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群馬◆黒保根町/くろほのねろの、くずはがた・・・【桐生くろほね・花咲爺日誌】

この記事の投稿者: 群馬・黒保根案内人/小林 峯司

2021年12月4日

群馬県勢多郡黒保根村は平成17年の市町村合併により桐生市黒保根町となりました。旧黒保根村は赤城山の東麓に位置し、桐生市と日光市(かつての足尾町も日光市と合併)を繋ぐ、わたらせ渓谷鉄道の沿線にあり、明治22年に「上(かみ)つ毛野(けの)、久路保(くろほ)の嶺(ね)ろの葛葉(くずは) がた愛(かな)しけ児らにいや離(ざか)り来も・・・」万葉の和歌、赤城山の「くろほのねろ」から地名が誕生しました。

また、この地は明治の初期に群馬で水沼製糸所を創業し、政界でも活躍した星野長太郎氏が、弟の新井領一郎氏とともに米国に製糸を直輸出するなど、国家レベルの養蚕業の振興に尽くした功績や、明治6年に群馬県第二番学校といわれる「水沼学校」を設立した業績が、今でも称えられています。

老若男女が暮らす歴史の街、古都桐生市・万葉の里、黒保根町に一度お出かけしてみませんか、お待ちしております。(黒保根案内人 小林 峯司)

栃木◆那須/天空に錦秋到来・20年以上ぶりのマフラー音に【地域店・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店 / 高久 重廣

2021年11月7日

那須岳(茶臼岳)で紅葉が見頃を迎えている。「現在は姥ヶ平周辺などが8割ほど紅葉」と10月3日(日)地方紙・「下野新聞」一面に掲載されたので、4日朝5時30分、我が愛車・ホンダステード600(※)で那須岳峠の茶屋に向かい出発した。

展望台で日の出を見ようと思うも間に合わず、朝日を背に受け早朝の冷たい風の中、那須岳の紅葉を楽しみながら峠の茶屋駐車場に向かって走らせた。4日は月曜日だったが、早朝6時には駐車場が満車で道路まであふれていた。

(★登山シーズンにはくれぐれも、駐車場利用は注意してください!)

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ちなみに今回のバイク・ホンダステード600(※)は、約27年前に購入したアメリカンタイプのバイクで、当時バイク仲間でツーリングに夢中の時代を、楽しんだものです。そのホンダステード600(※)を購入した動機は、義弟が乗っていた同じバイクの試乗がきっかけで昔のバイクは性能が全然違い、衝撃的で魅力を感じ、即購入してしまいました。

何年か楽しんだものの20年以上納屋の片隅に放置されていたもので、知り合いのバイク屋さんで整備して車検を受けたのが今年の4月でした。もう少しだけ楽しみたいです。(那須店 高久 重廣)

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(※原文のまま・ホンダ・スティード Steed
本田技研工業が製造販売していたオートバイのシリーズ。
「Steed」は英語で「軍馬」「馬」を意味。
https://www.honda.co.jp/pressroom/products/motor/steed/steed600_1988-01-19/

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栃木◆那須/ドキドキのフキ採り、枝豆の種まき【那須高久・里山日誌りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2021年9月4日

▲おいしいおいしいフキの佃煮。

6月12日 フキトリ

イベントの時、参加された皆様にお振る舞いする田舎膳になくてはならない食材の「フキ」を採りに今年も出掛けて来ました。「マウントジーンズ那須スキー場」に行く途中にある知人所有のフキ群生地に向う車内では、久しぶりの山菜採りに心が弾みます。

先ず、地主さんの所に立ち寄り、年に一度、この時だけの顔出しをし、ご無沙汰の挨拶と世間話を少しして出掛けようとした時、「ちょっと待って!言うの忘れてた!」と引き留められました。

「あのな~、この間下の方に熊が出たんだど~。まぁおしゃべりをしていれば大丈夫だと思うけど、気をつけてな~!」と軽~く言ってくれたが、私には重~く不安です。歩いている時もフキ採りをしている時も、ずーっと挙動不審者の様に周りを気にして落ち着かない・・・。お友達の持って来たラジオを大音量でガンガン掛けていても不安です。

▲フキ採りに夢中になるとつい無口になり、おしゃべりの熊除けは無理と分かりました。

お友達2人を見ると、フキ採りに集中していておしゃべりどころではない様子で「おしゃべりの熊除け」は無理だと分かりました。出るかどうか分からない熊に怯えながらのフキ採りも2時間ちょっと経った頃「沢山採れたからもう帰ろうよ~!」と、いつもは最後まで採っている私から言い出しました。

帰りの道すがら「去年まではイノシシの心配していたけど、今年は熊で怖さ倍増だね!」と無事帰途につきました。車内では、熊からの緊張が解け、いつものフキ採りとは違った疲れがどっと出ました。

6月27日 枝豆の種まき 7名参加

明日の予定でしたが、一度雨が降ると畑の土が湿って作業がやりにくいので、土が乾いているうちにやってしまおうと仲間達と相談し、今日の午後にやる事になりました。

▲明日の予定を変更して急きょ始まった枝豆の種まきですが覆土が乾いて捗りました。

覆土が乾いていたので思いの外仕事が捗りました。最後に「防鳥ネット」を張るのですが、何度も使っているのであちこちに穴が開いている・・・。それを見て「あらら~困ったな?」と言うと、繕いもの上手な仲間が、テープで取りあえず穴を塞ぎ、作業終了です。

▲ネットの穴をグリーンテープで繕ったはずでしたが・・・。

7月11日 枝豆苗の定植 10名参加 

毎年この時期になると、天気が不安定で気が揉めます。昨日作業の予定でしたが、この所雨が多く、畑の土が湿っていたので今日になりました。昨日も夕立があり土の状態が心配でしたが、何とか植えられそうなので、9時頃から作業を開始する事にしました。

実は10日程前の事ですが、「今年もハトが入ったらしいよ?」と苗床の様子を見に行った仲間から報告がありました。いつもは出口が分からず右往左往しているハトを逃がしてやったそうですが、今回は姿が見えない。無事出られたのかな?と思って苗床の陰の方へ行くと、羽毛や羽が散乱していたとか・・・。そして周りを探すと、ハトらしき鳥が痛ましい姿で横たわっていたらしい・・・。

▲複数人でネットをかけて作業します。

この話を聞いて仲間達は、ハクビシンとかタヌキと言っているが、私は毎日この辺をうろついている野良猫を見掛けた事があるので、その猫の仕業に違いない!と言い張りました。

今朝はまっ先に苗床に行き、作業が始まる前に、ハトが入ったと見受けられるネットの穴を確認し、検証しました。ネットの穴は開いていたのか、開けられたのか定かではないが、ネットの中で争った跡の無い事から、ネットの穴の外側に身を潜めて待っていて、出て来た所を不意をつき捕まったのかも・・・と推測しました。

▲ネットにはハトらしき鳥の羽根が多数・・・。

いつも来ていた厄介者のハトさんかな?と思っても何故か痛ましく思います。むごたらしい現場は、第一発見者がその日のうちにきれいに片付けてくれたとか・・・。皆さんの目に触れる事なく助かりました。

さて、全員集合したようなので「枝豆定植」の作業開始です。仲間が作った道具で印を付けるとその後から枝豆の苗を植えるのですが、皆さん手慣れたもので、さっさと植えています。11時頃になると雲行きが怪しくなって来て雷がゴロゴロと鳴り出したので、慌てて終わりにすると間もなく雨が降り出しました。

「雷は怖いからネ~!」と急いで帰り支度ををしながら口をそろえて「お湿りに丁度良かったネ~」と植えた後の雨は「恵みの雨」になりました。

▲暑い中ですが美味しい枝豆を思い浮かべて頑張っています。

8月になると、それぞれの持ち分に名札が付き、早速「草が小さいうちに~」と畑仕事に来ている人がいました。「これからは暑くて大変だけど、美味しい枝豆の事を思うと頑張れるよ!!」と仲間の皆さんは張り切っていました。(那須店 高久タケ子)

▲それぞれの持ち分に名札が付き思い入れ倍増!

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長野◆蓼科/戦時中でも中止されなかった「御柱祭」【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2021年8月7日

昨年から始まったコロナ感染症の拡大に各地の行事やお祭りの縮小や中止が相次いでいます。長野県諏訪地方でも毎年お盆の「諏訪湖湖上花火大会」が昨年は中止、しかし今年は連日連夜、約10分間、約500発を打上げるとの発表がされました。

そして待ち遠しいのが、令和4年の7年ごとの天下の奇祭「御柱祭」。開催を心配していましたが、4月「山出し」、5月「里曳き」に向け、各地区の役員等での柱の見立てなど着々と準備が進められ、八ヶ岳山麓のモミの大木(上社8本)御用材が決まりました。

▲上社の「木落とし」。

八ヶ岳山麓3市町村と諏訪市の半分が諏訪大社上社の担当する柱で、私が東京から移住して今回で9回目を迎え、今回も上社の「曳き子」として参加しようと思っています。

下社の「木落とし」は、最大斜度35度、距離100メートルを御柱の大木に氏子が乗って豪快に滑り落ちる様子がテレビ等で放映されて全国的にもよく知られていますが、上社も「木落とし」や「川越し」など、勇壮そのものです。

平安時代から約1200年の歴史を持ち、織田信長の諏訪大社焼き討ちの時も、戦時中でも中止されなかった「御柱祭」。このお祭りは「人を見るなら諏訪の御柱」と言われるほど三密、飲酒の世界です。コロナ禍でどのような祭りになるのか、興味深々です。(信州蓼科エリア案内人  星野 登美夫)

▲上社の「川越し」。

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諏訪湖の花火
https://suwako-hanabi.com/kojyou/
式年造営御柱大祭・諏訪大社【公式ページ】
http://suwataisha.or.jp/onbashira.html

御柱の本・ガイドブック

栃木◆那須/醤油作りの仲間が増えました【那須高久・里山日誌りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2021年7月7日

▲去年の諸味大豆が分解され色も濃くなって来ました。右側→今年届いた諸味でまだ香ばしいにおいがします。

4月28日(水) 醤油諸味届く

今年もつくば市の「沼屋本店」から醤油諸味が届きました。車に乗せて持って来た諸味を我が家の桶に移し換えながら「あのな、この醤油は丸大豆のたんぱく質が分解してアミノ酸になり、小麦のでんぷんがぶどう糖に変わり、醤油のうま味や香りの成分になるんだよな」「俺らは、かき混ぜの仕事を手伝うだけで、あとは自然がやってくれるんだよ」「自然って良い仕事をやってくれるよな~大したもんだ。ありがたいね~」と呟く様に毎回教えて下さる。そんな「沼屋本店」の4代目は私の醤油の師匠です。

いよいよ新旧2本の桶が並び醤油諸味の撹拌(かくはん)作業が始まります。発酵の時に出るガスを抜いて新鮮な空気を入れてやるだけの単純作業なのですが、今年は何故か無気力でかったるい。

コロナ禍の影響でイベントや食事会等が無く、お醤油の出番も全く無い。そんな訳で私の張り合いが無くなって来たらしい。長~い自粛生活で急に人恋しくなり醤油作りの話ができる仲間が欲しくなりました。

▲皆さんにお届けしたお醤油作りセット。お醤油の菌は空気が大好きで、発酵の時に出るガスを抜いて新しい空気を取り込んでやるのが手入れの仕事です。初めての「試み」皆でお醤油作りを楽しみましょう!

「そうだ!発酵食品に興味があると言っていた鎌倉に住む次女に送ろう!」と身勝手な思い込みで都合も聞かずに黙って送り付けてしまいました。

荷物を受け取った次女は箱の中央に「横転注意!!」と書いたビンがあり、見た事の無いドロッとしたものが入っていたので一瞬「何だろう?」と思ったとか・・・。しかし先頃醤油諸味が届いたという話を思い出しその流れから考えると「醤油諸味?」と気付いたそうです。

その後電話で話をすると「私の部屋、味噌と醤油の醸造蔵?になっちゃうよ?!」と言われ味噌仕込みの時ほど、心なしか声が弾んでいませんでした。

気落ちした私は半ば諦め心で、その事を知人に話すと「お醤油作り?やってみたいな!」と嬉しい事を言って下さいました。東京と那須を往来している方なので「明日東京に帰る」というご主人にお持ち帰りしてもらいました。とっても喜んでくれたので気分が良くなり、もう少し仲間を増やそうかな~なんて考え始めてしまいました。

数日後「お久しぶり~」と味噌作り仲間のご夫婦がやって来ました。たわい無い話の途中で醤油作りの話をすると「うわ~やってみたい!」と言ったので即、決定!!

諸味の入ったビンを持ち帰りしなに「味噌作りだけでも喜んでいるのにお醤油まで作れるなんて楽しみが増えて嬉しい!!」と喜んで帰られました。

▲「混ぜ混ぜ」のスプーン付きです。

それを見て「えーっ!そんなに嬉しい事なの?」と思うと更に弾みがつき4人目が思い浮かんだ。小さい頃からお母さんと一緒に味噌作りに参加している幼稚園の年長さんの男の子で、声を掛けると男の子のお父さんが「是非体験させたい!」と言ってくれたので決定です。

すぐにお届けするとお母さんと男の子と双子の弟さん達と4人で迎えてくれました。「お醤油作りお願いね?!」と手渡すと早速3人で「混ぜ混ぜ」が始まりました。

▲男の子3人で早速「混ぜ混ぜ」が始まりました。

もう1人は96歳になる私の叔母さんで、私が醤油作りを始めた頃、良く昔の醤油作りの話をしてくれました。最近は息子さんのお世話になっている叔母さんに、昔を思い出して元気になってもらおうと届けると「これな~に?」と不思議そうにしみじみと眺めています。子供の頃夜になると母親に連れられて家の裏にある納屋に行き醤油諸味をかき混ぜている間、提灯を持って母親の手元を照らす手伝いをした、と何度も聞いた覚えがある・・・でも叔母さんの記憶に残っているのは、大きな醤油桶をかき混ぜる母親の姿で桶の中身は見たことが無かったのかも知れません。

予定通り5人の方にご協力頂く事になり、取りあえず「試み」に育てて頂いて最後に皆で生醤油の味見をし、お疲れ様のお祝いをやりたいと思います。ひょんなことから思わぬ方向に話が進み醤油作りの仲間ができて楽しみが増えました。(那須店 高久タケ子)

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長野◆青木/益々精進したいと思います【東信州あおき・小県からの手紙】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・上田青木店 / 山本 幸哲

2021年6月3日

5月、朝、車のフロントに霜が付かなくなり、日中も暖かく、春めいて来たと思ったら、梅、桜、花桃、黄梅、芝桜などが一斉に咲き始めました。里山では、新緑が日毎に進み、山桜と相まって、絵のような風情を漂わせています。

この時期になると、わが家の食卓は、コシアブラ、タラの芽、ウド、コゴミなどの天ぷらやワラビの卵とじ、コゴミやワラビのおひたし、ウドの煮物、タケノコご飯と、ほとんどが、野山で採れた物で賑わいます。今年は植菌しておいたシイタケも大量に採れ、干しシイタケ作りも出来ました。

五月中旬頃からは、ふきの茎やタケノコ(破竹)採り、秋の松茸、ナメコやクリタケ採りと楽しみが続きます。四季を通じて自然の中で遊び、その恵みを味わい尽くす。その楽しさを「田舎暮らし」をお考えの皆さんにお伝えできるよう、益々精進したいと思います。(上田青木店 山本 幸哲)

岡山◆岡山/晴れの国・岡山からお知らせします【地域スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 岡山エリア案内人/ 渡邊 治道

2021年5月30日


早いもので、コロナ、コロナと日本全国、いや世界中で被害が出始めてから二年目に突入していますが、光明は遥か彼方と思えてなりません。政策に一喜一憂して国民はどのように日々過ごせば良いのやら模範解答が有れば御教授願いたいですね。

当地、中国地方の岡山県で、業務の一端をお手伝いさせていただいて早いもので四年目となり、多少為りとも貢献出来ているのかどうか不安の毎日を過ごしております。ここ岡山県、通称は「晴れの国・岡山」と呼ばれます。瀬戸内海に面して魚介類が豊富、県北部は西の軽井沢と呼称される「蒜山(ひるぜん)高原」が有ります。

中心部は温暖なので「フルーツ王国」といわれ、春夏秋冬果物栽培、穀物野菜が収穫でき、非常に過ごしやすく「天変地異の災害が少ない県」と言われております。是非一度「晴れの国・岡山」へおい出まぁせ。

ちなみに近年話題の「もんげーバナナ®」も岡山で作られた皮ごと食せる無農薬バナナです。多少値段が割高感(一本当たり5~600円)は否めませんが、量産化で将来は安価な価格へと予定されています。

「桃太郎」、「ヤマトタケルの命」、歴史文化も豊富で、お奨めします「晴れの国岡山」へおい出んせぇ。(岡山エリア現地案内 渡邊 治道)

 

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農業法人 株式会社 D&Tファーム 岡山もんげーバナナ®
http://mongeebanana.com/
※岡山もんげーバナナ®は岡山産の無農薬栽培バナナです。

栃木◆那須/今年も味噌作りの季節、色んなことが起きてます【那須高久・里山日誌りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2021年5月12日

3月27日 味噌作り 1日目

このイベントを始めて24年目になります。そしていつの間にか恒例行事になり、毎年参加の皆様はこの時期になると、楽しみに待っているそうです。今年も新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、密を避けて家族単位の作業で手際良く素早く終わらせました。

暑いくらいの素晴らしい天気に恵まれ、仕込み作業が捗りました。私の「田舎料理」が大好きという男の子が、今年もお母さんと一緒に来ました。「サァ~始まるよ?!」とお母さんに促されると大きな手袋をはめた手で桶に中の煮大豆、こうじ、塩を良~く混ぜ合わせ始める・・・もう何度もやっているので慣れた手付きでお手伝いをしています。

▲常連の男の子?は大きな手袋をしてお母さんのお手伝いです。

最後に男の子の頭程もある「味噌玉」を作ってもらい、それを桶の中めがけて「えい!」と打ち付けて空気を抜く作業になると何度もやっているうち疲れたのか、的を外れて投げようとしたのを隣にいた人が見つけ「桶を見て!」と叫び間一髪でセーフでした。

▲家族単位の味噌仕込みもご夫婦仲よく手際良く作っていました。

それぞれが自分の味噌を仕込み終えると、私の作った「田舎膳のお弁当」と栗おこわ、そして心ばかりのおみやげを大事そうに胸に抱き、帰る姿を見送る時の私は至福のひとときです。 その後ひと休みをして夜7時ちょっと前の頃、台所で明日の準備をしていると、何となく外が気になり、テントの方を見ると真っ暗闇の中オレンジ色の炎が上がっている!?

はじめ何の火か分からず、近くに行ってびっくり!大豆の入っている大釜の下のカマドの中が燃え、上に掛けておいたブルーシートに移り、溶けて垂れ落ちた火が、近くにあった豆殻の入ったプラスチックのカゴに燃え移りえらい事になっている・・・驚いた私は「水!水!」とうわずった声を上げて叫ぶと、我が夫は水道からホースを引っぱって来て消火してくれました。

よ~く考えてみると、明日の朝、直ぐ火を点けられる様にと、カマドの中に焚き付けや豆殻等を入れて準備し、すごく気を利かしたつもりでいたが、カマドの中に残り火があったらしく燃え上がってしまいました・・・反省しています。

3月28日 味噌作り 2日目 

朝から曇天で今にも泣き出しそうな空模様に、「午前中だけでも降らないでー」と祈る様な気持ちでいましたが、皆さんが集まり始めると・・・雨が降り出しました。ただ、今日は我が家といつもの仲間と、都合で参加できなかった人達の分なので直ぐ終わりました。今年の味噌作りも無事終わり、ほっとひと安心。来年こそは大声で笑える味噌作りイベントが出来ることを祈ります。

▲田舎膳のお弁当。男の子は私の作る田舎膳のファンらしい。嬉しいです。

鎌倉に住む次女から「こんな木桶があるんだけど、味噌作りに使いたかったんだー」とLINEで写真が送られて来た。昨年あるイベントで木桶職人と知り合い、「味噌仕込みに良いなー」くらいの軽い気持ちで立派な木桶を買って持っていたとか。

しかし去年も今年も新型コロナの影響で帰省することができず、直射日光とエアコンの風のあたる木桶には最悪の場所で飾り物になっていたらしい・・・それではと急遽、仕込んだばかりの味噌と私が昔から(50数年前)使っていた重石をお供に入れ宅急便で送りました。

娘は木桶の使い方を調べて一晩水を張ってタガを締め準備をして待っていたらしく、届くとすぐおままごとの様な「味噌仕込み」をやったと連絡が来た。しかし私の目分量がぴったり過ぎ?!でほぼ口ぎりぎりで中蓋を載せると味噌の神様の重石が入らなーい!と言って来た。その後一部取り出してタッパーに移したその写真を見ると、蓋の上に重石が載っている・・・それを見て重石の役目を伝えると「わかった!やり直す」と言ったきりでその後どうなってことやら・・・。

一つ一つ教えるのは面倒だが、私のやっていることに興味を持ってくれたと思うと嬉しいです。昔「サボテンを枯らしちゃったー」と言っていた娘が「味噌を育ててみたいんだけど大丈夫かな?」と心配していたので「しっかり重石をして涼しい所に置けば、自然が育ててくれるから手間入らずだよ」と味噌を育てる気持ちを持った娘にエールを送りました。(那須店 高久タケ子)

▲「味噌の神様の居場所が違う~ !!」味噌を仕込んで娘の宝物になった木桶です。

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