民俗学者柳田国男は昭和のはじめ、菅江真澄(すがえますみ)を「日本民族の先学」と紹介しているが、真澄が記録した中世の資料は、東北地方の歴史を知るうえで貴重なものです。
アイヌを紹介した記録や鎖国という国是の中にあって、ロシアなどに漂流した人々の記録は江戸時代の社会構造を知る上で貴重な資料です。
真澄は46年間を旅に暮らし、その間、130種240冊もの著作を残し、その体裁は日記・地誌・随筆・彩色された図絵集など。
その内容は民族・歴史・地理・国学・詩歌・宗教・本草などの分野におよぶ。
旅の中で、藩主一族・武士・神官・僧侶・医師などのほか、農漁夫・工夫・職人さらに乞食・遊芸人・遊女などにも記述し、暖かい目を向けていたようです。
これらの著作の日記や地誌など77冊12帖が国の重要文化財に、46点が秋田県有形文化財に指定されており、関係のある道府県でも大切に保存されています。
真澄の旅の目的は最初の日記に「この国のすべての古い神社を拝みめぐって、幣を奉りたい」とあり、写生帳には「自分は国々を巡り歩いて、珍しいところ、珍しい道具、珍しい風俗など目にとまったものを下手ではあるが絵として持ち帰り、絵の上手な人の協力を得て刊行したい」と記しているが、自らのことをほとんど語っていません。
真澄の業績や真相など興味が尽きないので今も多くの人々や団体が研究しています。(つづく) (秋田駐在 片山保)