ブログ

北海道◆鶴居村/丹頂鶴のふるさと情報館【本部スタッフ・ご当地ローカル発見伝】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年11月9日

▲道東・道北の開拓事業における影の立役者であった簡易軌道の自走客車。地方鉄道法にも軌道法にも準拠せず、1972年の全廃に至る最後の最後まで法的根拠が曖昧な鉄道車両であった。

よく取引先の方からは、「ふるさとさん」「情報館さん」「ラーバンさん」と来て、終いには「住宅情報館®さん」「不動産情報館さん」「なんとか情報さん」となかなかフルネームで呼ばれることのないもどかしい日々を過ごしています。

その度に毎回お約束のように弊社の紹介をさせて頂く際は、「ふるさと情報館」は屋号やグループ名のようなもので、法人名としては不動産会社が「(株)ラーバン」で、出版会社が「(株)ふるさとネット」なんです・・・と。

ちなみに「ふるさと情報館®」は1998年に弊社が特許を出願した登録商標であり、無論検索するとトップページに来るのは弊社に関連したリンクですが、皆さん予測変換リストを隅々までご覧になられたことはありますか?

▲「Furusato Information Center」英訳すると弊社の屋号はこういう表記になるんですね、と妙に感心してしまいました。

何やら現在掲載物件がないはずの新城市(愛知県)や鶴居村(北海道)がヒットすることと思われます。

この2箇所は弊社とは全く無関係の公立図書館の名称であり、今回のテーマである鶴居村ふるさと情報館「みなくる」さんは、鶴居村の歴史や釧路湿原、酪農、開拓、そして道路網が発達するまでに住民の足として欠かせなかった乗り物「鶴居村営軌道」も展示されています。

北海道阿寒郡鶴居村は、1923年(大正12年)の関東大震災による被災者救済を目的とした国の移民事業を契機に入植が加速し、村名は文字通り丹頂鶴の群生地となっていたことに由来します。

▲丹頂鶴の頭の赤色は毛の模様が赤いからでなく、皮膚の血豆が露出しているから赤いという事実。あなたは知りたくなかったですか?

場所は釧路市北部の釧路湿原国立公園の北隣に位置し、釧路空港へのアクセス環境や手厚い福祉・医療制度をアピールしていることから、札幌一極集中が進む中で珍しく人口が増加しており、日本で最も美しい村連合に加盟中。

村内の主要施設は徒歩で回れる範囲で完結していることも、移住の決め手となる理由の1つだそうなので、今後弊社で新着物件が鶴居村で発生すると、担当営業としてすぐ成約に至るような気がしてなりません。(本部 髙橋瑞希)

東京◆本部/五所川原立佞武多たちねぷた祭り【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年11月3日

▲地元の誇る五所川原立佞武多祭りへ行ったときのこと。(写真はイメージです)

私事ですが、お盆中に地元青森県五所川原市に帰省しておりました。

夏の時期に五所川原立佞武多たちねぷた祭りが開催され、東京に上京してからも毎年見に行く大好きなお祭りです。

歴史を遡ると立佞武多は明治時代から大正時代の初期にかけて巨大ねぷたとして始まったそうです。

その後小型化していきましたが、平成8年に巨大ねぷたが復活して立佞武多と命名され、平成11年からは祭りの名称も五所川原立佞武多になりました。

青森ねぷたと構造は同じですが五所川原立佞武多は、高さが約23メートル重さが19トンと私より少し小さいぐらいです。冗談はさておき、非常にサイズの大きい迫力ある立佞武多が台車に乗り数十人の引き手が台車の左右に付けたロープにとりつき2列になって引きます。

2列の間には、太鼓、笛、手平鉦てびらがねで構成される数人の囃子方が囃子を奏し先頭となり、次いで数十人のハネトが「ヤッテマレ」などのかけ声をかけてはねながら続きます。何度見ても感動するものです。

ふるさと情報館で働き始め沢山の都道府県に行きましたが、やはり地元青森もいいなと思いました。(本部 浅見 修光)

香川◆土庄町/海から登る?海へ落ちる?参道 ・富丘八幡神社【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年10月21日

▲真っすぐな階段の先に広がる瀬戸内海の景色。1000年前の人は何を思いこのようにしたのでしょうか。

小豆島の一番大きな港・土庄港から車で10分ほど。恋人の聖地「エンジェルロード」を右手に見ながら市街を抜けると、海岸線から直ぐに立ち上がった里山が見えます。その頂上に鎮座しているのが富丘八幡神社。

道路沿いの広場が参道上り口になっており、いきなりかなりの傾斜の階段。その斜面には江戸時代に作られた石積みの淺敷がたくさんあり、その様相は神聖を感じます。

歩を進めるにつれ海が現れ、どんどん視界が開けていきます。踊り場を過ぎ左に90度向きを変えると、そこには社殿に向かって真っすぐ続く階段が出現。

「まだ続くのね〜」と、小言を言いたくなりますがそこは神聖な場所、ぐっと堪えて歩みを進める。頂上の社殿直前で右に目を向けると駐車場が!「えっ、車で上がれるの!」と更に小言を言いたくなりますが再度我慢。背中で息をしながらラストスパート。

なんとか頂上に着き後ろを振り返ると、疲れと小言がいっぺんに吹き飛ぶ絶景が広がります。

瀬戸内海と小島の景色はよくありますが、それに海から登る?はたまた海へ落ちていくような参道(階段)が加わった景色。一日中見ていられそうです。

創建から1100年、当時の人はあえてこの景色を意識して作ったのでしょうか。絶景が目に飛び込んでくる最後の振り返った瞬間、これを是非体験しにお出掛け下さい。もちろん、小生はしっかりお参りもして帰りました。(本部・香川担当 金澤和宏)

福島◆会津若松市/湯船に200円貯金の試み【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年10月19日

▲湯川沿いにライトアップされるため、夜の東山温泉は意外と明るい。

東北地方随一の歴史城下町である会津若松市は、市内に2箇所温泉街を抱える県内有数の温泉都市でもあります。

1つ目はひまわり畑と風力発電所のある会津布引山を源流とした、阿賀川へ注ぐ湯川沿いに立ち並ぶ開湯1300年の歴史を誇る東山温泉。江戸時代には鶴ヶ城から東へ4㎞という好立地から、会津藩の奥座敷として栄え、山形県の湯野浜温泉(鶴岡市)・上山温泉(上山市)と共に奥羽三楽郷と呼ばれました。

2つ目は南会津郡下郷町との間に建設された大川ダム・若郷湖の下流にある、阿賀川の渓谷沿いに開かれた風光明媚な芦ノ牧温泉。近年では社会現象を巻き起こした大人気アニメ「鬼滅の刃」で登場した無限城のモデルとされたホテル「大川荘」が、聖地巡礼スポットとしてコロナ禍後の観光客呼び戻しに一役買ったといいます。

▲東山温泉は様々な病に効く万能湯として、江戸時代より湯治場として栄えた。

この2つの温泉地に共通している点といえば、開湯1200〜1300年の長い歴史、川沿いにある渓谷美とマッチした温泉街、栃木〜福島にかけて多い「塩」にまつわる地質の塩化物温泉、そして何よりバブル期に倒産した廃墟ホテルが目に付く点でしょう。

日本は戦後旅行ブームにより全国各地に温泉ホテルが建設されたものの、バブル崩壊・リーマンショック・コロナ禍と、景気悪化により大口団体客を失ったことで経営が立ち行かなくなり、会社倒産で所有者不在になった廃墟ホテル群が社会問題となっています。

こういった建物は老朽化による倒壊の危険性、治安の悪化、美観の低下など様々な課題が現れるものの、地方自治体としては特定危険空き家のように、行政代執行後に解体費を請求しようとしても請求先そのものが消滅しており、現在の財政状況からの解体費の捻出は市民からの理解を得られず、にっちもさっちもいかないのが現状。

▲芦ノ牧温泉は阿賀川の渓谷美を楽しめるため、冬はより一層美しさを増す。

そこで会津若松市では景観向上に向けた財源確保を理由に、今年10月1日より10年間、既存の入湯税150円から350円へと大幅に値上げすることになりました。1人頭200円の湯船貯金が、鄙びた温泉街を生まれ変わらせてくれる救世主となることを切に願います。(本部 髙橋瑞希)

埼玉◆長瀞町/秩父のおすすめスポット~長瀞ライン下り~【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年10月16日

▲船から見た青々とした荒川。

先日、秩父郡長瀞町で気になっていた「長瀞ライン下り」を体験しに行きました。仕事では秩父に何度か訪れた事がある私ですが、プライベートで遊びに行くのは初めてです。

長瀞駅からお土産店が立ち並ぶ「長瀞岩畳商店街」を抜けると、そこに見えるのが長瀞ライン下りの発着点です。突如として現れる荒川や岩畳の姿は、非常に美しく迫力満点でした。

長瀞ライン下りは大正4年にはじまり、100年以上の歴史を持つそうです。当初は人を乗せる目的ではなく、東京まで木を運ぶために始まったそうです。

ライフジャケットを着用し、いざ舟に乗りドキドキの15分間の始まりです。20人程のお客様を乗せ、勢いよく川を下って行きます。

船頭さんが竿と呼ばれる棒で水中の岩を突いて前進します。ひたすら力を込めて突くだけではダメらしく、突きどころが大事だそうで、どこの岩をどのタイミングで、どう突くかを何度も川を下る中で徐々にコツを掴んでいくそうです。

途中で岩に当たりそうになり危ない!っと思いびっくりしたのですが、そこは数センチの擦れ擦れで岩にはぶつからない。計算された船頭さんのプロの業を見れて感動しました。

岩畳や周りの木々に囲まれながら、大自然を満喫できるラインくだりでは、魚や亀やカモなど様々な生き物も見れて癒やされます。

これから紅葉の季節になり美しい秋の季節が見れるそうです。皆さんも長瀞町に訪れた際は周りの景色を楽しみながら青々とした空間が魅力の長瀞でラインくだりを体験してみてはいかがでしょうか。(本部 浅見修光)

新潟◆新潟市/長岡大花火大会2025【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年9月28日

▲フェニックス花火 金澤撮影。

毎年、我が家の恒例行事となっている長岡花火大会観覧。8月2、3日は黙っていても家族全員が休みを取ります。

日本三大花火だけあり、例年多くの人が全国から訪れます。

聞くところによりますと、市内のレンタカー店は大渋滞のため仕事にならず休業するほど。

花火大会の始まりは長岡大空襲の慰霊祭として始められた「長岡復興祭」。それが1946年8月1日に行われたとは驚きです。

今年は戦後80周年の節目ともなり、特に戦没者遺族のご家族にとっては特別な思いがあったことでしょう。

また、長岡は中越地震、中越沖地震と二度の大きな地震に見舞われ、そこからの復興を祈念して誕生したのがメインとなるフェニックス花火。言わば、祭りとしての花火ではなく、復興を願う花火です。

全長2㎞に及ぶ連続打ち上げ花火は、空が割れるのではないかとの大迫力。その他正三尺玉、尺玉100連発など、一つ一つの花火がとにかく大きい。しかも2夜連続でやるというのが凄い、の一言。

これを見ることで気持ちが引き締まり頑張れます。皆様も是非一度は生でご覧下さい、感動で涙が出ますから。(本部・新潟担当 金澤和宏)

山梨◆甲府市/山梨の酒が呼んでいる【本部スタッフ・地方出張余話】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年9月21日

▲鳥もつ煮。

いきなりですが、私はお酒をたくさんたしなむ口です。週8でお酒を呑んでも平気です(7日しかないと突っ込みを入れて欲しい)。

美味しいお酒を呑みながら美味しいご飯を食べる、この時は至福を感じます。

先日、人生初めての山梨県に行った時のこと。甲府の居酒屋にふらっと立ち寄りました。店内はお客さんで賑わっており、ここは人気店のようです。

テーブルに着き、『鳥もつ煮』と『ビール』を注文。

鳥もつ煮は鶏の砂肝やレバー等を煮込んだ山梨の郷土料理です。甘辛い濃厚な醤油ダレと多彩な食感のハーモニーにビールが進みます。

お次は『馬刺し』を肴に『谷櫻』を頂きました。

▲馬刺しと谷櫻。

山梨では歴史的背景から馬刺し文化が根付いており、馬刺し好きの私には堪りません。

谷櫻はほんのり甘く切れの良い、地元の純米吟醸。酒造りに使う米を精米するところから自社で行っています。

馬刺しに薬味を乗せ口に運び谷櫻で流し込む。美味い!気づいたら二合飲んでました。

最後の締めは『シャトーメルシャン』。長い歴史をもったワインの原点とも言えるブランドです。白はフルーティーで軽く、赤はしっかりした味を感じました。やはり山梨のワインは美味い。

気づいたらさすがの私もこの日は酒に酔わされていました。どうやら、私と山梨県は相性が合ってそうです。また美味い酒と肴を求め山梨に来ようと帰り道に千鳥足で誓うのでした。(本部 浅見修光)

岩手◆八幡平市/雲上の楽園、その後【本部スタッフ・ご当地ローカル発見伝】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年9月18日

▲雲上の楽園も今やゴーストタウン化し、RC造のため今後百年以上はその姿を維持しているだろう。

岩手県八幡平市は県内北西部の奥羽山脈東麓に位置し、2005年に西根町・安代町・松尾村が対等合併して発足した市町村。

その中でも松尾村にあった松尾鉱山は古くから硫黄が採掘されることが有名で、江戸時代中期には既にその存在が知られていた。

戦前になるとその大型資本による本格的な開発が進み、一時期は東洋一の硫黄鉱山として隆盛を極めました。

当時は家賃無料・水道光熱費無料に加え、サラリーマンの当時の平均賃金の3〜4倍保証と、現代から見ても破格の待遇を提示していたことから、ヤマに入る男たちは後を絶ちませんでした。

まだ一般的な公団住宅が普及する前から、インフラ完備の鉄筋コンクリートのアパートや教育施設、映画館、病院等が標高約900mの山奥に聳えるその光景は、まさに「雲上の楽園」と呼ばれもてはやされました。

しかし坑内での落盤・爆発・火災事故も多かったことから、いわゆるハイリスク・ハイリターンの仕事だったため、人の入れ替わりも一際激しかったといいます。

そして高度経済成長期に入ると、産出される硫黄の需要減や生産コストの増大から一気に経営が傾き始め、エネルギー革命により日本各地の炭鉱が閉山し始めた時期と同じ1969年に経営悪化から閉山。

その結果莫大な解体コストがかかるRC構造の緑が丘アパート群は放置され、閉山から半世紀以上経過した今でもひっそりそこに人々の繁栄と衰退の歴史を証明しています。(本部 髙橋瑞希)