▲所有者の案内で暖かい2階の室内へ。
今よりずっと若いころ、地方都市の街づくりのコンサルを10年ほどしていたことがあり、そこでもなかなか貴重な体験をさせていただいた。地権者、自治体、建設省、業者それぞれが思惑のなかで蠢くさまは、当時の私には魑魅魍魎にしか見えなかった。
唯一慰められたのは現場近くのリゾート地・軽井沢の自然環境だった。中軽から国道18号線を越えると、田園地帯が広がり風景が一変する。小さな塩沢湖のほとりにたたずむのが赤い外壁のペイネ美術館だ。建築家アントニン・レーモンドの夏の家を移築したものだという。
さて、話は昨年晩秋のこと。東北自動車道松尾八幡平インターから乗った車は、秋田自動車道横手インターを出て、国道107号線をひたすら西へ。この道は太平洋側(岩手県大船渡市)と日本海側(秋田県由利本荘市)を繋いでおり、列島を東西189キロにわたって切り結んでいる主要国道だ。
昨年の10月末に1通のメールが届いた。秋田市在住の主婦からだった。
内容は「(物件は)夫の実家で家はすぐにでも住める状態です。1階は土間、2階は住居です。子供たちは将来も活用する気はなく、ここを活かして住んでくださる方にお譲りしたいと思います」。物件の住所のほか、土地は300坪、建物は1999年築の総2階で延100坪あり、家の前まで除雪されるという情報を元に衛星写真で探してみたものの、現地は特定できず。ただ、その字名では該当するような建物は1軒のみ。後日改めてお会いする約束をして、訪ねたのがちょうど紅葉の最終盤の日だった。
物件は丘の上に建っていた。夕日を背にそれは光り輝くように私を待っていた(気がした)。外壁はみごとに赤く、20代のころに見たあの軽井沢の夏の家?
▲赤い外壁の物件(秋田県由利本荘市東由利宿)
道に迷い1時間半遅れの私を労ってくれ、寒いからとすぐ室内へ。なんと長いスロープが2階へ続く廊下となっているのだった。レーモンド建築の特徴の一つは「斜行廊下」である。建物内をぐるりと回遊するスロープはゆっくりと五感を働かせながら上へも下へも移動する。人の動きに合わせて内外の風景は少しずつ移ろっていく。
「この建物はどなたが建てられましたか?」と私。
「近所の知り合いの大工です」と所有者。
詳細を見るまでもなく、大建築家の建物とは明らかに一線を画す作り。しかしながら、眩暈とともにデジャブのような30年目の邂逅を私はどこかで楽しんでもいた。
▲高台に建つ母家(奥)とお蔵(手前)
所有者の夫の先祖がこの地に住み始めたのは江戸時代後期の安政年間だという。第1回パリ万博が開かれたり安政江戸大地震があったりしたころだ。小作人のご先祖が勤勉に土地を耕し、屋敷を広げていき160数年後の今日、数町歩に広がった田畑や山林を有しこの地方で一目置かれる存在にまでなったという。
また、三味線を奏する師範としてこの広い建物内で「授業」もして来られた。しかしながら、広い土地と建物はそれゆえ、かえって身内からは敬遠される存在となってしまった。
当地はいま、越冬期を迎えています。本件の物件化は今年の春(5月号あたり)に改めて本誌でご紹介させていただきます。乞うご期待を!(北東北担当 中村 健二)
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ペイネ美術館
http://www.karuizawataliesin.com/look/peynet