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東京◆四ツ谷/お仕事後に~ペンション経営座談会を開催しました【イベント報告】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2014年7月11日

去る7月10日の19:00より、ふるさと情報館・本部にてペンション経営座談会を開催しました。

信州蓼科のピラタスの丘でペンション物件を購入し、晴れて開業、営業中の水沼昇さんをお招きし、ざっくばらんなお話ができる会となりました。

実際にペンション経営を検討されている参加者も、お仕事終わりで帰宅前に参加頂き、夜9時までたっぷりと、日頃疑問におもうところ、不安な点、実際の売上げ見込みも含めて熱心に意見交換。

お二組の参加でしたが、どちらの方もかなり綿密に、かつしっかりとした考えを持たれて、ご自身の夢に向かって準備されていることを実感しました。

 

ふるさと情報館で取り扱っているペンション物件一覧はこちら

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水沼さんが経営する・四季の宿・すばる(長野県茅野市)
http://www.valley.ne.jp/~subarum4/

《田園からの風》 ”都会でできないことを世界に発信”

この記事の投稿者: 総務

2014年7月9日

都会と農村の不幸な歴史

八ヶ岳清里高原は、かつては未開の地であったが、昭和8年に小海線が開通、昭和13年にアメリカ人牧師のポール・ラッシュが青少年教育キャンプ場として清泉寮を開設、同じ年に小河内ダムに沈む丹波山村から開拓者が入り新たな歴史が始まった。

戦後、ポール・ラッシュは酪農と高原野菜の導入を勧め理想農村の建設に尽力した。緑の牧草地に赤い屋根の牛舎は高原農村のモデルといわれた。

そこに突然やってきたのは、都会からのバブル経済だった。若い女性や高校生があたかもイナゴの大群のように押し寄せ、清里駅前を東京の原宿通りに一変させた。それはほんの瞬間で、バブル崩壊とともに消え去った。いまも駅前や国道141号沿いに当時のきらびやかな建物やハーモニカ店舗が無残な姿で残る。

あの頃の日本は異常だった。清里だけではない。どんな山奥でも少しでも平坦な山があれば、ゴルフ場開発資本がやって来て土地を買いあさった。開発途上で投げ出し、そのまま放置され荒れた山河となった所も多い。都会が田舎を荒らした時代である。自然はもちろん、人々の心まで荒廃させた。

再び都会と農村の不幸な歴史を繰り返してはならない。

厳寒期のアイディアサービス

さて今、清里はどうなっているか。

清里開拓の歴史と共に歩んできたキープ協会(清泉寮)は、広大な敷地を有する牧場を持ち、乳牛・ジャージー種の放牧飼育を主体とする循環型の酪農を行っている。そこでできるソフトクリームの美味しさは格別で、それを目的に訪れる人も多い。

キープ協会で30年前から行っている自然環境教育事業は、子どもや若者、成人を対象に様々な自然体験プログラムを持ち、現在では国際的にも高く評価されている。

清里高原には、観光協会に登録しているペンションが60軒余あり、数多くのホテル、プチホテル、カフェ、レストランなどがある。厳寒期の2月、午前10時の気温がマイナス5℃を下回ると、その日のレストランのメニューは半額サービス。ペンションは宿泊した日が下回ると次回の利用は半額。真冬なのにその日のレストランは人が並ぶ。それをきっかけにリピーターになる人も多いというから、ちょっとしたアイディアサービスである。

本ものであれ!一流であれ!

清里駅近くの国道141号沿いに「萌木の村」がある。オルゴール館や地ビールレストラン、クラフト工房、雑貨店、ホテルなど20軒ほどの複合施設である。

「萌木の村」社長は舩木上次さん(64)。父親は丹波山村からの開拓者で、戦後キープ協会で農場長を勤めた。その縁で舩木さんはポール・ラッシュに可愛がられた。「何事も本ものであれ!一流であれ!」の精神が育ち、23歳の時、「萌木の村」の原点となった喫茶店を誕生させた。現在のビアレストラン「ロック」で、そこで醸造される地ビールは、全国酒類コンクール地ビール部門総合第1位に何度も輝いている。

「大人の、成熟したお酒の文化を清里から発信したい!」。レストランの裏手の小高い丘の斜面をスコップで自分たちで掘り進み、レンガを積み上げて地中貯蔵庫を今春完成させた。年間14℃、湿度50%に保たれる洞窟の中で、ワイン、ウイスキー、地ビールを熟成させる。ワインは県内6社のワイナリーに協力してもらい、熟成が始まった。地ビールは度数を高くして寝かせるなど、新たな試みを始める。年代物のお酒をレストランやホテルで楽しめるのはいつになるのであろうか。

オルゴール博物館「ホール・オブ・ホールズ」は、世界からアンティーク・オルゴールはじめ自動演奏器など260台が収蔵されている。オルゴール曲と作曲家の思いを解説しながら音楽家のピアノ演奏のコンサートが1日2回行われる。

毎年7月〜8月上旬にかけて、約2週間の日程で、「萌木の村」特設野外会場で「清里フィールドバレエ」が開催される(今年は7月28日〜8月10日)。日本で唯一、連続上演される野外バレエ公演として、清里の夏にはなくてはならない催で、今年で25年を迎える。2004年には1万人を超え、全国から多くのファンが足を運ぶ。ヨーロッパでは野外バレエが盛んに開催されており、劇場では見ることのできない、風になびく衣装の美しさ、月に照らされる舞台、自然と共存する野外バレエならではの感動の舞台である。

舩木上次さんは夢多きロマンチスト。「ここには都会にないものがある。都会ではできないことができる。ここから世界に情報を発信してゆきたい。」と情熱的に語る。

(ふるさと情報館 佐藤 彰啓)

山梨◆八ヶ岳/7月の八ヶ岳南麓は魅力いっぱいです!【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2014年7月1日

7月に入ると山開きがあり、普段眺めている四方の山々が生き生きしてくるのが感じられるこの季節。
ふるさと発七夕は小暑に当たります。梅雨の末期ですが、うまく行けば天の川が見えるかもしれませんね。天(てん)の川と地の川。この時期は全国で最も標高の高いところを走るJR線・小海線にでも乗って、銀河の童話を紐解いてみたくなりそうです。

梅雨が開けると今年も猛暑の到来でしょうか。大暑は23日。そして土用の丑の日は29日です。私の実家のある静岡県浜名湖の北岸では、蒲焼きよりも白焼きが普通でした。今年は少しでも値段が下がっていることを願います。小淵沢駅前のうなぎ料理店は地域一番の繁盛店ですので、ぜひともお立ち寄りを。

5月にお田植えが終わった八ヶ岳南麓の田んぼはみずみずしさから、いまは緑の絨毯が敷かれたようになっています。庭先や家庭菜園での雑草たちとの格闘は移住者にも二地域居住されている方々にも訪れますが、実りの秋に向けての通過儀礼とも言えそうです。移住者のみなさん、無理しない程度にがんばってください!

さて、八ヶ岳事務所で7月26日(土)に行う現地見学会では、移住者宅の訪問に力を入れています。特に今回は女性から見た田舎暮らしということで、八ヶ岳事務所の女性スタッフと女性移住者を訪ねるツアーを予定しています。乞うご期待を!

(八ヶ岳事務所 中村健二)

長野◆富士見町/富士見高原のアトリエ工房付き物件の価格改定ありました

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2014年6月20日

売主様から連絡がありました

6月号に掲載の12361H富士見高原のアトリエ付き住宅が大幅価格変更です

アトリエ併設!人気の富士見高原の中

人気の八ヶ岳カントリーキッチンさんからも近い、精錬なカラマツ・アカマツ林の中の建物

熱帯夜知らずの富士見高原でお探しの方、是非ご見学下さい

※物件は終了しました。

間取り図です。

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通年楽しめる富士見高原リゾート
http://fujimikogen-resort.jp/

長野◆安曇野/思いがけぬ反響を頂きました【地域担当・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2014年6月17日

『月刊ふるさとネットワーク』5月号の安曇野特集、思いがけぬ反響を頂きました

北安曇郡池田町の町議会で、弊社の『月刊ふるさとネットワーク』が空き家対策のひとつとして紹介された模様です

41:48くらいからです



Broadcast live streaming video on Ustream

都市への人口流出と農村回帰の機運が高まる中、過疎化・空き家対策という大きなテーマを前に、官民がどのように共同してこの大きな問題に取り組んでいけるのか。

池田町は鉄道が無いものの、安曇総合病院をはじめ、暮らしやすい適度な町の広さと立地、都市生活者の方の目を惹く美しい水田とアルプスの眺めがあります。

今後も信州安曇野・池田町に注目ですね。

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長野県池田町議会(池田町ホームページ内)
http://www.ikedamachi.net/gikai/chukei.html

長野県池田町
http://www.ikedamachi.net/

山梨◆八ヶ岳/山梨・長野・静岡「3県合同セミナー」が開かれました。【お知らせ】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

15日、東京・有楽町の交通会館12階にて、認定NPO法人ふるさと回帰支援センター主催による3県の合同セミナーが開催されました。

当日は山梨15ブース、長野8ブース、静岡11ブースが集まり、午前中から熱心な参加者がご来場され場内は非常に活気があふれていました。

3県合同セミナー

ふるさと情報館は山梨県内に設けられたブースでしたが、お一人おひとりのご相談時間がとても長く、あらためて「田舎暮らし人気」を感じた次第です。

出展者ブースの中で特徴的だったのは、山梨は山村留学を積極的に推進している丹波山村・小菅村・早川町、長野は新規就農相談センターと山村移住を目指している筑北村、静岡は大井川上流の川根本町、伊豆半島の松崎・西伊豆・南伊豆の各町。

こうしたセミナーが皆様の田舎暮らしの一助になることを願っております。

(八ヶ岳事務所 中村健二)

《田園からの風》 ”選択的土着民”と“宿命的土着民”

この記事の投稿者: 総務

2014年6月10日

桜の満開一ヶ月楽しめる八ヶ岳南麓

八ヶ岳清里高原は現在では全国的にも知られた観光地。八ヶ岳南麓は標高500mから1500mまであり、春の桜の開花期は下から上まで一ヶ月間も楽しめる。その最上部が清里である。近年の温暖化の影響で現在はさほどでもないが、かつて冬は厳寒の地だった。

JR小海線清里駅から上は、清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュが高原実験農場として開いたキープ協会の諸施設。駅から下は、昭和13年から始まった開拓地である。

地域の歴史と暮らしを学ぶ

都会から八ヶ岳に移り住む人々の会「八ヶ岳ふるさと倶楽部」は、地域の歴史と暮らしを学ぶ連続講座を「萌木の村」の「オルゴール館」で開いた。

「萌木の村」は国道141号線沿いにあり、広い敷地にホテル、レストラン、店舗、オルゴール館などを持つ複合施設。今回の講座は、そこを主宰する舩木上次さん(64)が講師である。

舩木さんは集まった80名の人々を前に、開拓時代の苦しかったことを振り返りながら、「開拓者は様々な境遇に直面し、多くの仲間はこの地を去りましたが、私たちは、この地が好きでここに残り、この地に生き抜こうと今日までやってきました」と語り、新たに新住民となった人々に「一緒に地域づくりを」と呼びかけた。

厳しい清里開拓の歴史

昭和13年、小河内ダムで水没する丹波山村などから28世帯が開拓に入る。その地は、水源の乏しい、火山灰の酸性度が強い荒地。入植に当たり県から手渡されたのは鍬一丁のみ。赤松や雑木が茂る原野を徒手で伐採抜根。岩や熊笹を除去するのは大変な労苦。畑にするのに10年を要した。最初は野菜や雑穀を播いても、ソバ以外はほとんど採れなかった。

笹小屋と呼ばれた粗末な家。丸太を組み、屋根に杉皮を張り、むしろを入口に垂らす。冬は厳しかった。囲炉裏で松の根を燃やすと、松脂の煙で顔は真っ黒、目は赤く腫れ、体は臭く臭った。最大の苦しみは水汲みだった。遠くの泉から天秤で熊笹の山道を日に数回も運ぶのである。

東京の水問題を解決するために故郷を失った人々が水に苦しみ、水問題を解決したのは大門ダムが完成した昭和63年、なんと50年の歳月を要したのである。

貧しいながらも、互いに助け合い励まし合う関係は、やがて逞しい共同体意識に成長し、住宅、分教場、簡易水道、公民館などの建設へと発展していった。

昭和25年酪農が導入され、牛乳は甲府市に出荷、バター、チーズも製造するようになった。開拓農家のほとんどが酪農家となり、耕作地は雑穀農地から牧草地となった。そして緑の牧草地に赤い屋根の畜舎、とんがり帽子のサイロが建てられ、ここに新しい清里の原風景がつくられた。日本の高原農村のモデル地域といわれた。

突如起こった「清里ブーム」

昭和40年代に入ると牧場民宿が始まった。そして昭和46年になるとレジャーブームで、アンアン・ノンノン族の若い女性が都会から押し寄せるようになる。

突如起こった「清里ブーム」は、清里駅前を東京原宿通りのように一変させた。地価は高騰し、それまで酪農を基盤に民宿を経営していた農家も、酪農を辞め民宿だけになるものも多かった。

50年代にはいると、洋風のペンションブームに移行して民宿は客が途絶え、土地も売却して去っていく農家が増えた。

平成に入り、文化的レジャー施設が増えるに従い、来訪者は若い女性から家族層に変わり、最近は都会から移り住む人々も多くなってきている。

“選択的土着民”が互いに力を併せて

このように清里は、都会に翻弄された時代を経て今日に至っている。

舩木さんは、「田舎には、都会にない宝物があります。地元の人はそれに気付かないで、そこで生まれたから仕方がないとか、都会の華やかさだけを追い求める人もいます。私は、その地が好きで、その地の宝物を大切にする生き方を選ぶ人を”選択的土着民“と呼び、そうでない人を”宿命的土着民“と呼んでいます」。

「皆さんは、都会からこの地が好きで、ここを選択されました。皆さんも 同じく”選択的土着民“です。双方が互いに力を併せて、これからの新しい地域を創っていきたいと思っています」。

 

その土地の歴史、先人の想いを知ると、より一層その土地に対する愛着が生まれる。田舎暮らしで新しい土地で暮らすなら、まずその土地の歴史を知ろう。

この号は次月号に続く。

(ふるさと情報館 佐藤 彰啓)

信州諏訪/富士見高原カントリーキッチンさんでLIVE

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2014年6月4日

富士見高原の有名店、『月刊ふるさとネットワーク』の常備店でもある八ヶ岳・カントリーキッチンの小池さんよりお知らせを頂きました。

以前から定期的にLIVEを開催しているのは聞いていましたが、今年から第3土曜日はサンサタLIVEと称し、特に6月と12月はチケット制で広く告知をされているようです。

地元の二胡演奏者である劉津閣さんと、東京からアコースティックギターの有望な若い演奏者・松井祐貴さんをお迎えして、富士見高原の自然の中で、音楽と食事を楽しむ贅沢な夜を過ごせそうです。

詳細は八ヶ岳・カントリーキッチン TEL0266-66-3339 まで

カントリーキッチンさんのLIVEチラシ

八ヶ岳・カントリーキッチン
http://country-kitchen.info

手作りパンの焼きあがり時間をチェックしてでも食べたいパンがここにはありますよ!
是非一度ご賞味あれ(西麓担当)