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山梨◆八ヶ岳/盛暑の候の候、8月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年8月1日

▲北杜市高根町。八ヶ岳の山裾で稲が青々と育つ。

梅雨の時期には雨が降ると、まだまだ肌寒さを感じることもありましたが、そんな日も過ぎ去り、強い日差しを感じる夏となりました。北杜市は標高が高いせいでしょうか、それとも空気が澄んでいるせいでしょうか、夏の日差しは強烈で、肌感覚としては、以前私が住んでいた沖縄と変わらない紫外線の量に感じます。

ただ、日差しの強さこそ注意が必要ですが、それ以外は都心と比べるもなく、快適な季節となります。昼間こそ標高が低いエリアではエアコンが稼働するものの、夕方になると一気に気温が下がり、窓を開け放てば、気持ち良い風を感じながら過ごすことが出来ます。

標高が1000m を越えるエリアでは、エアコンが設置されている家は極端に少なくなり、大抵は扇風機となり、夜になると日によっては窓を閉めないと風邪をひいてしまう日もあるほど。

エアコン等の人工の風に頼らなくても夜を過ごせるということが、こんなに気持ちの良いものかと、北杜市に移住した当初は驚いたものです。暑さから解放されると、体がほっとする。体の次に、心がほっとする。夏の北杜市へ是非お出かけください。

▲北杜市大泉町。日が沈むと気温が一気に下がる。

■ほくとトクトク商品券

昨年、コロナ禍の経済対策で北杜市民一人当たりに3万円の商品券が配られました。今年も市内経済の活性化のため、「ほくとトクトク商品券」というものが登場しました。前回は無料で配られましたが、今回は希望者が購入をするものです。対象は「北杜市民であること」と、「一人1冊まで」。1冊5000円の購入で1万円分使えるというものです。

他の自治体でも同じような取り組みをしていると思いますが、購入額の2倍使えるというのは、かなり凄いのではないでしょうか。販売は既に終了していますが、私も並ぶことなくスムーズに購入することが出来ました。スーパーの他、飲食店でも使えるので、どこで何を食べようかと考えるだけで楽しくなります。

北杜市は人口4万6千人程の小さな自治体で、コロナ禍といった非常時には、小さいからこそ、小回りが利き、スピード感ある対応が出来るのではと感じます。昨年の国民1人10万円の給付金も大きな市では、なかなか給付がいきわたらない中で、北杜市では迅速に配られました。

新型コロナワクチンの接種については、65歳以下(12歳~64歳)について、7月上旬にワクチンの予約開始、8月上旬からワクチン接種の開始が予定されています。人が少ないからこそ、密にならずゆったりと過ごせる。人が少ないからこそ、対応がしやすい。地方の良さを感じる今日この頃です。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

▲北杜市で発行されたプレミアム付商品券。

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お盆休みをいただきます。八ヶ岳事務所は8月11日(水)から15日(日)までの5日間はお盆休みとなります。
併設の田園暮らし体験館もご利用できません。よろしくお願いいたします。

山梨◆峡東/わたしが山梨県に移住したわけは【行くぞ!甲斐路・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年7月28日

▲保健農園ホテル「フフ」ではかつて民家セミナーも行われた。

山梨県内でもっとも早い時期から「首都圏からの移住促進」に力を入れていたのは、「甲府市」や「北杜市」ではなく、中央道勝沼インターが最寄りの高速出入口になる「山梨市」なのである。

いまから20数年ほど前、平日の夜都内の場所を借りて移住希望者に対してセミナーを開催していた。ずいぶん積極的な自治体もあるものだと感心していたのをよく覚えている。

わたしも時々お邪魔して「空き家の話」をさせていただいた。受け入れ側と希望者だけでは「移住促進」にはつながらない。そこには両者を取り持つ「橋渡し役」がいてこそだということを、当時学んだのだった。

「東京の隣接県でありながら、そこには深淵な溝のようなものがあります」と同じ山梨市出身の中沢新一明治大学特任教授もどこかでおっしゃっていたが、山梨県民になって25年近く経つわたしがいまだに感じるものとして、その「心の溝」は押さえておくべく事柄であるのかも知れない。

▲新しい道路もでき、ロードサイド店が次々に開店する市民病院周辺。

そんなわたしが山梨へ移住するきっかけはなんと生まれも育ちもこの「峡東地域」の人たちなのだ。そしてここが首都圏にもっとも近い「民家の宝庫」であったことにも起因しているのである。

中央本線塩山駅北口に堂々と建つ民家がある。この地域の住まいの特徴をよく表した突き上げ屋根が独特の風情を見せる甲州民家、通称「甘草屋敷(かんぞうやしき)」だ。いまでこそ街の中心は市民病院周辺に移ってしまったが、この界隈には映画館や花街、塩山温泉、鍛冶屋、藤村式擬洋風の建築などが残り、知る人ぞ知る「街歩きの達人」的な要素満載の場所でもある。

「甘草屋敷」の再生や酒蔵をギャラリーとして活用するなど古い建物の修復に取り組んでこられたおふたりの人物がいた。ここ塩山上於曽にお住まいで学年も一級上の方々。この人物たちとひょんなことから知り合ったのがちょうど、長野で冬季オリンピックが開催される前年のこと。 
特に「恵林寺」北側の松里(まつさと)という地区のご出身である方は、私の姓「中村家」が多い集落であったため、わたしを誰かに紹介するときも「松里に親戚がある中村さん」と言ってくれたりした。

▲山梨市にある空き家の民家(旧牧丘町内・物件NO.16778S 本誌5月号物件)。

あるとき、「三富(みとみ)にすごい民家があるから見にいこうという話が出た。このおふたりがすごいというからには、ほんとうだろう。作家の樋口明雄さん風に岩国弁でいうなら「ぶちすごいっちゃ」ということになるだろうか。

一にも二にもなく日を置かずその民家を三人で見に行くこととなった。三富とは東山梨郡(現在は山梨市・旧三富村)にある山あいの里だ。新緑や紅葉の時期にみごとな景色が見られる西沢渓谷やイノブタ料理でも知られる山梨の最奥の村だった。

ある晴れた昼過ぎに胸をはずませてたどり着いた三富の現地。それは草ぼうぼうの畑の真ん中にあった。それはかつて家であったもの。それは誰にも使われなくなってあと何年かすれば確実に廃墟となってしまうもの。わたしの目にはそうとしか映らなかった。しかしながら・・・。

このお二人はヘルメットを被るやいなや四方を隈なく見てまわり、家の中にすっ飛んでいったのだ。そしてわたしを呼ぶ声が。

「この栗は使えるね」などと話し込んでいる。

「中村さんも見てみぃ」その指差す方にあったのは、なにかで削られたままに何本も組み込まれていた横木たち。それはまさしく江戸期後期の手斧で削られたみごとな梁の架構であったのだがその当時は知る由もない。

おまけに家の中がやけに明るいと思ったら、かつて天井だったところから青い夏空が透けているではないか。こんな廃屋をすごいすごいと連発するこの人たちはいったい何者だなのだ。わたしの深いところでこの人たちの思いが共鳴したような気がした。

▲向嶽寺(こうがくじ)総本山。山号は「塩山」。四方(塩)の山を見渡すということから名付けられたという。

それからまもなく八ヶ岳事務所の開設がありその所長としてわたしは家族ともども移住を決めたのだった。それと時期を同じくするように能楽の故観世榮夫(かんぜひでお)さんを会長に迎えて「日本民家再生リサイクル協会(現・認定NPO法人日本民家再生協会)」の立ち上げがあり、全国の古建築や民家が見直されようとしていた。また、空き家は全国的に急速に拡大し人口が少なく別荘の多い山梨県が空き家率全国一といわれてしまうようになり、空き家特別措置法が施行されその活用が叫ばれるようになった。

その後この三富の家は解体され、首都圏の方の二地域居住の住まいへと変化を遂げていくこととなった。(八ヶ岳事務所 中村健二)

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峡東(山梨市)物件一覧

山梨◆八ヶ岳/今年はどう、山と向き合いましょうか?【八ヶ岳スタッフ・巡り巡って北杜市探訪記】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年7月16日

梅雨が明けると八ヶ岳も本格的な登山シーズンになります。自分が登山の楽しさに目覚めたのはほんの2年前。険しい山の中に峰々へ至る道や山小屋があることに単純に驚き、そして休日にもなれば多くの人々で賑わう。ショッピングモールで過ごす休日とは随分と違う時間が流れることに、心地良さを感じました。

新型コロナウイルスの流行が未だに続く今シーズン。どうしたものか、標高の高い山へ登ることのリスクが頭の中をちらつきます。昨年は本格的な登山は諦め、代わりによく出かけたのはお隣りの富士見町にある入笠山でした。山頂近くまでゴンドラでも行けるので、軽登山の山としても人気があります。

山の中腹まで車であがり、そこから山道を歩くこと60分で湿原に到着。山頂へはさらに30分程。ゴンドラ代も浮くし、登山も出来るし、湿原の花々も季節で移り替わります。

山頂からの眺めも抜群で、八ヶ岳の他、日本アルプスの3つの山脈が同時に眺められるのです。今年はどう、山と向き合いましょうか。今年も手探りのシーズンとなりそうです。(八ヶ岳事務所 大久保 武文)

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今年の「海の日」は7月19日(月)では無く22日(木)に移動しています。また、8月11日の「山の日」は8月9日(月)に移動しています。オリンピックの開会式7月23日(金)がスポーツの日で休日。どちらも特措法による今年限定の措置ですが、1月に配布された2021年のカレンダーは祝日の赤い日の印刷が間に合ってないものが多いので、気をつけてください!(7月19日は赤くなってますが、平日・出勤日ですよ!)

岩手◆奥州/湘南から東北へ17年目の決意【行くぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年7月13日

情報誌に掲載する「住み継ぎ物件」を取材するため、岩手県奥州市・江刺梁川(えさしやながわ)へと向かうこととなった。

仙台を出た時は快晴だったにもかかわらず、一関あたりから雲行きが怪しくなり、東北道水沢IC を出るときには土砂降りの荒天に変わっていた。東北も梅雨入り間近の予感がした。

途中、朝の連ドラ『おかえりモネ』のポスターを鶴巣(つるす)PA で見かけ写真に収めた。ドラマでは移流霧や彩雲などが出てきて、おおっと、気を引かれた方も多いのではと思う。

田舎では天気や気象状況にセンシティブであることを強く求められるのだ。

国道4号線と水量のやや増した北上川を越えて、東北新幹線水沢江刺駅に立ち寄った。観光案内所で聞いてみたいことがあったのだ。

「大谷翔平選手に関する資料はないのでしょうか?」
とわたし。

「あいにく掲示板に貼ってある切り抜きぐらいしかないんですよ」
と案内所のスタッフ。

どうやら肖像権絡みで写真などは置けないのだとか。市役所に行けば等身大の腕の模型があって、感染防止をして握手もできるそうだ。手のサイズはそれほど大きくもなく、よくこれでスプリットが投げられるものだと感心したという。

▲「奥州市出身 がんばれ 大谷翔平選手」

遠方から来たというと、写真のようなステッカーをいただくことができた。

▲観光案内所スタッフのおひとり。

「ところで江刺梁川まではどのぐらいかかりますか」
と、わたしは尋ねた。

「ここから30分ぐらいで行けます」
とそのスタッフ。

「そこへ何しに?」

「ええ、都会から移住した人を訪ねに行きます」 

「梁川なら、そこ出身のミュージシャンをご存知?」 

「もしかして「ロンバケ」の大瀧詠一(おおたきえいいち)のことですか」

「ここでは大瀧さんの全作品を個人のコレクターから預かって展示してあります。どうぞご覧になってください」

というわけで、観光案内所のガラスケースに入ったLP レコードやCD とともに詳細な年譜を拝見することができた。

そのせいで取材先には10分遅れの到着と相なった。

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▲庭の様子。

物件は日当たりの良い丘陵地帯にあった。丹精込めて手入れされた庭と草花。雨は上がり雲間から日差しが差し込み少しばかりムッとする草いきれに包まれる。

ダイニングでそれぞれ自己紹介をしたあと、リフォームされた土蔵に案内していただいた。そこで地下20メートルから汲み上げた地下水でお茶をいただく。

オーナーは神奈川県の湘南の地から17年前に移住した。会社勤務時代は海外赴任の経験もあるという。

60歳で定年後すぐに考えたのが、夫婦で元気なうちに農業を始めたいという思い。おふたりはともに東北出身。あるとき本誌で見つけたのが広い農地と民家と土蔵付きのこの物件だ。

「リタイア後は田舎暮らし」を絵に描いたような梁川での暮らしが始まった。田んぼをやりたいというのがふたりの共通した考えだった。手間かもしれないが機械に頼り切らなくてもなんとかやって来られた。なにせ時間はたっぷりある。休日には都会の子供や孫たちも駆けつけて来る。わからないことは近所に聞く。

▲足踏みの脱穀機も。

そして、「近所付き合いも大事ですが」と奥様は言う。「近隣に気の置けない都会からの移住者を見つけること」、それが長く続けられる秘訣ではないかと。地元と付き合う努力は必要だが、似たような趣味趣向で気の合う人を探し出すこと。得意料理やお菓子談義に花を咲かせるのも必要だし、土蔵の中でオペラのCD を聞けるご近所もありがたいものだ。

「それともうひとつ。腕の良い大工を見つけること」。家の補修はやはり地元が良いと言う。こちらに来て震災も経験した。そしていまはその次の人生のことを考えはじめている。

きょうは良い話が聞ける日だとひとりごちながら、3キロほど離れた梁川小学校を見に行く。どこか懐かしいにおいがする小学校だ。

集落の一等地、田園の先の見晴らしの良い高台にその校舎はあった。水利があり見通しのきく高台は縄文時代の遺跡が多い。もしかしたらここもそのひとつかもしれないな、と思いながらわたしは梁川を後にした。

*次月号では移住地中に積極的な奥州市の取り組みや空き家バンクについて書く予定です。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

▲梁川小学校。

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売却物件を求めています

大切にされてきた家には限りない魅力がある都会の喧騒から自然の暮らしを求め、思い出をたくさんつくったあなたの田舎の家。人生のステージの変化にともないそれを手放す時が来るとしたら・・・これから田園生活をしたい人にバトンを渡すように引継ぎたいと思いませんか。

ふるさと情報館創立30周年を迎え、近年「この家を引継ぐ子どもや親戚がいない」「配偶者に先立たれ町に住む子どもと暮らす」など、様々な理由で売却する方の相談が増えてきました。日本では木造住宅の耐用年数は22年で、それを過ぎると建物の評価はゼロですが、ふるさと情報館では、永年使われてきた家や周辺環境、庭、菜園や果樹、必要な道具類も込みで「田園生活住み継ぎ物件」として、これから田園生活をしたい方に紹介する事業を展開してゆきます。

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山梨◆八ヶ岳/三伏大暑の候、7月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年7月1日

▲長雨とアジサイ(山梨県北杜市長坂町)

【2020年のラーバニスト動向】

さて、コロナ禍による生活が2年目を迎えますが、お客様から「田舎暮らしが見直され、移住ブームじゃないか?」 と聞かれる事が多々あります。そこで、少し時間が経っておりますが、八ヶ岳事務所の1年間(2020年)の動向をお伝えしたいと思います。

弊社では都市と農山村を結ぶ交流事業をメインとして地方移住者を積極的に応援しており、都市(アーバン)から田園(ルーラル)への移住者や二地域居住者を称して「ラーバニスト」と命名しています。2020年はどのような動向であったでしょうか。

1)ホームページ閲覧数
2019年1月の閲覧数を100% として、2年間の推移を示したものです。北杜市の物件を探しにホームページを見た人の推移と捉えて良いでしょう。2019年については、若干の増減があるものの、季節に関わらず、ほぼ一定です。意外に思うかもしれませんが、寒さの厳しい冬の時期もニーズは衰えません。

さて、コロナ禍の年となった2020年はどうでしょうか。1月から前年の1.5倍の閲覧数で推移し、5月からさらに伸び、6月にはなんと前年の2倍となりました。その後も年末まで高水準で推移しています。

都内の緊急事態宣言が5月31日までだったので、6月以降の伸びは、都市から地方への意識の変化と言えるでしょう。仕事のやり方や生活スタイルの変化にも影響されたのでしょう。物件の案内をする時も、どこに住んでも仕事が出来るようになったと言う方が増えました。

2)購入物件の種別
ご成約した物件の種類を示したものです。ここ数年の傾向としては、「中古住宅」の割合が多く、7割程で推移していたのですが、2020年にはこの傾向がさらに強まり、8割近くが「中古住宅」となりました。「中古住宅」の良いところは、すぐに使い始められること。新築に比べ、時間と労力を節約できます。コロナ禍の中、直ぐにでも田舎に移りたいというニーズに「中古住宅」は合致したのでしょう。

3)購入者の居住地
「首都圏在住者」が6割を占めています。なかでも、「東京」や「神奈川」の西部など、自宅から「北杜市」へのアクセスが良い方に人気でした。「別荘」、「二地域居住」はもちろん、「移住・定住」の方も今までのお付き合いの継続を考えると、気軽に通える距離が安心感につながるようです。

4)利用目的
ここ数年は「定住」が5割を超えていたので、2020年は「定住」の割合が減ったという結果になります。これはリモートワークの浸透など、働き方の変化により、田舎暮らしのハードルが下がり、多様な楽しみ方が出来るようになったからでしょうか。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

秋田◆北秋田市/マタギの里と秋田内陸線から【いくぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年6月24日

▲道の駅にある木造彫刻には「マタギの里」とある。

学生時代に読んだ宮沢賢治の物語に『なめとこ山の熊』がある。岩手県内にある「なめとこ山」の麓で熊を撃つことで家族の生計を支える主人公とそこに棲息する熊たちのお話しである。母親熊との約束や最後に主人公が熊たちによって見送られることなど、賢治ならではの死生観が色濃く出た作品だ。

こうした山岳地帯で狩猟を専業にする猟師を一般的には「マタギ」と呼ぶことがある。東北地方や甲信地方などに多いともいわれる。その中でも北秋田市にある阿仁(あに)地区の「マタギ」は平安時代までさかのぼるとされ、その歴史は古い。

▲「あにマタギの里」道の駅食堂にて。

そしてこの「阿仁マタギ」は単なる「ハンター」というよりも、「山の神を信仰し、規範を重んじ習俗文化を伝承する村社会の構成員として認め合ってきた存在」(「秋田マタギロード」広報ガイドラインより。令和3年2月)で、集団での行動が主であるため厳しい掟や独自の言葉もあったという。「マウンテン・サムライ」と呼ぶ人もいる。

北秋田市は秋田県内の内陸北部に位置し、1152平方キロメートルの広大な市域(東京二十三区の2倍あまり)に29500人ほどが暮らしている。2005年(平成17年)に鷹巣町、合川町、森吉町、阿仁町が合併してできた市だ。東南方向には樹氷も見られる名山の森吉山(もりよしざん・標高1454メートル)がある。

それぞれが独自の文化を形成してきた町だと伺ったのは、生まれも育ちも鷹巣町とおっしゃる鈴木さんからだ。奥様手作りの「バター餅」を山菜とともに振る舞っていただいたことがある。県産のもち米、砂糖、バター、小麦粉、卵黄、食塩、片栗粉だけで作られたお餅でコクがあり長く伸びる。

その鈴木さんから「いちど機会があったら綴子大太鼓(つづれこおおだいこ)を観にいらっしゃい」と誘われてもいる。ギネス認定された世界一の大太鼓で国の無形民俗文化財になっている。六張りある太鼓のうち最大のものはなんと直径が3.8メートルもあるという。

▲伊勢堂岱遺跡縄文館(2019年8月撮影)

その太鼓の音が響き渡る西側の広大な大地にあるのが「大館能代空港」で、あたり一帯は視界が開け、遠く白神山地が望める場所だ。そうした場所は縄文時代の遺跡が多い。ここ「伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡」もそのひとつ。ストーンサークルで知られ、縄文館の案内は地元の中高生たちがボランティアスタッフで頑張っていた。この近くには「JA 秋田厚生連」が運営する「北秋田市民病院」やのどかな「北欧の杜公園」もある。

▲地元中高生のボランティアが遺跡を説明してくれる。

さて、鷹ノ巣駅前の観光案内所で秋田内陸線のことを聞いてみた。

「ここが始発なんですね」とわたし。

「始発駅は阿仁合(あにあい)なんです」と案内所スタッフ。

この鉄道は角館駅と鷹ノ巣駅を急行なら二時間ほどで結ぶ単線だ。角館→鷹ノ巣が「上り」で鷹ノ巣→角館が「下り」である。時刻表を見てみると、確かに発着地は「阿仁合」となっている。

ではこの「阿仁合」とは?

江戸時代の前期に国内屈指の銅山として知られるようになり、1716年(享保元年)には銅山全国一と謳われ、日本中から炭鉱労働者が集まったといわれる阿仁鉱山。多くの寺院等がいまも阿仁駅周辺には残り、明治15年築の外国人官舎は東京銀座の鹿鳴館よりも古く、国の重要文化財に指定されているほど。

▲北欧の杜公園。

その阿仁合駅の西に「北秋田移住定住ネットワークセンター」がある。全国的にも珍しい二つの期間に分けた一棟貸しのお試し住宅だ。

7日間までのいわゆるお試しと30日間までの本格的長期滞在である。光熱費として一日あたり400円が必要とのことで、ひと月借りても12,000円。ご興味のある方はぜひともトライしてみたらいかがでしょう。(岩手・秋田・宮城担当 中村健二)

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お問い合わせは北秋田市移住・定住支援室(北秋田市役所2階、総合政策課内)
〒018-3392 秋田県北秋田市花園町19-1  電話0186-62-8002
北秋田市公式HP よりWEB 相談可
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物件ウォッチ誌上オンエアー(文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

山梨◆韮崎/日本列島のへそと温ぬるめの旭温泉【いくぞ甲州!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年6月21日

▲「韮崎大村美術館」より茅ヶ岳方面を見る。

1980年代に刊行された漫画本で、究極のメニュー作りを通じて料理と人々の営みを描き話題となった『美味しんぼ』。その第1話に主人公たちが韮崎市のペンションを訪ねる回があった。

元同僚が新聞社を脱サラし開業したのだった。その母親も一緒に暮らすのだが、フレンチを中心に出すメニューでは息子夫婦の力になりたいと思っていても、このおばあちゃんには出番はない。

主人公たちは「こんな山の中にまで来てフレンチはないだろう?」と指摘する。そこでおばあちゃんの自慢の「ほうとう」が登場。自家製の麺と出汁と野菜で山岡たちの舌を唸らす。確かそんな話だった。

今となればそのペンションがどこなのか見当はつくけれども、そこは「富士五湖」でも「清里」でもなく、「韮崎市穂坂町」というのがなんとも良い。茅ヶ岳(かやがだけ(標高1704m)の麓の町なのだ。

『日本百名山』の生みの親である深田久弥(ふかたきゅうや)が茅ヶ岳登山の途中に急逝されてから半世紀が過ぎた本年。この4月17日に東京エレクトロン韮崎文化ホールにて、氏を偲んで深田森太郎さん(久弥のご長男)の特別公演と登山家の花谷泰広さんたちの記念シンポジウムが開かれた。荒天にもかかわらず百数十人が参加した会となった。

遠く生まれ故郷の石川県加賀市からも数名のご来賓があり満場の拍手を浴びていた。そんな茅ヶ岳は韮崎市の西部、釜無川左岸にある「韮崎大村美術館」2階の喫茶室から見るのがなんとも言えず良い。河岸段丘のその先に明るい地層が見え、頭頂にはほとんど雲のかからない茅ヶ岳。日照時間日本一だといわれるゆえんだ。

▲久弥を偲んで行われた会の当日のパンフレット。

「大村美術館」とは2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智(おおむらさとし)先生のコレクションを展示した美術館だ。展示品の中では片岡球子の作品がわたしは良いと思う。ここは茅ヶ岳と対峙するように屹立した甘利山の麓の旧街道筋にあたる。

近在には「武田八幡宮」や「ワニ塚の桜」など名所旧跡も多いが、面白いのは甘利小学校北東の桃畑の一角にある「日本列島のへそ」。韮崎市の「へそ」は日本列島の東西南北の経度と緯度が交差している場所であるというのがそのいわれだ。南アルプスユネスコエコパークにも選定されている。

▲「日本列島のへそ」碑。

重心が偏らずバランスしているというのだ。言われてみればここに立つとそんな気が、しないこともない。さらにここから南西方向に1kmほどのところにあるのが人工的な手を施していない源泉100% 掛け流しといわれ、市内外から訪れる方が絶えない「韮崎旭温泉」(入浴料は600円)。

地下1200メートルの断層破砕帯から日に570トン湧出するナトリウム塩素炭酸水素泉。やや温めでゆっくり浸かっていると湯上がりに体がぽかぽかしてくる。 さて県内の自治体による空き家バンクと実務面で提携する「山梨県宅建協会」が取りまとめた内容を見てみると、韮崎市の「空き家バンク」の取り組みは県内屈指といえるほどメニューが多い。

▲旭温泉外観。

バンク利用者が購入した物件の修繕費、仲介手数料、引越費用の補助、定住目的で住宅の取得をした人への助成金など幅広く移住のハードルを下げているのがよくわかる。また、物件の売主や所有者に対する奨励金が手厚いのも特徴といえる。

「空き家バンク」とは別だが、この3月にはいわゆる「農地付き空き家」における農地法第3条第2項の「別段の面積」を一アール(100㎡)以下へとすべく協会として市へ要望している。これは空き家対策とともに就農支援と移住定住促進を今後とも図っていこうとしていることだと言われる。

期待値の高い韮崎市である。「がんばれば自転車でも暮らせちゃうコンパクトシティ」と銘打って。(八ヶ岳事務所 中村健二)

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韮崎市移住・定住相談窓口
山梨県韮崎市若宮一丁目2番50号 韮崎市市民交流センター「ニコリ」1階
電話0551 -30 -4321(9:00~18:00、第3月曜休)オンライン移住相談もあり。
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山梨◆韮崎/ 韮高サッカーと移住相談窓口【いくぞ!甲斐路・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年6月10日

▲商店街の活性化に貢献している商業ビル。

山梨県内には「質実剛健」を謳った公立高が多いように思う。日川、吉田、甲府商業、そして韮崎。それはまた「文武両道」の校風という旗印のもとに、人材が広く集まってきた証なのかもしれない。いまも県内の強豪校としてその名を知られる韮崎高校サッカー部は、横森巧(よこもりたくみ)先生が率いていた1980年前後の高校サッカー界において、華々しい活躍を見せていた。正月の高校サッカー選手権ではあと一歩のところで何度も優勝を逃したにもかかわらず、怒濤の攻撃を信条とするそのプレースタイルはわたしの脳裏に鮮明に焼き付いている。中央本線韮崎駅前には、1975年の高校総体で優勝した栄誉をたたえて「球児の像」が建てられている。「韮崎」というとわたしが最初に思い出すのがこのサッカーなのだ。

▲韮崎駅前にある「球児の像」。

江戸時代には甲州街道の「韮崎宿」の本陣が置かれるなど、甲府以西の中心地として栄えてきた韮崎は、143平方キロメートルの市域に、現在29,000人ほどが暮らしている。ニラの葉状に見える七里ヶ岩(しちりがいわ)と、町の中心を釜無川(かまなしがわ・甲府盆地で合流し富士川となる)と塩川が流れる河岸段丘が地形的な特徴で、八ヶ岳の東側ルートの佐久甲州街道(国道141号線)沿いの平野部に住居や商店街が集積してきた。

市の東側は、百名山の名付け親・深田久弥氏と縁の深い「茅ヶ岳(かやがたけ)」の裾野に広がる伸びやかなロケーションが自慢の地区で、水はけと日当たりの良さから一大ぶどうの産地として知られてきた。良質のワイナリーも市内には点在する。中央自動車道の韮崎インターが開設してからはハイテク工場や山沿いにゴルフ場、別荘地などが開発されてきた。

穂坂地区から甲府盆地に目をやれば、ぶどう畑の先に末広がりの富士山が鎮座しているのが見えてくる。文化的にも経済的にも名実ともに「峡北(きょうほく)地域」の中心地がここ韮崎なのである。また、季節風が吹き寄せてくるのがここ韮崎の特徴でもある。北にそびえる八ヶ岳の裾野の東側・佐久口とその西側・諏訪口から吹き下ろす「八ヶ岳おろし」は冬場から春先にかけてのこの地域の風物詩ともなっており、韮高サッカーの代名詞ともなっているショートパスでつなぐ伝統的な戦術が実はこうした自然環境から生まれてきたともいわれる。

▲賢治が東京麹町の栄屋旅館から嘉内に宛てた手紙(「ニコリ」にて)。

現在の市内、藤井町出身で岩手農学校時代に宮沢賢治と深い親交のあった保阪嘉内(ほさかかない)は、この八ヶ岳おろしを賢治に語り、それが『風野又三郎』(この物語を改題してできたのが『風の又三郎』)にも八ヶ岳の季節風として話に出てくる。小林一三をはじめとした郷土の偉人を展示する駅前の韮崎市民交流センター「ニコリ」常設展では、几帳面な賢治直筆の手紙を見ることができる。その1階には「移住定住相談窓口」も開設され、県外から移住された「地域おこしメンバー」が携わっており、「空き家バンク」の紹介もしている。

県内の自治体が開設する「空き家バンク」制度はいま活況を呈している。甲府市や山梨市、甲州市、富士河口湖町、そして北杜市など人気のある自治体が提供する「空き家バンク」には近県の静岡や長野と引けを取らないほど、県内外から引き合いが多いという。そして現地見学会(不定期)や不動産実務(売買および賃貸契約)を執り行うのが当社も加盟している山梨県宅地建物取引業保証協会なのである。

▲移住相談窓口のある駅前ビル。

次月号では県内でもトップクラスの韮崎市の空き家バンクの具体的な取り組みと合わせて「釜無川の西側エリア」(神社や美術館、温泉、小学校など)にも焦点を当てて、韮崎の魅力を探ってみたいと思います。(八ヶ岳事務所 中村健二)

▲韮崎大村美術館入り口にある「ニーラ」の看板。