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信州◆富士見町/八ヶ岳西麓・土地に根ざす、道端の観音さま【諏訪ぐん!ぐん!】

この記事の投稿者: 富士見・原村案内人/伊藤 やよい

2017年3月31日

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今売り出し中の富士見町の土地の一つに、興味深い軌跡が感じられる物件があります。

少し小高くなった赤松のある土地で、富士山や南アルプスを望めるという情緒あふれるものですが、さらに土地の中にいくつかの石碑群が建っているのです。

田舎物件にはたまに祠や石碑が残っているものがあり、そんな物件をご案内中のときにお客様から「これ、お墓なんですか?」と少し心配げに聞かれることがあります。

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確かに古い民家の売買の時には屋敷の裏に墓石がある場合もあります。墓石の場合はその家の人が承継するべき祭祀財産ですから、売買によって土地建物の所有者が変わる場合は、墓石は前の所有者の責任で移設をします。

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富士見町(小六)850万円  詳細はこちら

でもお墓ではない場合もあります。屋敷神(祠の形)や道祖神(夫婦らしき石仏や文字)、山岳信仰の碑であることのほうが多いです。その場合は組やマキ(※)など地域の共同土地管理責任者などに相談して、しかるべき場所に移設したりします。あるいはそのまま土地にいてもらって全くかまいません。私から見れば「神様付の土地!なんてありがたい!」と思う次第です。

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ということで、今売り出し中の「小六」地区の土地にあるのは民俗信仰の石碑です。「富蔵山」「馬頭観(世)音」などの文字が彫ってあるものや、レリーフ状の馬頭観音石像があります。馬頭観音は元はインドの神様の化身、仏教が生まれて六観音の一仏になり、さらに日本に伝来して民間信仰の対象になりました。

農耕にも用い、険しい山道を通行するにも重宝した馬を、信州の人々はとても大切にしていました。ここ「小六」地区だけでなく、富士見町はじめ諏訪エリア、信州全土で馬頭観音信仰が盛んだったようです。

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「富蔵山」とは長野県筑北村にある山で、頂上に寺があり馬頭観音を本尊としています。また、この土地の近くには「諏訪百番供養塔」と大きく彫られた石碑もあります。百番というのはおそらく西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所の総合の日本百観音のことかと思われます。街道の近くに立って人々を見守る観音さま。縁あって近くにお住まいになったら、ぜひそっと、日々手を合わせてみてください。 (富士見・原村案内人 伊藤 やよい)
※ 「マキ」・・・田舎ではすぐ近くに同じ姓が集まることが多く、そういう集まりを「小林のマキ」とか 「平出のマキ」という。  「マキ」単位で小さな神社や墓地を管理していることも多い。

栃木◆那須/鬼が恐れた「渡辺姓」初めてのワクワク節分体験‼【高久の里山日記リターンズ】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2017年3月19日

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嫁いで初の「節分」体験

yatsukagashi   私の実家は「節分の豆まき」をする習慣の無い家で、子供の頃から「豆まき」にとても憧れていました。嫁いで初めての「豆まき」の時には、嬉しくてワクワクしながら家列に従って「豆まき」の準備をしました。節分の日の夕方、寒~い台所で教わったように、イワシと大豆を同時に炒ったり焼いたり、イワシを焼く煙に咽返りながら、大豆を焦がさない様に手際良く炒るという作業は、私にとって初めての大仕事でした。夢中でやっていると、

「イワシにツバを付けながら焼く!」

と声が掛り、「えっ!」と返す言葉も無く、おまじない程度に付けながら焼いたものでした。(本当は頭だけにつけるらしい)

炒った大豆は一升ますに入れ、神棚に供え、イワシは頭だけを大豆の枝に刺し「ヤッカガシ」という厄病除けのおまじないを作ります。「豆まき始めるよ~!」と声が掛かると、戸を全開にした玄関先に「ヤッカガシ」を持ち待機し、「オニは外!」と家長のまいた豆に追われる様に屋敷内の建物の各戸口に差して周ります。

「豆まき」が終わるとすぐ玄関の戸を閉め、年の数だけ豆を食べお神酒をいただいて無事終了です。升に残った豆は、「初午」に「しもつかれ」という郷土料理に使われます。

初めの頃は珍しく楽しかったのですが、子供達が巣立ち、夫婦2人きりになった時、真っ暗闇の凍て付く様な寒さの中を「ヤッカガシ」を手に持ちあちこちの戸口に差し歩くのが億劫になり、いつの間にか自然消滅しました。

豆まきをしない「渡辺家」の節分

私の実家の節分は、毎年父親が「わが家のご先祖様に“渡辺 綱”という強~い武将がいて、鬼の腕を切り落としたので、苗字が「渡辺」の家には恐れて鬼が近寄って来なくなったから、「豆まき」をしなくて良い」と自慢気に話したものでした。

ある日友達に鬼退治の話をすると、「鬼ヶ島のオニなの?」といわれ、父親に聞くと「羅生門という所に巣食っていたおっかな~い鬼の親分だよ」と教えてくれました。何となく消化しきれないまま月日が流れ、すっかり忘れていたある日、久しぶりに帰省するといつも口数の少ない母親が、せきを切った様に話し始めました。

先頃「渡辺綱の石塔を見せてほしい」と、ある大学の教授という人が学生を数人連れて訪ねて来たそうです。「きっと酒飲んだ時につい言っちゃったんだね~。どこからどう伝え聞いたのか分からないけど、まったく困ったもんだ~。」とあきれ顔で私に訴えていました。その時、「父ちゃんは作り話をしていた?」と心の中で思ってしまい、その後この話は忘れる事にしていました。

先日、「豆まきをしない渡辺さん」の話をテレビで観た!と知人が教えてくれ、久しぶりに鬼退治の話をする父親の顔を思い出しました。

私の集落には「渡辺姓」の家が6軒並んでいて、東側3軒が「豆まき」をしないそうで、ご先祖様が同じということが最近分かりました。

「父ちゃんの作り話ではなかった・・・」

と今頃になって分かり、胸につかえていたちっちゃい何かが取れました。もうすぐ亡き母の命日になるので、墓前に報告して来ます。  (那須店 高久 タケ子)

宮城◆白石蔵王/移住したらすぐにすべきこと・・・(1)【ペンション奮闘記】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2017年3月13日

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深読みもせずに蔵王ではじめてしまった「ペンション経営」ですが、もう、今年で19回目の春を迎えました。歳月を重ねるたびに「これは移住した直後に済ませておくべきだったなあ」と悔やむことが最近よくあります。これから田舎に移る方のお役にたてば、と2、3事例を記します。

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1、敷地内に井戸を掘るべきでした。

私どもより少し遅れて蔵王に移住された仙台の知人は、新築工事にあわせて井戸を掘り、以来自宅で使うすべての水は惜しみなく敷地内の揚水で賄っています。深度は意外に浅く50メートルで水脈にあたり、掘削の費用は150万円ほどだったと聞きました。家庭用の揚水ポンプを回す電気代などわずかなものですから、以後の水は天からの授かりもので使い放題です。

これを聞いた私はすぐ井戸を掘るべきでしたが、当時まとまった資金の用立てに迷い、一日伸ばしにして結局手つかずに過ごしてしまいました。18年間、役場に支払った水道料は、しめて600万円強にもなります。むろん、ペンションという業態から水の使用量は多いのですが、井戸を持たないという判断は、あきらかにペンションのオーナーとしての経営ミスと感じます。

いまからでは、「まさに、今更」ということになり、このまま公営水道を使い続けますが、人生後半の下手に過ごしてしまった歳月、まさに後の後悔先にたたずの典型です。移住時に井戸掘りの損得を考えてみるべきです。 (白石蔵王駐在 渡辺 和夫)

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☆渡辺さんが経営されるペンションそらまめのホームページ
http://www.soramame-p.com/
「ペンションそらまめ」で検索できます。

ペンションそらまめ

栃木◆那須/道の駅伊王野で蕎麦を挽く【地域店・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店 / 高久 重廣

2017年3月7日

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道の駅ブームが続いている昨今ですが、農産物直売所や手打ちそばで有名な「道の駅・東山道伊王野」で、毎年2月に【寒晒しそばまつり】のイベントがあります。寒に入り水温が5℃以下になった時、現地を流れる三蔵川源流の清流に晒し、那須おろしの寒風で乾燥した玄そばは、アクが抜け甘味が増すそうです。

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今年も2月11日から19日までお食事処・水車館で【寒晒しそばまつり】が開催されました。当駅には、直径12mの巨大水車と5、6mの小さい水車があり、目印となっています。水車小屋の中には、直径2mの巨大な石臼があり、近隣で栽培しているそばの実を丁寧に挽いています。水車館でこだわって挽いたそば粉は、経験豊富なそば職人によって美味しいそばになり、行列が出来るほどの人気です。巨大石臼引きのそば粉は香りと味が格別で、我が家でも収穫したそばの実をお願いしています。そば打ち名人の仲間は、そば打ちの時水回しが始まると「よい香りだな~」と毎回つぶやいています。そして素人が打ったとは思えない程(職人芸?)、美味しいそばが出来上がります。

(ふるさと情報館・那須店 高久 重廣)

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信州◆富士見町/信濃境駅前のあったかカフェ もぐらカフェ in 夢屋【諏訪ぐん!ぐん】

この記事の投稿者: 富士見・原村案内人/伊藤 やよい

2017年2月26日

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信濃境駅前のカフェ「夢屋」は、古材を使ったレトロな味わいのカフェで、移住者にも人気のスポット。ギャラリーや音楽サロンとしても使われています。

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このたび冬季限定で、オーガニック野菜や玄米の食事、手作りケーキやパンをいただけるカフェがオープンしました。茅野市を拠点に富士見や原村でシェアカフェとして営業している「もぐらカフェ」。 雪かきにちょっと疲れた体をあたためながら、関西弁バリバリのオーナーと楽しくおしゃべりしにきませんか?

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金土日月営業。※水曜日は原村の「香芯」、木曜日は富士見役場近くの「小舟」で営業しています。

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もぐらカフェ
http://www.melimelo.jp/mogura/

宮城◆白石蔵王/ペンションの再利用あれこれ~施設利用と移住の新たなかたち【白石蔵王・ペンション奮闘記】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2017年2月9日

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「知的障害児を5名ほど預かり、近くの施設へ送迎、朝夕の食事と宿泊場所を提供する「グループ・ホーム」に鞍替えする気はないか?」との相談を受けました。すでにグループ・ホームに転業されている60代の元ペンション・オーナーからの話です。

 

奥様を亡くされてから単身のまま障害児の面倒をみる生活に変え、約10年、そういったスタイルで日々を送ってこられたものの「実はこの歳で、まだやりたいことがあるので、そろそろこの仕事をバトンタッチできたら」との相談でした。

 

3名から7名程度を引き受け、1部屋に1人だけ提供できるペンションは、建物として大人数でも対応できる浴室も調理設備もすでに整っているので、グループ・ホームへの転用が好都合な器なのだといいます。

 

知的障害「児」といっても、ほとんどは成人で、少ないながら所得を得られる作業能力、順応力もあり、洗濯や身のまわりの世話などは考えなくても良いとのこと。毎週末は親元に戻るため、オーナーとしての休日もとれ、グループ・ホーム運営の報酬も斡旋する公的機関からしっかりと定額保障されているので、誘客、接客、内装、献立などに気を抜くヒマのないペンション経営よりずっと楽だといいます。

 

「私どもではまだちょっと」とご返事しましたが、いただけるという報酬が高額なのに驚きました。いまは手ごろな価格で買える中古ペンションの再活用、こういう形の地方移住策もあると知りました。    (白石蔵王駐在 渡辺 和夫)

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☆渡辺さんが経営されるペンションそらまめのホームページ
http://www.soramame-p.com/
「ペンションそらまめ」で検索できます。

ペンションそらまめ

信州◆富士見町/本格的な冬到来?雪の日を楽しもう【諏訪ぐん!ぐん!】

この記事の投稿者: 富士見・原村案内人/伊藤 やよい

2017年2月6日

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今年もこの季節がやってきました!

年明け最初の3連休はこの冬2回目の積雪、昨年11月末に早々と10㎝ほどの積雪があり、住民は少々慌てました。こんなに早くこれだけの積雪があることは稀です。

でもその後12月は比較的暖かい日が続き、年明けは大変穏やかな日より。ぽかぽかとして、日中は暖房も要らなかった家が多いのではないでしょうか。

あいさつがわりの天気の話題は「あったかいねぇ。このままいきゃいいけどね」。

だけどそうは問屋が卸さない。そう、住民にとって、雪は面倒なものなのです。忘れたころにやってくる、雪対策という非日常作業が。

一冬に3~4回の積雪は覚悟しましょう。だいたい一回の降雪で積もる量は膝丈くらい。定住派の方は雪かき7つ道具はそろえておいた方がいいでしょう。

 

《八ヶ岳西麓における雪かき7つ道具》
①幅広スコップや手押しダンプ②金属スコップ③固めのプラスチック箒④ゴーグル⑤スノーブーツ⑥上下カッパ⑦カメラ!

 

最後のカメラは必須です。八ヶ岳住人にとって雪は非日常なので、つい記録したりツイートしたくなるものなのです。

楽しく雪かきし、降雪のあとはすっきり晴れ渡った雪山や樹氷を眺めながらコーヒーを一杯。これが最高の雪の日の過ごし方ですね。 (富士見・原村案内人 伊藤やよい)

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信州◆富士見町/八ヶ岳西麓・富士見から見る富士山【信州諏訪ぐん!ぐん!】

この記事の投稿者: 富士見・原村案内人/伊藤 やよい

2017年1月25日

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諏訪郡富士見町は昭和30年、旧富士見村、境村、本郷村、落合村の四ヶ村が合併して生まれた町です。今でもこの旧村の地域感覚は御柱祭に生きています。東に八ヶ岳、西に南アルプスと高い山々に挟まれた地形ではありますが、その名のとおり、それぞれの連峰の谷間から富士山を望むことができます。

「富士見」という地名は関東に多く存在しますが、諏訪郡富士見町は、信州で一番よく富士山が見えることから来ているようです。農作業をしてふと腰をあげたときに仰ぎ見る、農村ならではのシチュエーションが心癒されます。私は富士見発祥の石屋に嫁ぎましたので、お墓をよく見て回ります。そんな中、やはり癒されるのは山の風景。富士見のお墓は開放的な田園の中など、山々の眺望に優れたところに建っているのが多く、富士山まで見えるところもよくあります。

比較的標高の高いところがそのビューポイントなので、裾野までしっかり望むことができ、遠くにあるわりには大きく見えます。お墓から見る富士山は、特別な感じがします。昔の人たちもこうして霊峰富士を望みながら、先祖への感謝の気持ちを表していたのでしょう。

詩人尾崎喜八も『自註 富士見高原詩集』で「別荘の森の向こうの丘のなぞえに、一箇所小さい墓地があった」とその情景の美しさや墓参りをする人々の穏やかな心情をつづっています。富士山は大地から天へ向かって合掌している形、また見てる人みんなに合掌している形。どんなに高くても謙虚な気持ちを忘れない姿の象徴なのだそうです。

標高3776m。ミナナム、(あんな姿に)ミナナロー。 新しい年を迎え、富士見の悦に合掌。 (富士見・原村案内人 伊藤 やよい)