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秋田◆秋田/東海林太郎~完~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】 

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年12月15日

▲東海林太郎(秋田の赤い靴と背中合わせに建っている)。

辺境の地に左遷された太郎はやはり音楽をやろうと退職して東京に帰りバックコーラスをしていたが、ソロの代役で見いだされてNHK主催のコンクールで入賞し35歳で歌手の仲間入りをした。

『赤城の子守唄』(1934)がやくざの歌と思った太郎は断ったが、作詞の佐藤惣之助から「国定忠治は貧農の味方だ」「この歌は男がなく歌だ」と説得されて心が動いた。

太郎は「私にとっては赤城の子守唄もシューベルト等の歌曲も、歌にはいささかの区別もない。どうしたらこの歌の心をつかめるか、歌の美しさに迫ることができるのか、それだけを考えて歌うと直立不動にならざるを得ないのだ」という心構えでいつも歌っていた。

この年に歌った『国境の町』は満州の荒野に思いを馳せて歌い爆発的なヒットで完全にスターダムにのし上がっていた。

太郎が浅太郎役の舞台で背負っていた勘太郎役は子役の高峰秀子だったそうで、後に可愛さのあまり母子で東海林家に招かれて同居し、養女にと懇願されたが断ったと高峰秀子の自伝にある。

当時は国民服が強制された。燕尾服は敵国の服だから駄目だと言われたが洋服は西洋の服だ、燕尾服は最高の儀礼用だと断った。

太郎の座右の銘「一唱民楽」は尊敬していた宮本武蔵の「一剣護民」からで、常にお客さまが例え一人の時でも歌うという信念で直立不動、一尺四方を自分の舞台としていました。(1972逝去73才)

♫ 橇の鈴さえ 寂しく響く 雪の曠野よ 町の灯よ〜 (秋田駐在 片山保)

※2023年10月号掲載『秋田の赤い靴

※2023年11月号掲載『東海林太郎~その1~

福島◆会津若松市/会津の紅葉【地域駐在スタッフ・福島「六十の手習い」だべ】

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2023年11月24日

▲只見線紅葉

磐梯山周辺、他会津各地それぞれ紅葉の名所が在りますが全国的に有名なのは只見線沿線の紅葉でしょうか。

趣味のアウトドアで只見町の「奥会津ただみの森キャンプ場」を長年利用していますが、四季を通して道中景色を眺めますが特に秋の紅葉時期は別格です。

よく絵具を垂らしたような…などと例えられますが、本当にその通りです。

ちなみに只見線は始発会津若松駅、終点新潟小出駅で駅数三十六、路線距離数約百三十五㎞の山間と只見川に沿って走る四季を通して絵になる路線です。

過去には「NIKKEI PLUS1」の何でもランキング「紅葉の美しい鉄道路線ベストテン」の一位に選ばれています。

しかし2011年11月の新潟・福島豪雨で一部区間不通になり、2022年10月に復旧し、11年振りに全線開通となり、只見線沿線の住民は大変喜んでおります。

現在は休日になると沿線に撮り鉄が並んでシャッターチャンスを狙う姿が大勢見受けられ、観光客の皆様にもご利用いただき週末には大変な混みようです。

▲会津地鶏の親子丼。

▲金山町赤かぼちゃ。

秋と言えば食の秋ですが、沿線の会津坂下町の米「コシヒカリ」、柳津町「あわまんじゅう」、三島町の「会津地鶏」、金山町の「赤かぼちゃ」、只見町「マトン」が主な特産品&B級グルメですね。

魅力満載ですので是非福島県・会津に来てくなんしょ!(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

秋田◆秋田/東海林太郎~その1~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】 

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年11月16日

▲東海林太郎音楽館・大鵬ミュージアム

秋田市に「東海林太郎音楽館・大鵬ミュージアム」が大鵬夫人の実家(和菓子店)所有ビルの二階にある。

昨年、縁あって音楽館の管理人ボランティアを少し勤めた。

東海林太郎(秋田市出身)の知識と言えば、燕尾服と直立不動の「赤城の子守唄」程度であったが、資料が豊富で、プロダクションからは今度武田鉄矢の番組で使う歌のレコードの有無の問合わせなどがよくある。

東海林太郎の伝記や遺品を見ているとただ歌がうまいというだけはなく、小学校の成績はオール甲、体操、陸上競技にも秀でていた。

太郎が小学生の時に父親は突然県庁を退職して、満州鉄道に入社。太郎と次男は祖母の手で育てられることになった。

中学の同級生のバイオリンを借りてひき続けているうちに魅せられて満州の父にバイオリンをねだったところ、三越から長い箱の小包が届いた。ワクワクしながら開けると空気銃が一丁。父はこれで体を鍛えろとのことで、後に太郎はあれほどがっかりしたことはないと語っている。

音楽の道に進もうと現東京芸大に合格したので父親に知らせると「音楽などの他人の施しを受けるような職業を目指すなら即刻勘当する」と言われ、やむなく早稲田大学商学部に入学した。同学年には浅沼稲次郎や瀬尾俊三(雪印乳業)、斎藤憲三(TDK)などがいる。

父の勧めもあり満鉃に入社してエリートの課に配属され「満州における産業組合」というテーマの論文を提出したが、富の公平化を図るべき等率直な意見が経営者の反感で辺境の地に左遷された。

今日、彼の論文は日本植民地史の大切な資料とのこと。(つづく) (秋田駐在 片山保)

福島◆会津若松市/会津地方とは・・・(3)【地域駐在スタッフ・福島六十の手習い】

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2023年10月22日

▲ソースカツ丼
▲カレー焼きそば
▲会津ラーメン

いよいよ皆様大好きな「食」です。

皆様がお住いの各地域にそれぞれB級グルメがあるかと思いますが、私が住む会津若松市はソースカツ丼・カレー焼きそば・ラーメンですね。

この3品は小さいころから御馳走で、当時は特別な来客や特別な出来事でもない限り食べられませんでした。

今では観光客、修学旅行生の皆様に食して頂いており、食べいる時の美味しそうな笑顔を見ているとこちらまで幸せな気分になります。

私が好きな某テレビ局の「バナナマンのせっかくグルメ」やYouTubeで飲食店をチェックし、隣県までは出かけたりして自身楽しんでおります。

また春は桜の名所、夏は南会津の避暑地、秋は各地の紅葉、冬は各地の雪祭りと、四季を通じ年間それぞれ楽しむことが出来ますし、何といっても各地の温泉も最高です♨

修学旅行で来られた時と、ある程度年齢がいってからの会津は感じ方も違うと思いますので、改めて足を運んでみて下さい。

余談ですが、私の知り合い(栃木県小山市在住の小林様)は人生の大先輩で年齢も一回り以上違いますが、その方は年に数回会津に来て戊申戦争関係先を巡ったり、その史跡周りの草刈りをボランティアでお手伝い頂いていて、会津を楽しんでもらっていますが、本当に感謝しきれません。(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

※「会津地方とは・・・」シリーズ12

秋田◆秋田/秋田の赤い靴【地域駐在スタッフ・秋田からの風】 

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年10月18日

▲「秋田の赤い靴」像

♫ 赤い靴 はいていた 女の子

秋田にも明治時代に赤い靴の話があります。

昨年、市内図書館に写真の像があるのを見かけたのと同じころ『みちのく秋田の赤い靴の女の子』というタイトルの映画試写会(壇蜜出演)をしたということを知りました。

八郎潟の北のある村に住むふじは姑に虐待されていたがある日、姑が斧を振り翳してきたので奪ったが誤って子供の喉を直撃し死亡させ終身刑で服役していたが、すでに身籠っており獄中で女児を出産し亡くなった子と同名のハツと名付けた。

その後について銘板には次のとおり書いている。

明治20年(1887)11月14日、金子ハツは秋田女囚監獄で生まれた。

息も絶え絶えの赤子を引き取ってミルクを与えたのが、若い宣教師ミス・カラー・ハリソン(1895〜1937)である。

六歳になったハツを学校で学ばせたく、ハリソンは教え子の川井運吉に相談した。

結婚前の運吉は分家してハツを養女にした。

ハリソンの帰国はハツが十二歳の時。残して行くにしのびず、ハツを連れて横浜から船に乗った。

後にハツをロサンゼルスの大学に入れるが、当時は排日の嵐で、卒業しても思うような就職口はなく、ハツの将来を案じたハリソンは日系人の多いハワイに渡り共に教師の道を歩むが、ハツは34歳でこの世を去った。その後ハリソンは78歳で生涯を閉じ、2人はホノルルの墓地に眠っている。

―かっては苦悩にうちひしがれし 異邦人なれど いまぞわが故郷にたどり着きぬ―

1922年胸を病み死の覚悟したハツが残した詩の一節です。(秋田駐在 片山保)

長野◆蓼科/懐かしい資料が出てきました【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2023年10月6日

▲コロナを機に中止が続いている「現地見学会」。大変だったが楽しかった。(写真はイメージです)

先日、地域店(信州蓼科店)の頃の書類の整理を始めたら、本部で開催していた地域店会議の資料や現地見学会の案内資料が出てきました。

現地見学会はコロナ感染が始まる前の令和元年7月頃まで隔月で開催していたと思います。

前日に10物件ほどを効率よく回るために、見学の順番や物件概要等をまとめた資料を作成し、翌日どんな方が来るかと楽しみにして集合場所へ出かけたものでした。

参加者の確認と当方の自己紹介、資料を基に各物件の概略及び終了時間等の説明を行い、車2台~4台引連れて出発、道中は気を遣いながらでした。

見学の合間に地域の特性なども説明し、また参加者からよく聞かれたのが災害関係の状況でした。

この八ヶ岳西麓エリアは殆ど災害が無いことを話し、台風がたまにこのエリアを通過する場合は、アルプスを超えるので勢力は半減し心配は無いし、地震も幸いこのエリアを震源地としたものは一度も無く大丈夫ですと、暮らすならこの西麓エリアが一番と強調していましたが、これは私のいつもの決り文句でした。

やはり見学会は大変だったけど、今から思えば楽しいイベントでした。(信州蓼科エリア案内スタッフ 星野 登美夫)

福島◆会津若松市/会津地方とは・・・(2)【地域駐在スタッフ・福島六十の手習い】

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2023年9月28日

▲会津のアイドル?赤べこ。

さて、私と「ふるさと情報館」との出会いですが、本年4月に私の知り合いが古民家を探しており、そのお手伝いで色々と当たっていたところ、会津若松市内に「ふるさと情報館」の物件が在り、やり取りを始めたのがきっかけです。

その後、福島県担当のT氏と情報交換をするうちに、私が会津地方に詳しいこともあり、知識を生かしお役に立てるならと打ち合わせをしたところ、お互いの思いが一致し今日に至っております。

私は4月に還暦を迎え最近までは「生前整理・遺品整理」「浴室リメイク」を生業としておりますが、まさか新たな分野に手を出すとは想像もしていませんでした。

『五十の手習い』と言う言葉がありますが、まさか『六十の手習い』なるとは分からないものです。

まだ慣れていませんので、現在は田舎物件の情報収集を主に、また物件の再活用提案に力を入れております。

今回この仕事に携わり、改めて空き家の数が半端じゃなくその要因として、「相続」・「家屋解体」・「解体後固定資産税増」の三つの大きな問題が見えてきました。

外国人による国内の広大な土地購入も問題ですが、この三つは近い将来大きな問題となるのは間違いないと思いますし、国としても早急に対応していかないと朽ち果てた(廃墟)空き家だらけになりそうです。

そんなわけで、六十の世話好きのおっちゃんが空き家の新たな再活用案を日々考えていて、一つは高齢化社会への対応で、比較的大きな「物件」を介護施設や障碍者施設、又は家族葬向け葬祭場への改装ですが、壁は高いです。(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

※「会津地方とは・・・(1)」はこちらから。

秋田◆秋田/菅江真澄~その6~『疱瘡(もがき)を病む子供』【地域駐在スタッフ・秋田からの風】  

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年9月25日

真澄は風習の絵や悍ましいことも記録している。


信濃の国の御嶽山の辺りでは、疱瘡を病んだ子供を捨て置く習俗(家庭内感染防止)があり、山中の切り拓いた平地に小屋掛けをして赤い頭巾を被った子供を寝かせ、傍らに櫃・鍋・器を置く(上記絵)。

乞食たちがこの子供に飲食させ、全快した日に家に送り返すと返礼として物を与えたという。(乞食たちはすでに疱瘡にかかっていれば感染しないことを知っていたようだ)


疱瘡の出た家の周囲に垣根を造って囲い、血縁の有無を問わず、訪問することをひかえていた。(これは近代医療以前の感染対策を知る上で貴重であるといわれている。)(上記絵)

また、天明の大飢饉(1782〜88)の頃に岩木山の北辺の村の小道に分け入ると、春先の雪がムラになって残るように、草むらに人の白骨が沢山散らばっている。

また、うずたかく積まれている。額の穴に、ススキや女郎花が生出ているものもある。

見る心地もなく拝んでいると、知らぬ人が「見たまえ、これは皆、飢え死にした人の屍だ。過年卯の年のだ。

今、こうやって道を塞ぎ、行き交う人は踏み越えて通うが夜道ともなれば誤って骨を踏み朽ちただ。」と言う。

死なば死ね、生きて憂き目の苦しさを思えば・・・とも思う。彼らは藁をついて餅にして食べたり、蕨の根を掘って食べ、今まで命を永らえてきた。(秋田駐在 片山  保)

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※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その3』、『その4』、『その5

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