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秋田◆秋田/菅江真澄~その3~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年6月13日

▲菅江真澄の肖像画。

旅日記『雪(ゆき)の陸奥雪(みちおくゆき)の出羽路(いでわじ)』より(現代訳)

漁師たちが「鰰(はたはた)の網引きする」と言ってたくさんの小舟を漕ぎだした。

冬の漁師の世渡りは、蝦夷地のオットセイ狩と同じである。

岸辺の岩の上では男女が群がって立ち、魚群のいる場所を教える。この岩舘の浦では鰰が大変多く獲れ、八森神魚(はちもりはたはた)と呼んでいる。

▲左)ぶりこ漁。右)熊手、縄でつないだ「ぶりこ」、鰰の腹から絞り出して固めた「折敷ぶりこ」

漁期の終わりには、鰰が藻に産み付けた「ぶりこ」(卵)を柄の長短がある金熊手(かなくまで)のような道具でかき寄せて獲ったり、波に打ち上げられた浜の「ぶりこ」拾ったりする。

浦乙女が熊手のような漁具で荒磯の藻に付いた「ぶりこ」をかき寄せ、それを腰に付けた「こだす」(編籠)にとり入れている姿絵。

▲鰰 左)オス 右)メスと「ぶりこ」。

「八森はたはた男鹿ぶりこ」という諺(秋田音頭の歌詞にある)があり岩舘の浦は岩が多く、波にあてられた「ぶりこ」の半分は傷むが、男鹿の浦は藻が多く、「ぶりこ」は姿がよいので、このように言う。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その4

栃木◆那須/少子高齢化と地方移住の間に・・・【地域店・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店 / 高久 重廣

2023年6月4日

▲弊社でも取り扱い物件数の多い那須町(イラストはイメージです)。

5月5日は「こどもの日」、今朝の下野新聞に全国15歳未満の子供の数が前年より30万人少ない過去最低の1435万人で42年連続減少の過去最低との報道がありました。

少子高齢化現象が社会問題化されて久しく、「人口減少をどうくい止めるか」が各地方自治体の重点目標ではないでしょうか。

我が那須町も御多分に漏れず、2012年までは27,000人台をキープしていましたが、今年4月の人口は24,191人と減少しています。

県や町でも少子化対策や、移住者を増やそうと努力している中、新型コロナウイルスの行動制限に伴う移住者の「移住支援金」は2022交付件数は152件で昨年の2倍を超え、ちなみに我が町は県内5位の交付件数でした。

いずれにしても町の人口を増やしていかない事には町の活性化にならないと思います。

先頃の新聞で地方移住を支援するNPO法人「ふるさと回帰支援センター」の窓口相談者が選んだ2022年の都道府県移住先ランキングで、本県が3位(前年9位)を獲得したとの嬉しいニュースもありました。(2月24日付下野新聞)

幸い豊かな自然に恵まれ、新幹線、高速道路等首都圏からの利便性も良い点、移住先としてお勧め致します。(那須店 高久 重廣)

※那須町の物件はこちらからどうぞ。

秋田◆秋田/菅江真澄~その2~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年5月18日

▲菅江真澄の肖像画。

民俗学者柳田国男は昭和のはじめ、菅江真澄(すがえますみ)を「日本民族の先学」と紹介しているが、真澄が記録した中世の資料は、東北地方の歴史を知るうえで貴重なものです。

アイヌを紹介した記録や鎖国という国是の中にあって、ロシアなどに漂流した人々の記録は江戸時代の社会構造を知る上で貴重な資料です。

▲男鹿の「なまはげ」説明入り絵図。

真澄は46年間を旅に暮らし、その間、130種240冊もの著作を残し、その体裁は日記・地誌・随筆・彩色された図絵集など。

その内容は民族・歴史・地理・国学・詩歌・宗教・本草などの分野におよぶ。

旅の中で、藩主一族・武士・神官・僧侶・医師などのほか、農漁夫・工夫・職人さらに乞食・遊芸人・遊女などにも記述し、暖かい目を向けていたようです。

これらの著作の日記や地誌など77冊12帖が国の重要文化財に、46点が秋田県有形文化財に指定されており、関係のある道府県でも大切に保存されています。

▲ 秋田県内400ヶ所に建立の真澄足跡の標柱。

真澄の旅の目的は最初の日記に「この国のすべての古い神社を拝みめぐって、幣を奉りたい」とあり、写生帳には「自分は国々を巡り歩いて、珍しいところ、珍しい道具、珍しい風俗など目にとまったものを下手ではあるが絵として持ち帰り、絵の上手な人の協力を得て刊行したい」と記しているが、自らのことをほとんど語っていません。

真澄の業績や真相など興味が尽きないので今も多くの人々や団体が研究しています。(つづく) (秋田駐在 片山保)

※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その3』、『その4

群馬◆黒保根町/『人生の楽園』づくりに邁進中!!【桐生くろほね・花咲爺日誌】

この記事の投稿者: 群馬・黒保根案内人/小林 峯司

2023年5月6日

▲時がゆっくりと流れるような田舎暮らし(写真はイメージです)

私の住む群馬の山里、桐生市黒保根町も今年は記録的な暖冬により3月下旬、10日も早く桜花覧満の春を迎えました。

コロナ禍やウクライナ情勢等暗いニュースの中にも、WBCで日本が見事優勝、マスクなしで外出できるこの頃、更に喜寿を迎え元気で過ごせる田舎暮らしに感謝と自己満足の毎日です。

桐生市(合併前黒保根村)の職員を定年退職後に地域の仲間と「黒保根地域の山を守る会」を結成、平成25年から国の助成事業を受けて、荒廃した開拓農地の笹薮を刈り払い、支障木を伐採。
毎年、植え継いだ花木が400本を超え、今では見事な花山に変わりました。

このエリアには現在2ヵ所の手作りキャンプ場が隣接し無農薬野菜の栽培農家も加わり、まさに『人生の楽園』の基地づくりが始動しています。

私もふるさと情報館の案内人として新しい出会いを大事にしながら、日々変化する自然を満喫し、手掛けた花木園や山菜園の手入れに過ごす毎日です。

都会の喧噪を離れ、「田舎暮らしをご希望の方」、「マイキャンプ地づくりの希望者(ドッグラン・菜園付き)に貸地も可能です。

仲間達と田舎暮らしの応援もしていますので『群馬の花と緑と清流の里』にお出かけください。(群馬黒保根案内人 小林 峯司)

秋田◆秋田/菅江真澄~その1~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年4月21日

▲菅江真澄の肖像画。

秋田城は創建から250年くらいまで存続したことは何とかわかるが、それ以降の800年くらいはどこにあるのかも分からなかったが、1812(文化9)年に菅江真澄(すがえ ますみ)が旅日記『菅江真澄旅日記』の中の『水の面影』のところで『続日本紀』に書いている秋田城はここではないかと現在の秋田城跡の場所を述べている。

この菅江真澄は私も秋田に来て初めて知ったのですが、すごい方と云えます。

何がすごいかと云いますと、三河(岡崎という説)を30才で出発し、信州を経て秋田から岩手、宮城、青森、北海道をめぐり歩き48才から亡くなる76才までを秋田ですごしました。

この間、秋田の領内をくまなく歩き、今の県内すべての市町村に足跡をしるしています。(県内の400カ所に真澄の足跡の標柱がある)

真澄は、生まれ故郷や家族、経歴など自分自身のことをあまり人に語ったりしなかったために人物像はちょっと謎めいていますが、国学、本草学、歌学などを学んでいたようで、なぜ北国への旅に出たのかもよく分かっていません。

ただし、どんな階層の人にも分け隔てなく接し、歌を詠み、薬をつくる心得があったため、旅のゆく先々ではどこでもこころよく迎えられそこにしばらく滞在していたようです。

酒はあまり飲まず食べ物の好き嫌いもいわず、常に節制した生活を心がけていたとも言われています。

唯一残っている肖像画も実に穏やかな好々爺と云えます。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※「菅江真澄」シリーズ:『その2』、『その3』、『その4

秋田◆秋田/秋田城と薬師寺は同世代【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年3月14日

▲薬師寺金堂(1976再建)

秋田城から離れますが、秋田城(773年)と同世代に建立された薬師寺(718年)金堂を高田好胤(こういん)管長の発願で再建したとき、その木材調達に携わったことがありました。

大阪万博が終わった頃、金堂の柱材調達の依頼が会社にあり、当時、名古屋にいたので寺と建設関係者を営林局や貯木場に案内したが、その方々に会って驚いたのは、西岡常一法隆寺宮大工と薬師寺執事長でした。

求める木材は、長さ10m以上のヒノキを何十本ということでしたが該当するものは木曽をはじめ日本にはもうないことを理解していただきました。

そこで、アメリカの米桧は如何ですかと提案すると、執事長は少し考えて、あそこは宗教が違うからなぁと、無信教の私には考えられないような反応があり驚きました。

それでは台湾桧はと云いますとあそこは宗教が同じだなぁと考えていました。

西岡棟梁からは上棟の主柱に「一千年の木には一千年の命あり」と墨書するのだ、樹齢一千年の木は一千年後に力が一番強くなり、さらに一千年後までは力が衰えない、ということを教えられました。

その後、薬師寺、建築関係者が台湾に行き、台湾桧を使うことになったと聞きました。今は台湾では丸太を輸出禁止にしています。

この体験は私が同世代創建の秋田城に出会い古代にロマンを寄せるきっかけの一つになったといえます。(つづく) (秋田駐在 片山保)

秋田◆秋田/秋田城でボランティアガイド~その4~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年2月18日

▲政庁正殿の真正面に鳥海山。

政庁正殿の真正面に鳥海山の雄姿が見えるのは、秋田城を創建した当時は山岳信仰が盛んだったからであろうか。

鳥海山との距離は約70㎞と近いが余程運がよくなければきれいに見えることがありません。

晴天でも春がすみ、海霧などで鳥海山は不思議なくらい雲に覆われている。

春はかすみなどと風流に聞こえるが、何故だろうかと考えていて、ひょっとするとこれは黄砂のためではなかろうかと思えてきた。古代の人々は粋な言葉を作り出したものだと妙なところで感心している。

▲古代沼越しの外郭東門・築地塀

もう一つのパワースポットは写真の古代沼越しに見える外郭東門と築地塀(ついじべい)の眺望です。

この眺望のよい場所には四天王寺跡があり、渤海国使節団の客館も併設されていたので一行が都へ行くまでの間、帰国するまでの間、都合半年位は秋田城に滞在していたようなので、彼らはこの眺望に疲れや心労を癒されていたことでしょう。

使節団は、現在、首相が外遊するときには経済界の人々100人くらいが同行するように、当時も多くの人が来ていたようで、中には亡命者も相当いたようです。

古代沼は祈祷が行われていた神聖な沼だったのでしょう。ここからは祓いの儀式にともなう祭祀遺物、人面墨書土器、人形、斎い串ぐし、呪符木簡などが多数出土しており、陰陽道関係の呪術が執り行われていたようです。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※秋田城でボランティアガイド~その1~はこちらから

※秋田城でボランティアガイド~その2~はこちらから

※秋田城でボランティアガイド~その3~はこちらから

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秋田城跡
住所:〒011-0939 秋田県秋田市寺内大畑5
営業時間:24時間営業
※城跡近くに、秋田市立秋田城跡歴史資料館あり。
詳細は歴史資料館公式HP(https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003616/index.html)でご確認ください。

 

長野◆蓼科/原村人気と不動産価格【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2023年1月31日

▲地方の不動産はどこも毎年値下がりしていると思いきや…

昨年、首都圏の不動産価格が値上がりしたとの報道がありました。

しかし長野県では全体的に値下がり傾向。でもそんな中県下では土地の上昇は白馬村や軽井沢町など14市町村で、私の担当している諏訪エリアでは、原村のみが値上がり、同じく人口増加となりました。

原村が移住を受け入れに舵を切ったのは、昭和40年代の人口減少が理由でした。そのため村では当時はまだ珍しいペンションを都会の人の移住先として考え、日本では最大のペンションビレッジを初めて開設。脱サラ後の事業として当時は大変な人気だったそうです。

その後村を挙げて移住希望者への情報提供等に力を入れた結果、毎年確実に移住者が増えていました。

夏の涼しい気候、眺望の良さ、村では高齢者の66才以上医療費無料、全区に準区民制度を整え、移住者に住みやすい環境を作り、また村は移住・定住施策の一つで長年続けている現地見学会を20年、21年度は中止していましたが、過去の参加者で20年度7組13人、21年度は4組10人、移住されました。

定住者の中には村議会議員なったり、しゃれたお店のオーナーだったりで活躍してる方も多く、ゆとりのあるゆっくりとした暮らしを楽しんでいます。

これからもますます原村の人気は上がっていくと思います。(信州蓼科エリア案内スタッフ 星野 登美夫)

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大切にされてきた家には限りない魅力がある都会の喧騒から自然の暮らしを求め、思い出をたくさんつくったあなたの田舎の家。人生のステージの変化にともないそれを手放す時が来るとしたら・・・これから田園生活をしたい人にバトンを渡すように引継ぎたいと思いませんか。

ふるさと情報館創立30周年を迎え、近年「この家を引継ぐ子どもや親戚がいない」「配偶者に先立たれ町に住む子どもと暮らす」など、様々な理由で売却する方の相談が増えてきました。日本では木造住宅の耐用年数は22年で、それを過ぎると建物の評価はゼロですが、ふるさと情報館では、永年使われてきた家や周辺環境、庭、菜園や果樹、必要な道具類も込みで「田園生活住み継ぎ物件」として、これから田園生活をしたい方に紹介する事業を展開してゆきます。

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