすごいと思わせる大迫力だ。

その後、リゾートから少し離れ花輪線の「大更駅(おおぶけえき)」に行って見た。ここは旧西根町エリア。いわゆる地元の中心部である。どこの町に行っても中心地といわれる商店街は活気が少ないものだが、オッと思わせる店もあったりする。少し離れた西根中学校近くには古民家を改装した食堂があり風情ある町並みも残る。猫が気持ちよさそうに車の上で日向ぼっこをしていた。

▲猫が車で・・・。

昨年秋、東京有楽町の「ふるさと回帰フェア2020」に岩手県内から参加した五自治体のひとつである八幡平市。市の担当者は1)山のそば、2)温泉がある、3)学校等教育施設が整っている、と三つのアイコンで強調していた。

では、移住定住窓口である「空き家バンク」をみてみよう。 登録物件は全部で8件(本年2月1日現在)。別荘や町場の住宅で売買のみ。利用するにはあらかじめ所定の用紙をダウンロードし、市へ提出する必要がある。見学は随時受け付けており、契約から決済(物件のお引き渡し)は市の全宅連加盟事業者が行う。成約時には仲介手数料が発生する。

わたしの感想としては、売買物件においては不動産情報サイトの方が情報の量や質においては圧倒している。今後は移住のハードルを低くするため、市内の賃貸向けの空き家をどうやって確保するか、それをどうやって情報発信していくかが勝負どころだ。(東北担当 中村健二)

▲八幡平市役所。

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〈八幡平市移住相談窓口〉
企画財政課地域戦略係  電 話:0195-74-2111

はちまんたい移住定住サイト
https://www.city.hachimantai.lg.jp/site/ijyu/

空き家バンク物件一覧
https://www.city.hachimantai.lg.jp/site/ijyu-6/1816.html

(文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)