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福島◆会津若松市/会津地方とは・・・(3)【地域駐在スタッフ・福島六十の手習い】

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2023年10月22日

▲ソースカツ丼
▲カレー焼きそば
▲会津ラーメン

いよいよ皆様大好きな「食」です。

皆様がお住いの各地域にそれぞれB級グルメがあるかと思いますが、私が住む会津若松市はソースカツ丼・カレー焼きそば・ラーメンですね。

この3品は小さいころから御馳走で、当時は特別な来客や特別な出来事でもない限り食べられませんでした。

今では観光客、修学旅行生の皆様に食して頂いており、食べいる時の美味しそうな笑顔を見ているとこちらまで幸せな気分になります。

私が好きな某テレビ局の「バナナマンのせっかくグルメ」やYouTubeで飲食店をチェックし、隣県までは出かけたりして自身楽しんでおります。

また春は桜の名所、夏は南会津の避暑地、秋は各地の紅葉、冬は各地の雪祭りと、四季を通じ年間それぞれ楽しむことが出来ますし、何といっても各地の温泉も最高です♨

修学旅行で来られた時と、ある程度年齢がいってからの会津は感じ方も違うと思いますので、改めて足を運んでみて下さい。

余談ですが、私の知り合い(栃木県小山市在住の小林様)は人生の大先輩で年齢も一回り以上違いますが、その方は年に数回会津に来て戊申戦争関係先を巡ったり、その史跡周りの草刈りをボランティアでお手伝い頂いていて、会津を楽しんでもらっていますが、本当に感謝しきれません。(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

※「会津地方とは・・・」シリーズ12

秋田◆秋田/秋田の赤い靴【地域駐在スタッフ・秋田からの風】 

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年10月18日

▲「秋田の赤い靴」像

♫ 赤い靴 はいていた 女の子

秋田にも明治時代に赤い靴の話があります。

昨年、市内図書館に写真の像があるのを見かけたのと同じころ『みちのく秋田の赤い靴の女の子』というタイトルの映画試写会(壇蜜出演)をしたということを知りました。

八郎潟の北のある村に住むふじは姑に虐待されていたがある日、姑が斧を振り翳してきたので奪ったが誤って子供の喉を直撃し死亡させ終身刑で服役していたが、すでに身籠っており獄中で女児を出産し亡くなった子と同名のハツと名付けた。

その後について銘板には次のとおり書いている。

明治20年(1887)11月14日、金子ハツは秋田女囚監獄で生まれた。

息も絶え絶えの赤子を引き取ってミルクを与えたのが、若い宣教師ミス・カラー・ハリソン(1895〜1937)である。

六歳になったハツを学校で学ばせたく、ハリソンは教え子の川井運吉に相談した。

結婚前の運吉は分家してハツを養女にした。

ハリソンの帰国はハツが十二歳の時。残して行くにしのびず、ハツを連れて横浜から船に乗った。

後にハツをロサンゼルスの大学に入れるが、当時は排日の嵐で、卒業しても思うような就職口はなく、ハツの将来を案じたハリソンは日系人の多いハワイに渡り共に教師の道を歩むが、ハツは34歳でこの世を去った。その後ハリソンは78歳で生涯を閉じ、2人はホノルルの墓地に眠っている。

―かっては苦悩にうちひしがれし 異邦人なれど いまぞわが故郷にたどり着きぬ―

1922年胸を病み死の覚悟したハツが残した詩の一節です。(秋田駐在 片山保)

長野◆蓼科/懐かしい資料が出てきました【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2023年10月6日

▲コロナを機に中止が続いている「現地見学会」。大変だったが楽しかった。(写真はイメージです)

先日、地域店(信州蓼科店)の頃の書類の整理を始めたら、本部で開催していた地域店会議の資料や現地見学会の案内資料が出てきました。

現地見学会はコロナ感染が始まる前の令和元年7月頃まで隔月で開催していたと思います。

前日に10物件ほどを効率よく回るために、見学の順番や物件概要等をまとめた資料を作成し、翌日どんな方が来るかと楽しみにして集合場所へ出かけたものでした。

参加者の確認と当方の自己紹介、資料を基に各物件の概略及び終了時間等の説明を行い、車2台~4台引連れて出発、道中は気を遣いながらでした。

見学の合間に地域の特性なども説明し、また参加者からよく聞かれたのが災害関係の状況でした。

この八ヶ岳西麓エリアは殆ど災害が無いことを話し、台風がたまにこのエリアを通過する場合は、アルプスを超えるので勢力は半減し心配は無いし、地震も幸いこのエリアを震源地としたものは一度も無く大丈夫ですと、暮らすならこの西麓エリアが一番と強調していましたが、これは私のいつもの決り文句でした。

やはり見学会は大変だったけど、今から思えば楽しいイベントでした。(信州蓼科エリア案内スタッフ 星野 登美夫)

福島◆会津若松市/会津地方とは・・・(2)【地域駐在スタッフ・福島六十の手習い】

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2023年9月28日

▲会津のアイドル?赤べこ。

さて、私と「ふるさと情報館」との出会いですが、本年4月に私の知り合いが古民家を探しており、そのお手伝いで色々と当たっていたところ、会津若松市内に「ふるさと情報館」の物件が在り、やり取りを始めたのがきっかけです。

その後、福島県担当のT氏と情報交換をするうちに、私が会津地方に詳しいこともあり、知識を生かしお役に立てるならと打ち合わせをしたところ、お互いの思いが一致し今日に至っております。

私は4月に還暦を迎え最近までは「生前整理・遺品整理」「浴室リメイク」を生業としておりますが、まさか新たな分野に手を出すとは想像もしていませんでした。

『五十の手習い』と言う言葉がありますが、まさか『六十の手習い』なるとは分からないものです。

まだ慣れていませんので、現在は田舎物件の情報収集を主に、また物件の再活用提案に力を入れております。

今回この仕事に携わり、改めて空き家の数が半端じゃなくその要因として、「相続」・「家屋解体」・「解体後固定資産税増」の三つの大きな問題が見えてきました。

外国人による国内の広大な土地購入も問題ですが、この三つは近い将来大きな問題となるのは間違いないと思いますし、国としても早急に対応していかないと朽ち果てた(廃墟)空き家だらけになりそうです。

そんなわけで、六十の世話好きのおっちゃんが空き家の新たな再活用案を日々考えていて、一つは高齢化社会への対応で、比較的大きな「物件」を介護施設や障碍者施設、又は家族葬向け葬祭場への改装ですが、壁は高いです。(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

※「会津地方とは・・・(1)」はこちらから。

秋田◆秋田/菅江真澄~その6~『疱瘡(もがき)を病む子供』【地域駐在スタッフ・秋田からの風】  

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年9月25日

真澄は風習の絵や悍ましいことも記録している。


信濃の国の御嶽山の辺りでは、疱瘡を病んだ子供を捨て置く習俗(家庭内感染防止)があり、山中の切り拓いた平地に小屋掛けをして赤い頭巾を被った子供を寝かせ、傍らに櫃・鍋・器を置く(上記絵)。

乞食たちがこの子供に飲食させ、全快した日に家に送り返すと返礼として物を与えたという。(乞食たちはすでに疱瘡にかかっていれば感染しないことを知っていたようだ)


疱瘡の出た家の周囲に垣根を造って囲い、血縁の有無を問わず、訪問することをひかえていた。(これは近代医療以前の感染対策を知る上で貴重であるといわれている。)(上記絵)

また、天明の大飢饉(1782〜88)の頃に岩木山の北辺の村の小道に分け入ると、春先の雪がムラになって残るように、草むらに人の白骨が沢山散らばっている。

また、うずたかく積まれている。額の穴に、ススキや女郎花が生出ているものもある。

見る心地もなく拝んでいると、知らぬ人が「見たまえ、これは皆、飢え死にした人の屍だ。過年卯の年のだ。

今、こうやって道を塞ぎ、行き交う人は踏み越えて通うが夜道ともなれば誤って骨を踏み朽ちただ。」と言う。

死なば死ね、生きて憂き目の苦しさを思えば・・・とも思う。彼らは藁をついて餅にして食べたり、蕨の根を掘って食べ、今まで命を永らえてきた。(秋田駐在 片山  保)

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※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その3』、『その4』、『その5

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秋田エリアオススメ物件
田んぼの中の一軒家・能代市と接する改修済住宅(三種町・17480N)

裏手は秋田美林、前面が田園 元地主の旧宅とお蔵・倉庫(由利本荘市・17553N)

福島◆会津若松市/会津地方とは・・・(1)【地域駐在スタッフ・福島六十の手習い】

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2023年8月17日

▲会津若松の象徴「鶴ヶ城」。

福島県の西部に当たり、西に越後山脈と東に奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の地域が会津地方です。

福島県は奥羽山脈と阿武隈高地によって区切られており、西から順に「会津地方」と「中通り」と「浜通り」の三地域に区分されています。

天候は三地域で全く異なり会津地方のみが多雪で中通りは少雪、浜通りは比較的温暖です。

よって会津地方の山間部は十二月から三月までは雪との闘いになりますがその雪でスキー客に来ていただけるのでちょっと微妙ですね。

また、皆様学生時代に修学旅行で来県されたことがあるかと思いますが福島県の象徴である磐梯山、猪苗代湖が県民の拠り所になっております。

古事記によれば、古くは「相津」と書いたといいます。

崇神(すじん)天皇の時代、諸国平定の任務を終えた四道(しどう)将軍大毘古命(おおびこのみこと)と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の親子が、この地で合流したことに由来し会津美里町の伊佐須美神社縁起にも伝承があります。

会津地方ですが会津若松市、喜多方市、北塩原村、西会津町、磐梯町、猪苗代町、会津坂下町、湯川村、柳津町、三島町、金山町、昭和村、会津美里町、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町(順不同)と十七市町村となっておりそれぞれが自然豊かでアウトドア好きの私には最高の場所です。

また福島へ来てくなんしょ!(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

秋田◆秋田/菅江真澄~その5~『男鹿の涼風』【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年8月11日

▲ 蝦夷百合のスケッチ 左は女草、右は男草。

朝ドラで牧野富太郎がにぎわっているが、真澄の『男鹿の涼風』(1810年)に「蝦夷百合」のスケッチがある。

真澄が北浦(男鹿市)の辺りを歩いていると、馬草を刈った中に蝦夷百合が交じり、その花に朝露が置いていた。

アイヌは蝦夷百合を「ぬべ」といって食料にしていたが、男鹿の人は「えぞろ」といって、米に混ぜて飯にしたり、餅にしたり、煮たりして食べている。味がいいのだろう。

草には雌と雄があり、多くは女草の根を採り、男草は四月末から五月初めに採って食べる。男草は紫黒色の小花を開くが、女草は花を付けない。

真澄研究者の調査では、地元の「えぞろ」を食用とした人に聞くと、「おとこえぞろ」には「す」があって食べられないが「おんなえぞろ」は根に養分があってうまい。

今年「おんなえぞろ」と呼ばれても来年は花を付けるので「おとこえぞろ」になるという区別を指す。

葉が萌え出てから田植え頃までに堀り、根元のしゅろ皮を剥いて白いところを食べる。

従来、これら植物は根茎に毒を持つといわれているが、男鹿・八森地方では近来まで「えぞろめし」を食べていたという。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その3』、『その4

長野◆青木村/竹粉砕機オペレーター登場!【東信州あおき・小県からの手紙】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・上田青木店 / 山本 幸哲

2023年8月2日

▲竹林の道は美しいが、繫茂してしまうとやや大変なことに!

青木村の農業委員会では、地域農業の支援と発展のために、竹粉砕機を購入しました。高性能で馬力が強く、自走できる本格的な粉砕機です。

この粉砕機の取扱い説明会が先日行われ、私も参加しました。

講習会終了証をいただき、傷害保険に加入すれば竹粉砕機のオペレーターとして登録でき、機械の利用が可能になります。

青木村の山間地では、破竹が繁茂している土地が多く、畑として使われていた土地がいつの間にか竹林になっていたり、お隣の土地にまで竹が出始めて、対応に困っている方が大勢おいでになります。

▲困った竹たちを有効な資源へ!(イラストはイメージです)

この困り者の竹も、竹パウダーや竹チップに変えて利用すれば、土壌改良材や消臭、殺菌作用等すばらしい効能があり、今注目されているところです。

この竹パウダーや竹チップを利用して、おいしい農産物の生産に取り組んで行きたいと思います。(上田青木店 山本 幸哲)