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静岡◆浜松市/令和の大合併の始まり【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年2月29日

▲市町村名が入るJR東海の駅名標は、この度市内の浜松駅他4駅が修正されました。

県庁所在地である静岡市を抜いて静岡県No.1の人口を誇り、全国の市町村でNo.2の面積を有する静岡県浜松市は、先月1月1日をもって、北部の天竜区を除く、中区・東区・西区・南区と北区( 三方原(みかたはら)地区)が中央区へ、北区(三方原地区以外)と浜北区が浜名区へと編入されました。

政令指定都市の区再編事業はこれが全国初となり、かつて2005年の前後数年間で全国的に進められた平成の大合併の令和版と言えるでしょう。

その中でも現在の浜松市は、2005年7月1日に浜北市・天竜市・引佐町(いなさちょう)・細江町・三ヶ日町(みっかびちょう)・雄踏町(ゆうとうちょう)・舞阪町・佐久間町・水窪町(みさくぼちょう)・春野町・龍山村(たつやまむら)の11市町村を吸収合併し、一気に全国No.2の面積に躍り出たという歴史があります。

そして2007年4月1日に政令指定都市へ移行した際に中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区の7区に編入され、今度は3区とかつての4分の1までに行政区が減ったことになります。

前回は行政区ではなく全国各地の小規模な市町村が地図上から姿を消し、その多くがもうかれこれ15年以上の月日が経過しました。

ふるさと情報館の物件ページで(旧市町村)と表記のある場合がありますが、もはやその地名すらピンと来ない方が現れる時代が到来していると思います。

しかし行政再編が進む昨今でもなお、書籍はいつまでも一枚一枚にその名を刻むことに意義を見出してると信じ、毎月中旬に物件ページ作成の締切に追われるふるさと情報館の一営業マンの呟きでした。(本部 髙橋瑞希)

山梨◆八ヶ岳/ 努力を重ね、実を結ぶ ~ 新年に寄せて ~【所長・新年のご挨拶】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2023年1月1日

▲コロナ禍で沿道応援がずっと控えられていました。今年こそ全力で応援したいですね。

この三年間は誰しも内省の時間を過ごさざるを得なかったゆえに、甲子園の優勝監督が言った「入学式はおろか卒業式も満足にできなかった子たち」の躍動する姿に心を熱くした人も多かったに違いない。

ポプラ並木が黄色く色づいていたころ、わたしはたまたま出張していた仙台市で全日本大学女子駅伝を初めて応援した。

同郷のランナーが第一走者で出場していることを知り、競技場の芝生席と第一中継所で見届けることができたのだった。

わたしだけではない。遠路札幌や福岡から集まった選手たちを手拍子で迎える仙台市民の温かい応援は、走るという日々の練習ですら密になれなかった選手たちを思いやる気持ちが表われていたように思う。

沿道で応援する人たちの多くは感染対策をしながら極力声を出すような声援もせず、鳴り物もなく、二十六チームの選手全員が走り切るまで拍手を続けていた。その姿勢は「いいね」と素直に思えるものだった。選手だけでなく応援する人たちですら、「集う」ことがこの三年間は容易ではなかったはずだから。

第一走者の選手は浜松市立の中学校を卒業後、仙台市内の強豪校に進んだ。年末の都大路で優勝しスーパールーキーとして今の大学に進学した。その彼女がこの大会のリーフレットの中で、「努力は必ず報われる」と決意を述べている。

わたしも実は昨夏、浜松市の物件に関して彼女の卒業した中学校の前を車で何度も通過している。その「努力」はささやかではあったものの実を結んだ。

思えばぶっちぎりで区間賞を取ったランナーからお褒めの言葉をもらったようなもの、かも知れない。

雨だれに自分の齢を重ねてみれば、努力の月日は決してその人を裏切らないのだ。

さて、新年恒例の箱根駅伝。わたしの母校もなんと五十五年ぶりに予選会を突破し出場の機会を得ることができた。

かの陸上部から入学当初、入部のお声掛をいただいたこともあったが、それも今は昔。今年もテレビの前で全ての出場校を応援させていただきながら、皆様の新年のご多幸をお祈りいたします。(代表取締役 中村 健二)

▲本年もよろしくお願いいたします。

静岡◆浜松市/北区三ヶ日町育ち ~ 物件ウォッチ誌上オンエアー【文化放送「大人ファンクラブ」より】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年10月31日

▲大福寺のある福長は歴史も古い丘陵地帯ののどかな里だ。

今回は番組収録後、紹介した物件が成約となってしまったため、先日法事で一年半ぶりに帰省した三ヶ日の話しをします。

そこはいまもむかしもわたしの生まれ故郷です(この先書くこともないと思うので)。高校生のころまでエアコンは無かった。舘山寺(かんざんじ)で土産物屋をやっている高校時代の同級生の家で、エアコン付きの部屋に通されたときに「ばか涼しいじゃん」と話していたぐらいだ。わたしのひと夏の経験だった。

ところがどうだ!今夏8月17日の午後になんと41・1度という日本歴代最高と並ぶ気温を記録した。それが天竜や佐久間などの風の抜けづらい遠州の奥まった地域ではなく、浜松市の中心部だという。朝の7時過ぎからジリジリとうなぎ上りに気温が上がっていき午前中から猛暑状態に。原因は層厚十キロといわれる背の高い高気圧の下降気流が旧引佐郡(いなさぐん)の後背地にある山脈を越えて吹き下ろしてきたため、風下の浜松で気温がいっきょに上昇したといわれる(フェーン現象のこと)。

さて、三ヶ日のみかんの話しだ。甥の嫁さんのご両親は北遠五山の名刹のひとつ大福寺のおひざ元・福長(ふくなが)という集落でみかんの専業農家をしている。昭和50年代から赤土の土壌を活かした開墾が進められ、産地の中の産地といわれるこのあたり一帯のだんだん畑を多数所有している数少ない専業農家だ。

生活様式の変化や海外からの輸入など消費の減少と農地の集約化に伴い、ここ三ヶ日においても専業農家数は2002年には農家全体の二割弱三百戸を割ってしまっている。その出荷先はJA みっかび(三ヶ日町農協)だ。全国の農協のなかでも注目を浴びるこの農協は、令和二年現在2684人の組合員を擁しみかんだけでなくスーパーや冠婚葬祭など地域の末端までその裾野を広げる町の巨大基幹産業なのである(中日ドラゴンズのサイン会もやっていたし、都はるみの公演も後援していた)。

そのトップの井口義朗組合長は中学校の同級生だ。責任産地として販売額100億円を目指すため、古くなった西天王(にしてんのう)の選果場を柑橘類としては日本最大級に拡張して見学コースも作るとのこと。昔から部活の主将として活躍してきた人の今後の目の覚めるような躍進を祈っています。

▲堤防釣りのメッカ瀬戸。『男はつらいよ』のエンディングにも使われた。

幻の獣である「鵺(ぬえ)」伝説のある猪鼻湖(いのはなこ)の胴先(どうさき)海岸(周辺には鵺代(ぬえしろ)や尾奈(おな)などの地名も残る)を埋め立てて造った三ヶ日中学校の外山昭博校長も同級生のおひとり。全校生徒数315人(2019年)とわれわれのころと比べたら半数にも満たない生徒数だが、昨今の社会情勢のなかで苦労の絶えない舵取りはさぞ大変だと思う。われわれの時代の教師たるや本当にひどいものだったが、野球部の外野手としてチームを鼓舞してきた人望の厚い人なら、この禍を生徒たちとともに乗り越える活躍をしてくれるものと信じています。

子供たちの遊び場だったコウモリの飛び交う宇う志しのマンガン鉱のほら穴は現在封鎖されていて覗けないものの、そこに通じる入口に湖を望むしゃれた喫茶店ができたと教えてくれたのは、二級下の三ヶ日町観光協会の中村健二会長だ。わたしと同姓同名で静岡銀行横の肉屋の御曹司でもある。遺産的な価値も少なく、明るいのがとりえの三ヶ日の観光資源のなかにあって、地域の情報を発信し続ける精力的で行動力もある魅力的な人物だ。

▲おんな城主・直虎、大河ドラマでお馴染み、井伊谷にある龍潭寺。

さて、最後にこの地域に移住を考えている方々への情報を少しばかり。個人的に気に入っているのは三ヶ日では上神明(かみしんめい)や岡本、細江(ほそえ)では気賀(きが)の四ツ角や寸座(すんざ)の山付き、引佐では井伊谷(いいのや)や横尾、浜松では三方原(みかたばら)。

そして注目していただいきたいのが浜名湖の西に広がる湖西市(こさいし)。ここは浜松市の市政に組みせずにそのままの市政を貫いた市でもあり、ものづくりの地場産業や商業施設も充実した東海道随一の関所を擁する市で、県境にも位置しているため愛知県の豊橋や渥美半島へも出やすい場所にあたる。そのなかでもおすすめは岩盤の厚い湖西連峰が西に広がる麓の町で、天浜線(てんはません)駅にも近い神座(かんざ)あたり。地価は三方原>湖西>細江>三ヶ日>引佐といったところでしょうか。また、自治体の洪水ハザードマップはかならずご確認ください。(八ヶ岳事務所 中村健二)

(文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06 : 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

湖西市はここ!