嫁いで初の「節分」体験
私の実家は「節分の豆まき」をする習慣の無い家で、子供の頃から「豆まき」にとても憧れていました。嫁いで初めての「豆まき」の時には、嬉しくてワクワクしながら家列に従って「豆まき」の準備をしました。節分の日の夕方、寒~い台所で教わったように、イワシと大豆を同時に炒ったり焼いたり、イワシを焼く煙に咽返りながら、大豆を焦がさない様に手際良く炒るという作業は、私にとって初めての大仕事でした。夢中でやっていると、
「イワシにツバを付けながら焼く!」
と声が掛り、「えっ!」と返す言葉も無く、おまじない程度に付けながら焼いたものでした。(本当は頭だけにつけるらしい)
炒った大豆は一升ますに入れ、神棚に供え、イワシは頭だけを大豆の枝に刺し「ヤッカガシ」という厄病除けのおまじないを作ります。「豆まき始めるよ~!」と声が掛かると、戸を全開にした玄関先に「ヤッカガシ」を持ち待機し、「オニは外!」と家長のまいた豆に追われる様に屋敷内の建物の各戸口に差して周ります。
「豆まき」が終わるとすぐ玄関の戸を閉め、年の数だけ豆を食べお神酒をいただいて無事終了です。升に残った豆は、「初午」に「しもつかれ」という郷土料理に使われます。
初めの頃は珍しく楽しかったのですが、子供達が巣立ち、夫婦2人きりになった時、真っ暗闇の凍て付く様な寒さの中を「ヤッカガシ」を手に持ちあちこちの戸口に差し歩くのが億劫になり、いつの間にか自然消滅しました。
豆まきをしない「渡辺家」の節分
私の実家の節分は、毎年父親が「わが家のご先祖様に“渡辺 綱”という強~い武将がいて、鬼の腕を切り落としたので、苗字が「渡辺」の家には恐れて鬼が近寄って来なくなったから、「豆まき」をしなくて良い」と自慢気に話したものでした。
ある日友達に鬼退治の話をすると、「鬼ヶ島のオニなの?」といわれ、父親に聞くと「羅生門という所に巣食っていたおっかな~い鬼の親分だよ」と教えてくれました。何となく消化しきれないまま月日が流れ、すっかり忘れていたある日、久しぶりに帰省するといつも口数の少ない母親が、せきを切った様に話し始めました。
先頃「渡辺綱の石塔を見せてほしい」と、ある大学の教授という人が学生を数人連れて訪ねて来たそうです。「きっと酒飲んだ時につい言っちゃったんだね~。どこからどう伝え聞いたのか分からないけど、まったく困ったもんだ~。」とあきれ顔で私に訴えていました。その時、「父ちゃんは作り話をしていた?」と心の中で思ってしまい、その後この話は忘れる事にしていました。
先日、「豆まきをしない渡辺さん」の話をテレビで観た!と知人が教えてくれ、久しぶりに鬼退治の話をする父親の顔を思い出しました。
私の集落には「渡辺姓」の家が6軒並んでいて、東側3軒が「豆まき」をしないそうで、ご先祖様が同じということが最近分かりました。
「父ちゃんの作り話ではなかった・・・」
と今頃になって分かり、胸につかえていたちっちゃい何かが取れました。もうすぐ亡き母の命日になるので、墓前に報告して来ます。 (那須店 高久 タケ子)