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山梨◆八ヶ岳/余寒のみぎり、2月のお知らせ【八ヶ岳南麓・高根の里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所・中村健二

2020年2月1日

▲八ヶ岳事務所でも年に1回ほど除雪を行います。(北杜市高根町)

冬から春への節目である「節分」は、旧暦では新年を迎えるための年越しの日でした。私の子供の頃は「数え年」が「満年齢」と併記するぐらい一般的でしたので、旧暦の新年を迎えるたびに1つ歳を重ねるご老人たちの話を陽だまりの縁側でよく聞いたものです。

そしてその翌日、4日は「立春」。暦の上では春を迎えますが、実はこの時期が一年でもっとも厳しい時期ではないのかと私は思っています。まだ記憶に新しい2014年(平成26年)2月に山梨県内を襲った豪雪は、立春後の14日から15日にかけてのことでした。日本の南海上を発達しながら東上する低気圧によって(14日09:00から15日の09:00までの24時間で14㍱ 下降)、過去に例をみない大雪が山梨県内に降りました。甲府の最深積雪は114センチに達し、完全にマヒ状態となってしまいました。普段積雪の少ない地方の弱点を完全に突かれた格好です。

▲2014年2月14日、15日天気図:前日から南岸低気圧の通過と大陸の高気圧の張り出しによって、等高線が縦じまの冬型の気圧配置に変わっていった。

その後自治体では除雪予算を増やしてエリアメール等で住民への周知を徹底するとともに、地元の建設業者の協力を受け初動体制を見直してきました。私はといえば、東京での移住相談会があり八ヶ岳へは戻るに戻れずじまい。八ヶ岳倶楽部にお勤めで近所にお住いの方に、除雪機で道路を雪かきしていただいたおかげで大いに助けられた次第。このときの教訓として「ここでは人里離れた一軒家には住まない。持つべきものは付かず離れずの交友関係」でした。自然の「恩恵と脅威」が身をもって分からせていただいたその年の2月でした。

◆山梨の今年の花粉症について

「春は名のみの風の寒さや」の歌詞で知られる『早春賦』は信州安曇野あたりの情景をうたった唱歌といわれ、山あいに住む人々にとっては皮膚感覚にうったえてくるものがあります。山国の春を待ちわびるこの2月は、これまでどことなく希望が湧く季節であったものが、いつの頃からか花粉症の始まる辛い季節に変わってしまった、と言ったら大袈裟でしょうか。

とにかく2月中旬から3月下旬までのスギ花粉、3月下旬から5月上旬まで続くヒノキ花粉は、それを報ずるテレビ画面を見るだけで鼻のあたりがムズムズ。私がこの症状を発症したのは2005年ごろで、南巨摩郡増穂町(現富士川町)あたりをよく案内していたころと重なります。ここはご存知の方も多いと思いますが県の森林研究所があるくらいでほんとうに杉の植林がみごとな場所です。

で、今年はどうなのか?どうやら平年よりも少なめだとの予報が出ています(山梨県のHP参照)。昨年は過去30年で3番目に多い飛散量でしたが、今年は平年(過去10年間の平均総飛散数は4207・0個/㎝)以下の飛散量だそうです。その原因は、昨年の7月の日照時間の少なさが影響しています。北杜市大泉町のアメダス(標高867m)の観測では昨年の7月は79・1時間と過去平均日照時間(163時間)の半分以下。実際に梅雨明けが7月29日ごろと一昨年よりもほぼひと月ほど遅れ、稲の作況指数にも影響が出るような数字でした。まあ、数字的なことは別にしてもマスクが手放せない時期ですね。私的にはこの時期の歌としては1973年の「早春の港」(歌手は南沙織)の方が思い出深いです。 (八ヶ岳事務所 中村健二)

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やまなし花粉症ポータルサイト
https://www.pref.yamanashi.jp/kafunsho/index.html

 

◆甲斐適生活相談会のお知らせ

 

2月22日(土)に東京・有楽町の交通会館で山梨県内の自治体や民間企業、就職・就農相談など、山梨県への移住・定住の相談会「甲斐適生活相談会」が行われます。デュアルライフ(二地域暮らし)、子育て移住、中高年者の第二の人生応援、空き家解消など、さまざまなテーマで取り上げられているのが昨今の地方移住といえます。お問い合わせ:八ヶ岳事務所(電話0551 ‒46 ‒2116)

栃木◆那須/鬼が恐れた「渡辺姓」初めてのワクワク節分体験‼【高久の里山日記リターンズ】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2017年3月19日

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嫁いで初の「節分」体験

yatsukagashi   私の実家は「節分の豆まき」をする習慣の無い家で、子供の頃から「豆まき」にとても憧れていました。嫁いで初めての「豆まき」の時には、嬉しくてワクワクしながら家列に従って「豆まき」の準備をしました。節分の日の夕方、寒~い台所で教わったように、イワシと大豆を同時に炒ったり焼いたり、イワシを焼く煙に咽返りながら、大豆を焦がさない様に手際良く炒るという作業は、私にとって初めての大仕事でした。夢中でやっていると、

「イワシにツバを付けながら焼く!」

と声が掛り、「えっ!」と返す言葉も無く、おまじない程度に付けながら焼いたものでした。(本当は頭だけにつけるらしい)

炒った大豆は一升ますに入れ、神棚に供え、イワシは頭だけを大豆の枝に刺し「ヤッカガシ」という厄病除けのおまじないを作ります。「豆まき始めるよ~!」と声が掛かると、戸を全開にした玄関先に「ヤッカガシ」を持ち待機し、「オニは外!」と家長のまいた豆に追われる様に屋敷内の建物の各戸口に差して周ります。

「豆まき」が終わるとすぐ玄関の戸を閉め、年の数だけ豆を食べお神酒をいただいて無事終了です。升に残った豆は、「初午」に「しもつかれ」という郷土料理に使われます。

初めの頃は珍しく楽しかったのですが、子供達が巣立ち、夫婦2人きりになった時、真っ暗闇の凍て付く様な寒さの中を「ヤッカガシ」を手に持ちあちこちの戸口に差し歩くのが億劫になり、いつの間にか自然消滅しました。

豆まきをしない「渡辺家」の節分

私の実家の節分は、毎年父親が「わが家のご先祖様に“渡辺 綱”という強~い武将がいて、鬼の腕を切り落としたので、苗字が「渡辺」の家には恐れて鬼が近寄って来なくなったから、「豆まき」をしなくて良い」と自慢気に話したものでした。

ある日友達に鬼退治の話をすると、「鬼ヶ島のオニなの?」といわれ、父親に聞くと「羅生門という所に巣食っていたおっかな~い鬼の親分だよ」と教えてくれました。何となく消化しきれないまま月日が流れ、すっかり忘れていたある日、久しぶりに帰省するといつも口数の少ない母親が、せきを切った様に話し始めました。

先頃「渡辺綱の石塔を見せてほしい」と、ある大学の教授という人が学生を数人連れて訪ねて来たそうです。「きっと酒飲んだ時につい言っちゃったんだね~。どこからどう伝え聞いたのか分からないけど、まったく困ったもんだ~。」とあきれ顔で私に訴えていました。その時、「父ちゃんは作り話をしていた?」と心の中で思ってしまい、その後この話は忘れる事にしていました。

先日、「豆まきをしない渡辺さん」の話をテレビで観た!と知人が教えてくれ、久しぶりに鬼退治の話をする父親の顔を思い出しました。

私の集落には「渡辺姓」の家が6軒並んでいて、東側3軒が「豆まき」をしないそうで、ご先祖様が同じということが最近分かりました。

「父ちゃんの作り話ではなかった・・・」

と今頃になって分かり、胸につかえていたちっちゃい何かが取れました。もうすぐ亡き母の命日になるので、墓前に報告して来ます。  (那須店 高久 タケ子)