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秋田◆秋田/東海林太郎~その1~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】 

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年11月16日

▲東海林太郎音楽館・大鵬ミュージアム

秋田市に「東海林太郎音楽館・大鵬ミュージアム」が大鵬夫人の実家(和菓子店)所有ビルの二階にある。

昨年、縁あって音楽館の管理人ボランティアを少し勤めた。

東海林太郎(秋田市出身)の知識と言えば、燕尾服と直立不動の「赤城の子守唄」程度であったが、資料が豊富で、プロダクションからは今度武田鉄矢の番組で使う歌のレコードの有無の問合わせなどがよくある。

東海林太郎の伝記や遺品を見ているとただ歌がうまいというだけはなく、小学校の成績はオール甲、体操、陸上競技にも秀でていた。

太郎が小学生の時に父親は突然県庁を退職して、満州鉄道に入社。太郎と次男は祖母の手で育てられることになった。

中学の同級生のバイオリンを借りてひき続けているうちに魅せられて満州の父にバイオリンをねだったところ、三越から長い箱の小包が届いた。ワクワクしながら開けると空気銃が一丁。父はこれで体を鍛えろとのことで、後に太郎はあれほどがっかりしたことはないと語っている。

音楽の道に進もうと現東京芸大に合格したので父親に知らせると「音楽などの他人の施しを受けるような職業を目指すなら即刻勘当する」と言われ、やむなく早稲田大学商学部に入学した。同学年には浅沼稲次郎や瀬尾俊三(雪印乳業)、斎藤憲三(TDK)などがいる。

父の勧めもあり満鉃に入社してエリートの課に配属され「満州における産業組合」というテーマの論文を提出したが、富の公平化を図るべき等率直な意見が経営者の反感で辺境の地に左遷された。

今日、彼の論文は日本植民地史の大切な資料とのこと。(つづく) (秋田駐在 片山保)

秋田◆秋田/菅江真澄~その6~『疱瘡(もがき)を病む子供』【地域駐在スタッフ・秋田からの風】  

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年9月25日

真澄は風習の絵や悍ましいことも記録している。


信濃の国の御嶽山の辺りでは、疱瘡を病んだ子供を捨て置く習俗(家庭内感染防止)があり、山中の切り拓いた平地に小屋掛けをして赤い頭巾を被った子供を寝かせ、傍らに櫃・鍋・器を置く(上記絵)。

乞食たちがこの子供に飲食させ、全快した日に家に送り返すと返礼として物を与えたという。(乞食たちはすでに疱瘡にかかっていれば感染しないことを知っていたようだ)


疱瘡の出た家の周囲に垣根を造って囲い、血縁の有無を問わず、訪問することをひかえていた。(これは近代医療以前の感染対策を知る上で貴重であるといわれている。)(上記絵)

また、天明の大飢饉(1782〜88)の頃に岩木山の北辺の村の小道に分け入ると、春先の雪がムラになって残るように、草むらに人の白骨が沢山散らばっている。

また、うずたかく積まれている。額の穴に、ススキや女郎花が生出ているものもある。

見る心地もなく拝んでいると、知らぬ人が「見たまえ、これは皆、飢え死にした人の屍だ。過年卯の年のだ。

今、こうやって道を塞ぎ、行き交う人は踏み越えて通うが夜道ともなれば誤って骨を踏み朽ちただ。」と言う。

死なば死ね、生きて憂き目の苦しさを思えば・・・とも思う。彼らは藁をついて餅にして食べたり、蕨の根を掘って食べ、今まで命を永らえてきた。(秋田駐在 片山  保)

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※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その3』、『その4』、『その5

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秋田◆秋田/菅江真澄~その5~『男鹿の涼風』【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年8月11日

▲ 蝦夷百合のスケッチ 左は女草、右は男草。

朝ドラで牧野富太郎がにぎわっているが、真澄の『男鹿の涼風』(1810年)に「蝦夷百合」のスケッチがある。

真澄が北浦(男鹿市)の辺りを歩いていると、馬草を刈った中に蝦夷百合が交じり、その花に朝露が置いていた。

アイヌは蝦夷百合を「ぬべ」といって食料にしていたが、男鹿の人は「えぞろ」といって、米に混ぜて飯にしたり、餅にしたり、煮たりして食べている。味がいいのだろう。

草には雌と雄があり、多くは女草の根を採り、男草は四月末から五月初めに採って食べる。男草は紫黒色の小花を開くが、女草は花を付けない。

真澄研究者の調査では、地元の「えぞろ」を食用とした人に聞くと、「おとこえぞろ」には「す」があって食べられないが「おんなえぞろ」は根に養分があってうまい。

今年「おんなえぞろ」と呼ばれても来年は花を付けるので「おとこえぞろ」になるという区別を指す。

葉が萌え出てから田植え頃までに堀り、根元のしゅろ皮を剥いて白いところを食べる。

従来、これら植物は根茎に毒を持つといわれているが、男鹿・八森地方では近来まで「えぞろめし」を食べていたという。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その3』、『その4