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静岡◆浜松/奥浜名湖の鵺(ぬえ)伝説【所長中村・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2017年6月21日

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遠浅の汽水湖である奥浜名湖には一つの伝説がある。(鵺ぬえ)という仮想の妖怪だ。鵺は『平家物語』などに登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビだという。鵺は平安時代に京の猛者に退治されたが、切り刻まれた身体が遠江(浜名湖)の奥・三ヶ日町の入江に落ちてきたといわれている。

奥浜名湖はその形から猪鼻湖(いのはなこ)と呼ばれているが、その妖怪が落ちてきた場所が鵺代(ぬえしろ)、長い尾が落ちた場所が尾奈(おな)、胴体は胴崎(どうさき)(現在の三ヶ日中学校あたり)に沈んだという。

天浜線に沿っていずれも現在もまだその地名が残っている。

胴崎の東側には津々崎(つづさき)という地区があり、長い石段を登った小山の頂上に湖を見渡せる神社がある。そこと対峙するように正面の位置にあるのが干潮時にだけその姿を見せる湖のなかの鳥居だ。いまも村人たちの手により丁重に鵺を供養しているのだと私は聞いたことがある。

★全6回にわたり三ヶ日の話をしました。季節は夏に向かいつつあります。ミカンの花薫るこの時期お出かけになってみてはいかがでしょうか。

(八ヶ岳事務所 中村 健二)

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静岡◆三ヶ日/奥浜名湖に沈められた戦車?!【所長中村・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2017年4月21日

奥浜名湖周辺はマリンスポーツが盛んだ。「県立三ケ日青年の家」、「ヤマハマリーナ」、「東急リゾート」など諸施設がある。わたしが子供の頃には想像もつかなかった。

奥浜名湖でもっとも水深があるのは大崎地区の「瀬戸」と呼ばれる場所だ。江戸時代の大地震で今切口(いまぎれぐち)と遠州灘が通じ、海水が流れ込んだ汽水湖で、潮の満ち干により豊富な魚介類の漁場でもある。現在の天浜線三ヶ日駅前はもともと遠浅の浜辺であったため、牡蠣や海苔の養殖が盛んでシジミの宝庫でもあった。また、ボラやウナギ、ナマズ、ハゼといった魚も多く取れた。子供会ではボートに乗って潮干狩りに出かけることがゴールデンウィークの楽しみの一つだった。

郷土史家であった父方の祖父の話では、農閑期に村人たちが浜名湖に屋根を取り付けた船を浮かべ、その中で賭け事に興じていたという。真偽のほどはともかく湖上はある意味「治外法権的特権」を受けていたのだという。

瀬戸に架かる橋から飛び込むのが子供たちの肝だめしの最たるものだった。後年小学校から厳禁の命が降ったが、その深海には終戦時に旧日本軍が戦車を沈めたという噂が代々受け継がれている。

三ヶ日町観光協会ではこの旧式戦車を陸に上げる構想があると聞いた。いまさら湖底に沈んだ戦車を見にくる人なんているのかと疑問に思うけれども、けっこう本気らしい。うまく行くことを願っています。

(八ヶ岳事務所 中村 健二)

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現在の「瀬戸」には大きな橋がふたつ架かっている。

静岡◆三ヶ日/数々の伝説と子供たち【所長中村・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2017年3月3日

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浜松市北区三ヶ日町の冬はミカンの出荷に追われる。エースの青島種は品のある甘さが人気で、首都圏などに年明けから集荷されている。この町の一大産業はこの時期活況を呈している。

 

わたしが子供の頃はこの町にいろいろな伝説があった。「三度巻き」と言われる場所には「ダイダラボッチ」の巨大な足跡があったり、平安時代の遺構を残す「瓦塔」が里山の中腹にあったり、能面を祀る「八幡神社」では小学生女子児童が「浦安の舞」を奉納したり、現在の三ヶ日スカイラインには「白蛇神様の祠」があったり、コウモリの生息する「マンガン鉱の洞穴」があったりと、子供達の好奇心と想像力をなにかと刺激する「地域資源」の宝庫であった。

 

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当時、悪ガキメンバーの一員であったわたしも興味津々おそるおそるそうした「施設」に出向き、大将を任ずる年かさのリーダーの旗本よろしく付いて行くのであった。 ある村の行政区は新田(しんでん)、中町(なかちょう)、下(しも)に区分けされ、さらにそれぞれが10班に分かれ、班を取り仕切るのは一門の長(おさ)がなるのが習わしだった。

 

その地で育つ子供たちはやがて、「村祭り」→「青年団」→「消防団」→「公民館館長」として「出世」して行く。それほど地区分団に属する村の子供たちが多かったとも言える。(八ヶ岳事務所 中村 健二)

 

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天浜線の三ヶ日駅は昭和11年築、登録有形文化財に指定されている。

静岡◆三ヶ日/浜松市内の某高校を出て【所長中村・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2017年2月18日

すわたしの通っていた浜松市内の某高校は1学年時の退学者が1割を超えるという(いまは知りませんが)、すさんだところでした。

徳川ゆかりの地名があちこちに残り、三ヶ日というミカンしかない僻地から一人で通う16歳の少年にとっては、ここがかつては歴史の表舞台になっていたということを、大人の階段を一歩ずつ登るにつれ、薄ぼんやりとうかがい知ることとなります。

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技術を生かした製造業中心の地場産業。東海地方の産業の重要拠点である浜松市は、高校や大学で他県等へ進学した学生が卒業後、地元の企業に就職するU ターン者が多いというところも特徴的です。

 

そうした意味で、他の自治体には羨ましい限りですが、北遠地域と呼ばれ、杉の美林地帯の「天竜区(旧天竜市)」や農村地帯の「北区」では人口減少が目立っています。当然高齢化による空き家が増えているとのこと。

 

一方、こうした地域に都会の若者が関心を持ち、移住する人が増えてきています(静岡県の移住担当者による)。中区中心部へも車で1時間程度の立地条件や、年間を通じて温暖である気象条件をかんがみて、自ら移住相談員になる青年層が、お年寄りたちと協力して地域を盛り上げているという話は、わたしの同級生の口からも語られました。

静岡県人であるわたしも、遠くから応援しているよ!杉本くん。

(八ヶ岳事務所 中村 健二)

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新浜松市概要(浜松市HP)
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shiminkyodo/kaigi/chiikikyougikai/ground/index.html