今回は鱒(ます)の話である。
リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』(藤本和子訳)を初めて読んだのは、いまから40年ほども前の大学3年生の頃だったと思う。1984年に49歳で亡くなったこのアメリカ人作家はカウンターカルチャーやヒッピー文化のある種象徴として、60年代の終わりに爆発的ともいえるほど当時の若者に信奉されてきたが、その後70年代に入るとともに熱も冷めほとんど見向きもされなくなったという。
しかしながら、彼は何も同時代的なコミューン活動を描いたのではなく、60年代初期の詩人として心に浮かんだ心象風景(現実と幻想)を言葉にしていたのだ。なにせ一つの文章の中に二つも三つも比喩的表現が使われている。実直な読者を混乱させるのに十分な小説なのである。
▲『アメリカの鱒釣り』(1975年、初版は晶文社刊)と『西瓜糖の日々』※リンク先はamazon
わたしはといえば、特定な時代背景を意識して読まなかったおかげなのか、失われた鱒たちの哄笑(こうしょう)にも似た彼の文体に魅了され、表紙の写真のごとくサンフランシスコのワシントン広場にある銅像の前に立ちたいと、その当時思ったことを記憶している。
失われた鱒といえば、秋田県仙北市(せんぼくし)の田沢湖にしか棲息しないといわれ、湖の酸性化により絶滅したと考えられていた「クニマス」が、山梨県の富士五湖のひとつである西湖で、2010年に「再発見」されたというニュースが驚きをもって伝えられた。京都大学研究チームの中坊(なかぼう)教授が確認して、その後環境省のレッドリストでは「絶滅」から「野生絶滅」に指定変更をされたのだった。本家亡きあと、分家が興隆したかのようだ。田沢湖をふるさととするクニマスの卵が西湖に持ち込まれたのは戦前の1935年だという。
▲クニマス展示館(山梨県富士河口湖町)
▲水槽の中を泳ぐクニマスたち(山梨県富士河口湖町)
では西湖ではどうして絶滅しなかったのか。
水温4度前後で、2月3月の産卵期には水深30~40メートルあたりに着床しており、天敵の肉食魚も居なかったなど田沢湖と西湖は棲息環境が似ていたことが大きかったようである。いわゆる水が合ったのだ。
私が幼い頃から慣れ親しんできた浜名湖の水深(平均4.8メートル)など気にすることはこれまで一度もなかった。まして114キロに及ぶ周囲を一周することなど及びもつかない考えであった。
▲クニマス展示館のパネル。
▲夏の浜名湖は太陽の圧倒的な支配下に置かれる(東名高速道路浜名湖SA)。
ところがどうだ。前泊の盛岡から秋田内陸鉄道の主要駅阿仁合(あにあい)駅に行くと決まったときに、まずもってわたしの興味を引いたのは水深日本一の田沢湖(423メートル)であった。以前北海道の阿寒湖を舞台にした映画を観たのだが、わたしにとって森の中の湖というのは「神秘」であり「静寂」であった。そこでは弁証法的に「思索」の時間をもたらすものであったのだが、残念ながらそうした体験は浜名湖では好意的に言ってもまず、難しい(すみません)。
盛岡市の石川啄木の生家を過ぎ、国道46号線に入る。秋田新幹線と雫石川に並行して走る国道だ。ちなみに47号線は宮城県と山形県を結ぶあの鳴子峡を通る「奥のほそ道」国道。雫石川の作り出した肥沃な田園を、奥羽山脈に向かって今回もひたすら西へ。寄るべき「道の駅」もなく新幹線と交差して雫石町に着く。ここは1891年(明治24年)開設の「小岩井農場」があることでも有名。わたしはまだ行ったことがないが、設立に尽力された三人のお名前(小野、岩崎、井上)を取って名付けられた広大な農場だという。ちょうど東京の紀尾井町みたいなものか。
仙北市からは国道341号線に枝分かれして北上する。まっすぐ行けば小京都として名高い桜の名所「角館(かくのだて)だ。周囲を森に覆われた田沢湖は火山噴火によるカルデラ湖の一種だともいわれ穏やかな湖面をたたえる。周囲20キロほどの円形で湖畔にはキャンプ場も点在している。
わたしはゆっくりと湖を一周することができた。朝の清澄な空気を吸って、さあここから山越えである。目指すは鮎釣りのメッカ・阿仁合川だ。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)
▲金色のたつこ像は秋の小雨の中で輝いていた。(秋田県仙北市田沢湖畔)


▲秋空の下、夕暮れで赤く染まる八ヶ岳。(北杜市高根町)
▲11月初旬。紅葉したカラマツの葉が輝く。(北杜市高根町)
▲11月中旬。標高の高い場所では落葉が進む。(北杜市大泉町)
▲厳美渓に行く途中にある一関市立博物館。(岩手県一関市)
▲往時をしのぶ街道筋。(笛吹市八代町)
▲現在の清水港。駿河湾フェリーの発着所はワクチン接種会場となっていた。

▲偶然にいざなわれる、ここがあの「おくのほそ道」。
▲国道47号線沿いの看板。この看板に気づかなければ、この新しい出会いを得ることができなかった。
▲ヤギと出くわす。いつの時代でも人間と寄り添う家畜たちは、つぶらな瞳で私に何かを伝えようとしている。
▲荘厳な山の中に、人々を隔絶する関所跡が今もここに。
▲バッハホールのパイプオルガン。ひと度演奏が始まれば、神聖な音色が私の魂を貫くのだろう。
▲コンバインによる稲刈り。(北杜市高根町)
▲足踏脱穀機。
▲唐箕。
▲10月後半には八ヶ岳の山頂に積雪が。(北杜市高根町)
▲緑豊かな鳴子峡。
▲東北自動車道古川インターの出口看板。
▲凝った作りの道の駅だ。駅内にはクリーニング店もある。
▲「オニコウベスキー場」遠景。
▲空飛ぶキューブ発着所。
▲空飛ぶキューブ。
▲この日のお弁当。
▲真っ白な絨毯を広げたような蕎麦畑の花(北杜市長坂町)。
▲秋を感じさせるトンボの姿(北杜市須玉町)。
▲秋桜とも呼ばれるコスモス(北杜市高根町)。



