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北東北◆秋田/秋田へ熱い夏の旅 ~その2~【いくぞ北東北!中村所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2019年11月23日

▲土地家屋調査士とともに図面を手に敷地境界を確認。

「北秋田市」というと県庁所在地の「秋田市」に隣接したイメージがあるが、実際には県都より北へ90㎞ほどの内陸部に位置していて、東は秋田犬で知られる「大館市」、西は風光明媚な五能線の始発駅(東能代駅)がある「能代市」に隣接している。

東京23区2個弱の面積がある当地は、内陸性気候のため寒暖の差が大きく、市役所のある「鷹巣(たかのす)」では(標高約30m)夏の平均最高気温が29.2度、冬の平均最低気温がマイナス5.1度。最深積雪量は131センチと豪雪地帯に指定されている。

▲綴子(つづれこ)の大太鼓の模型(大館能代空港にて)

当社は今年設立30年の節目に当たるが、この町に創業以来2件目の成約者が出た。首都圏在住者で、「川あり森ありキノコの原木あり」のこの地を田舎暮らし再出発の地に選んだ方だ。東日本大震災によって福島県内での定住を断念した経緯から、「過疎地こそが自らの生活を立て直す場所だ」との強い信念が芽生えたという。そして心温まる売主との出会い、近隣住民の人柄にも触れていく中で、この地への現実的な移住のプロセスがはっきりと見えてくるとともに、未曾有の原発汚染のため実現できなかった「山里の暮らし」を、条件が合えば来春にも始めたいと決心させた。

私はその方の北秋田市移住実現のために売主との間で不動産売買契約を仲介させていただくとともに、すみやかなお引き渡しに微力を尽くさせていただく僥倖に立ち合うことができた。(北東北担当 中村健二)

※北秋田市:平成17年に北秋田郡の鷹巣町、合川町、森吉町、阿仁町が合併して誕生。県の北部中央に位置し、西から南に秋田市、東に大館市・鹿角市、南に仙北市に接する。

中村龍潭寺

長野◆青木村/上田青木店、開設いたしました【東信州あおき・小県からの手紙】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・上田青木店 / 山本 幸哲

2019年11月8日


この度、松茸の産地として有名な東信州青木村に「ふるさと情報館・上田青木店」を開設しました。所長を務めることになりました山本幸哲です。どうぞよろしくお願いします。ふるさと情報館のお手伝いを始めて早くも18年が経ちますが、息子(大智・だいち)夫婦と一緒に四季折々の景色や生活、イベント情報などをタイムリーにお送りしたいと思いますのでご期待ください。

また、皆様が田舎暮らしの中で叶えてみたい夢の実現に向けて、魅力ある物件の提供やご案内をしていきたいと思います。東信州は降水量が少なく、日照時間が長く、湿度が低く、朝夕の温度が大きく爽やかです。また、地震が少なく災害に強い所です。

自然も豊かで、特にきのこの種類は豊富でおいしいきのこがたくさん採れます。りんごや果実も多く、秋の味覚には事欠きませんので是非一度おいで下さい。スタッフ一同お待ちしております。(ふるさと情報館・上田青木店 山本幸哲)

栃木◆那須/広がる枝豆の輪と孫田の稲刈り【那須・高久の里山日記りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2019年11月4日

9月21日 枝豆の収穫祭

「まだちょっと早いが、そろそろ食べられますよ?」という枝豆解禁日です。台風17号の影響で夕方から雨の予報でしたが、何とか免れたようで、都合の良い人達14名が集合しました。

旬の野菜で作った田舎膳に名人達の手打ちそばが加わると「うわ~っ!? 贅沢っ!」という声が上がります。その後、お皿にてんこ盛りの枝豆がテーブルの上に載ると、「うわ~っ!初物っ?!」と言うと同時に手が伸びました。

それからは静かになり「止まらな~い?!」と言う頃には、それぞれの前にどっさり溜まった食べ殻に笑って誤魔化す人もいました。

次の週末、船橋から日帰りで収穫に来たご夫妻は、朝4時に出てきたそうです。もう何年も参加しているので、要領良く枝豆の葉っぱを落としコンパクトにして、お米30㎏の紙袋に4個詰めたとか・・・。

それらの半分は首を長~くして待っているお友達に配り、後の半分は自分の家で消費するらしく、枝豆大好きな息子さんがいるのであっという間に無くなるそうです。

毎年知り合いに送る人が、今年も空箱8個並べて、手塩に掛けて育てた枝豆の葉っぱを落とし、発送の準備をしています。送り先から「ありがとう~今年も甘くておいしいよっ!」と言われると、「嬉しくて毎年送っちゃうんだよね!?」とせっせと荷造りをしています。

それぞれ自分の畝から収穫していると、実がいっぱい付いた枝豆を持っている人を発見。その人に秘訣を聞き出すと、ひと手間掛けたとか・・・。「次回は真似しようね?」ということになりましたが「あれっ? ずっと前に誰かやったよね ? その時どうだったの?」と聞いても、誰も覚えていませんでした。

後日畑に残っている枝豆を収穫に来た方が、宅急便で20数個送ると、自分の畝だけでは足りないので隣の畝から少し頂いたとか・・・。そのお礼に自分の畝と一緒に管理していたそうです。お互い様の関係がこの畑のあちこちで生まれ良い関係を築いているようです。

今年初めて参加した方は2人で、ずーっと前にこちらに移住された方と、越谷から毎年味噌作りに来られる方です。もうすっかり地元の人になった彼は、夕方収穫に来たので声を掛けると「今夜は仲間が集まるので枝豆メインの酒の肴で宴会をやるか・・・素材がいいのでこのまま茹でて食べるのが一番最高に旨いよ!酒が進むぞー」と言っていました。

越谷の日帰りの方も収穫して家に持ち帰りすぐ食べたらしく「今までにない味わい!」とのメールが届きました。枝豆を手入れした人達ばかりではなく周りの人達も枝豆を食べて幸せ気分になっている様子に何より喜んでいます。

9月28日 孫田の稲刈り

浦和に住む長女の家族は自分達の食糧米にと、事務所横の小さな田んぼを孫田(孫達の田んぼ)として、田植えと稲刈りに来て田んぼの仕事をやっている。今年も長女夫婦と孫娘(中1)の3人で、朝8時ちょっと過ぎに到着し身支度を整えて急いで田んぼへ行く。

気合いを入れて作業開始!でも昨日機械で稲刈りし、ハサを作って掛けるだけに準備しておいたので、アッという間に掛け終わってしまいました。

孫娘は、いつもお姉ちゃんのやっている仕事の一輪車で稲束を運ぶ役目を躓きながらやっていました。刈り残しや落穂を拾い集めて束ねるというと手間のかかる仕事も終え、滞在時間2時間という超特急で農作業を済ませました。帰りしなに「まるで台風の様だね?」と長女は笑いながら言って家路につきました。

10月5日

稲刈り予定日でしたが、台風の影響で昨日すごい雨が降り、田んぼに水が溜まり明日に延期になりました。午後ちょっとだけ稲刈りを始めたが機械が泥にはまり、不調になりそれを運転していた我が夫も泥に足をとられて歩行がままならず体の不調を訴えました。

そして「機械も俺も限界だ?!」と悲鳴を上げた。天候不順にずーっと悩み機械と自分の体力を考えると、潮時を感じたのか今年限りと断言しました。この日のためにと買い集めた食材で予定の料理を作り、稲刈りのために駆け付けてくれた方々にお持ち帰りをしてもらいました。

昨夜鎌倉から来た次女は、背負って来たリュックが帰るときははち切れそうにパンパンでその他に手荷物もあります。これだけあれば、しばらく食べられるな?!」と言った後で「家まで辿り付けるかな?」と心細げにつぶやいた娘に「欲が手伝ってくれるから何とかなるよ」と無責任な声掛けをしたが、もう欲と2人連れのたくましい後ろ姿に安堵しました。(那須店 高久タケ子)

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北東北◆秋田/秋田へ熱い夏の旅 ~その1~【いくぞ北東北!中村所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2019年10月21日

今年の8月15日は、台風10号からの湿った暖かい空気が流入した影響でフェーン現象が起こり、秋田県北秋田市鷹巣(たかのす)は最高気温38.4度を記録した。その日全国で第3位の記録だという。

私はこのニュースを山梨から東京に向かう車内のラジオで聞いていた。「鷹巣」という地名を知っているリスナーがどれほどいらっしゃるのか、という疑問はさておき、ほんの1週間前に仕事で訪れた場所が天気予報ではあっても全国放送で流れたことに、なぜか少しばかり胸を張る心持ちがしたのだ。

あの日の奥羽本線・鷹ノ巣駅前は閑散とし、残暑の西日は厳しく、弘前に向かう乗客は数名ほど。こんな情景が蘇ってくるとともに、地元の高校生たちが推薦するラーメン屋には行けなかったなどと、少しばかりの後悔の念を抱きながら電車に乗り込んだ。

駅のホームには綴子(つづれこ)地区自慢の直径3.7mほどもある世界一の一番太鼓の模型がどーんと陣取っている。いま、この北東北が熱い。大館能代(おおだてのしろ)空港の北西に広がる伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡は、今から4000年ほど前の後期縄文時代の遺跡だ。

▲はるばる来たぜ「伊勢堂岱遺跡縄文館」

縄文館と遺跡群では、北秋田市の中高生がボランティア活動の一環として訪問客の対応に当たっている。遺跡群に向かう道中にはサケの遡上する小川、その近くの沢筋には熊も生息しているという。万が一のため、私のような訪問客は鈴を渡され、その後ろには用心棒よろしく屈強な事務所スタッフも帯同する。

四つのストーンサークルがあるのは高台の眺めの良い場所だ。彼方には白神山地も広がっている。直径30mほどの輪を形成する無数の石は、ソリ状の運搬機によって運び込まれたという。その轍が今も残る。

大小の長方形をしたそれぞれの石はある規則性を持って並べられ、そこが「古代の祭祀」をつかさどってきた特別な場所であることを表している。縄文人の住居跡などではないのだ。

この地域に出土する一級の遺跡群は、県を超え津軽海峡を超え、北東北と北海道の南部に燦然と輝く歴史の中心地として、今ふたたび脚光を浴びはじめている。そして2021年のユネスコ世界文化遺産登録を目指すため、最先端で活躍しているのが4000年の歴史を知るこうした地元の中高校生たちなのだ。(つづく)

▲縄文館でガイドのボランティアをする地元高校生。

※北秋田市:平成17年に北秋田郡の鷹巣町、合川町、森吉町、阿仁町が合併して誕生。県の北部中央に位置し、西から南に秋田市、東に大館市・鹿角市、南に仙北市に接する。

中村龍潭寺

栃木◆那須/那須の大自然の素晴らしさを【地域店・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店 / 高久 重廣

2019年10月14日


その昔、那須の温泉湯治場は、農繁期が終わると疲れた体を癒すための、長期滞在の湯治客で賑わっていました。

そして大正15年に那須御用邸が建てられた事ですっかり様変わりし、豊かな自然が評価されたことで、別荘地開発が始まり、数多くの企業等の保養所や個人の別荘が建てられました。こうして那須は「温泉湯治場」から「ロイヤルリゾート那須」へとイメージチェンジしました。

昭和天皇は、毎年夏になると長期滞在(7月半ば~9月初め頃)され、私もその当時、自治消防団の要請で御用邸敷地内の警備の当番で何度か出動しました。警備の詰所がある場所は入口部分にあり、手付かずの原生林で自然がいっぱいでした。


ちなみに我がふるさと情報館・那須店事務所前の水路は、苦戸川の支流で、水源は那須岳中腹にあり、広大な御用邸の中を流れ、我々農家の米作りに大切な水路です。御用邸の内部には一般の方の入場は禁止ですが、苦戸川水利関係者は年2回の水路手入れの為、許可を得ての立ち入ることができ、未開発の自然林を堪能できます。

この町に生まれ長年住んでいると、四季の移り変わりなど気にせず、当たり前と思い過ごして来ましたが、近年は那須の大自然の素晴らしさを再認識しております。(那須店 高久 重廣)

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宮城◆白石蔵王/贈与税ミス2(前回に続く)【蔵王ツーリズム・遠刈田からの手紙】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2019年10月10日


贈与税は、一年間にもらった財産から基礎控除額の110万円を差し引いた残額から速算表にもとづく贈与税を計算し、納税します。つまりもらった財産が110万円以内なら贈与税はかかりません。

ちなみに「20歳以上の受贈(私の次男)が直系の尊属(私)からもらったとき」の「速算表」で計算すると、私の横浜の自宅の土地は、概算で(450万-110万)×15% -10万で41万円が贈与税となるのですが、わたしは毎年4月に横浜市から送られてくる「固定資産税納税通知書」の表紙にある「課税標準額」の土地74万円と、家屋120万円の数字が贈与税計算の根拠だと早とちりしてしまいました。

ですから、家屋と土地を正月を挟んで2年に分け、「基礎控除額110万円」を2回使えば、家屋も土地も、ほとんど贈与税の対象から外れると勘違いしてしまったわけです。家賃も税金もなしで、住まわせている息子に、負担をかけず、その家を譲れると、ずいぶん甘い決断でした。(初年度に払った家屋分は基礎控除額110万円に近い評価額でしたから、贈与税はほとんどかかりません)

土地の評価額は、政策上6分の1に減額されているということですから、私が息子に伝えていた贈与税の当初の額も6分の1に過ぎません。結局、今回の贈与で息子が払った費用は登記の諸費用も含め60万円近く。古びた中古住宅を押し付け、法外の出費を求めた一件にしてしまいました。(白石蔵王駐在 渡辺和夫)

(前回の記事へ)

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宮城◆白石蔵王/贈与税ミス【蔵王ツーリズム・遠刈田からの手紙】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2019年9月16日

82歳が近づき、昨今、終活が頭をよぎるようになりました。21年前、蔵王町に移住したおり、横浜に残してきた築後45年の自宅を、昨年と今年、次男の家族に譲りました。次男には10年ほど前から無償で住まわせていましたが、「これからは建物の補修も、保険も、固定資産税の納税もすべて自前だよ」と手を引き、一区切りとしました。

その前の10年間は有料の借家人がいて、ほぼ1千万円の賃料を得ていましたから小さなボロ家も横浜あたりではまだ借家の対象であったのです。誰でも高年代に入りますと、持ち家という資産の扱いをどうするかという課題が待っています。駅に近く、街中の住宅ならともかく、町を離れて売却も思うようには進まない、横浜の市街化調整区域のわが古家は、時間も経費もかけずに、現状のまま親族に譲るのが得策と考えました。

自分が亡くなったあとの「相続」となると、ひとりではない譲受人、つまり複数の子どもたちと妻への配慮もあり、まだ私が元気な内に単純にすませたいと考えました。贈与といっても、今住んでいる親の家の名義を子に変えるだけのことと判断し、登記所に行き、書類をもらい、年末までに建物、正月に土地を譲るという方法で一年一回の基礎控除を二回使って上手に贈与税の課税をおさえたつもりでした。

ところが、自分が考えた自宅の評価額を、私は毎年納めてきた固定資産納税通知書の数字と早とちりしてしまい、次男に伝えておいた課税額とは大違いの税額に。(以下次号)(白石蔵王駐在 渡辺和夫)

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千葉◆千葉エリア/やる気になれば何処でも働ける!早一年が経ちました!【地域スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 千葉現地案内人/澤田 道明

2019年9月12日

案内人の仕事を始めて早一年が経ちました。いすみ市を中心に長南町、長柄町、大多喜町、茂原市、白子町、勝浦市などを案内しております。このエリアで探しに来る方は関東圏にお住まいの方が多く、都心から近くて温暖な場所を求めてくる方が多い印象です。

ひと昔前の田舎暮らしと言ったら「退職後にゆったりとした時間を田舎に求めて!」という方が多かったと思いますが、最近では若い方も「田舎暮らし」を求めて来られています。外国の方や、夫婦のどちらかが外国の方も来たり、若い方で「親の為に買っておきたい」なんて方もいたりして、「時代は変わったな~」と思っています。

やはり、インターネットが働き方を変えて、終身雇用の時代からフリーランスの時代へと変化をしたのかな~と思いつつ、私も仕事をいくつか掛け持ちしている身。昔から「身体が資本」と言うくらいだから、やる気になれば何処でも働ける!元気なうちは、案内を続けて行こうと思っています。
(千葉案内スタッフ 澤田 道明)

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