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岩手◆遠野/鍋倉城跡【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2023年5月21日

▲天守を模して三の丸跡に建てられた「なべくら展望台」。

城下町、門前町、宿場町――。

現代では意識する事がほとんどなくなった分類ですが、時にはゆっくり町の成り立ちを学んでみるのも良いかもしれません。

みちのく岩手事務所がある岩手県遠野市は城下町で、その〝城〞にあたる場所が鍋倉城(なべくらじょう)跡です。

鍋倉城跡は、遠野の玄関口JR遠野駅を出て正面の道路をまっすぐ南進、右手に遠野で一番背の高いホテル〝あえりあ遠野〞、左手に遠野市立図書館が見えるところまで進んだ場所にその〝登り口〞があります。皆さん大好きな石段の登場です。

鍋倉城の築城は天正年間初期と記録されており、寛永4(1627)年に阿曽沼氏が没落して以降、遠野南部氏の居城として使われていました。

▲鍋倉公園からの遠野城下町(2017/5/2撮影)。

現在は鍋倉山の一帯は鍋倉公園として観光やレジャーなどのスポットとして親しまれています。

石段のお話をしましたが、展望台や本丸跡がある近くの駐車場までは自動車でも行く事が可能なのでご安心を。

▲本丸館跡。公園内では随所に石垣や空堀などの名残りが見られる。

天気の良い日には福祉施設のバスが散歩に来ていたり、今も親しまれ続けている鍋倉さんでした。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)
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鍋倉公園(岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」より引用)
・所在地 〒028-0511 岩手県遠野市遠野町

・アクセス
遠野駅より徒歩約15分
遠野ICより車で約10分

岩手◆遠野/鍋倉城址公園の寂しい春【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年6月19日

▲威風堂々とした南部神社社殿。

当事務所のある「民話のふる里・遠野」は、明治42年に国文学者柳田国男が遠野を訪れたことから始まる『遠野物語』から成るのであるが、その土壌となった遠野郷とは、中央部に位置する物見山山麓にある鍋倉城を中心とした遠野南部藩の城下町でした。

当地域は鎌倉初期より阿曽沼一族が治め、かの有名な豊臣秀吉の天下統一舞台の小田原評定事件の際に小田原に参陣しなかった為に阿曽沼氏は領主権を没収され、南部藩の領地となりました。

そして、盛岡南部家の南部利直は、南の伊達藩との境の要として分家格の根城(ねじょう・八戸城)の八戸直義を入部させたことから、遠野南部家12000石の城下町造りが始まって今日に至っています。

明治2年に廃城となり、現在は鍋倉公園として、市民の憩いの場となり、山城の上部には城下を一望できる天守を模様した展望台がるほか、本丸、二の丸、三の丸跡、そして中腹部には遠野南部家を守護した南部神社が構えています。

遠野市民が待ちに待った鍋倉城址の桜の開花は、札幌市と同じ頃に咲くのですが、今年の桜は花見客もなく、南部神社の祭りもなく、寂しい限りでしたが、往時を偲ぶには良い静かな花見でした。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲南部神社に向かう石段。

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