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岩手◆遠野市/世紀の大修理~重文・旧千葉家住宅~【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2023年12月12日

▲遠野ふるさと村の南部まがり家。

物件の見学、特に歴史のある古民家を案内する際、度々お客様からこんな質問を受ける事があります。

「建物の屋根を茅葺きにする事は可能ですか?」

やはり遠野周辺には〝南部まがり家〞の名残がある、というよりも茅葺きだった屋根を瓦やトタン屋根に葺き替えて住んでいる家も多く、茅葺き屋根をイメージしたくなるのも必然ですよね。

しかしながら、現代で再現できる技術を持った人材の不足、維持管理の難しさ等から、「難しい」とお答えせざるを得ないのが実状です。

とは言え、遠野の茅葺き屋根は途絶えた訳ではなく、日本の原風景を五感で感じられる〝遠野ふるさと村〞や〝伝承園〞などの観光地の他、神社仏閣でも茅葺き屋根を継承している建物が度々見られます。

その中で今回紹介するのが国指定の重要文化財「旧千葉家住宅」です。

遠野市綾織町に構える〝千葉家〞は約200年前となる天保の時代に建てられた南部まがり家で、代々の千葉家が修繕しながら住み続け、遠野観光の中心的役割も担ってきました。

平成19年に重文に指定され、市が譲渡を受けた後の平成28年の6月、数十年にも渡る保存修理工事が開始したのです。

平成に始まった世紀の大工事は令和に入った今も続いており見学する事は出来ませんが、遠野市のホームページよりその工事の様子を見る事が出来ます。

後世に残していきたい文化の一つですね。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)

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旧千葉家住宅

千葉家住宅は、天保年間(1830-1844)に当時の千葉家当主である四代喜右衛門(1792-1870)が、飢饉で困窮した人々の救済のため、約10 年の歳月をかけて普請したと伝わる茅葺屋根の南部曲り家です。その後代々千葉家が修繕しながら守り続け、昭和49年(1974)からは「南部曲り家 千葉家」として公開し遠野観光の中心的役割を担ってきました。平成19年(2007)に主屋と附属建物及び宅地が国重要文化財に指定され、平成25年(2013)には遠野市が譲渡を受け、観光施設としての活用を継続しながら、保存整備工事に向けた準備を進め、平成28年(2016)6月に保存修理工事が始まりました。整備事業は文化庁の補助を受けて進めています。なお、令和4年9月20日に宅地内の「便所」が国の追加指定を受け、あわせて指定名称が「千葉家住宅」から「旧千葉家住宅」に変更となりました。(遠野市ホームページより引用)

秋田◆秋田/菅江真澄~その2~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年5月18日

▲菅江真澄の肖像画。

民俗学者柳田国男は昭和のはじめ、菅江真澄(すがえますみ)を「日本民族の先学」と紹介しているが、真澄が記録した中世の資料は、東北地方の歴史を知るうえで貴重なものです。

アイヌを紹介した記録や鎖国という国是の中にあって、ロシアなどに漂流した人々の記録は江戸時代の社会構造を知る上で貴重な資料です。

▲男鹿の「なまはげ」説明入り絵図。

真澄は46年間を旅に暮らし、その間、130種240冊もの著作を残し、その体裁は日記・地誌・随筆・彩色された図絵集など。

その内容は民族・歴史・地理・国学・詩歌・宗教・本草などの分野におよぶ。

旅の中で、藩主一族・武士・神官・僧侶・医師などのほか、農漁夫・工夫・職人さらに乞食・遊芸人・遊女などにも記述し、暖かい目を向けていたようです。

これらの著作の日記や地誌など77冊12帖が国の重要文化財に、46点が秋田県有形文化財に指定されており、関係のある道府県でも大切に保存されています。

▲ 秋田県内400ヶ所に建立の真澄足跡の標柱。

真澄の旅の目的は最初の日記に「この国のすべての古い神社を拝みめぐって、幣を奉りたい」とあり、写生帳には「自分は国々を巡り歩いて、珍しいところ、珍しい道具、珍しい風俗など目にとまったものを下手ではあるが絵として持ち帰り、絵の上手な人の協力を得て刊行したい」と記しているが、自らのことをほとんど語っていません。

真澄の業績や真相など興味が尽きないので今も多くの人々や団体が研究しています。(つづく) (秋田駐在 片山保)

※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その3』、『その4