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長野◆大町市/いざ、立山黒部アルペンルート【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年12月31日

立山黒部アルペンルート▲路線図(提供:立山黒部アルペンルート )。

新型コロナがひと段落し、令和4年のゴールデンウィークや夏休み、秋の行楽シーズンは各地に人が戻りつつあり、「北アルプスの玄関口」を標榜する大町市は、北アルプスの絶景が各所にあり、山岳博物館をはじめ、山を登る方にとって特別な町です。

当方は本格的な登山というまでは行いませんが、観光パンフレットにある「立山黒部アルペンルート」に一度行ってみたいと思っていました。

かつて越中富山にいた戦国武将・佐々成政が厳寒期の北アルプスを越えた「さらさら越え」や、映画『黒部の太陽』に描かれた通称・くろよん、世紀の難工事・黒部ダムとそのトンネル。そしてパンフレットの表紙にも使用される高さ8mを超える「雪の大谷」を体感してきました。

まずは情報収集、公式ホームページにはアルペンルートおすすめモデルコースがあり、ビギナーからエキスパート、家族連れやカップルまでが楽しめるようにわかりやすく紹介されています。

長野県側の扇沢(おうぎさわ)駅までは自家用車で訪れることができます。当日切符もありますが、ネット販売状況が確認できるので、事前購入がオススメです。

▲室堂まで大人往復9470円でした

当方は日帰りで室堂(むろどう)・雪の大谷を見学する約6時間の往復コースを選びました。

▲コンクリートの遊歩道部分を歩ける。

まず関西電力の電気バス(約16分)で黒部ダムに到着。テレビなどで紹介されるダイナミックな人工物、碧く光る黒部湖と屏風のように聳え立つ立山の山々はまさに絶景。ちなみに観光放水は6月下旬から10月中旬とのことです。

▲電気バス(写真上)、ケーブルカー(写真下)など色々な乗り物を乗り継ぐ。

アーチ状のダム遊歩道を歩くこと約15分、今度は黒部ケーブルカー(約5分)に乗って黒部平へ。パノラマテラスという再び絶景スポットがありますが、当日は寒風吹き荒び、そのまま立山ロープウェイへ(約7分)。標高2316mの雲上テラス・大観峰に到着します。

▲除雪の雪が8m 近く積み上がる雪の大谷。

さらに立山トンネルトロリーバス(約10 分)で最高地点・2450mの室堂に到着。そこから雪道、徒歩20分程度下りると雪の大谷・最高地点。心地よい疲労と感動を味わえました。今度は映画で知識を深め、富山・立山まで抜けてみたいですね。

今年の営業は11月30日まで。来年もおそらく4月より営業再開されるので、一度お出かけになってみてはいかがでしょうか?2年後には新観光ルート「黒部宇奈月キャニオンルート」も開通予定です。(本部 星野努)

▲今年も大変お世話になりました。[/caption]

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【公式】立山黒部アルペンルート(https://www.alpen-route.com/
※2022年の運行は11月30日をもって終了しました。

長野◆東御市/うだつが上がる【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年12月29日

▲かつての栄華を物語っている、うだつ。

佐久市から長野市へ行く途中、北国街道から旧北国街道に入り、海野宿(うんのじゅく)を通った。

東御市本海野にある海野宿は、江戸時代の1625年に北国街道の宿駅として開設され、2025年には開宿400年を迎える。

明治・大正時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減ったため宿場町としての機能はなくなり、養蚕のまちとして栄えていた。

ここで私は、初めてうだつを見た。うだつが上がる・上がらないのうだつだ。

昔は、隣り合って連続して建物が建てられている場合、火事がおきた際に、隣家に燃え移るのを防ぐために防火壁が造られていた。この防火壁を、うだつという。「本梲」「卯建」「宇立」という漢字があてられる。

うだつを上げるためには、費用がそれなりに必要で、瓦屋根の装飾は、富の象徴でもあり、自己の財力を誇示するための手段として、屋根上には競って立派なうだつが上げられていた。

「地位や生活が向上しない」「現状がよくない」という「うだつが上がらない」の語源となったとも言われている。

歴史的な街並みに、玩具博物館やカフェなどがあり、観光コースになっている海野宿。東御市に来られたら際は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている海野宿に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。(本部 角南辰彦)

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海野宿(うんのじゅく)
住所:〒389-0518 長野県東御市本海野1052周辺
駐車場:第1~3駐車場まであり(いずれも無料)

★詳細は信州とうみ観光協会のホームページ
https://tomikan.jp/area/tanaka-unno/unnojuku/)をチェック!!

東京◆本部/登記申請を自分で行う方、増えています【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年12月26日

▲理由は様々ですが、登記申請を自分で行う方、増えています

終息の見えないコロナ禍も3年が経過しようとしています。3年前までの日常がガラリと変化した生活スタイルやマスク、マメな消毒にも慣れたきたこの頃です。

不動産業界はどうかと言えば引き続き地方移住の需要が高まっている反面、田舎物件が少なくなっているのが実情です。

そんななか、コロナ禍の取引で気になって変わったのは、法務局への所有権移転申請をお客さん自身でされる取引が多くなった印象があります。

一般的には決済時に登記担当の司法書士が立会い、登記申請を委任するというのが殆どのケースです。

確かに不動産登記法では登記申請は代理人(司法書士など)へ委任しなければならない、とは明記していません。手数料の削減か、はたまたテレワークの普及により時間にゆとりができたのか、なかには何事も挑戦だ!というお客さんもいました。

今はインターネット上でも登記申請書類の作成方法や書類の雛形が詳しく公開されています。

登記申請書、登記原因証明情報、委任状(売主が買主へ)、印紙貼付の台紙を作成。それに登記済権利証、印鑑登録証明書(売主)、住民票(買主)の添付。

あるお客さん曰く「最近は登記官も自己申請の対応に慣れてきて、優しく教えてくれますよ」とのこと。

ここでもコロナ禍による日常の変化が垣間見られる今日この頃です。(本部 金澤和宏)

北海道◆音威子府村/消えゆく幻の黒い蕎麦【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年12月11日

▲全国でも珍しくなった赤いラッセル機関車。

北海道中川郡音威子府(おといねっぷ)村は旭川市と稚内市の中間地点に位置する道北地方にあり、総人口は2022年9月現在で670人と道内で最も人口の少ない村。

日本海側へ流れる一級河川「天塩川」に沿って走るJR宗谷本線と、かつてオホーツク海側へ抜けるもう1つのルートとして存在したJR天北線(1989年廃止)の分岐点ということで、昔は鉄道の街として賑わった音威子府。

だが今となっては宗谷線の存廃議論が交わされるほど都市部への人口流出が深刻で、今後の公共交通機関の存続が危ぶまれている。

村内の筬島(おさしま)地域には「北海道命名の地」という記念碑が建っており、これは幕末の探検家である松浦武四郎が天塩川流域を旅した際、一宿一飯の恩義を受けたアイヌの長老から得たヒントを基に、かつて蝦夷地と呼ばれていた当地を北海道と改名するきっかけとなったことが由来している。

音威子府村は内陸性気候のため、道内でも特に積雪の多い特別豪雪地帯に指定され、積雪は10m にも達する時もある。そんな寒冷な気候故に蕎麦の栽培に適しており、同じく道内で蕎麦の栽培が盛んな幌加内町や新得町と並び、蕎麦の一大産地だ。

▲いつまでもあると思うな、村と蕎麦。

音威子府そばは他の蕎麦とは一味違い、蕎麦の実の甘皮と一緒に挽く独自の製法により、色が黒く香り高いのが特徴的で、元から生産量が少ないため幻の蕎麦として村の観光資源にもなっている。

ただJR音威子府駅の「常盤軒」で長年音威子府そばを提供していた店主が亡くなり、100年近くに渡り蕎麦を作り続けてきた畠山製麺が、ご主人の高齢化と技術継承が困難という理由で2022年8月末で閉業となってしまった。

これによりかねてより音威子府村で提供していた飲食店からそばのメニューが全て消えてしまい、音威子府そばの歴史は消滅してしまったかに見えた。

▲音威子府 TOKYO は四谷三丁目駅から徒歩2分の好立地。

東京都新宿区舟町、弊社四谷本部から徒歩4分の場所に「音威子府TOKYO」という飲食店がある。

ここは本場音威子府では食べられなくなった音威子府そばを提供し続ける全国的に珍しいお店で、今日も美味しい音威子府そばを求めて数多くの食通が足を運んでいるという。

今年の年越しそばは例年と一味違う幻の「音威子府そば」をご賞味頂いてはいかがでしょうか。(本部 高橋瑞希)

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音威子府駅
〒098-2501 北海道中川郡音威子府村音威子府
駅から徒歩約5分のところに【道の駅おといねっぷ】があります!!

東京◆本部/師走を迎え思うこと【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 総務

2022年12月5日

▲師走の街中のイメージ。華やかですが、仕事納めや大掃除など何かと忙しい時期ですね。

師走の声を聞くと、ちゃんと始末しなければと忙しい気持ちになります。

何かやり残した事はないか、ちゃんと年末までに目途をつけないと‼という思いでパタパタと気ばかりあせります。

大掃除、仕事納め、新年を迎える準備等々。コロナが生活の一部となり、旅行や飲食も解禁となりました。用心しながらもコロナ前の生活習慣がだんだんと戻ってきたようです。

一方、仕事の方法や暮らし方の手段として、一ヵ所集中型の都会生活から『田舎暮らし』が選択肢として選びやすくなりました。テレワークもすっかり認知度が広がりました。

ひと昔前にくらべると「田舎暮らし」は、肯定的に受けとめられる時代となりました。

私共が発行している『月刊ふるさとネットワーク』が、新たに田舎暮らしに興味を持たれた方、今まで田舎暮らしを十分楽しんでいた方、いろいろな方のお役に立つようにと思いを込めて、気を引き締めて新年をむかえたいと思います。

▲少し早いですが、来年もどうぞよろしくお願い致します!

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。(本部 杉田 玲子)

『月刊ふるさとネットワーク』見本誌請求

長野◆茅野市/危険な石とおもいきや【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年11月29日

▲茅野駅ホームの黒曜石 。

茅野駅にて新宿行きのあずさを待つホームに黒曜石が置いてあった。ホームに石(?)、躓いて転んで線路に転落でもしたらと心配になった方もいると思うが、1㎡くらいの大きな黒曜石なのでご安心を。

黒曜石とは火山岩の一種で外見は黒くガラスとよく似た性質を持ち脆いという欠点はあるが、割れ口が鋭く加工しやすいため、3万年を超える旧石器・縄文時代から弥生時代の中頃までに石器の原料として人々の生活を支えてきた。

日本列島には100ヶ所以上の黒曜石の原産地があり、その中でも長野県中央部に位置する和田岬・霧ヶ峰から八ヶ岳にかけての地域は、本州最大規模の黒曜石原産地で、日本を代表する良質な黒曜石がとれる場所だ。

駅ホームにあったのは、冷山(つめたやま)黒曜石で地域の名物として、いつのころかに置かれたらしい。

茅野駅から車で約50分のところに「星くずの里たかやま黒曜石体験ミュージアム」があり、黒曜石でペンダント等をつくる体験プログラムもある。また明治大学黒曜石研究センターが隣接している。

人々の生活に欠かせないスマートフォン。画面のカバーガラスに毎日触れているが、火山が生み出した天然ガラスの黒曜石にも触れてみるのも良いと思う。(本部 角南辰彦)
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星くずの里たかやま黒曜石体験ミュージアム
住所:長野県小県郡長和町大門3670番地3
電話番号:0268-41-8050
開館時間:9:00〜16:30
休館日:月曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始
※諸事情により現在ホームページは見れない状態です。(長和町のホームページより抜粋)

東京◆本部/鴨居を持ち上げ、襖を動くように直す【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年11月26日

▲大掛かりな家の修復のイメージ。今回は鴨居の持ち上げです。

建物は築年数が経つにつれ、若しくは地震や土地の沈下により、柱や梁、土台などの躯体に歪みが生じることがあります。

その歪みや傾きが均等(均一)に生じてくれればそれほど気にはならず、使用に支障はありません(個人差はありますが)。

ただ縦方向の歪みは建具の開閉が出来なくなる場合があります。

この度、その縦方向の歪みが生じ、襖が動かなくなった物件に遭遇しましたので鴨居を持ち上げてみました。

その物件は築150年の十日町市の古民家(2022年6月号掲載。既売却済み。)。当(まさ)に雪国特有の豪快な太い躯体。築150年で2階建てのため鴨居が下がり、仕切り戸(襖)が嵌り、動かなくなっていました。

▲2tジャッキで2階建ての鴨居も持ち上げられる。

用意したのは「2tジャッキ、5㎝四方の木の棒、養生用の板、鉋(かんな)」。上の写真のようにジャッキをセットし、ハンドルを上げ下げするのに呼応し、周囲の木がミシミシと唸り声を上げ、鴨居が少しづつ上がって行きます。

実感として1㎝位上げたところで襖が動くようになり、外す。ここでジャッキを外してもまた戻りますので、次は襖の直し。鉋(かんな)で上下を均等に削る。

窪みのところは際(きわ)鉋で削る。必要に応じて鴨居と敷居の溝を溝鉋で掘る。これを応用して床の傾きも直すことができます。

皆さん、面白いので機会があれば挑戦してみて下さい。(本部 金澤和宏)

 

山形◆米沢市/雪ニモマケズ、運休(ウヤ)ニモマケズ。【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年11月20日

▲電車の旅では駅弁も楽しみの一つですね

飛行機や新幹線・高速道路が発達する以前の高度経済成長期の日本は、まだ陸上交通の主役は国鉄の在来線であり、特急列車が文字通り「特別」な急行だった頃、庶民の移動手段は鈍行か急行のどちらかでした。

当時は現代のようにコンビニやスーパーもなく、旅人たちの胃袋を満たしてきたのはいつも大きな籠をぶら下げホームを歩いている駅弁屋さん。列車が到着し「駅弁~駅弁~」と声を上げると、列車の窓が次々と開き、金銭と食料の受け渡しが行われていきます。

籠の中には駅弁の他にお菓子やジュース等も入っており、ポリ茶瓶容器の緑茶や夏期の冷凍みかんと聞いて懐かしい方もいらっしゃるのではないでしょうか。今となってはほぼ絶滅したかに思われた駅弁の立ち売りですが、駅弁ではないものの別の商品を毎日立ち売りしている駅が存在します。

※国鉄とは日本国有鉄道の略で、1987年4月1日にJR グループ(旅客6社貨物1社)へ分割民営化される前に存在した三公社五現業のうちの1つであり、北は北海道から南は鹿児島まで私鉄等を除く全ての鉄道路線を管理運営していた国の公共企業体。

▲1日上下12本の普通列車が止まる秘境駅。

▲旧4連続スイッチバック駅のうち、赤岩駅は周辺集落が無人化したため2021年3月に廃止。

ここは山形県米沢市のJR 奥羽本線(山形線)の峠駅。奥羽山脈を越える難所板谷峠の真ん中にある駅で、防雪シェルターで囲まれた駅の外は鬱蒼とした森しかない秘境駅。

かつては蒸気機関車が険しい板谷峠を乗り越えるために、赤岩・板谷・峠・大沢駅は4連続スイッチバック(※)という全国でも極めて珍しい運転区間となっていました。山形新幹線が1992年に開通するにあたりこのスイッチバックは廃止されましたが、その名残はこの特殊な防雪シェルターが物語っています。

この路線は1899年に開通し、明治から令和に至るまで毎日列車が来る度にホームに立ち続ける人がいます。その人こそが現代において絶滅危惧種である駅での立ち売りを行っている「峠の茶屋」の売り子さんなのです。

▲8個入り1,000円で販売。お釣りいらずでありがたいお値段。立ち売りだけではなく店舗でも販売中。

営業から120年以上の長い年月が経ち、現在売り子を務めているご主人は、先代から数えるとなんと5代目になるとのこと。2022年11月現在、日本国内でほぼ毎日立ち売り販売を行っている駅は、ここ山形県米沢市の峠駅と、福岡県北九州市八幡西区の折尾(おりお)駅とわずか2駅のみ。前者は「峠の力餅」という大福を、後者は「折尾のかしわめし」という三色駅弁をどちらも立ち売りにて提供しています。

ただし九州の折尾駅とは違い、奥羽山脈の真っ只中に位置する峠駅は日本有数の豪雪地帯で、冬期は遅延や運休が発生することもしばしば。予め運休が計画されている日は当然立ち売りはお休みとなりますが、列車が走り続ける限り8時~18時台に峠駅を発着する上下6本の列車で、峠の力餅の立ち売り販売を行っています。ただし停車時間は30秒と非常に短いので、購入の際は予め千円札をお持ちになり、列車最後尾のドアまでお越しください。

他の駅も昨今のコロナ禍や路線の休止で次々と立ち売り販売を取り止める中、昔ながらの立ち売りを続ける峠駅ですが、近年その活躍にも陰りが見えてきました。線路を共用している山形新幹線が、この区間を迂回する新板谷トンネルを建設する計画が持ち上がっているのです。

▲時代や環境の変化はあったものの、120年以上続く立ち売り販売はまさに国宝級の伝統文化だ

まだ着工に至っていないので、完成したとしてもまだ何十年も先の話ではありますが、もし開通すれば峠駅を含む現在の区間はほぼ間違いなく路線廃止となります。参勤交代で賑わった羽州米沢街道がある頃から、店を続けている峠の茶屋さんには、列車が走り続ける限り、雪にも負けず運休にも負けず、立ち売り販売を続けて頂きたいと心から願ってやみません。(本部 高橋瑞希)

※スイッチバック:主に急勾配を緩和するための特殊な運転方式で、 車両性能が向上した現在は不要になりつつある。
★気になった方は、山形県ホームページ内、『峠駅スイッチバック遺構』をチェック!(https://www.pref.yamagata.jp/110001/sangyo/sangyoushinkou/him_top/him_maincat3/him_09.html
JR 奥羽本線(山形線)峠駅