▲富士山(北杜市高根町)
いつだったか、琵琶湖北岸のとある町で「十一面観音」を拝観したことがある。畳に座して平安初期作と伝えられるこのたおやかな仏像を仰ぎ見ていたのだ。
わたしにはおもて伏せの品のある柔和な表情と、腰をしなやかにひねるその立ち居姿がとても印象深かった。奈良興福寺の「国宝館」では「八部衆」を前にしばらく佇んでいる方も多いと聞く。そのとき人々は黙して対話をしているのではないか。そのためには対象との距離感はとても大事だといってもよい。
そんな話を思い出したのは、日銀の支店長が当社八ヶ岳事務所にわたしを訪ねたいとご連絡をいただいたことに始まる。その少し前、地元紙に中央道の須玉から韮崎にかけて見る富士山が素晴らしいとその支店長がインタビューされていた記事を見ていたわたしは、おこがましくも目の付け所が良い方だな、との印象を持っていたのだ。
たしかに江戸時代の浮世絵師ではないが浪裏(なみうら)や桶や橋のほか弁べざい才船ぶね、木挽(こびき)の間から見る富士のその構図には舌を巻くし、わたしの仕事にも直結するような居ながらにして富士山を望む物件を求める方々の気持ちは本当に良くわかるのだ。そして山梨県下には富士山の見どころとなるべきスポットも数多く存在する。
▲富士山(韮崎市穂坂町)
「わたしの好きな山梨側の富士といえば」
浮世絵のベロ藍の包みを広げるようにしてわたしは言った。
「富士川沿いの旧増穂町の平林地区なのです」
▲富士山(大月市初狩パーキング)
旧増穂町?そこは芥川賞作家の池田満寿夫氏が陶芸に勤しんだ登り窯や「赤石鉱泉」に続くつづら折れの山道がある山あいの里で、石積みの乾いた畑には柚子の木が植えられている。冬の味覚・柚子の産地なのである。
また改装された民家の茶屋で気の良いお姉さんが蕎麦だかおむすびを出して観光客を迎えていた。
▲富士山(甲府市湯村)
▲富士山(富士河口湖町・西湖)
「ごらん」とその指差す先を振り向くと、そこには富士が腰を据えてこちらを向いているではないか。その姿は裾野まで長く稜線が見えるわけでもないが、ちょうど目線の先が富士で、なんと「目を合わせられる」位置にあったのだ。
富士は大きくも小さくもなく、わたしともほどよい距離感だ。そしてそこに住まう人たちは、毎日畑仕事をしながら富士と対話しているのかも知れない。その日そんな話を支店長にさせていただいたのだった。(八ヶ岳事務所 中村健二)
▲富士山(南部町万沢)
▲そしてこの富士山!(富士川町平林)



▲赤茶けた排水溝からは湯煙が立ち昇っている。
▲田園の先にある蔵王連山は黒い雲に覆われていた。
▲エコーライン入り口の大鳥居。
▲バイクで来ていたカップルは可愛いサイズの雪だるまをこしらえてくれた。
▲金谷の市街地を望む高台。その先、大井川がゆったりと流れ、今では橋が何本も架かっている。
▲東海道金谷宿の石畳。
▲富士山静岡空港は広大な丘陵地帯にあるが人影もまばら。
▲井伊家の菩提寺「龍潭寺(りょうたんじ)」は浜松市北区引佐町にあるが、この写真は滋賀県彦根市の「龍潭寺」。
※写真はイメージです。

▲クニマス展示館(山梨県富士河口湖町)
▲水槽の中を泳ぐクニマスたち(山梨県富士河口湖町)
▲クニマス展示館のパネル。
▲夏の浜名湖は太陽の圧倒的な支配下に置かれる(東名高速道路浜名湖SA)。
▲金色のたつこ像は秋の小雨の中で輝いていた。(秋田県仙北市田沢湖畔)
▲秋空の下、夕暮れで赤く染まる八ヶ岳。(北杜市高根町)
▲11月初旬。紅葉したカラマツの葉が輝く。(北杜市高根町)
▲11月中旬。標高の高い場所では落葉が進む。(北杜市大泉町)
▲厳美渓に行く途中にある一関市立博物館。(岩手県一関市)
▲往時をしのぶ街道筋。(笛吹市八代町)
▲現在の清水港。駿河湾フェリーの発着所はワクチン接種会場となっていた。
