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山梨◆八ヶ岳/厳暑の候、8月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2022年8月8日

▲夕暮れのトウモロコシ畑。(北杜市高根町)

今年は猛暑の予想ですが、皆さんのお住まいの地域はいかがでしょうか。

ここ八ヶ岳南麓にある北杜市でも温暖化のせいでしょうか。移住された方、特に移住してから10年、20年経った方から、年々夏が暑くなっているという声を聴くことがあります。標高の高い場所では、以前は夏場でも窓を閉めて毛布をかぶって寝ていたとのことです。

私は北杜市へ移住して6年程で、都内に比べれば、夏は十分に過ごしやすいと思います。特に夜の涼しさは最高です。都内に住んでいた時は、夜もエアコンをかけ、かといって朝までつけていると身体がだるくなるので、タイマーを設定しておく。すると朝方、下手をすると真夜中に暑さで目を覚ますという状態で、体を休める夜にも疲れていました。

北杜市では夕方になると、どんどん気温が下がり、窓から入ってくる風は天然のクーラー。日中で火照った体も、涼しさの中、エアコン無しでぐっすりと眠ることができます。朝方になると開け放した窓から小鳥のさえずりが聞こえ、一日の良いスタートを切ることが出来ます。

気温以外でも夏は良いものです。トマト、なす、トウモロコシ、ピーマン、カボチャ、オクラ、ズッキーニなどの旬の夏野菜。道の駅、農協の運営する直売所「よってけし」に足を運ぶと、まさに旬、食べごろの野菜たちが、お値ごろ価格で所狭しで並んでいます。

▲夏野菜は見た目も鮮やか。(たてしな自由農園原村店)

トマト一つにしても種類、生産者が様々でどれを選ぶのか迷ってしまいます。旬の野菜は素材そのものが美味しい為、調理方法もシンプルで大丈夫。生でドレッシングかけて食べたり、蒸篭で蒸したり、フライパンでオリーブオイルと塩であぶっても良いですね。

実感することは、旬の食べ物が一番おいしくて、お値段も安い。北杜市の夏は食材においても楽しい季節です。

■帰ってきたイベント

8月はコロナ禍でしばらくお休みをしていたイベント達が復活。有名どころでは、明野のサンフラワーフェスタ。ひまわり畑と南アルプスの眺めが美しく、期間は7月23日から8月21日まで。

個人的に気になるのが「山存フェスタ」。少しマニアックなお祭りで、八ヶ岳に移住したら必須?となる、チェーンソー、刈り払い機、薪割り、剪定等の技術を専門家が教えてくれるもの。2年ぶりの復活で、8月11日(祝)山の日、清里の森で開催します。

飲食店の出店やお子様が楽しめる企画もあるそうです。詳しくは「山存フェスタ」で検索。北杜市への移住をお考えの方にお勧めのイベントです。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

▲シンプルで美味しい「焼き野菜」。

群馬◆黒保根町/ 『人生の楽園』づくりを楽しみませんか?【桐生くろほね・花咲爺日誌】

この記事の投稿者: 群馬・黒保根案内人/小林 峯司

2022年8月4日

▲上毛新聞で紹介されていた箕郷町の花山にも遠征してオーナーと交流。

私の町は、群馬県桐生市に合併前の旧黒保根村にあります。この地は「花と緑と清流の里」としたキャッチフレーズの通り、中心地の水沼駅沿線には早春に河津桜が咲き、続いて10種の桜や花桃・アジサイなどが咲き競う花山に変わります。

私は案内業務の傍らこの地域の「山を守る会」の代表を務め地域の仲間とともに、平成25年度から国、県の環境整備事業を活用し荒廃した森林の藪を切り開き、支障木を伐採し、ヤマザクラやハナモモなどを400本程植栽し管理しています。

近年、地域の環境整備も進み森林は明るい花山に変わり、エリア内にミニキャンプ・ドックラン・無農薬の山菜・野菜園に活用する仲間も加わり、森林セラピーも楽しめる「憩いの森」づくりも進めています。

『人生の楽園』づくりを楽しみませんか。ご案内いたしますのでお出かけください。(黒保根案内人 小林 峯司)

静岡◆掛川~浜松/つま恋リゾートの『夏休み』と懐かしき矢島屋書店【静岡生まれ山梨県人・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年8月1日

▲現在のつま恋リゾート入口。2016年まではヤマハが施設を管理・保有し、現在はHMIグループ(ホテルマネージメントインターナショナル)が運営。

もうかれこれ47年ほど前のこと。1975年8月2日の夕方5時から翌朝まで掛川市の山中にある原っぱで5万人規模の大野外コンサートが開かれた。わたしは当時未成年であったため行くことは叶わなかったが、翌朝惚けたように戻ってきた兄に強く嫉妬の念を覚えたことを記憶している。

当時、県や西部地区の学校などが中心となり青少年育成条例か何かで子供たちへの締め付けがとても厳しかった。地元では夕方のニュース番組の中で映像も音も無く「掛川市では若者たちによる夜通しコンサートが開かれています」とアナウンサーが半ば呆れ顔で淡々としゃべっていた。何せここは静岡。当時は喫茶店に入るのも不良だったのだから。

▲東海道本線菊川駅。深蒸し茶発祥の地として知られる。

本年5月下旬の平日、東名高速・菊川インターを出て旧道を走る。東海道は私にとって安定感のある場所だ。菊川市(2005年に菊川町と小笠町が合併)は県内屈指の御茶所として知られており、製茶工場も多く建ち並んでいる。深い瓦屋根が特徴のこの地方の民家でどことなく品の良さが感じられる佇まいがいまもそこかしこに残る。

また、高校野球の縦縞のちょっと粋なヤンキースを思わせるユニホームで一躍全国的に有名になった高校も市内にある。静岡はサッカーどころだが、高校野球人気も非常に高い。いまも、1973年の夏の甲子園決勝の話題が60代以上の少人数の宴席でスカイラインGTRの車高とともに語り継がれているのだ。

ゲートで「日帰り駐車許可証」をもらって中に入る。車でも一周するには15分程度掛かる一方通行路なのだ。ホテルあり、乗馬クラブあり、プールあり、温泉ありのアクティビティ施設が森の中で営業中。途中、テスト用のカートを操作している30代と思しきスタッフに聞いてみたが多目的広場のことはもう誰も知らなかった。

「君たちの親世代が歓喜した夏の夜の夢だったのだよ。」多くの若者にとって歌にある『夏休み』を共有できたその夜はタバコの味を覚えた日かもしれないが。今ではすぐ隣の茶畑の中をのぞみが走り抜けていく。

▲日帰り駐車許可証。

その後、掛川、袋井、磐田から天竜川を越えて浜松へと1号線を走らせた。この街の中心に来たのはディープインパクトがダービーを圧勝した年以来のこと。今回のように仕事で浜松に来るとは思わなかった。駅前に広がる高層ビル群もそうだが、高校生の制服もまるで変わっていた。だが私が目指すのは高校のとき何かにつけお世話になった老舗書店だ。

駅に向かう高校生に「矢島屋はどこ?」と聞いてみると、駅ビルの8階だという。その最上階のワンフロアー600坪がほぼ矢島屋書店だった。書籍と共に「ご書印帳」をいただいた。名入れに200円。この地では誰の名言を著するのだろう。ワクワクしながら中を見るとそこにはなんと、島崎藤村の一文が綴られていたのである。

▲馬場。

「この駅ビルに書店をオープンした2009年に連尺(れんじゃく)店から本店も移したのです」

と一番年配と思われる方が話してくれた。

「連尺は遠かったですからね。北高(きたこう)と市立(いちりつ)の生徒しかいなかったらしい」

と私。

「ホントですか?」「たぶんウソでしょう!でも私は名店ビルの方に行ってました」

「丸井の先の静銀本店向かいのところ?別の銀行には音楽家が支店長で赴任されてた頃もあったようですね」

こんな浦島太郎的会話もなぜか心地良く感じられたのだった。

▲浜松駅北口は80万人都市の風格が漂う。

最後にご書印帳に綴られた島崎藤村の『新生』の一節。

「今日まで自分を導いてきた力は、明日も自分を導いてくれるだろう。」

いかにも実直な人柄を偲ばせる名言だが、わたし的には正岡子規の次の名句が好きだ。

「紫陽花や きのふの誠 けふの嘘」 以下次月号に続く。
(八ヶ岳事務所 中村健二)

▲矢島屋書店入口。デザインは鯨を模したもの。

▲加茂荘花鳥園(掛川市)

静岡◆浜松市/地球と月が最も近づく場所【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年7月31日

私たちの住んでいるこの地球とその衛星である月の距離は、平均して38万4000㎞と言われている。この距離は地球を9~10周する長さに相当すると考えれば、果てしなく遠く感じる・・・そんな月だが、地球上で最接近する場所がこの日本のとある場所にあるという噂を聞きつけ、先日出張がてら寄ってみることにした。

ここは静岡県浜松市天竜区。今から15年前に天竜市から浜松市に合併された行政区で、浜松市で1番面積が大きく、その大部分を森林が占め自然豊かな地域である。区の中央を一級河川・天竜川が流れており、河口から最初のダムの船明(ふなぎら)ダムを通り過ぎると、道路看板に「月3㎞」と出てくる。この場所こそが地球と月が最接近する場所。

それにしては空を見上げてもどこにも「月」は見当たらない。それもそのはず、この「月」というのは惑星の「月」ではなく、「月」という地名の小さな集落を指していたのだ。ここが「月」と名付けられたのは、今から遡ること600~700年前の南北朝時代に活躍した楠木正成公に由来しているとのこと。一見よくある面白い地名に見えて、実に長い歴史を持った「月」であった。(本部 高橋 瑞希)

※楠木正成に仕えた源氏の一族である鈴木左京之進(さきょうのしん)が、12 人の家臣を連れてここに落ちのびた際、それでもなお「楠木正成公の心の清らかさこそ、中空にかかる月のようである。私たちの心のよりどころを地名に残そう」として村の名を「月」とつけたとされている。

東京◆本部/即実践・即挑戦!瓦屋根(雨漏り)補修【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年7月29日

▲瓦を剥いだ状態。

売却依頼を頂いた築90年ほどの古民家。雨漏りで天井のボードが落ち、床は水浸し。

「さて、どうしましょう?」

売主さんもあまり費用をかけたくない。それではものは何事も経験ということで即実践、修理に挑戦!

通販で防水シート、傘釘を購入。以前、風でズレた瓦を直した経験はあるので何となく瓦の扱いは分かっていました。

■先ずは原因と思われる場所一体の瓦を剥ぐ。

■昔の瓦は土や漆喰で固定されているためそれらも綺麗に剥ぐ。

■野地板を露出させ、防水シートを貼る。

■ポイントは野地板と瓦桟木(かわらざんぎ)という瓦を引っ掛ける横木に沿って貼る(そうしないと瓦が浮いてしまう)。

■また、傘釘は瓦桟木に打つ(野地板に打つとそこから雨漏りが生じる可能性がある)

作業は当然他の瓦部分に乗って行いますが、体重80㎏の私が乗っても平気。また、下へずり落ちないのかという心配もありますが、端(軒先瓦)の瓦は基本的に釘で固定されているので大丈夫。ただ、傾斜地での作業は余計に神経を使い、瓦が重く感じます。

貼った後は瓦を一枚一枚桟木に引っ掛けて戻します。瓦は上下左右同士が上手く重なり合うことでも固定されています。

先人達の知恵の凄さの賜物!今回修理したのは平家のため何とか出来ました。

ただ、平家でも実際屋根に上がると思いのほか高いです。屋根の修理は無理せず慎重に。(本部 金澤和宏)

愛媛県◆岩城島/積善山・クマンバチ大量発生!【北の国から・進行スタッフ編集日誌】

この記事の投稿者: 編集

2022年7月26日

▲積善山の頂上付近から見る瀬戸内海。

黒いものがうっすら見えたときから嫌な予感はしました。

愛媛県の離島、岩城島にある積善山(せきぜんざん)の頂上付近では黒くて身がコロッとしている多数のクマンバチが飛んでおり、大きさと蜂特有のあのいや~なブンブンという音が怖くてその場を立ち去りたくなりました。

蜂も怖がっている人間がわかるのか、私以外にも人は沢山いるはずなのに私のまわりにばかり寄ってきます。この時は白っぽい服装で、蜂が寄ってくると言われている黒を着ているわけでもありません。

そこで動けなくなっている私を、若い人達からお年寄りまでもが続々と追い越していきます。皆、怖がる様子もなく平気そうに山を登っています。

パニックになっている頭の中で一生懸命「クマンバチは温厚であまり人を刺さない」という情報を思い出しながら「怖くない。怖くない・・・」と自分に言い聞かせて登ろうとしたのですが一向に足が進みません・・・。

後になってわかったのですが、この山は桜の木が多い為、クマンバチが大量発生していたそうです。桜の木が多数ある山を登る時は皆様もお気を付けください。(本部 井上美穂)

岩手◆遠野市/遠野パドロン ~ 新しいビール農業の挑戦 ~ 【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2022年7月23日

▲遠野ホップ収穫祭で販売された遠野パドロンフリット。

日本有数のホップの産地・岩手県遠野市。毎年秋にはキリンビール株式会社から遠野産のホップを使用した「一番搾りとれたてホップ生ビール」が発売され、全国の食卓に彩を添えます。古くから原料のホップの産地として知られてきた遠野市の中で、近年ビールのおつまみにピッタリなある野菜の生産が行われています。それが今回紹介する「遠野パドロン」です。

▲遠野パドロン(500g)

パドロンとは・・・あまり耳に馴染みのないこのパドロンという野菜、見た目は細いピーマンのような印象ですが、シシトウガラシの一種で、原産地となるスペインにある地名(Padron)が由来になっているそうです。

で、どのように食すのか?どんな味なのか?ビールとどう合うのか?という話になってくるわけですが、私がパドロンの虜になるきっかけとなったフリットは作り方が多少難しいため、家庭で調理する場合はシンプルに素揚げにするのがおススメです。

生産者さんのレシピ通り170℃の油で30~45秒ほど転がしながらサッと揚げれば、最高のおつまみの完成です。味については表現が難しいのですが、ピーマンのような苦みはなく、皆さんご想像のトウガラシのようにビリビリと辛いわけでもなく、主張は強くないけれどもとにかくビールが飲みたくなる、ススム味です。しかし流石にシシトウの仲間、中には稀にピリッと辛い「当たり」もあるので、油断は禁物です。

▲吉田代表と共に奮闘する奥さんの美保子さん。収穫中です。

それにしても、そんなスペイン原産のパドロンがどうして遠野で生産、ブランド化されて広まってきたのか?という疑問が出てくるはずです。そこで今回は遠野パドロンの生産者、遠野市青笹町の農業法人BEER EXPERIENCE(ビアエクスペリエンス)株式会社さんに伺ってお話を聞いてきました。

現地についてまず一番に感じた事。「建物、デカッ!」施設は普段通る道から見える場所にあり、テレビのニュースやSNS でも見て知ってはいたつもりでしたが、実際に行ってその目で見るとやっぱり違います。ハウスの規模、温度や水の管理方法、全てが先進的で国内のそれとは思えないほど質実共に大規模な施設でした。

それでも収穫や袋詰めはやはりヒトの手仕事。会社では10数人の方が働いているそうです。その中で選別袋詰め作業をされていた方から話を伺ったところ、なんとお一人の方は、以前ふるさと情報館の仲介で遠野に移住して来られた方、もうお一人は本誌『月刊ふるさとネットワーク』のラーバニスト訪問に寄稿してくれたことがある方でした。なんという偶然?と驚くとともに、この仕事のやりがいを再認識した瞬間でもありました。

▲数年前に訪れた時は他野菜のビニールハウスだった。

BEEREXPERIENCEの歴史は2008年に代表を務める吉田敦史さんが奥様の美保子さんの実家である青笹町(あおざさちょう)でキュウリやトマトの栽培をしたところからスタート。2012年に露地栽培の小さな畑でパドロンの栽培を開始。2018年に会社を設立、ホップと遠野パドロンの栽培を本格化するため他野菜の栽培を終了。2019年からホップはドイツの栽培方法へのチャレンジを、遠野パドロンは現在のオランダ式の高規格栽培ハウスでの栽培を開始しています。

▲パドロン生産工場内部。開閉可能な屋根は高く、とにかく広い。

▲パドロンの実が次々と実る。

▲袋詰めは手作業。移住者の二方は忙しい中でも話を聞かせてくれた。

日本産ホップ生産、遠野パドロン生産、遠野ビアツーリズムの3つの事業を柱とした「ビール農業」を展開、「日本のビアカルチャーをもっとおもしろく」をモットーに日々奮闘中です。(会社紹介より抜粋)

今回紹介した遠野パドロン他商品のお求めやイベント出店情報、遠野ビアツーリズムへの参加申し込みはBEER EXPERIENCEホームページまで。ホップ生産によりビールの文化が根付いた遠野に一から新しい文化として加わった「遠野パドロン」。ビールを飲まれない方も是非一度お試しを。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)

BEER EXPERIENCEホームページ
https://www.beerexperience.jp/

福島◆喜多方市/これから進む電化路線の衰退【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年7月20日

JR磐越西線は福島県郡山市の郡山駅と新潟県新潟市秋葉区の新津駅を結ぶ全長175.6kmの地方幹線。

観光都市である会津若松市や喜多方市を通っているものの、

全線にわたり並行する磐越自動車道の開通や沿線人口の過疎化などによって、

都市間輸送と呼べるほどの旅客流動は多くないのが実情。

 

▲かつては主要幹線として栄えたが、今では学生や高齢者が主な乗客となっている。

 

遡ること今から半世紀以上前、ヨンサントオ白紙ダイヤ改正前年の1967年(昭和42年)に郡山駅~喜多方駅が交流電化開業した頃は、

上野駅や仙台駅直通の特急や急行などの優等列車が多数設定されていたが、今では普通列車と快速列車が行き来するだけの路線となっている。

 

そんな中で去年JR東日本は会津若松駅~喜多方駅の電化設備撤去計画を発表。

当然喜多方市はこの計画に反発したものの、今年3月ダイヤ改正をもって会津若松駅~喜多方駅の電車運転を取り止め、

定期列車は全列車気動車ディーゼルカー(気動車)での運転となり、事実上の電化設備廃止となってしまった。

 

地方路線の電化開業は高度経済成長真っ只中の時代、まさに地方の発展ぶりを象徴する出来事であり、

列車のスピードアップと都市間輸送の活性化は、当時の人々に多くの恩恵と希望をもたらした。

 

日本の電化路線は主に直流電化と交流電化の2種類に分類され、後者は列車本数が大都市に比べ少ない北海道・東北・北陸・九州を中心に採用され、

電化が本格的に行われ始めたのも戦後十数年が経ってからと遅いものだった。

それ故に「汽車から電車へ」を合言葉に全国各地で電化開業が待ち望まれ、今の電化路線網が出来上がったわけである。

 

ところがそれと同時期に自家用車の普及によるモータリゼーションの進展と、都市部への人口集中で地方の人口減少に拍車がかかったこともあり、

鉄道利用は現在に至るまで衰退の一途を辿り、列車本数や連結両数は全国的にますます減っている。

気が付けば磐越西線の優等列車も消滅し、会津若松駅~喜多方駅を走る電車も1日2往復しか設定されなくなっていた。

このわずかな列車のために電化設備を残すのは割に合わないという結論に至ったからこそ、今回の発表と列車設定の廃止に至ったのであろう。

 

▲会津若松~喜多方間は現在全てディーゼルカーで運行される(写真の車両は2年前に引退し、遠く離れたミャンマーに渡った)

 

一度も電化されることもなく路線廃止になる例はよくあるが、電化設備を撤去の上で非電化路線に戻した例は全国でも数えるほどしかない。

その中でもJRグループにとってはここが初めての例となり、遠く離れた九州のJR長崎本線でも西九州新幹線開業による優等列車消滅で、

今年9月22日限りで佐賀県鹿島市の肥前浜駅~長崎県長崎市の長崎駅の電車運転の終了が決定している。

こちらも磐越西線と同じく交流電化で、電化開業も1976年(昭和51年)と磐越西線よりも10年ほど遅い。

 

長崎本線の場合は新幹線開業と引き換えという条件があるものの、磐越西線に至っては特にそういった補填措置はなく、

一度作ったものを実質無条件でただ剝がされる喜多方市の無念ぶりにも頷けるものがある。

年々道路網の整備で自家用車での移動は便利になるにつれて、鉄道は地域の足として見向きもされない存在となっているが、

何かのきっかけで鉄道という交通機関が見直され、また日の目を見る機会が来ることを願ってやまない。(本部 髙橋 瑞希)