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長野◆蓼科/隠れた穴場をご紹介します【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2020年11月16日

※写真はイメージ

コロナウイルス感染症も、いまだに新規感染者が発生していますが、感染予防で自宅にこもりっきりではストレスがたまり、かえって他の病気にかかってしまいそうです。そんな人たちに、東京から2時間ほどで来れる蓼科エリアで、最近有名になった隠れた穴場を紹介します。

八ヶ岳・天狗岳の登山口、「信玄の隠し湯」と言われ江戸時代から湯治場として近在の農家の人たちに利用されて栄えた「奥蓼科温泉郷」は現在は3軒の温泉宿が営業しています。麓の集落から始まる温泉郷に行く「湯みち街道」を登っていくと、坂道の各所に100mおき位に「馬頭観音」や「千手観音」などの石像が建てられていて、これは麓の集落が昔、家族同様の農耕馬の死を哀れんで、江戸時代の安政二年にこの道を行き交う人馬の安全を願って建てられました。

▲一度は訪れて頂きたい御射鹿池。

これを見ながら2.5㎞ほど進むと、ため池100選に選ばれた「御射鹿池(みしゃかいけ)」があります。この池はただの農業用温水ため池だったのですが、東山魁夷(ひがしやまかいい) の「緑響く」やテレビCMから有名になり、多くの人々が訪れるようになりました。駐車場やトイレが整備がされ、緑色の湖面に回りの木々が映されて、その上を飛ぶ蜻蛉は、幻想的です。湯治を兼ねて是非お出かけ下さい。
(信州蓼科エリア案内人 星野 登美夫)

東京◆本部/リアル口コミ【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年11月13日

「おー、ふるさと情報館の金澤さんですか。色々と情報は耳に入ってきており、存じております」。という感じでお声を掛けられました。那須町でのとある1コマ。

その方とは初対面。町役場にほど近い、緑のなかに佇む小さな食堂。ご婦人が一人で切り盛りしている、カウンターだけの飾り気のない家庭的な雰囲気。メニューは冷やし中華、あんかけ焼きそばともう一つくらい。また、別のところでは「金澤さんは〇〇さんと仲良いんだってねー」という、どこから湧いて出てきたのか全くありえない話もあったり・・・。

ふるさと情報館での約16年の営業経験の中で、お知り合いになるお客さんの数も相当。無機質な都会のビルやマンションの仲介とは一線画す、言わば血の通った代々受け継がれていきたご実家、別荘を扱います。物件を売る前にまずは自分に売却を託して頂けるよう、信頼を売り込まなくてはいけません。正直、私自身物件調査にお伺いした際、半分は物件や条件とは関係ない話をしていると思います。

田舎では人の情報は知れ渡り易いですが、私はそこに住んでいる訳ではなく、またSNSなどもやっていません(どちらかと言うと好きではない・・・)。相手を知らなくても、相手は自分を知っている。今の時代その情報がネットを通じて表に出てくることもあります。各々が点数を付けられる世の中、自分も5点を付けて頂けるよう努めます。
(本部 金澤和宏)

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ふるさと情報館について

東京◆本部/ふるさと納税のススメ【北の国発・制作スタッフ進行日誌】

この記事の投稿者: 編集

2020年11月11日

「今年は何にしようかな?」とふるさと納税のサイトで返礼品を眺めている。毎年お肉を選んでしまう私。ふるさと納税は好きな自治体に寄付ができ、自分が納めた税金の使い道を自分で直接指定ができる。また寄付をした自治体から特産品・名産品・特典などの返礼品が贈られてくる制度です。

ふるさと納税で行った寄附は、2000円を超える部分について、一定の限度額まで原則として所得税・住民税から全額が控除されます。その為はじめにご自身の控除上限額をふるさと納税サイトのシミュレーション機能を使い調べてみるのがいいかと思われます。

また寄付する自治体の件数は自由ですが年間5件以内でしたら「ワンストップ特例」を利用すると確定申告をする必要がなく翌年の住民税から毎月少しずつ控除されます。ですが住宅ローン減税をうけている方や、iDeCoをされている方等は確定申告をした方が損をしない場合もありますので自身がどちらに適しているか調べる必要があります。

毎年12月31日が締め切りの為11月後半から12月中はふるさと納税の寄付をする人の駆け込みが多く返礼品が届くのも遅いと言われていますが、そんな私も駆け込み派です。(本部 井上美穂)

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ふるさと納税については色々な専門サイトからでも申込みができます。
ふるなび
https://furunavi.jp/

さとふる
https://www.satofull.jp/

ふるさとチョイス
https://www.furusato-tax.jp/

岩手◆奥州市/遠き山に日は落ちて【いくぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年11月9日

▲伸びやかな風県の種山ヶ原。

種山ヶ原(たねやまがはら)の作詞家・賢治十代の頃、林間学校で愛知県の山奥に行った。到着するやいなや十六歳の少年たちはステンレス製の洗面台の蛇口から勢いよくほとばしる山の水を手や顔に受けると「ばか冷たいにぃー」(遠州弁では「ばか」は共感を伴う強調の接頭語)とあちこちで歓声をあげたのだった。そして夕暮れとともに体育教師が「とおきぃやぁまにーひぃはおちてぇー」と戦慄をおぼえる旋律でがなり立てる。

遠い昔の平和な時代だったのだろう。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でことのほか印象深いのが、ジョバンニたちの銀河鉄道に乗りあわせてきた姉弟が「新世界交響楽だわ」とそっとつぶやくシーン。漆黒の地平線のかなたからそれは鳴り響き、矢羽を立てて汽車を追いかけてくる先住民(インディアン)の姿。この壮大な風景の下地は賢治が憧れ続けたアメリカ大陸だといわれる。

「新世界交響楽」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」で1893(明治26)年に作曲された。その後1922(大正11)年に弟子の音楽家が第2楽章「ラルゴ」の主題となる旋律から「Goin’Home」(家路)を作詞、日本では1946(昭和21)年に堀内敬三氏(慶応の応援歌「若き血」や「蒲田行進曲」などを作詞)が「遠き山に日は落ちて」を作詞している。いまもなお夏の夕暮れが似合う歌詞だ。

鳥取県の文化政策課ではこの歌詞を「鳥取県西部の童謡・唱歌百景」の中にリストアップしており、旧中山町(現在の西伯郡大山町(さいはくぐんだいせんちょう))にある一息坂峠(ひといきさかとうげ)を紹介している。遠き山とは大山か。

▲又三郎が風を呼んでいるかのようだ。

北上山地のひとつである通称「物見山(ものみさん)」(標高871m)を山頂とした種山ヶ原(たねやまがはら)は、本誌7月号のふるさと発でみちのく岩手事務所の佐々木が書いたように、奥州市、住田町(すみたちょう)、遠野市にまたがる高山植物と星空観察で知られた高原地帯である。初秋の乾いた風は高原を北から南へ吹き流し、季節が深まればより強く吹き付ける場所でもある。

賢治の『風の又三郎』のモチーフにもなった花巻の子らが元気よく遊ぶ風景にも重なる。賢治はこの場所の名を取り「種山ヶ原」という題名で「新世界より」の旋律に歌詞をつけて歌っていたという。本家「Goin’Home」が世に出たわずか2年後の、関東大震災の翌年1924(大正13)年のこと。賢治は無類のクラシックマニアでもあったのだ。

しかしながらこの時期花巻においてレコード(青盤)と蓄音機を入手できるのは相当な家業の隆盛があってこそだともいえる。※動画共有サービスで視聴可。賢治の歌詞は次のとおり。

“春はまだきの朱雲(あけぐも)をアルペン農(のう)の汗(あせ)に燃縄(もしなわ)と菩提樹皮にうちよそひ風とひかりにちかいせり 四月は風のかぐはしく雲かげ原を超えくれば雪融けの草をわたる繞めぐる八谷(やたに)に霹靂(へきれき)のいしぶみしげきおのづから種山ヶ原に燃ゆる火のなかばは  雲に鎖とざさる 四月は風のかぐはしく雲かげ原を超えくれば雪融けの草をわたる ”(ちくま書房『宮沢賢治全集』第3巻より)
*ルビは中村。

んー、歌の歌詞では堀内氏の方が断然いいですね。現在、この種山ヶ原は賢治ゆかりの景勝地「イーハトーブの風景地」として国の名勝地に指定されている。(北東北担当 中村健二)

▲刈田に一群の蓑笠があらわる(奥州市江刺梁川。2019年10月撮影)

山梨◆八ヶ岳/深秋のみぎり・11月のお知らせ【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2020年11月7日

▲北杜市から日帰りの距離、大菩薩峠からの眺め。

旧暦で、季節を表す目安として考案された「二十四節気」。「冬至」を中心として1年を24等分したものだそうで、11月7日頃を「立冬(りっとう)」、11月22日頃を「小雪(しょうせつ)」と表します。11月の初旬に冬が始まり、後半には雪がちらつくというところでしょうか。

図表は北杜市(大泉)の10月から12月の気温の変化を示したものです。気象庁のデータにより作成しました。10月から年末にかけて坂を転がり落ちるように最高、最低気温がどんどん下がっている様子が分かります。11月に入ると最高気温は20度をきりはじめます。20度という気温は肌寒さを感じ始める気温でしょうか。厚手の物を羽織ったり、暖房が欲しくなる時期ですね。

▲ 北杜市大泉の2019年10~12月の気温(気象庁のデータより作成)

最低気温に目を向けると、11月の後半からは0度を下まわるようになります。冬の期間、別荘の場合は水道管や給湯器の中の水を抜いておく「水抜き」の作業が必要となります。水は凍るとその体積が10%も増えるそうで、凍結による水道管の破損を防止するために行うものです。その「水抜き」の開始時期として12月の初旬に実施する方が多いのですが、ちょうど最低気温が氷点下になる時期と合致しています。皆さん、最低気温の変化に敏感になって冬を迎えていることが分かります。因みに、定住の場合は、日常的に水道管に水が流れ、給湯器を使い、暖房により家が暖まるため、基本的に「水抜き」をする必要はありません。別荘利用の方は必須の作業です。

▲北杜市長坂町小荒間。イチョウの木の紅葉が美しい。

さて、11月の北杜市は紅葉が見頃を迎えます。山々の木々が様々に葉の色を変え、我々の目を楽しませてくれます。年によって黄色が綺麗だったり、赤色が綺麗だったりと、その年の気候によって引き立つ色が変わります。今年の紅葉はどうなるでしょうか。楽しみですね。11月は新そばの時期でもありますね。湧き水の豊富な土地柄からでしょうか、北杜市には実にたくさんのお蕎麦屋があります。新そばが各店舗に出そろうこの時期に食べ比べをするのも一興でしょう。秋の八ヶ岳も魅力あふれた季節です。是非、お出かけください。(八ヶ岳事務所 大久保 武文)

▲三分一湧水のお蕎麦。

静岡◆浜松市/北区三ヶ日町育ち ~ 物件ウォッチ誌上オンエアー【文化放送「大人ファンクラブ」より】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年10月31日

▲大福寺のある福長は歴史も古い丘陵地帯ののどかな里だ。

今回は番組収録後、紹介した物件が成約となってしまったため、先日法事で一年半ぶりに帰省した三ヶ日の話しをします。

そこはいまもむかしもわたしの生まれ故郷です(この先書くこともないと思うので)。高校生のころまでエアコンは無かった。舘山寺(かんざんじ)で土産物屋をやっている高校時代の同級生の家で、エアコン付きの部屋に通されたときに「ばか涼しいじゃん」と話していたぐらいだ。わたしのひと夏の経験だった。

ところがどうだ!今夏8月17日の午後になんと41・1度という日本歴代最高と並ぶ気温を記録した。それが天竜や佐久間などの風の抜けづらい遠州の奥まった地域ではなく、浜松市の中心部だという。朝の7時過ぎからジリジリとうなぎ上りに気温が上がっていき午前中から猛暑状態に。原因は層厚十キロといわれる背の高い高気圧の下降気流が旧引佐郡(いなさぐん)の後背地にある山脈を越えて吹き下ろしてきたため、風下の浜松で気温がいっきょに上昇したといわれる(フェーン現象のこと)。

さて、三ヶ日のみかんの話しだ。甥の嫁さんのご両親は北遠五山の名刹のひとつ大福寺のおひざ元・福長(ふくなが)という集落でみかんの専業農家をしている。昭和50年代から赤土の土壌を活かした開墾が進められ、産地の中の産地といわれるこのあたり一帯のだんだん畑を多数所有している数少ない専業農家だ。

生活様式の変化や海外からの輸入など消費の減少と農地の集約化に伴い、ここ三ヶ日においても専業農家数は2002年には農家全体の二割弱三百戸を割ってしまっている。その出荷先はJA みっかび(三ヶ日町農協)だ。全国の農協のなかでも注目を浴びるこの農協は、令和二年現在2684人の組合員を擁しみかんだけでなくスーパーや冠婚葬祭など地域の末端までその裾野を広げる町の巨大基幹産業なのである(中日ドラゴンズのサイン会もやっていたし、都はるみの公演も後援していた)。

そのトップの井口義朗組合長は中学校の同級生だ。責任産地として販売額100億円を目指すため、古くなった西天王(にしてんのう)の選果場を柑橘類としては日本最大級に拡張して見学コースも作るとのこと。昔から部活の主将として活躍してきた人の今後の目の覚めるような躍進を祈っています。

▲堤防釣りのメッカ瀬戸。『男はつらいよ』のエンディングにも使われた。

幻の獣である「鵺(ぬえ)」伝説のある猪鼻湖(いのはなこ)の胴先(どうさき)海岸(周辺には鵺代(ぬえしろ)や尾奈(おな)などの地名も残る)を埋め立てて造った三ヶ日中学校の外山昭博校長も同級生のおひとり。全校生徒数315人(2019年)とわれわれのころと比べたら半数にも満たない生徒数だが、昨今の社会情勢のなかで苦労の絶えない舵取りはさぞ大変だと思う。われわれの時代の教師たるや本当にひどいものだったが、野球部の外野手としてチームを鼓舞してきた人望の厚い人なら、この禍を生徒たちとともに乗り越える活躍をしてくれるものと信じています。

子供たちの遊び場だったコウモリの飛び交う宇う志しのマンガン鉱のほら穴は現在封鎖されていて覗けないものの、そこに通じる入口に湖を望むしゃれた喫茶店ができたと教えてくれたのは、二級下の三ヶ日町観光協会の中村健二会長だ。わたしと同姓同名で静岡銀行横の肉屋の御曹司でもある。遺産的な価値も少なく、明るいのがとりえの三ヶ日の観光資源のなかにあって、地域の情報を発信し続ける精力的で行動力もある魅力的な人物だ。

▲おんな城主・直虎、大河ドラマでお馴染み、井伊谷にある龍潭寺。

さて、最後にこの地域に移住を考えている方々への情報を少しばかり。個人的に気に入っているのは三ヶ日では上神明(かみしんめい)や岡本、細江(ほそえ)では気賀(きが)の四ツ角や寸座(すんざ)の山付き、引佐では井伊谷(いいのや)や横尾、浜松では三方原(みかたばら)。

そして注目していただいきたいのが浜名湖の西に広がる湖西市(こさいし)。ここは浜松市の市政に組みせずにそのままの市政を貫いた市でもあり、ものづくりの地場産業や商業施設も充実した東海道随一の関所を擁する市で、県境にも位置しているため愛知県の豊橋や渥美半島へも出やすい場所にあたる。そのなかでもおすすめは岩盤の厚い湖西連峰が西に広がる麓の町で、天浜線(てんはません)駅にも近い神座(かんざ)あたり。地価は三方原>湖西>細江>三ヶ日>引佐といったところでしょうか。また、自治体の洪水ハザードマップはかならずご確認ください。(八ヶ岳事務所 中村健二)

(文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06 : 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

湖西市はここ!

長野◆青木村/レンタルヤギ始めました【地域深堀り・のぞむ歴史紀行】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年10月29日

▲紐を繋ぐと首に絡まり危険です。柵での飼育が基本になります。

どの地域でも問題になるのが「雑草」です。特に暑い時期には刈っても、刈っても伸びてくる厄介なヤツ。村内では耕作放棄地も増えているので、暑い時期は伸び放題になり、近くの畑にも影響を及ぼしています。

そんな中、立ち上がったのが「青木村ヤギ会」です。村の補助制度を活用し、約15頭を飼育しています。毎年、村内の学校や福祉施設で行う乳搾り体験などのふれあい教室を行っています。主な運営は廃牛と荒廃牧草地を借りて行い、除草(雑草を食べる)活動を行っている。燃料を利用せずに雑草を食べ、糞が肥料へと循環していくのでエコ除草としても注目を集めています。

ヤギは一頭あたり1日で10~15㎡ほどを食べるそうです。年間計算するとなんと約5000㎡もの広さの草を食べると言われていますので、ほとんどのお宅では一頭いれば庭が賄える計算となります。

副産物として山羊乳が取れれば嬉しいですね。いきなりヤギを飼育するのはチョット。と思う方は是非、レンタルヤギを試されては如何でしょうか。(本部 長内 望)

山梨◆甲府/山梨の太宰のしあわせな手紙から【いくぞ!甲州・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年10月26日

▲噴水の美しい県立文学館の建物。

甲府市貢川(くがわ)にある山梨県立文学館でこの夏開催されていた常設展では、太宰治が友人・高田英之助宛にしたためた一通の手紙が本邦初公開されていた。

太宰はご存知のように1939(昭和14)年1月に入籍している。仲人を依頼した井伏鱒二にはこれまでの自堕落な暮らしから足を洗うという「結婚誓約書」を書き送り、井伏の自宅で結婚式を挙げた。その後しばらくは甲府で平穏で安定した新婚生活を送っている。まさにその当時の手紙だ。

差出名は本名の「修治」ではなく「治」である。「須美子さんの指示に、愛の願ひに、従つてもらひたい。これは、私からのお願ひでもある。」と病気療養のため許嫁の斉藤須美子と別居生活を送る英之助に百か日ぐらい過ぎたらすみやかに君たち夫婦も同居してもらいたいと、太宰がその手紙では本気で書いているのだ!

その用紙には赤い縦罫線が引かれ、その罫線の間に文章がキッチリと2行ずつ書かれている。流れるような筆さばきで、軽やか。いかにも健康的な筆致であり筆圧だ。『富嶽百景』を執筆していたころのことである。

その後三鷹と甲府で空襲に遭い、故郷の津軽に疎開し終戦を迎えたのちの太宰には、こうした感情は最後まで起こらなかったのではないか。それとともに素行はさらにひどくなり玉川上水での入水の終焉を迎えるまでそれは続いていくが、しかしながら太宰の筆による世界の切り取り方は最期までどこかに軽やかさを残しているとも、わたしには思える。

▲初公開、文字はその人がその場所に存在したことの証。息づかいが聞こえてくる。

わたしが学生のころ、日本の近代文学研究で知られる小田切進先生(1924年~1992年)の授業で、高見順や伊藤整らとともにその設立に尽力された目黒区駒場にある日本近代文学館にご一緒させていただいたことがあった。そこで初めて作家の直筆原稿を見させていただく機会を得た。本となった活字ではない、著者直筆の文字の連なり。にじんだ万年筆の筆の強さに驚くとともに書かれたときの気分や体調などもぼんやりとではあるが目の前に浮かんでくる気がしたのだった。

一人の作家の原稿を飽きもせずケース越しに見て回り、ほかの作家との相違を位相としてみずからのなかで位置付けていく。まるでいくつかの地層を丹念に調べ上げそのときの暮らしぶりを導きだしながら、これからのありようを想像し創造していく考古学的手法に、それは似ていたのかもしれない。そのとき以来「筆圧考古学」なるものがわたしの中に芽生え今日まで続いているといったら言い過ぎか。

現在も、仕事上さまざまな文書を日々受け取りながらもそうして身につけた「考古学」的訓練のおかげで、直筆だけではなくメール受信にもたとえば相手方の体調面の良し悪しが読み取れるときがある。「早いもので、中村さんにご紹介していただいた物件に家を建てて来年二十年になります。」という書き出しで始まるメールにもこれまで良い暮らしをされてきたのだと、その方の充実した日々がなんのてらいもなく迫力を持って伝わってくるのである。

あるご縁で最期まで山本周五郎の付き人をされていたご婦人にそんな話をしたところ、その年の誕生日プレゼントに湯のみ茶碗をいただいた。煙草とお茶好きの周五郎が生前愛したなんの変哲もない湯のみ茶碗と同じものであるらしい。なんの変哲もない紙の箱に入れられ、我が家の茶箪笥にいまもしまい込まれている。ときどきは南部鉄瓶で入れた煎茶でも飲みたいものだと考えているが、その方は茶箪笥から「これからももっと精進せよ!」とあの眼光でわたしをにらみ続けているのだ。(八ヶ岳事務所・中村健二)

▲南部鉄瓶で煎茶を飲みたいものだが、、、私には鋭い眼光が