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栃木◆那須/仲間が集う年末イベントのご報告【高久の里山日誌りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2020年3月8日

▲「昔とった杵柄」をシルバーパワーで発揮?です。かっこ良いでしょう?

12月30日 餅搗きイベント 27人参加

今年も年末恒例のお正月用餅搗きを開催しました。昨年はマイナス4℃で雪が降り、今年は4℃で雨になり、テントの中で餅搗きです。予定の時間近くになると、寒くない様にいっぱい着込んだ人たちがぽつぽつ集まって来ました。そして開口一番「今年雨が降ったのは誰のせいかな?」と犯人捜しが始まり朝から賑やかです。

朝一番の仕事はカマドに火を焚き付けて湯を沸かし、もち米を蒸すという責任ある仕事を、千葉から参加の方が、早く着いたからと毎年やって下さってます。今年も雨の中、原っぱの方で、もち米を蒸すセイロから立ちのぼる湯気の側で、早く蒸しあげようと男衆達は頑張ってくれています。お陰様で開始予定の9時には「サァ~始まるよ?!」と声が掛かり令和初めての餅搗きが始まります。

少し経った時「待った!」がかかり「今年もしくじったよ??」の言葉に臼の中を見ると、見るからに腰の弱い餅が・・・。トラブル発生に昨年も始めのひとうすが今回と同じ状態だったことを思い出しました。

あの時も「カマドの火が強すぎる!」とか、「もち米の水切りが不十分!」とか、「蒸しすぎ!」等といっぱい意見が出ましたが、2回目から上等の餅ができるとすっかり忘れて原因を突き止めないまま、今年も同じことを繰り返しています。

そうこうしているうちに餅搗きは順調に進み、搗き手はそれぞれの体調と相談しながら無理せずスムーズに交代しています。ざっと見たところ還暦祝いを過ぎた年頃の男衆が多そうで、シルバーパワーで「昔とった杵柄?」を発揮しています。足を踏ん張り杵を振りかざし腰を入れたフォームが「かっこ良いね?」と言った人がいたとかいないとか・・・。シルバーの見せ場ですよ?皆さん頑張ってね?!そのうちファンクラブができる?かな?

▲今年は2台になった「豆餅切機」これで順番待ち解消できる。

搗きあがった餅は隣のテーブルで待機している女性達の所に運ばれ、のし餅にするのですが一年たつと「手順を忘れた~」と皆で思い出していました。ひと臼4升(6㎏)のもち米を今年は11回搗き、最後に搗いた餅で「みずぎり餅」を搗きたての餅にあんこ、納豆、ゴマ、大根おろし等の好みの味を絡めて食べ、おいしいと大好評です。

疲れて箸を持つ手が震えるという人がいる中、薪割で鍛えているから平気だよという人もいました。ちょっと寒かったけど、今年も立食でいつもの田舎料理を「おいしいね~」と言いながら頬張る皆さんを見ているだけで嬉しくなって来ます。

その後、豆餅を抱えた人達が「今年も借りるね~」と集まって来ます。前日に作っておいた豆餅が固くなって切るのにひと苦労するので数年前に買った「餅切り機」が今では便利なものとして皆さんの役にたっています。いつも順番待ち気味なので年末に思い切って「豆餅切り」専用を買って来ました。夜はいつものように忘年会をやり和気あいあいと今年も暮れました。

12月31日 晦日そば打ち

我が家で収穫した「そばの実」を、「道の駅・東山道」の巨大石臼で碾ひいた「そば粉」を使って晦日そばを打つ日です。ベテランと初心者が入り交じって水回しが始まります。我が夫も年に1度皆さんに交じってご指導をいただきながら始まるのですが途中で「あー息切れがするー」と呟いている様でした。

ひと通りそば打ちが終わると、外に出て今年最後になる「締めのラーメン」です。福島県西郷村(にしごうむら)のみもり製麺より白河ラーメンの生麺を買ってきて、チャーシューは仲間の手作りで食べ放題です。今年もおいしいラーメンを食べて1年を締めました。

その後「食事だけでも~」とお誘いした仲間が、帰省したばかりの娘さんご夫婦を連れてやって来ました。ラーメンを食べた後で「今夜食べる晦日そば打ってみない?」と声を掛けると若いご夫婦は腕まくりをして初めての「そば打ち」に挑戦です。ベテランのご指導で無事「晦日そば」をお持ち帰りしましたが、上手にゆでることができたかな?とちょっと心配でした。(那須店 高久タケ子)

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宮城◆白石蔵王/冬は暖地で ~ 22年間のキャリアの先に ~【遠刈田温泉・ペンション奮闘記】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2020年2月29日

年も明け、蔵王にもまた寒さが帰ってきました。昨年は2月号で沖縄への短期避寒滞在のプランを書いて、4月号でその体験談を細かく述べましたら、読者から多くの問い合わせがきました。新潟、山梨、茨城など、冬は寒いだろうと思われる所にお住まいの方から「もっとくわしく聞かせて」と要望され、なかには当ペンションに泊まられて、一晩ゆっくり沖縄滞在を語り合ったご夫婦まであらわれました。二組のご夫婦が一年前の私たちと同じこの2月、私たちが滞在した宿に実際行かれているはずです。

極寒期の2月、田舎暮らしは寒さに辛抱の季節であり、夏涼しい立地ほど冬は寒さにひたすら耐えねばなりません。別荘としてならともかく、定住となると雪や氷で屋外作業が制限されますから、もんもんとして暗い室内で春を待つだけの生活になりがちです。

子供は成長してもうおらず、仕事もないのに時間はいくらでもあり、経済的な負担も軽いとなれば、冬の一時期を暖かな南国の地で避寒滞在の生活を、とは高齢者ならどなたでも考えることです。

今回、私の情報がお役にたった二組のご夫婦は、いずれも奥様主導で、キリキリと計画され、実行に移されました。女性は強し!です。お帰りになられたら一部始終をぜひうかがって滞在記を書いてみようと考えています。22年間、ペンションを経営しこの3月でひとまず幕を降ろしたいと考えています。その後の生活はまだ未定ですが、より能動的に動きたいと思います。(白石蔵王駐在 渡辺和夫)

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☆渡辺さんが経営する宮城蔵王・遠刈田温泉郷ペンションそらまめのホームページ
http://www.soramame-p.com/
「ペンションそらまめ」で検索できます。

ペンションそらまめ

秋田◆羽州/北東北物件探しの旅 ~ 秋田・由利本荘市の巻 ~【行くぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年2月22日

▲所有者の案内で暖かい2階の室内へ。

今よりずっと若いころ、地方都市の街づくりのコンサルを10年ほどしていたことがあり、そこでもなかなか貴重な体験をさせていただいた。地権者、自治体、建設省、業者それぞれが思惑のなかで蠢くさまは、当時の私には魑魅魍魎にしか見えなかった。

唯一慰められたのは現場近くのリゾート地・軽井沢の自然環境だった。中軽から国道18号線を越えると、田園地帯が広がり風景が一変する。小さな塩沢湖のほとりにたたずむのが赤い外壁のペイネ美術館だ。建築家アントニン・レーモンドの夏の家を移築したものだという。

さて、話は昨年晩秋のこと。東北自動車道松尾八幡平インターから乗った車は、秋田自動車道横手インターを出て、国道107号線をひたすら西へ。この道は太平洋側(岩手県大船渡市)と日本海側(秋田県由利本荘市)を繋いでおり、列島を東西189キロにわたって切り結んでいる主要国道だ。

昨年の10月末に1通のメールが届いた。秋田市在住の主婦からだった。

内容は「(物件は)夫の実家で家はすぐにでも住める状態です。1階は土間、2階は住居です。子供たちは将来も活用する気はなく、ここを活かして住んでくださる方にお譲りしたいと思います」。物件の住所のほか、土地は300坪、建物は1999年築の総2階で延100坪あり、家の前まで除雪されるという情報を元に衛星写真で探してみたものの、現地は特定できず。ただ、その字名では該当するような建物は1軒のみ。後日改めてお会いする約束をして、訪ねたのがちょうど紅葉の最終盤の日だった。

物件は丘の上に建っていた。夕日を背にそれは光り輝くように私を待っていた(気がした)。外壁はみごとに赤く、20代のころに見たあの軽井沢の夏の家?

▲赤い外壁の物件(秋田県由利本荘市東由利宿)

道に迷い1時間半遅れの私を労ってくれ、寒いからとすぐ室内へ。なんと長いスロープが2階へ続く廊下となっているのだった。レーモンド建築の特徴の一つは「斜行廊下」である。建物内をぐるりと回遊するスロープはゆっくりと五感を働かせながら上へも下へも移動する。人の動きに合わせて内外の風景は少しずつ移ろっていく。

「この建物はどなたが建てられましたか?」と私。

「近所の知り合いの大工です」と所有者。

詳細を見るまでもなく、大建築家の建物とは明らかに一線を画す作り。しかしながら、眩暈とともにデジャブのような30年目の邂逅を私はどこかで楽しんでもいた。

▲高台に建つ母家(奥)とお蔵(手前)

所有者の夫の先祖がこの地に住み始めたのは江戸時代後期の安政年間だという。第1回パリ万博が開かれたり安政江戸大地震があったりしたころだ。小作人のご先祖が勤勉に土地を耕し、屋敷を広げていき160数年後の今日、数町歩に広がった田畑や山林を有しこの地方で一目置かれる存在にまでなったという。

また、三味線を奏する師範としてこの広い建物内で「授業」もして来られた。しかしながら、広い土地と建物はそれゆえ、かえって身内からは敬遠される存在となってしまった。

当地はいま、越冬期を迎えています。本件の物件化は今年の春(5月号あたり)に改めて本誌でご紹介させていただきます。乞うご期待を!(北東北担当 中村 健二)

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ペイネ美術館
http://www.karuizawataliesin.com/look/peynet

岩手◆八幡平/Seek and Find 北東北物件探しの旅 ~ 岩手・八幡平の巻 ~【行くぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年1月30日

▲八幡平の別荘地へ向かう途中のイーハトーブ火山局。

未明に山梨の八ヶ岳南麓を出発して北東北・岩手山麓の八幡平(はちまんたい)に着いたのは朝の9時半だった。『グスコーブドリの伝記』を思わせる岩手山火山防災情報ステーション(イーハトーブ火山局)を過ぎたころには小雪がちらつき始めた。雨から雪へと一気に変わる気象。ここには移ろいの中間層である霙(みぞれ)はないのだ。

amazon検索 グスコーブドリの伝記

さて、物件調査の楽しみのひとつは、これから世に問う物件を最初に見ることができる「恩恵」に浴せることである。われわれが「物件化する」とは、世の中の誰もが自分なりの評価ができるようにパラレルに情報化していくことである。しかしながら、もっと大事なことはそこに内包されている「歴史」を発見していくことでもある、と私は考えている。歴史を把握しそれを自分なりに継承していく。いわば汗の染み込んだタスキを引き継いでいくような泥臭さが地方物件には数多い。そしてそれを伝えていくことが私のミッション(使命)だとも思っている。

物件は取り壊され、高度に再構築される「スクラップアンドビルド(Scrap and Build)」である一方、引き継がれ再利用される「シークアンドファインド(Seek and Find)」(僥倖なる出会い)ではないだろうか。我々の取り扱う地方物件は資産価値にもなるし、詰将棋のような慎重さで価値の転換を促す循環型社会の先取りであるといえるかもしれない。さあ、ここから物件探しの旅に出よう!

▲岩手山は標高2038m で岩手県のシンボルでもある日本百名山の一つ。かつて宮澤賢治はこの山へ雨にも風にも負けずに親友の保阪嘉内とよく登ったという。

岩手県八幡平市は、県庁所在地の盛岡市から北西へ東北自動車道で30分ほどの場所にある。総面積862平方メートルで東京23区のおおよそ1.4倍。そこに2万5千人ほどが暮らしている。スキージャンプの小林陵侑選手の出身地からも知られるように、雪質自慢の岩手山にはいくつかのスキー場があり、ペンションも他地域と比較して稼働中のところが多いようだ。

また温泉は45度と高温で「八幡平温泉郷」の分譲地は各戸に高温泉が引かれており、リゾート地でありながら移住定住者の姿が目を惹く。初冬のこの時期は菜園・庭づくりにいそしむ方々の活気に包まれており、冠雪した岩手山を目の前にして夫婦で野良仕事に励んでいる光景に出会うことが多いのがここ八幡平だ。

さて、2005年(平成17年)に西根町、松尾村、安代町が合併してできた八幡平市であるが、旧町村の名残りがこうした分譲地にはある。それが境界標だ。さりげなく、しかし強固に主張するコンクリートの標。頭部分が朱塗りで勢いよくこう彫られている。「松尾村」と。(北東北担当 中村 健ニ)

▲八幡平温泉郷の境界標。

中村後姿

栃木◆那須/手作りこんにゃくに諸味醤油の釜揚げうどん!今年もにぎやか田舎膳【那須高久・里山日記りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2020年1月18日

▲ボテボテの醤油諸味に「手抜きがバレたかな~」と心が痛みました。

11月15日 コンニャク作りイベントの準備

つくば市のお醤油屋さん「蔵元沼屋本店」の4代目店主である沼本さんが、今年も醤油絞りセット設置のため来て下さいました。諸味の入った桶から絞り、袋の中に移す作業をすぐ側で眺めていた私は、ボテボテの諸味を見て「手抜きがバレバレだねー」と言うと「そんなことないよ?」と慰めの言葉をくれました。

この諸味は一昨年5月、沼屋本店さんで仕込んだものを届けていただきました。それから二夏、自然に委ね、じっくりと熟成させるのですが、その間良くかき混ぜて空気を送り込み発酵のサポートが必要なのです。諸味を袋に入れ並べ始めると積み重ねた袋の重さで船口から「ツツツー」と醤油が滴る。それを見た時「あー、今年も釜あげうどんを振る舞うことができる」と安堵しました。

最初から圧力を加えると、袋が目詰まりしたり、澱おりが出てくるので、少しの間そのままにして置いてと言われました。しかしせっかちの私は明日までに多く溜まるように、と近くにあった砂糖2袋(2㎏)を上に載せてちょっとだけ重石に。すると船口から流れ出る醤油の量が変わりました。この頃になると部屋中醤油の香りが漂っています。

11月16日 コンニャク作りイベント 25人参加  

朝のうち4℃とちょっと寒かったが集合時間近くになると、イベント日和の良いお天気になりました。集まった順にコンニャク芋を洗ったり、カマドを焚き付けたり、作業台の設置等手分けして準備しました。「サァー始まるよ!!」と声がかかると、コンニャク作り開始です。

「あれ?いつもと違う。何だろうね?」とつぶやくと、隣にいた人が「いつもは女性ばかりなのに今年は男性ばかりよ」と言いました。良く見ると、普段家に居る時台所に立つことが無いと思われる男性達が包丁を手に、危なっかしい手付きでコンニャク芋を切り刻んでいます。それをミキサーで滑らかになるまでかけ、その後ちょっとだけ放置し、鍋の中に入れて火を通します。

その間に凝固剤と水の入った容器を良く振って溶かします。コンロの上の鍋の中はアツアツですが、焦げないように良くかき混ぜていると、ねっとりと粘りが出て何となく透明になって来た時火を止めます。ゲル状になったものに、十分シェイクした凝固剤をまわし入れ、満遍なくかき混ぜ練り合わせます。この時、凝固剤の混ざらないところは固まらずに穴になってしまうので注意です。

▲これかな?いや~こっちだよ~!と安納芋を探しています。

その後箱に入れ冷めたら包丁で切り分けて、ゆがき水に浸してできあがりです。皆さんが自分のコンニャクを作っている間に、隣の焼魚用の土俵?では、串に刺されたニジマスが炭火でジワ~と焼かれています。その脇では、皆さんに焼いもを振る舞いたいと、サツマイモを持参した方がいて準備をしています。

専用のホイルに包み、あの手この手で何とか焼いもができつつある時「この中に安納芋があるよ?」と声をかけると、どれどれと集まって来ました。網の上には4種類のサツマイモがあるというが、どれが安納芋か分からない。皆はあれやこれやと迷っているが、私は迷わずそれらしきものに狙いをつけて取り、割ってみると、見事に的中です。(実はホイルに包む時お手伝いしたので形状で覚えていたので笑)

まるで宝クジに当たったかのように大喜びでほおばると、真っ黄色でねっとりと甘~くておいしーい!」と言葉少なになりました。「どの芋もおいしいよ?」と育ての親は言うけど、ブランド名に惑わされて??あれこれ迷っています。

▲今年は男性達が危なっかしい手付きでコンニャク芋刻みをやっています。

焼いもの次はいよいよ絞りたて醤油をかけて食べる釜あげうどんです。茹でた生うどんに薬味(ネギ、カツオ節)を入れて船口から滴れ落ちる生の醤油を絡めて食べるのですが、これが絶品と大好評です。

「市販の醤油は食べる時に香を鼻で嗅ぎ、手作り醤油は飲み込んだ後、のどから香りが戻って来て鼻に抜ける」と沼尻さんが教えてくれました。これを釜あげうどんを食べている人達のそばで語ると旨さ倍増するのか、お代わりをする人もいました。

「魚焼けたよー」と声がかかると昼食です。旬のものや保存食品等で作った田舎膳ですが、普段口にしない素朴な料理をおいしいねーと喜んで食べて頂くと私も嬉しくなります。羽釜で炊いたご飯のお焦げに生醤油をかけて食べるとおいしいと、毎年お焦げを探して食べている人達がいます。それも御馳走のうちとか・・・。

和気あいあいと食べながらの情報交換に初めて参加した方は「楽しい一日でした」と言って下さいました。そして年末の餅つきには是非参加したいと言ってくれました。それを聞いて仲間が増えて嬉しいね?と近くにいた人達は喜びました。皆さんお疲れ様でした。(那須店 高久タケ子)

▲いつもの田舎膳で昼食です。

宮城◆白石蔵王/墓石なしの樹木葬【蔵王ツーリズム・遠刈田からの手紙】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2020年1月14日

死んだら土に返る、という日本人の死生観がさいわいしてか、樹木葬と称する葬法は、すっかり世間に定着してきました。私が暮らす、この小さな町にも「樹木葬やってます」の看板もかかげるお寺が出現する始末です。

墓石を使わず、遺骨をじかに森の土に埋める単純素朴な葬法は、考えてみればもっと早くから普及してよかったはずでした。豪華な墓がたくさんつくられた明治以降の経済成長期を経て、単身家族や核家族が増え、少子高齢化がどんどん深刻化するいまは、その純爛とした墓石が、やがては社会をゆるがす、墓のいらない「墓じまい」の時代となり、もてあまされるようになるでしょう。

岩手県一関市にある知勝院の樹木葬はその先駆け、いわば元祖ですが、すでに2000体ほどの仏様が林間に眠っておられます。15年前に契約した私は、夫婦で毎年10月の慰霊祭に参拝していますが、行くたびに、納骨された知人・先輩の墓標が増え、昨年は5体の墓前に手をあわせてきました。あと何年かで私もここのお仲間入りです。

骨を森に戻す樹木葬は事業化が容易で、全国的に亜流が続出、やがては日本の墓は樹木葬系に統一されていくのではないでしょうか。地域の自然再生、森林の保全、環境の美化など樹木葬の利点を思うと際限がありません。知勝院には評判を聞いて韓国から多くの視察団が訪れるというのも納得です。(白石蔵王駐在 渡辺和夫)

北東北◆秋田/秋田で学べる特記すべき場所【いくぞ北東北!中村所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2019年12月24日

▲国際教養大学キャンパス。(秋田市雄和椿川)

「教育県」として知られる秋田で、私が興味を持っている場所を2つ紹介する。

ひとつは「国際教養大学」。

国際教養学部のみの単科大学で、その理念を要約すると高度な言語能力によって国際人としての資質を身につけるということのようだ。特記すべきは、入学時の半端ない偏差値の高さと卒業要件に最低1年間の海外留学が含まれていること。一定の条件を満たせば自分の好きな時期に留学できるという。

また、国内外から集まった学生は全員学内の木造板張りのアパートに住んでいる。こうした生活環境をはじめとして県立中央公園に隣接した好立地のキャンパスは、都会にはないような開放感に溢れており、どことなく海外のカレッジの雰囲気を醸し出している。地域FM 局(エフエム椿台)があるのも面白い。 

もうひとつは「秋田大学鉱業博物館」。鉱物資源の宝庫・秋田県の中でも、北秋田市南部にある旧阿仁町は江戸時代から鉱山開発が盛んで平賀源内も訪れたという全国屈指の銀鉱、銅鉱の産地だった。明治期には官営鉱山として活況を呈し、ドイツ人技師の官舎として使われた建物は「異人館」として現在も保存される国の重要文化財だ。

そうした下地のある秋田にあって、鉱物、化石、地質のほか地球の成り立ち、自然災害史なども一堂に見られるのがこの鉱業博物館(入館料100円)。全国的にも珍しい鉱山学部があったことでも知られるこの秋田大学の母体のひとつは1910年(明治43年)創立の秋田鉱山専門学校に端を発しており、現在は大学院の中に鉱山資源学部が置かれている。

▲博物館内部は生命の生まれる胎内またはアンモナイトの内部を思わせる。(秋田県秋田市手形大沢)

秋田駐在・案内担当の片山保さんいわく「全部見るにはまる1日かかります」。確かに圧倒的な鉱物の展示品の数。よくぞここまでと来場者に言わせるものがある。

しかしながら私が感じたものは別にあった。巨匠宮崎駿監督が描いた映画『天空の城ラピュタ』がどうしても頭から離れなかった。

博物館入口横にある原油掘削機は「何でできているかもわからない」あのロボットを彷彿させる。また、大正時代にドイツから輸入して教材としても使われた採掘櫓と映画の冒頭でパズーが修理している機械がそっくりだとはツイッターでもつぶやかれている。そして1階に展示されている「蛍石」はまさに飛行石の形そのものだ・・・。

▲屋外に展示されている掘削機。

秋田は地下資源が豊富でいまも原油掘採が行われていること、奈良時代に築城され片山さんもボランティアガイドを務める秋田城は、律令時代から大陸との交易が盛んであったことなど、日本海側の要衝地「秋田」は私にとってまだまだ知らないことが多い魅力溢れる地域である。(北東北担当 中村健二)

宮城◆白石蔵王/夕食の材料、地産地消の現実【遠刈田温泉・ペンション奮闘記】

この記事の投稿者: 白石蔵王駐在/渡辺 和夫

2019年12月21日

※写真はイメージです

「尋常ではない台風」が続いて来た10月、テレビは千葉、長野、福島、宮城を流れ下る大河の氾濫を告げ、連日、床上浸水の後始末を報じています。私も生まれてはじめての避難所に行き、一夜を明かしてみましたが、おかげさまで蔵王はいつものように、ほとんど無傷ですみました。

山々の河川は急流の源流で、水の淀みがなく、梨や野菜の収穫期も終わっており、申しわけないほどの静かな秋です。今晩の8名のお客様の夕食の食材をみやぎ生協で求め、妻が調理台の上に並べてあったので、何気なく眺めていて驚きました。

季節の変わり目、端境期、それに異様な降雨の被害もあったのでしょうが、一品一品の野菜の生産県がすべて違っていたのです。まるで野菜の「国体」です。

ニンジン(北海道)、小松菜(茨城)、エリンギ(新潟)、セロリ(長野)、きゅうり(宮崎)、ミニトマト(熊本)、ねぎ(山梨)、ブロッコリスプライト(埼玉)、なす(栃木)、しめじ(宮城)、椎茸(鹿児島)、バナナ(フィリピン)。

これに私の畑から山芋、里芋、大根が加わり、さらに産地不明の魚と豚肉が参加すると、とても「宮城の地産地消の食材を使う郷土料理」とはいえない現実に仰天してしまいました。生協をはじめ、大手の食品スーパーの集荷力、経済流通の実際を覗きみた思いです。

ペンション、つまり民宿の夕食の材料は、周辺の耕地から集まる「道の駅」などの新鮮な農産物だと思いがちですが、11月の現実は上記のごとしです。(白石蔵王駐在 渡辺和夫)

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☆渡辺さんが経営する宮城蔵王・遠刈田温泉郷ペンションそらまめのホームページ
http://www.soramame-p.com/
「ペンションそらまめ」で検索できます。

ペンションそらまめ