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秋田◆仙北市/鱒の棲むところ ~ 田沢湖 ~【行くぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年11月14日

今回は鱒(ます)の話である。

リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』(藤本和子訳)を初めて読んだのは、いまから40年ほども前の大学3年生の頃だったと思う。1984年に49歳で亡くなったこのアメリカ人作家はカウンターカルチャーやヒッピー文化のある種象徴として、60年代の終わりに爆発的ともいえるほど当時の若者に信奉されてきたが、その後70年代に入るとともに熱も冷めほとんど見向きもされなくなったという。

しかしながら、彼は何も同時代的なコミューン活動を描いたのではなく、60年代初期の詩人として心に浮かんだ心象風景(現実と幻想)を言葉にしていたのだ。なにせ一つの文章の中に二つも三つも比喩的表現が使われている。実直な読者を混乱させるのに十分な小説なのである。

▲『アメリカの鱒釣り』(1975年、初版は晶文社刊)と『西瓜糖の日々』※リンク先はamazon

わたしはといえば、特定な時代背景を意識して読まなかったおかげなのか、失われた鱒たちの哄笑(こうしょう)にも似た彼の文体に魅了され、表紙の写真のごとくサンフランシスコのワシントン広場にある銅像の前に立ちたいと、その当時思ったことを記憶している。

失われた鱒といえば、秋田県仙北市(せんぼくし)の田沢湖にしか棲息しないといわれ、湖の酸性化により絶滅したと考えられていた「クニマス」が、山梨県の富士五湖のひとつである西湖で、2010年に「再発見」されたというニュースが驚きをもって伝えられた。京都大学研究チームの中坊(なかぼう)教授が確認して、その後環境省のレッドリストでは「絶滅」から「野生絶滅」に指定変更をされたのだった。本家亡きあと、分家が興隆したかのようだ。田沢湖をふるさととするクニマスの卵が西湖に持ち込まれたのは戦前の1935年だという。

▲クニマス展示館(山梨県富士河口湖町)

▲水槽の中を泳ぐクニマスたち(山梨県富士河口湖町)

では西湖ではどうして絶滅しなかったのか。

水温4度前後で、2月3月の産卵期には水深30~40メートルあたりに着床しており、天敵の肉食魚も居なかったなど田沢湖と西湖は棲息環境が似ていたことが大きかったようである。いわゆる水が合ったのだ。

私が幼い頃から慣れ親しんできた浜名湖の水深(平均4.8メートル)など気にすることはこれまで一度もなかった。まして114キロに及ぶ周囲を一周することなど及びもつかない考えであった。

▲クニマス展示館のパネル。

▲夏の浜名湖は太陽の圧倒的な支配下に置かれる(東名高速道路浜名湖SA)。

ところがどうだ。前泊の盛岡から秋田内陸鉄道の主要駅阿仁合(あにあい)駅に行くと決まったときに、まずもってわたしの興味を引いたのは水深日本一の田沢湖(423メートル)であった。以前北海道の阿寒湖を舞台にした映画を観たのだが、わたしにとって森の中の湖というのは「神秘」であり「静寂」であった。そこでは弁証法的に「思索」の時間をもたらすものであったのだが、残念ながらそうした体験は浜名湖では好意的に言ってもまず、難しい(すみません)。

盛岡市の石川啄木の生家を過ぎ、国道46号線に入る。秋田新幹線と雫石川に並行して走る国道だ。ちなみに47号線は宮城県と山形県を結ぶあの鳴子峡を通る「奥のほそ道」国道。雫石川の作り出した肥沃な田園を、奥羽山脈に向かって今回もひたすら西へ。寄るべき「道の駅」もなく新幹線と交差して雫石町に着く。ここは1891年(明治24年)開設の「小岩井農場」があることでも有名。わたしはまだ行ったことがないが、設立に尽力された三人のお名前(小野、岩崎、井上)を取って名付けられた広大な農場だという。ちょうど東京の紀尾井町みたいなものか。

仙北市からは国道341号線に枝分かれして北上する。まっすぐ行けば小京都として名高い桜の名所「角館(かくのだて)だ。周囲を森に覆われた田沢湖は火山噴火によるカルデラ湖の一種だともいわれ穏やかな湖面をたたえる。周囲20キロほどの円形で湖畔にはキャンプ場も点在している。

わたしはゆっくりと湖を一周することができた。朝の清澄な空気を吸って、さあここから山越えである。目指すは鮎釣りのメッカ・阿仁合川だ。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

▲金色のたつこ像は秋の小雨の中で輝いていた。(秋田県仙北市田沢湖畔)

山梨◆八ヶ岳/深秋の候、11月のお知らせ【八ヶ岳スタッフ・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年11月1日

▲秋空の下、夕暮れで赤く染まる八ヶ岳。(北杜市高根町)

「秋」から「冬」へと移り変わる季節です。

朝晩の冷え込みが厳しくなり、紅葉の見ごろとなるのが10月中旬からで、11月の前半にはカラマツの葉が日を受けて黄金色に輝く様を見ることができます。標高差のため比較的長い間、紅葉が楽しめる八ヶ岳南麓ですが、11月の中旬にもなると標高の高いエリアでは葉が全て落ちてしまいます。紅葉狩りを楽しむには急がれた方がよろしいでしょう。

甲府地方気象台の2020年の観測によると、「初霜」が11月1日、「初氷」が少しおいて11月5日でした。「霜」は空気と接触している物体の温度が0度より低くなると、空気中の水蒸気が、物体の表面に「氷」として成長することで出来ます。

冬の晴れた朝などでは放射冷却で、地面付近の温度が気温よりも数度低くなるため、気温が0度にならなくても「霜」が降りることがあるそうです。「霜」が降りていると朝の気温が零下になったと思っていたのですが、そうとも限らないのですね。「初霜」と「初氷」に数日のタイムラグがあるのはそういう理由なのでしょう。

▲11月初旬。紅葉したカラマツの葉が輝く。(北杜市高根町)

甲府地方気象台ではその他に、「初雪」、「富士山の初冠雪」、「甲斐駒ヶ岳の初冠雪」の観測をしており、観測記録をホームページに記載をしています。「富士山の初冠雪」は平年では10月2日なのですが、今年は大幅に早まり9月7日に「初冠雪」というニュースが流れました。

ニュースを見て驚き、早速に八ヶ岳事務所近くの田んぼまで見に行くと、確かに富士山の頂上が白くなっています。まだ北杜市では残暑を感じる陽気で、稲は成長の途中、麓と山の上では随分と気候が違うなと思いました。

しかし、この「初冠雪」ですが後日談があり、記録としてその後に取り消されてしまいました。数日で融けたとはいえ、一度は雪が積もったのにどうしてでしょうか。

これは「初冠雪」の定義に当てはまらなくなってしまったからだそうです。その定義とは、◆富士山特別地域気象観測所の日平均気温の最高値が出現した日以降に、初めて冠雪を観測した日を「初冠雪」としています。というもの。

当初、8月4日に日平均気温の「最高値」が出現したものとし、9月7日に「初冠雪」を観測としていましたが、その後、9月20日に日平均気温の最高値が更新されてしまったそうです。その為、「最高値」が出現した日より前の冠雪は「初冠雪」の定義に当てはまらなくなり、「初冠雪」記録も抹消となったそうです。冠雪後の9月の後半にもなって、1年度で一番暑い日になるとは、気象の当事者も驚いたでしょう。

因みに9月20日の富士観測所の平均気温は10・3℃でした。とても年間の最高値とは思えない低い気温ですね。富士山の環境の厳しさを改めて感じました。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

▲11月中旬。標高の高い場所では落葉が進む。(北杜市大泉町)

山梨◆甲府市/まぐろと甲州人の密なる関係【来てくれんけ甲斐路!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年10月27日

▲県立博物館。今年は信玄公生誕500年にあたり、平山優先生の記念講演会もあった。(わたしは抽選でハズレました)

「博物館」は地域の歴史とそこに暮らした人々のかけがえのない「遺産」である。

身近なところでも、北杜市の「郷土資料館」や隣町にある長野県富士見町の「井戸尻考古館」などはスタッフの腰を据えた取り組みが良く知られてもいるが、わたし的には「和算」の資料がものすごい岩手県一関市と「宿場町の変遷」を克明に伝える静岡県富士市の博物館が印象深い。

以前、「山梨県立博物館」で耳慣れぬ言葉を聞いたことがあった。魚にまつわる話だ。

山梨県人はいまも老若男女を問わずまぐろの赤身が本当に大好きなようだ。寿司屋に「赤身」、蕎麦屋に「鳥モツ」、である。かつて、駿河湾で捕れた新鮮な魚介類を内陸部まで運んでいた時代。生の魚を腐らずに移動できるそのギリギリのラインが「甲府」だというのである。このラインを「魚尻線(うおじりせん)」と呼ぶ。それはわたしが初めて聞いた言葉だった。

▲厳美渓に行く途中にある一関市立博物館。(岩手県一関市)

そのころの「江戸前寿司」はいまよりずっと大きかったという。そのネタである魚介類を酢漬けや塩漬けにすることもなく食することができたのだ。内陸部に生きる甲州人は逆説的に生のまぐろを食べることに徹底的にこだわってきたのである。そこには命をかけた決死の努力が見て取れる。いま、回転寿司も含めて寿司屋が静かに盛り上がっているのはこうした背景があるからかもしれない。個人的には甲府の「かんぴょう巻き」はとても美味だと思いますが。

また、県立博物館には近海で捕れたと思われる「サメの骨の標本」もあった。なんと「サメの解体ショー」が甲州商人や街道往来の旅人の面前で演じられていたらしいのだ。「勝沼の白ワイン」は和食に合うといわれるが、生魚を食べる文化が生んだといわれれば合点がいく。山梨県人恐るべし、である。

▲往時をしのぶ街道筋。(笛吹市八代町)

さて、駿河湾で捕れた魚介類はどのようなルートで魚尻線の「甲府」まで運ばれてきたのか。いま明らかになっているのが次の三つのルートである。

その1)沼津~御殿場~河口湖~芦川ルート
駿河湾の北東に位置する「沼津港」からは、富士山の東側を進む。御殿場を抜け富士五湖の東側を通り、鳥坂峠の難所を行き甲府盆地に入る。「新東名」と結ばれた現在の「東富士五湖道路」と「若彦トンネル」を行く。「鎌倉街道ルート」だ。

その2)吉原~富士宮~精進湖(しょうじこ)~左右口ルート
駿河湾の北に位置する「吉原」からは、富士山の西側を進む。大迫力の富士山を正面に浅間大社(せんげんたいしゃ)から北上し富士五湖の本栖湖、精進湖を通過し、左右口(うばぐち)へ下る。家康公が入甲した際にも使われていた。「中道往還ルート」だ。

その3)駿府~清水~南部~身延~鰍沢(かじかざわ)ルート
駿河湾の西に位置する「府内」からは、富士川を進む。急峻な山あいのわずかな河岸段丘のへりを通り、直線方向に北上する。和紙、硯、印房(いんぼう)、楮(こうぞ)、温泉など地場産業の盛んな地域で舟運も栄えた。これが「駿州往還ルート」だ。

▲道の駅「なんぶ」には人気の三色まぐろ丼のほか南部茶の試飲コーナーもある。

これらのルートからは生モノを傷ませない工夫が見てとれる。富士山の東西の両ルートは険しい山道なのだ。標高的には800~1000メートル近い。少しでも涼しい気象条件を選んで運ばれるが、そこは峠道である。特に夜間は人通リがあるわけでもなく夜警団を組んでの行脚にはリスクが潜む。夜道の明かりも少なく盗賊や追いはぎそして身の危険があったことは容易に推察される。命を賭したルートだったのだ。

この8月29日午後4時。「中部横断自動車道」の最後の13キロ余りが開通し、これで同南部区間が全線開通した。これまでより20 分ほど短縮され、静岡と甲府が90 分ほどで結ばれたのだ。それは富士川沿いの「駿州往還ルート」だった。

わたしはその日東海道・金谷宿と茶畑の台地にできた空港に出かけていた(11月号でそのことを書きます)

夕方清水インターから北上するわたしが見たものは・・・東名高速道路方面へ向かう引きも切らない車列であった。(八ヶ岳事務所 中村健二)

▲現在の清水港。駿河湾フェリーの発着所はワクチン接種会場となっていた。

山梨◆八ヶ岳/「育てられない女」家庭菜園を始めました【八ヶ岳スタッフ・日々の暮らしより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年10月21日

4月に下の娘が県外に出て、5人で始まった移住生活が、とうとう夫と二人になってしまいました。

子供の送迎に費やされていた時間が突如空白になり、子育ての終わりのあっけなさを思い知った春でした。

何を思ったか夫が庭に小さな畑を作り、初心者向けの野菜の種を買ってきました。

枝豆、えごま、バジルを蒔き、移住12年ついに畑デビューを果たしました。

実は私、サボテンを枯らしたことがあり、数々の観葉植物も残念な最期を迎えさせてしまった「育てられない女」です。

再犯が心配されましたが、今回はなんとか我が家の食卓に上ることができました。

枝豆がなかなか膨らまない心配、えごまは料理の腕が追い付かず、活用しきれなかったという後悔、調子に乗って植えたズッキーニは中指くらいの上品な大きさにしかならなかったという失望。

1畳ほどの畑で様々な感情と向きあう事ができました(大げさ)。

ゆるい家庭菜園、来年は愛してやまない「モロッコいんげん」を育ててみたいと思っています。(八ヶ岳事務所 原 きみえ)

宮城◆大崎市~加美町・その2/おくのほそ道「尿前の関」とバッハホール【行くぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年10月15日

▲偶然にいざなわれる、ここがあの「おくのほそ道」。

鳴子峡(なるこきょう)は「出羽仙台街道」の宮城県境にある。その名のとおり伊達藩(宮城)と出羽藩(山形)を結ぶ交通の要衝地だ。

当然戦国時代より警備は厳しく、街道の難所であるここ「鳴子峡」には伊達藩により関所が設けられていた。「尿前(しとまえ)の関」である。

偶然、「鳴子峡」からの戻り道、国道沿いに看板を見かけ、ここが「おくのほそ道の尿前か!」とわたしは初めて知ることができたのだった。

▲国道47号線沿いの看板。この看板に気づかなければ、この新しい出会いを得ることができなかった。

渓谷のスケールでは八ヶ岳をしのぐほどだ。江戸時代、芭蕉のこの東北行脚の中では難所中の難所、あの筆マメかつ健脚で鳴らす同行者・曾良(そら)ですら、この先、中山越えについては疲弊しきりで一言も書いてはいないといわれるほどの場所。それがここ「尿前」なのだ。

わたしはもう一度、国道47号線から108号線に入り、ナビで指し示す関所跡地へと車を走らせた。ガードをくぐり民家の建ち並んだ入り口の空き地に車を停めた。なにかしらその先は徒歩で行くべき気がしたからだ。

車を降りてあたりと見渡すと動物が2頭こちらを向いているではないか。一瞬身構えたがヤギが鎖に繋がれていたのだった。

▲ヤギと出くわす。いつの時代でも人間と寄り添う家畜たちは、つぶらな瞳で私に何かを伝えようとしている。

石畳で整備された道を山の方へと上がっていく。突然今度は家の軒下で休んでいるふたりの旅人がいた。恐る恐る「あのー、関所跡はこちらで良いのでしょうか?」と尋ねてみたが返事は無し。視力は中学生のころから悪くなる一方で、わたしはそこに座る人形に聞いていたのだった。

よくよく目を凝らしてみれば、その装束から芭蕉と曾良、である。誰がなぜそこに作って置いたかは不明だが、ここを同行二人が通行したのは間違いなさそうだ。

▲時空を超えて、私は芭蕉と曾良の魂に語りかけていたのではないだろうか、とすら思えてならない。

さらに隣の家には道路工事人の人形もあるではないか。こちらは現代風。おそらくはこの石畳は俺がこしらえたのだとでも言わんばかりに意気軒高だ。

そこから100メートルばかり上っていくと平坦な場所に出た。道はこの先も細く細く森の奥へと続いて行く。ここからは「中山越え」といわれる。

わたしはもはやこの先を断念し、視界の開けた平坦な場所を歩いてみた。碑文と芭蕉の像。関所が建っていた場所を思わせるような石積みが6段ほどあるのだ。

▲荘厳な山の中に、人々を隔絶する関所跡が今もここに。

330年以上経つが、その石積みには威厳があり今もって威圧感すら漂わせている。ここで芭蕉たちは関所のきつい取り調べに遭い、蚤やシラミの攻撃や馬の糞尿で夜も寝られず、ついにはこの先のハードな峡谷を越えて行くことになったのだ。

芭蕉たちがこの「尿前の関」にたどり着いたのは、元禄2年(1689年)の旧暦5月15日(新暦は7月1日)といわれる。この時代は富裕な町人の出現により、光琳や西鶴、近松などのいわゆる元禄文化が花開いたころでもあり、同15年には赤穂浪士の吉良邸討ち入りがあったことでも知られる。

しかしその翌年、元禄地震といわれる巨大地震があり元号も「宝永」に改められている。一世を風靡した絢爛豪華な文化と生命を脅かす自然災害。そこに生きる人々の暮らし。われわれはこうした先人たちに学ぶべきことが多い。 俳人の長谷川櫂氏は、『おくのほそ道』を前半と後半、そして全体で4つの章に分類している。

「白河の関」までと「歌枕」を訪ねる前半、そして難行苦行したこの「尿前の関」以降の後半。「山寺の蝉」から「天の川」へ、そして市振(いちぶり)の遊女や曾良との別れ。150日といわれる長い旅の行程において、この後半こそ、旅を人生とする芭蕉の深遠な息づかいが聞こえる真骨頂なのだ。それを「かるみ」と表現する(『「奥の細道」をよむ』より)。

▲バッハホールのパイプオルガン。ひと度演奏が始まれば、神聖な音色が私の魂を貫くのだろう。

仙台に戻る途中、わたしは加美町(かみまち)中新田(なかにいだ)にあるという「バッハホール」をぜひ見たいと思った。ホールはワクチン接種会場としても使われているという。

ご多忙のスタッフに案内していただき、わたしは生まれて初めて、誰もいないホールの中央に据えられている圧倒的なパイプオルガンを見せていただいた。次回はぜひともこの音を生演奏で聴きたいと強く思わせるものであった。

「芭蕉の旋律」と「バッハホールのパイプオルガン」。今回はこのダブルキャストに恵まれた取材となったのだった。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

山梨◆八ヶ岳/爽秋の候、10月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年10月1日

▲コンバインによる稲刈り。(北杜市高根町)

北杜市は9月の下旬から稲刈りの時期を迎えています。たわわに実り、重みで頭をかしげている稲穂をコンバインが次々と刈り取っていきます。遠くから見ているだけでは分からないのですが、コンバインという機械は、一台で刈り取りだけでなく、脱穀と選別まで行っているそうです。

古民家の売却時には、蔵の中に古い農具が残っている場合が多く、稲の脱穀と選別をする道具も度々見かけます。脱穀とは稲の穂先から籾もみを落とす作業ですが、足踏脱穀機は足で踏板を踏むことで、突起がついて筒形の本体が回転し、そこに穂先をあてことで脱穀ができます。

▲足踏脱穀機。

また選別をする機械に唐箕(とうみ)というものがあります。電気を使わないながら、なかなかハイテクな装置で、機械の中央、上側にある漏斗のような口に籾を入れると、右側の羽根車からの横風を受けて、実のない籾など軽いものを遠くに吹き飛ばし、重いもの(実の詰まった籾)を手前に落とすというものです。

なかなか愛嬌のある形で、骨董のオブジェとして残している方もいます。古民家の物件を見学される際には、建物の他に、昔の農具も見ていただくと、その土地の暮らしぶりも浮かんでくるかもしれません。

▲唐箕。

山梨県は8月20日から9月12日まで「まん延防止等重点措置」の実施区域となり、北杜市内においても影響が出ています。市立施設である体育館、図書館、プール等の休館に加え、飲食店に休業要請が出されました。山梨県独自の取り組みである「グリーン・ゾーン認証」を受けているお店は営業時間の短縮で営業が可能ですが、市内の多くの飲食店が休業となっています。この文章は9月上旬に書いているので、予定通り9月12日で要請が終わるのか不明ですが、ワクチンの接種が進むまでは不安定な状況が続きそうです。

▲山梨県庁のトップページより。

本日10月1日からコロナ禍の影響を受けている市内の中小事業者を支援するため、QR コード決済サービス「PayPay」を利用して北杜市の対象店舗で宿泊や買い物をした際に、決済金額の最大30% 相当のPayPay ボーナスが付与されるキャンペーンが実施されます。新型コロナの感染拡大で一度、延期となっているので、次は無事に始められることを願っています。

詳細は市のホームページまで。
「ともにがんばろう北杜!最大30%戻ってくるキャンペーン」で検索  (八ヶ岳事務所 大久保武文)


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北杜市PayPay「ともにがんばろうキャンペーン」お知らせ
https://www.city.hokuto.yamanashi.jp/docs/kankou_else_paypay.html

PayPay「ともにがんばろうキャンペーン」お知らせ
https://paypay.ne.jp/notice/20210827/02/

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▲10月後半には八ヶ岳の山頂に積雪が。(北杜市高根町)

宮城◆大崎市/その1・鬼の首のロープウェイと鳴子峡【行くぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年9月14日

▲緑豊かな鳴子峡。

「鳴子峡」は宮城県内の紅葉の名所として知られている。今回その近くの、めったに物件としては出ない「オニコウベスキー場」に物件があるというので、初めてその地を訪れることとなった。東北自動車道古川インターを出ると周辺は穀倉地帯の平野部が広がる。ここからひたすら40数キロ西の山を目指していけばよいわけだ。

宮城県北西部の中心地・古川を要する「大崎地域」は周辺を入れると30数万人の一大都市だが、わたしはそれとは反対方向の鳴子(なるこ)の湯治場の先へ向かおうとしている。江合川(えあいがわ)に沿って山側に続く国道47号線はどことなくディープな感じがした。それは結果として思っても見なかった方向へとわたしを導いていくこととなっていった。

▲東北自動車道古川インターの出口看板。

途中、岩出山(いわでやま)地区に出た。ここには16世紀の最後の10年間(1591年から1600年)、関ヶ原の合戦の頃まで伊達政宗の居城があったという。2006年(平成18)に大崎市と合併するまでは宮城県玉造郡の中心地でもあった。そしていまは全国有数の売上高を誇る「道の駅」が実はこの国道沿いにあるというのだ。その名を「あ・ら・伊達な道の駅」という。正面にはなんと「至福の入口」の文字。駅内をぶらつきながら、今日の昼ごはんはここで調達しようと思い立ち、わたしなりのご当地食材を買っていくことにした。

▲凝った作りの道の駅だ。駅内にはクリーニング店もある。

「鳴子温泉」あたりからこけしの製造販売店が増えてきて山も間近に迫ってきた。ここから国道108号線に右折する。4つほどのトンネルを抜けると「鬼首(おにこうべ)」だ。山あいの温泉や役所を過ぎてさらにその最奥に「オニコウベスキー場」がある。かつて大手ディベロッパーが開発したものだが、近年のスキー人口の減少によりどちらかといえばひなびた感があり、それが逆にこうした時代には休日を家族とともにゆったりと過ごすのにはふさわしい場所であると感じられた。

▲「オニコウベスキー場」遠景。

物件はペンションの建ち並んだ丘のいちばん奥から4軒目。現在は個人の別荘として利用されているとのこと。なるほど。周辺を見渡していると山の斜面に丸い物体がふたつ見える。4人乗りのロープウェイで麓の発着所には「センターキューブ」とあった。家族連れが避暑がてら乗りに来て山頂のカブトムシ観察所や遊歩道を目指しているのだという。わたし的にはどこか「スターウォーズ」的世界のような気がして興味が湧き、乗ってみることにした。

▲空飛ぶキューブ発着所。

▲空飛ぶキューブ。

斜面を登るキューブの乗り心地は、大げさに言えば飛行機で離陸するときの高揚感、そんな感じだった。飛行機にはここしばらくご縁がないけれど、時間にすればわずか8分ほどの旅。そして山頂に着く。標高は1100メートルで一気に数百メートル上昇したことになる。麓とは3度ほど気温が低い。遠くで子どもがヤッホーと下界に向かって叫んでいた。

わたしは他に誰もいない山頂の休憩所で「道の駅」で買ってきた昼ごはんを広げた。三色餅、味噌お握り、鳴子まんじゅう、仙台牛コロッケ、鳴子温泉水と、まさにご当地尽くしで長距離ドライバー並みの食欲だ。

▲この日のお弁当。

最後に鳴子峡に行ってみることにした。ここから車で15分ほどの距離だ。紅葉前のこの時期は人影もまばら。撮影ポイントの橋はみごとに緑一色だ。どことなく山梨県の清里にある赤い橋に似ているが、渓谷の深さは清里、スケール感では鳴子峡に軍配が上がる。レストハウスでソフトクリームを食べる中高年もいて森林浴を楽しんでいるようだ。
 
さて、このあと次の取材先に行こうかと思った矢先、目に飛び込んできたのは「尿前(しとまえ)の関所跡」のすこし薄汚れた看板だった。なんと鳴子峡は「奥のほそ道」の重要ポイントでもあったのだ。勉強不足ではあるが誰も教えてくれなかった。芭蕉と曾良は大変な行脚の先、この「出羽街道」を進みここから国の境を越えて行ったのである。

わたしは関所跡へ導かれるように車を向けていた。(以下次月号へ)(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

山梨◆八ヶ岳/秋晴の候、9月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2021年9月1日

▲真っ白な絨毯を広げたような蕎麦畑の花(北杜市長坂町)。

9月の初旬、山梨県北杜市の畑では蕎麦の花が咲く様子が見られます。元々、田んぼだったところが休耕田となり、そこの活用として蕎麦栽培を始める方も多いようで、年々、蕎麦畑が増えているように感じます。

「寒暖の差」、「おいしい湧水が多いこと」、「日照時間の長いこと」といった北杜市の気候が、お蕎麦の栽培に向いているとのこと。日中の強い日差しが去り、夕暮れの涼しい風を受け、気持ちよさそうに揺れる蕎麦の白い花。一つ一つはとても小さな花ですが、畑一面が淡く白く染まる様はなかなか素敵なものです。暑い夏が過ぎ、都心より一足早い秋の訪れを感じさせてくれる風景です。

9月は昼と夜の長さがほぼ同じになる「秋分の日」がありますね。今年の秋分の日は9月23日。天文学により算出するものになるので、年によっては9月22日になることも。太陽が真東から登って真西にしずむ。仏教的にも、この世とあの世がもっとも通じやすい日と考えられ、「お彼岸」という風習が成り立ったようです。

▲秋を感じさせるトンボの姿(北杜市須玉町)。

秋分の日以降は昼の時間が短くなり、夜の時間が長くなっていきます。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、まさに季節の変わり目と言える日です。1日24時間というのは年間を通じて変わらないのに、昼の明るい時間が短くなると、なんだか1日まで短くなったような、少し寂しい気持ちになるのは私だけではないでは。

秋の日は釣瓶(つるべ)落とし。冬の足音が聞こえてくるのはもう少しあとですが、着実に冬に近づいていることを感じます。
(八ヶ岳事務所 大久保武文)

▲秋桜とも呼ばれるコスモス(北杜市高根町)。

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◆星空を見るなら「月見里県星見里市」へ

古くから月の景観の美しい地には「山梨」という地名が付けられました。この山梨の古名は「月見里(やまなし)」だと言われています。北杜市は美しい星空を望むことができる地として、「星見里(ほくと)」と表現しています。雄大な自然の中で見上げる、瞬く満天の星。「月見里県星見里市(山梨県北杜市)」を訪れてみませんか。

※写真はイメージ。

ワタクシの夏の風物詩というと「ペルセウス座流星群」の到来。毎年定期的にやってくる「しぶんぎ座流星群」「ふたご座流星群」とともに3大流星群とよばれているうちのひとつ。

八ヶ岳南麓の夜は夏でも冷えることも多いが、季節柄もあり比較的軽装で観測することができるので『はじめての流れ星探し』にちょうど良い。極大日といわれる、期間中一番流星が多く出現すると予想される時期がちょうどお盆休みなのも嬉しい。

月の光があると明るい流星しか見つけられないが、今年はちょうど月が邪魔しない時期なので、ますます期待大。町灯りなど光の少ない、空を広く見られる安全な場所を探して、レジャーシートなどを広げて準備万端。

地球の大地に寝転がり、宇宙から降ってくる流れ星を待つ…一つとして同じ流星はないので、何度体験してもワクワクする幸せな時間。この夏はどれくらいの流れ星をみれるかな☆(八ヶ岳事務所 安江 美香)

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売却物件を求めています

大切にされてきた家には限りない魅力がある都会の喧騒から自然の暮らしを求め、思い出をたくさんつくったあなたの田舎の家。人生のステージの変化にともないそれを手放す時が来るとしたら・・・これから田園生活をしたい人にバトンを渡すように引継ぎたいと思いませんか。

ふるさと情報館創立30周年を迎え、近年「この家を引継ぐ子どもや親戚がいない」「配偶者に先立たれ町に住む子どもと暮らす」など、様々な理由で売却する方の相談が増えてきました。日本では木造住宅の耐用年数は22年で、それを過ぎると建物の評価はゼロですが、ふるさと情報館では、永年使われてきた家や周辺環境、庭、菜園や果樹、必要な道具類も込みで「田園生活住み継ぎ物件」として、これから田園生活をしたい方に紹介する事業を展開してゆきます。

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