長野県といえば別名「信濃国」で親しまれていますが、この「しなの」という地名、いったい何に由来しているのでしょうか。
説は大きく二つあります。ひとつは「科(しな)の木」に由来するという説。
古来この地一帯には、科の木が広く分布していたとされます。繊維が丈夫で、手綱、布、船舶のロープや合板など多岐に使われ、身近な素材として役立ってきました。江戸時代の国学者・谷川士清(たにがわことすが)の著書『日本書記通証』にも「科の木この国に出づ」と書かれています。
二つめは、急坂を意味する「科(階)」が多いからという説。
ご存じのとおり長野県は山がちの地形であり、盆地どうしを行き来するには峠越えが付き物でした。一説には峠の数が500以上とも言われています。江戸時代の書物『信濃地名考』によれば、賀茂真淵(かものまぶち)は「山国にて階(しな)坂(さか)あれば地の名となりけむ」と説いたそうです。
「更科」、「蓼科」、「埴科」、「浅科」などなど、確かに長野県内の地名には「科」が満ち満ちています。安曇野市にも「明科」、「豊科」がありますが、「豊科」の由来はちょっと変わっています。もともと「豊科村」は明治期に周辺の村々が合併してできたのですが、その元となったのが「鳥羽」・「吉野」・「新田」・「成相」。
もうおわかりですね。そう、なんと各村名の頭文字をつなげた合成地名だったのです。いかにも信州らしい「科」で締めた地名で、そのうえ音も字面も瑞祥地名さながらの整いっぷり。これはよく考えたものだと感心します。(本部・安曇野担当 大澤 憲吾)
「安曇野豊科」はここ!