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山梨◆八ヶ岳/新年によせて~縁を結ぶ【所長・新年のご挨拶】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2024年1月1日

▲今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「この夏の星に向けて、皆が、今、空を見上げる」(辻村深月)。

2023年は5月以降それまでのコロナ呪縛から解放されたかのように人々の動きが各方面で強まった年であった。

そんなおり7月の週末に東京有楽町で山梨への移住組織である「山梨甲斐適生活相談会」がリアルで開催された。実に3年ぶりのことである。

私は4月からその会を運営する「富士の国やまなし移住・定住交流推進協議会」の「移住・定住推進部会長」に任命頂き、相談会でご登壇いただく小学校の校長先生に事前の挨拶を兼ねて県庁職員とともに甲府市内の学校を2校訪ねる機会があった。

そのうちの1校ではひととおりの打ち合わせを済ませると、校長先生のご案内で校内を見て回ることができた。

現在、山梨県の公立では25人学級を推進しているが、この私立小学校ではひとクラスあたり2人の教師が受け持っているようだ。

教室を仕切る廊下はなく(通路はあります)、向かい側に先生方のブースがあり教師も児童たちに見られる位置にあるのが面白かった。

授業参観する親であったころを懐かしく思い出していたのだが、笛吹川の河岸段丘をモチーフに社会科の授業をしていると思ったら算数の話しであったとか、書道の授業では孔子の「子曰く」の論語を50文字近く書き連ねる児童もいたりして、いやはや実に感動したひとときであった。

同行した職員から卒業生の話が出たときに校長先生は「今年の大河ドラマに出ている『リヒトくん』知っていますか?」と尋ねられた。

徳川家康四天王のひとり井伊直政(菩提寺は静岡県浜松市の龍潭寺(りょうたんじ) で私もほんの少しご縁のある方)役で出ていた小柄で魅力的な役者だ。彼は小学生の時に入学してきたという。

山梨において徳川と北条の最後の激戦地が現在の北杜市須玉町。その「獅子吼城(ししくじょう) 」の地で終戦に奔走したのが直政であってその意味でも彼は最適役といえた。

戦なき世を目指しつつ、この2024年も皆様にとって素晴らしい一年になりますように。(代表取締役 中村 健二)

東京◆本部/地方移住を取り巻く環境の変化について~グリーンツーリズムから少子化対策へ~【静岡生まれ山梨県人・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2023年4月3日

▲『月刊ふるさとネットワーク』創刊号(1991年~2012年)の保存版。

わたしがふるさと情報館に入社したのは1995年のことだった。いまから28年ほど前になる。

その年の1月には阪神淡路大震災があり、入社の一週間前には地下鉄サリン事件が起こった。バブル崩壊後の景気後退は誰の目にも明らかで社会情勢も混沌としていた矢先のことだった。

そんな中、地方不動産を専門に取り扱うこの会社は常に時代の要請に応じてきたように思う。

会員向けの情報誌の毎月発刊と不動産実務、各地の団体と提携しながら都市と農村を結ぶ当社の基本的な姿勢は、インターネット全盛時代の今日、膨大な販売チャネルが拡散している中でも継続されているのだ。

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当時のエピソードを一つ。

ある百貨店が陶芸家の作品の展示販売をしている会場に我々も乗り込んでブースを出店した時のこと。

情報誌の購読会員を募ったものの、陶芸作品に興味ある方々であっても陶芸に適した田舎の場所探しをする人はいなく、結果的には一人の会員も得ることができなかった。

田舎探しは自分探し。人から勧められてやるべきものではなかったのだ。

▲「民話の里」岩手県遠野市に数多く残る見事な古民家。

そののち旺盛なエネルギーを持つ会員の方々によってわれわれの提唱するグリーンツーリズムが評価され、毎日新聞社本社の「グリーンツーリズム大賞」に選ばれ表彰された。

それは「ラーバニストのみなさんの勝利でもあった。

▲中山道の古き街道文化を感じる長野県佐久市の日本家屋。

その前後に当社が中心となって全国に広がりつつあった利用されない古い日本家屋を現代に蘇らそうという、民家再生の全国組織(NPO日本民家再生リサイクル協会・現 認定NPO日本民家再生協会)が生まれその理事長には日本文化の伝統を継承する観世流の能役者が選出された。

この反響はすさまじく、社内の電話は数日間止むことがなかったほどだった。

「実家」の問題がマスコミによってクローズアップされ出すとNHKの取材班が山梨県北杜市の物件を取材に来るなどその対応に忙しい思いもしたし、「空家等対策特別措置法」が成立されるやいなや(2014年、平成26年11月)、空き家活用法の事例紹介で大学の市民講座や宅建協会の地方支部などで登壇したこともあった。

自治体の「空き家バンク」ではその立ち上げとともに地方移住やいわゆる二地域居住の実務、東京のふるさと回帰支援センター等で行われている相談会や協議会等の要請を受け、いま現在もリアルやリモートで参加させていただいている。

▲文化放送第7スタ。「大人ファンクラブ」毎週土曜日6:25~。(中村の放送回は毎月第4週目)

わたしの八ヶ岳事務所が所属している山梨県の官民協同組織「やまなし二地域居住推進協議会」(通称「甲斐適生活応援隊」)でも県内の自治体に応募して活躍する多くの地域おこし協力隊のメンバーたちとも知り合うことができた。

バブル崩壊→震災→実家のあり様→民家再生→空き家バンク→移住定住→二地域居住と、地方不動産を扱う我々の日常とそれを取り巻くキーワードは常に変化してきた。そしてコロナを経験した都市住民の地方志向はリモートワークとメディアの多様化等により今後さらに加速化していくことだろう。

さらには「少子化対策」としての田舎暮らしがこれからの新たな潮流として拍車をかける勢いだ。

そして昨年末の政府発表では、東京集中是正へ支援拡充との方針から、2023年度の地方移住支援金として次のことが挙げられている。
1、地方での起業に300万円
2、地方での就職に100万円
3、子供一人当たり100万円を追加
ただし、現在東京23区居住者か東京圏から23区への通勤者限定で、移住後5年間は居住するという条件がつけられている。

自治体によっては中古物件を購入する場合に購入補助金として100万円程も出る(金額はそれぞれ違います)。

▲甲府盆地の東側に位置する山梨県山梨市。文化財級の古民家が残り、それらを大切にする工務店や設計事務所など熱意も高い。

楽しみながら古家をリノベする方々も増えてきておりその過程を自ら情報発信している。動画サイトでも閲覧回数は軒並みうなぎ登り。そうした大きな社会の変化やうねりの様なものを肌で感じられるのが、実はこの仕事の醍醐味でもある。

我々はこれからも多くのラーバニストに支えられながら事業を続けていきます。そして3年ぶりに6月から各地で「現地見学会」を開きたいと考えていますので、みなさまどうぞリアルでご参加ください。(代表取締役 中村健二)

 

北海道◆北斗市/風の丘の住人と市の取り組みについて【いくぞ道南!所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2023年2月15日

▲藤山幸伸さん(「風の丘」カフェ内にて)。

「風の丘」の代表者は藤山幸伸(ふじやまゆきのぶ)さんだ。長年道南の運輸業に携わって来られた方で地元の名士でもある。札幌の運輸会社の函館営業所が独立する形で会社を設立し、2022年には創業30年を迎えられたという。

現在は北斗市(ほくとし)追分(おいわけ)の営業本部を中心として函館と北斗に拠点となるセンターを展開している。また、24時間営業という時間の枠も拡大し大手コンビニチェーンにも対応するなどこの道南地域の物流を底支えしてきているのだ。

その多年にわたる貨物運送事業の振興と発展に寄与した功績をたたえられてなんと昨年10月25日には国土交通大臣より表彰されてもいらっしゃる。

▲ログのカフェ内には薪ストーブも。

齢70歳を超えていらっしゃるというがとてもそんなお歳には見えない。趣味も多彩と聞く。その中で特に音楽もお好きなようで地元のFM 局にもゲスト出演されたことも。

わたしがはじめてお会いしたときに拝見したカウンターバーの一角にはLPレコードが壁一面に所狭しと並んでいた。ログハウスの壁のポスターに「おおーっ」と思わず叫び出すことも。東京の下北沢や京都の烏丸通りにあるカフェをなぜか思い出していたのだ。既視感であるとともに心地良さが漂っている。

北斗市(ほくとし)当別(とうべつ)縁あって土地を購入し仲間とともに3年かけて作り上げたログハウス。津軽海峡から吹く風の音を聴きながらの作業は何ものにも変え難い経験だったと藤山さんは話す。

「風の丘」はこのカフェのほかドッグランやキャンプもできる場所もある。近隣の別荘者のために薪も販売している(首都圏の方もいらっしゃいます)。ここを訪れる人たちは思い思いの休日を楽しんでいるのだ。

▲一棟貸しのゲストハウス。

また、ログのゲストハウスは1棟貸しも行っている。一泊一グループ2万円(特に人数制限はありません)。

▲タイニーハウス(コンテナハウス)。

藤山さんの会社で使われなくなった冷凍コンテナを有効活用するために、現在取り組んでいるのが「タイニーハウス」だ。寒冷地用に内装を仕上げ直した小さなコンテナハウス。6帖ほどの室内にはベッド、テーブル、トイレが付く。これにミニキッチンを付け加えれば紛れもない自分の城が完成する。

わたしはさらに一人用サウナ、ペレットストーブ、ウッドデッキを是非とも取り入れていただくよう提案している。サウナで火照った体を渡島半島(おしまはんとう)の雪の中に溶け込ませたいと切に願ってもいるのだ。

北斗市役所( 北斗市中央1-3-10 、電話0138-73-3111)。市章は山梨県北杜市とよく似ているのが面白い。

さて、この風の丘は北斗市内の緑化会社が売主となって販売してきた。そのため、公営水道を利用しながら配管はその会社の私設管だという。なので、現在でも水道加入金というものはないのだ(北斗市水道課)。2006年の合併以前の流れをそのまま引き継いでいるようなのだ。

さらに、下水道が使えない地域では合併浄化槽の設置だけでなく、メンテナンスも市が行うという。対象地域は市内のほぼ全域。こうした事業はわたしが知る限りでは全国的にもこの北斗市だけだ。ただしこの制度は別荘者には対象とはならない。あくまでも住民(新規移住者含む)だけの行政サービスということなのだが、これはスゴイ。

その北斗市で移住相談の窓口となっているのが総務部企画課だ。担当者は地元愛が強い方で彼女の移住二地域へ寄せる思いには頭が下がる。東京の有楽町にあるふるさと回帰支援センター(理事長は高橋公氏)での相談会にも積極的に出たいとおっしゃている。いつかまた、山梨県の北杜市とコラボできたらとわたしも考えています。

北斗市役所最寄り駅には北斗七星が輝く。

北緯41度の北の大地はいまとても熱い。真冬のこの時期ならではの銀世界へ一度来てみませんか。(八ヶ岳事務所・道南担当 中村健二)

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風の丘(URL:https://windhill-tobetsu.com/

住所:〒049-0282 北海道北斗市当別406

TEL : 090-3391-6284

アクセス:
●車をご利用の方
・JR函館駅から国道228号線を使って約35分(23km)
・函館空港から函館江差自動車道を通って約30分(33km)※北斗茂辺地IC出口より5分
・新函館北斗駅から道道96号線、国道228号線を通って約35分(24km)
・木古内駅から国道228号線を通って約20分(17km)

●道南いさりび鉄道をご利用の方
・渡島当別駅下車徒歩20分 ※ご連絡いただければ送迎致します。

★カフェ
【営業日】
土・日・祝(不定休あり)
【営業時間】
11:00~17:00(L.O. 16:00)
【座席数】
58席

★ゲストハウス
●北欧館(ツインルーム+リヴィング付)
1泊素泊り 8000円/人~
●ファミリーFor(シングルベッド4台)
1泊素泊り 5000円/人~

長野◆東御市〜小諸市〜御代田町/笑う仁王に福来たる【所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2023年1月28日

▲芸術村公園(東御市八重原)。

いまから25年以上前のことになるが、わたしがふるさと情報館に入社してしばらく経ったころの話だ。

長野県の東側・千曲川と鹿曲川(かくまがわ)の河岸段丘の上に広がる台地状の村に初めて足を運んだことがあった。その名は北御牧村(きたみまきむら)。

伸びやかに田園が広がり至るところに大小のため池がある。その台地は大きく八重原と御牧原に分かれており、役場のある八重原には温泉や芸術村公園、アートビレッジ明神館(みょうじんかん)といった宿泊施設などのほか、近くの村の分譲地の一角には懇意にさせていただいた料理研究家のお住まいもあった。

現在は隣接の旧東部町と合併して東御市(とうみし)となり三万人ほどが暮らしている。そこはまた東部湯の丸高原の南麓に位置した田舎暮らしの人気の高い地域でもある。

▲井上さんの経営するリサイクルショップ「エコ」(長野県小諸市与良町6丁目4、電話0267-26-6318)。

その当時ふるさと情報館の地域店で一緒にやっていた井上さんは、現在国道18号線より一本入った場所でリサイクルショップを経営している。今年開業20年目になるという。月日はあっという間に過ぎていくのだ。それでも移住された方とはいまもメールでのやり取りをしている。

「孫の写真を送ってきたよ」と井上さんは嬉しそうに話す。そのうち売却の話が出るかもしれんな、ということらしい。

リサイクルショップとは聞こえはいいが空き家の後片付けの方が多いという。固定客も少なからずいて昭和レトロなお宝探しに来る人もいらっしゃる。

▲「八ヶ倉(やかくら)」(小諸市加増179-13、電話0267-24-0205)。

「エコ」の近くにはパスタの美味しいイタリアンのお店もある。女性同士の会話がはずみ地元を中心に訪れる人も多いという。ゆったりとしてくつろげるのだろう。この小諸と御代田(みよた)にお店がある。

『田舎暮らしの本』のライター山本一典さんともお付き合いは長い。たまにわたしが取材された折、こんな特集をしたらどうですか?と編集者に話すことがある。できれば山本さんに取材をしてもらいたいと思っているので。

今年は東北の古民家特集を取り上げていただいたことがあった。お住まいの福島から岩手県遠野市までご足労おかけしました。

その雑誌の熱心な読者からこの秋、ご売却相談をいただいた。長野県の御代田町(みよたまち)に物件をお持ちだという。

その方のお話が面白くてなんと3時間以上も話し込んでしまった。10年余りの二地域居住で得たその人なりの田舎暮らしのノウハウだからだ。

▲ノートいっぱいに書き込まれた「御代田日誌」とでも呼べる日記は感動的ですらある。

いわく、『集落内ではあるものの地元に深入りはしない。付き合う人は同じ同好の志を持った人たち(具体的には薪ストーブの会など)。畑の収穫物を農協に出荷する。信州大学の聴講生となって長野市に通う。畑それぞれの土壌のPHを把握する(どこが一番良い立地かなど)。冬場の野菜の貯蔵方法を地元の所有者に聞くこと。

▲倉庫。

建物のリフォームでは土間に薪ストーブを設置する。壁を作りコンセントの数を増やす。オール電化にはしない。北側結露対策と防犯を兼ねて二重サッシとペアガラス。雨戸ではなく片手でひき下ろしのできるシャッターを設置。雨の日の作業やトラクター、耕運機、薪置き場としてコンクリ土間の倉庫を新設等々』。

「楽しみました」とはご主人の弁(この物件は本誌2022年11月号に掲載済み)。

▲真楽寺内エメラルドグリーンの池

そして物件を後にし、山懐にいだかれた真楽寺(しんらくじ)の境内に行ってみた。渾々と水が湧き出る池はエメラルドグリーンだ。神秘さをたたえている。

▲仁王様が柔和な顔で出迎える。

その山門には仁王像が二体。なんと右側の仁王様は笑っていらっしゃる。

笑う門には福来る。新しい一年は戦争も感染症も終結するよう祈らずにはいられない、そんな思いで東信州の名所を後にしたのだった。(八ヶ岳事務所 中村健二)

山梨◆八ヶ岳/ 努力を重ね、実を結ぶ ~ 新年に寄せて ~【所長・新年のご挨拶】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2023年1月1日

▲コロナ禍で沿道応援がずっと控えられていました。今年こそ全力で応援したいですね。

この三年間は誰しも内省の時間を過ごさざるを得なかったゆえに、甲子園の優勝監督が言った「入学式はおろか卒業式も満足にできなかった子たち」の躍動する姿に心を熱くした人も多かったに違いない。

ポプラ並木が黄色く色づいていたころ、わたしはたまたま出張していた仙台市で全日本大学女子駅伝を初めて応援した。

同郷のランナーが第一走者で出場していることを知り、競技場の芝生席と第一中継所で見届けることができたのだった。

わたしだけではない。遠路札幌や福岡から集まった選手たちを手拍子で迎える仙台市民の温かい応援は、走るという日々の練習ですら密になれなかった選手たちを思いやる気持ちが表われていたように思う。

沿道で応援する人たちの多くは感染対策をしながら極力声を出すような声援もせず、鳴り物もなく、二十六チームの選手全員が走り切るまで拍手を続けていた。その姿勢は「いいね」と素直に思えるものだった。選手だけでなく応援する人たちですら、「集う」ことがこの三年間は容易ではなかったはずだから。

第一走者の選手は浜松市立の中学校を卒業後、仙台市内の強豪校に進んだ。年末の都大路で優勝しスーパールーキーとして今の大学に進学した。その彼女がこの大会のリーフレットの中で、「努力は必ず報われる」と決意を述べている。

わたしも実は昨夏、浜松市の物件に関して彼女の卒業した中学校の前を車で何度も通過している。その「努力」はささやかではあったものの実を結んだ。

思えばぶっちぎりで区間賞を取ったランナーからお褒めの言葉をもらったようなもの、かも知れない。

雨だれに自分の齢を重ねてみれば、努力の月日は決してその人を裏切らないのだ。

さて、新年恒例の箱根駅伝。わたしの母校もなんと五十五年ぶりに予選会を突破し出場の機会を得ることができた。

かの陸上部から入学当初、入部のお声掛をいただいたこともあったが、それも今は昔。今年もテレビの前で全ての出場校を応援させていただきながら、皆様の新年のご多幸をお祈りいたします。(代表取締役 中村 健二)

▲本年もよろしくお願いいたします。

北海道◆北斗市/陸路北海道の玄関口へ 風の丘の住人と出会う~その1~【いくぞ道南!所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2022年12月14日

▲モダンな新函館北斗駅。

東京駅を朝6時台に出発する新幹線はやぶさ1号に乗れば北海道の新函館北斗駅には午前11時前には到着する。それは4時間20分足らずの時間だ。

その間、朝食を取り今日のスケジュールを確認し本を読み音楽配信を聴く。時々車窓に目をやり少しばかり目を閉じていると北海道に到着してしまうのである。

この新幹線駅のある道南の北斗市(ほくとし)とは以前、東京有楽町のふるさと回帰支援センターで(どういう理由かは定かでないが)山梨県北杜市(ほくとし)との共同移住セミナーをやったことがあって、わたしも山梨側の人間として参加したことがあった。その時私なりに感じた印象はとても好意的な市であったということだ。

▲駅構内にあるカフェ「41°」。この場所が北緯41度なのだとわかる。

北斗市も北杜市も風光明媚な場所が多く海の幸・山の幸の宝庫だ。

また、縄文時代の遺跡調査では(道南から北東北にかけてと釈迦堂から八ケ岳山麓にかけての)日本屈指の場所である。

そして先人の培ってきた教会(北斗市トラピスト修道院、北杜市清泉寮)が町のシンボリックな存在ともなっている。蛇足だが両方ともにソフトクリームが有名だ。

静謐な夜の星座と星空には両市ともゆかりが深い。人口はともに四万数千人。

▲北斗市トラピスト修道院とポプラ並木。

いっぽう違いも多くある。

山梨県北杜市は内陸性気候で冬場の晴天率が高く全国一の日照時間を誇る。北海道北斗市は函館湾に面した海洋性気候のため道内では比較的温暖な気候であるともいわれている。

北杜市に居住されている方は標高400メートルから1200メートルの山岳地帯で、北斗市は平野部の海沿いに人口が最も集中している。

北斗市に隣接し毎年7月に行われる函館マラソンはトップアスリートから一般市民ランナーまで人気が高い。いっぽう地元の中高生による北杜市の強歩大会は秋の伝統行事の一つだ。

▲観光客に人気の函館「やきとり弁当」(肉は豚肉です)。

▲朝市の海鮮丼は1500円から2000円ぐらい。この10月以降は特に賑わいを見せている。

買い物はともに特徴ある地元スーパーががんばっているものの、週末には函館市街地や甲府盆地に行かれる方も多い。

北斗市には巨大なセメント工場があるなど産業構造にも違いがある。北杜市にはミネラルウオーターの工場が幾つもあるがいずれも県外資本だ。

不動産の中古市場は別荘や移住者の再売りなどで北杜市の方が圧倒的にバリエーションは多い。北斗市の別荘はこれからというところだが新たな取り組みにその期待度も大きい。その期待のひとつが「風の丘」だ。

▲ 北斗市当別の「風の丘」。

全国に「風の丘」と名付けられた場所は数多い。福祉施設から公園、カフェ、道の駅、さらに樹木葬の墓地までそれこそ幅広く点在している。わたしが担当するエリアにおいても長野県佐久市、岩手県遠野市に「風の丘」がある。

いずれも幹線道路沿いの小高い場所であり田園と周囲の山々を見渡す、風光明媚な立地であり名所でもあるのだ。しかしながら今回ご紹介の北斗市にある「風の丘」はいささかことを異にしている。

▲ 眼下に函館湾。

函館湾に沿って国道228号線(松前国道)を西へ。当別(とうべつ)の漁港の手前を右折し道南いさりび鉄道のガード下をくぐって急坂の丘へ登っていく。なんとそこで一面開けた平坦な台地の上に出るのだ。津軽海峡を眼下に望むその場所はどことなく中世ヨーロッパの古城が建つ海岸沿いの風景をわたしに思わせた。

そこはログハウスが何棟か建ちテラスがありドッグランも喫茶店もある。港から餌を持ち帰ったミサゴの巣が鉄塔の上に作られている。

案内された室内は何と心地よいものだったか。薪ストーブも焚かれているここ北斗市はその後背地に豊かな山林を擁する丸太材の宝庫でもあり、次の引き受け手を静かに待っているようだった。奥の間にはカウンターバーも設えてあり懐かしのLPレコードのストックが壁一面にある。

そのオーナーは満面の笑みをたたえ、「ようこそ、わが北斗の風の丘へ」と私を迎えてくれたのだった。(以下つづく)(道南担当 中村健二)

宮城◆加美町/鉤形(クランク)街道と薬莱(ヤクライ)富士【いくぞ東北!所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2022年11月17日

▲加美町の音楽の殿堂・バッハホール。

江戸時代元禄期に松尾芭蕉(1644年~1694年)が陸奥国府(みちのくこくふ)から出羽国へ奥の細道を行脚した仙台出羽街道(現在の国道47号線)はその当時整備されたばかりの、いわば新品の街道だった。くに境の「尿前(しとまえ)の関」は随一の難所ではあったものの、霜月初めまではくに境・鳴子(なるこ)の一級の景勝地として旅人の疲れを湯治場で逗留して癒すにはふさわしい場所だったに違いない。

その一本南側を走る街道が今回の舞台となる中羽前(うぜん)街道なのだ(現347号線)。このルートを使って出羽の大石田河港経由尾花沢から仙台へ向けて北前船による上方物の着物や松前物(北海道)の昆布・海産物などの交易が江戸時代を通じて頻繁に行われてきたのであった。加美町は内陸にあって日本海と太平洋を結ぶ交通の要衝地であったのだ。

当時仙台藩の関所はくに境に夏場だけ軽井沢番所が置かれただけだったが、ここが主要街道であった痕跡が実はいまもなお残っている。347号線を車で行けばすぐにわかる。ひと言でいえば走りにくい。出入りがしにくい。なぜなら町中を走る国道が鉤形なのだ。

こうした事例は山梨県甲府市の国道411号線にも見られる。武田信玄の時代以降に作られた街道筋で、ここも鉤形になっておりいまも大型バスがすれ違うのが難儀する隘路(あいろ)となっている。以前山梨学院大学の法学部の招きで空き家活用術の話をしに行った時に車で通ったことがあり、その時わたしはへんに感心した覚えがある。

▲加美町小野田支所。

▲鳴瀬川が街道と平行に流れる。

さて加美町小野田支所あたりは番所の代わりにこうした隘路、そして街道とほぼ平行に流れる鳴瀬川沿いの一角に伊達家重臣として知られる奥山家に代々仕えた松本家の旧家も建っている。

18世紀半ばの建築時期と見られるこの武家の住まいは手斧がけの柱と梁、竈のある土間と執務と住居を分けた民家のひとつであり、侍屋敷としてもかなり古い時代の遺構。真壁と大壁の使い分けも見事だ。現在では国指定の重要文化財であり質実剛健な構えの中に粋な内装をのぞかせて一見の価値がある(見学は無料)。

▲松本家旧家

▲竈の土間。

▲奥座敷。

この通りと川の両方向に目を光らせる立地はさすがとしか言いようがない。さらにその当時から鳴瀬川の河川が切り開いた肥沃な平野部は周辺地域屈指の穀倉地帯として発展していく。まさに仙台の奥座敷として隣接の岩出山(いわでやま)と共に現在も名を成している。

▲旧道にある公衆電話ボックス。

さらに、国道347号線を左に折れて山に向かっていく。その正面にあるのが薬莱山(やくらいさん)(標高552メートル)だ。その麓はスキー場となっている。地元では「薬莱富士」と呼ばれている。私が行ったその日は天気も悪く霧に霞んでいた。

▲整備された加美町の圃場。加美町は豊かな自然環境の中で世界農業遺産「大崎耕土」に指定されている。

その景色はどことなく富士五湖の本栖湖から静岡県の朝霧高原・まかいの牧場へと向かう西富士道路を走っているような錯覚がしたのが不思議であった。

▲やくらいガーデン。

温泉、地ビールそして「やくらいガーデン」(入園料800円)。高原にふさわしいリゾートアイテムが満載だ。ここなら一日中楽しめそうだ。特にやくらいガーデンは春先から11月まで営業していて、広大な敷地内にはバラ園やハーブガーデン、レストランもある。春の水仙と菜の花、夏のバラ、盛夏のころのひまわり、秋はケイトウ、サルビア、バーベナのじゅうたんが敷き詰められている。

加美町は中新田町(なかにいだまち)のバッハホールと山付きの別荘地だけではなかった。今回の取材では旧街道筋と農業遺産である耕土、そして薬莱山リゾート地と多様な顔を見ることができた一日だった。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

宮城◆仙台/船岡周五郎の樅(もみ)ノ木は残っていた【いくぞ東北!所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2022年10月24日

▲船岡城址公園。

春まだ浅い3月の末に仙南地域の物件調査ともう一つの目的があり仙台市中心から4号線を福島方面へ南下したことがあった。10日ほど前の地震がいまだ話題にもなっていたときだ。

長町(ながまち)を過ぎ名取市に入る。左折すれば仙台空港へ通じている。さらにその先岩沼市に入り6号線と交差しながら白石川(しろいしがわ)沿いを行けば、巨大な製パン工場が現れる。そこは花の町で知られる柴田町(しばたまち)だ。54平方キロとこじんまりとした町に3万7千人ほどが暮らしている。町の花は「さくら」。白石川沿いの8キロにも及ぶ花回廊は圧巻だ。そして町の木は「もみの木」。

白石川、東北本線、阿武隈鉄道に囲まれた川の右岸は城下町の風情がいまも色濃く漂っている。目線の先にあるのが今回の目的地の一つである船岡城址公園だ。遠い記憶の彼方にあって、いまもどこかで気にかかるその場所はわたしのすぐ目の前にあった。

1970年(昭和45)は大阪で大規模な博覧会が開かれていて、特にアメリカの宇宙飛行士が月面から持ち帰ったという「月の石」を一眼見ようと連日超満員の活況をみせていた。

私たち小学生はマットの上で飛び跳ねたりしながらアポロ11号から月に降り立ったアームストロング船長のまねごとを繰り返していたように思う。

▲東北本線船岡駅

▲船岡駅前のホテル

地元の鉄道会社に勤務していた父はもうほとんど家にも帰らず、会社と万博会場を往復していた。その父がたまの休みにうちに帰ったときに見ていたのが、その年NHKで放送されていた大河ドラマ「樅ノ木は残った」であった。徳川4代将軍家綱の治世、仙台藩62万石を揺るがしたいわゆる伊達騒動を描いた作品で原作は山本周五郎。主人公は伊達藩船岡館主(たてぬし)原田甲斐宗輔。

中卒ですぐに働きに出たわたしの父は文学の素養もほとんどなかったと思われるがドラマの最終回に画面に向かって深く息を吐いていた。それはわたしがこの年までどこかで引きづってきた父の数少ない記憶でもあった。

山本周五郎は1967年(昭和42)2月14日(火)に63歳で急逝する。その最晩年の4年間を身近で身辺の世話をし原稿整理まで任されていた女性が、山梨県北杜市にいらっしゃる。齢80歳をゆうに超えたいまもすっきりとした姿勢でなぜかわたしのことを「恩人」だと言ってくださり、「(周五郎)先生のように肉中心の食事ではダメですよ。60を超えたらね」とアドバイスもされる。

その彼女が有隣堂の関係雑誌に周五郎の横浜・本牧にあった仕事場「間門園(まかどえん)」を引き払うまでのほぼ3ヶ月間にわたる日記を昨年12月号に寄稿している。「私は今、八ヶ岳山麓の小さな庵で山本周五郎先生の仕事場にありました品々を傍に暮らしています。」(「えりないと」2021 No.36)

▲船岡城址公園の周五郎文学碑(書はきん夫人による)。

2003年にDVD として発売された「樅ノ木は残った」総集編を観た後、わたしが「城址公園の文学碑はテーマ曲の映像に出てくる能面に似ていました」と電話をすると、彼女は少し喜んでくれたようだった。

▲「樅ノ木は残った」(新潮文庫)とDVD。

主役の原田甲斐を演じる役者の一徹に信念を貫きながらもどこか寂しげな表情は全編を貫いているが、先生はどう思っていたんでしょうかとのわたしの問いには、「自然は厳しいものだけれどそれだけではないんです。山に遊ぶことがなければこの小説はなかったと思いますね」とキッパリ言われる。

ある事件があって直木賞をはじめすべての文学賞を辞退した周五郎の評価はその後の読者にこそ委ねられた。そして周五郎の代表作の多くは50歳を過ぎてから生み出されている。

▲雪を抱いた遠くの山並みが蔵王連山。

東北の3月は春まだ浅く、川沿いの「ひと目千本桜」のつぼみは硬いままだった。これからわたしが向かうその先の蔵王連山もまだ雪深い。それでも大河ドラマの最終回に伊達家家臣で逆心とされた畑与右衛門の遺児・宇乃を演じた吉永小百合が、庭に残された樅ノ木に寄り添い抱きしめる姿に、わたしも一人息を漏らしていたのだった。

そして【「ながい坂」は僕の最高の作品だから五十を過ぎたら読むように。】「間門園日記」より

人が集いあうことが難しいいまの世の中においてこそ、ひとり静かに秋の夜長を過ごす時間を作ることも必要なのかもしれない。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

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船岡城址公園
所在地:宮城県柴田郡柴田町大字船岡館山95-1
アクセス:JR船岡駅下車 徒歩約15分
駐車場:あり
※詳細は柴田町HP(https://www.town.shibata.miyagi.jp/index.cfm/78,26972,151,html)まで