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東京◆本部/足止めを食らった際の貴重な体験【本部スタッフ・地方出張余話】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年11月17日

▲足止めを食らったときに思い出す、とある体験。(画像はイメージです。)

宮崎空港でのその瞬間、私は正面の大きなガラス壁の先にある機体を見つめ放心状態になった。

「現在、到着地の東京国際羽田空港の天候不良の為、JAL○○便は出発することが出来ません・・・。」というアナウンスが出発ロビーをどよめかせた。

線状降水帯が東京に発生したのだ。こればかりは怒っても仕方ない、〝運〞を受け入れるしかない。

そんな諦めの気持ちの後に、ふと過去の〝足止め〞体験が脳裏を過った。

東日本大震災時や大型台風直撃時の高速道路通止め、新幹線故障により延々と在来線で立って帰ってきたことなど。思い起こせば色々あったなぁと感慨にふける。

そんななかでも群を抜いて鮮明に記憶されているのが、九州地方のとある離島への出張時。

飛行機と電車を乗り継ぎ出港場に着くと海が荒れて船が出られない、という無情のお知らせが。仕方なくその日は港近くの異様に安い宿に泊まることに。

まぁ、これくらいのトラブルでしたら大人心で受け入れるとしよう。ただ、問題は船の欠航ではなくその宿にあった。その宿がとにかく気味悪い。

部屋の壁に掛かる大きな鏡、スナックにありそうな不釣り合いで邪魔でしかないソファ、埃だらけのテレビ、シミの多いカーペット、剝き出しの配管。極めつけは店番の女性の顔が異様に青白い。電気を消すと何かが現れそうで一晩中テレビを点けていました。

翌朝、寝不足で港に着くと一緒に行ったお客さんが朝の挨拶もそこそこに「金澤さん、今日も欠航だって。」その晩は意地で昨夜と同じ宿に泊まり、翌朝無事目的島へ出発できました。(本部・九州担当 金澤和宏)

福島◆南会津町/只見線沿線日帰り温泉【地域駐在スタッフ・福島「六十の手習い」だべ】 

この記事の投稿者: 福島・会津エリア案内人 / 馬場 和弘

2025年11月14日

▲只見線沿線近くを流れる大河「只見川」。2011年7月の大雨で暴れ川へと豹変した過去を持ちます。

以前、南会津町の日帰り温泉8ヶ所をご案内致しましたが、私のコラムを読まれている読者さんから、只見線沿線の日帰り温泉も紹介して頂きたいとのリクエストがありましたので、温泉好きの私としましてもその声に応えたいと思います。正直軒数が多いので一部になりますがご理解ください。

①会津若松駅 「富士の湯」
ここは炭酸泉、薬湯、露天風呂、サウナと充実しておりレストラン、癒しコーナー、カラオケ、ゲームコーナーとお風呂以外も楽しめるのでご家族にもオススメの施設です。
住所:会津若松市駅前町2-13

②会津本郷駅 「湯陶里ゆとり
毎日汲み上げているお湯、露天風呂は最高です。食事も出来て味噌ラーメンが美味しいです。
住所:会津美里町六日町甲4106‒1

③新鶴駅 「新鶴温泉んだ」※宿泊可
泉質が良くぬるっとする感じが最高!ちょっと熱めかな?
住所:会津美里町鶴野辺上長尾2347‒4

④会津柳津駅 「会津やないづ湯足里ゆとり
無料の足湯です。ちょっと熱めですがいい湯加減です。
住所:柳津町柳津下平乙151

⑤会津宮下駅 「宮下温泉保養センターひだまり」
ちょっと熱めですが赤茶けたお湯は最高!テラスから眺める雄大な只見川には癒されます。
住所:三島町宮下下乙田889

⑥早戸駅 「つるの湯」
源泉かけ流しの天然薬湯温泉。窓の外は只見川が眺望出来ます。
住所:三島町早戸湯ノ平888

⑦会津中川駅 「中川温泉」
お風呂はやや狭いが料金300円はかなりリーズナブル!対応も良し!
住所:金山町中川笹原1324

⑧会津川口駅 「せせらぎ荘」
ここは異なる源泉が2種類あり一つは大変珍しく希少価値の高い炭酸泉、もう一つは44℃と熱めの温泉です。
住所:金山町玉梨新坂2049‒1

⑨只見駅 「季の郷 湯ら里」
ここは駅からは遠いが宿泊可です。個人的には紅葉が見頃の秋がオススメ。近くに在る喜幸飯店は地元に愛されている町中華で美味しいですよ。
住所:只見町長浜上平50

⑩只見駅 「深沢温泉 むら湯」
鉄分が豊富で赤褐色のお湯は体が温まり、外の只見川の眺めも最高です!食事も出来て休憩所も広いので疲れを癒して下さい。
住所:只見町長浜上平50

と、ここまで駅から最寄りの日帰り温泉をご紹介しましたが、お風呂に入れる旅館や民宿はまだまだありますので、是非皆様チェックしてみてください。

私は月に数回日帰り温泉を利用し、農作業の疲れを和らげていますが、「THE 温泉(地・温泉)」って最高ですよね!温泉に入る前に食べる蕎麦がこれまた美味しい。

でも、そんな道中でも空き家チェックを欠かさないのが私!「必殺仕事人馬場」でした。ではまた!(福島エリア現地案内人 馬場和弘)

岩手◆遠野市/昨今の農村事情【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2025年11月11日

▲たわわに実った「ひとめぼれ」。

近年の温暖化により標高450ⅿの高地にある我が家の田んぼでも、平場の銘柄米「ひとめぼれ」が大豊作の様相で、いよいよ稲刈りの時期になりました。

今年は米の高騰問題や異常高温による干ばつ、作柄不良の心配等々農業に関する話題が多くあります。しかし、落ち着いて考えると農業は何時の時代でもコロコロと変わる猫の目政策に翻弄されてきた様な気がします。

水田基盤整備事業等々の開発推進や、それに矛盾した減反政策、さらに今年の米不足騒動、これの批判の矛先を変えようとして経営の大規模化を進める合言葉としてスマート農業のフレーズです。

しかし、これらの多くは新しい事業とし向かうもので、大規模と集約化を推し進めるものです。その反面、日本の農村が古くから受け継いできた集落の共同共存的生業と地域環境は世帯減少と高齢化により弱くなってきており、特にも山間地帯では土地の管理保全に困惑しているのが実情ではないでしょうか。

政治は何時でも前に進む聴こえの良い話には直ぐに乗りますが、その反面、時代から取り残されて困窮する課題には、なかなか目を向けようとしてくれません。

何とかして、美しい日本の自然あふれる農村を維持していくためにも、地方移住希望者の方へのお手伝いをして行こうと思うこの頃です。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

北海道◆鶴居村/丹頂鶴のふるさと情報館【本部スタッフ・ご当地ローカル発見伝】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年11月9日

▲道東・道北の開拓事業における影の立役者であった簡易軌道の自走客車。地方鉄道法にも軌道法にも準拠せず、1972年の全廃に至る最後の最後まで法的根拠が曖昧な鉄道車両であった。

よく取引先の方からは、「ふるさとさん」「情報館さん」「ラーバンさん」と来て、終いには「住宅情報館®さん」「不動産情報館さん」「なんとか情報さん」となかなかフルネームで呼ばれることのないもどかしい日々を過ごしています。

その度に毎回お約束のように弊社の紹介をさせて頂く際は、「ふるさと情報館」は屋号やグループ名のようなもので、法人名としては不動産会社が「(株)ラーバン」で、出版会社が「(株)ふるさとネット」なんです・・・と。

ちなみに「ふるさと情報館®」は1998年に弊社が特許を出願した登録商標であり、無論検索するとトップページに来るのは弊社に関連したリンクですが、皆さん予測変換リストを隅々までご覧になられたことはありますか?

▲「Furusato Information Center」英訳すると弊社の屋号はこういう表記になるんですね、と妙に感心してしまいました。

何やら現在掲載物件がないはずの新城市(愛知県)や鶴居村(北海道)がヒットすることと思われます。

この2箇所は弊社とは全く無関係の公立図書館の名称であり、今回のテーマである鶴居村ふるさと情報館「みなくる」さんは、鶴居村の歴史や釧路湿原、酪農、開拓、そして道路網が発達するまでに住民の足として欠かせなかった乗り物「鶴居村営軌道」も展示されています。

北海道阿寒郡鶴居村は、1923年(大正12年)の関東大震災による被災者救済を目的とした国の移民事業を契機に入植が加速し、村名は文字通り丹頂鶴の群生地となっていたことに由来します。

▲丹頂鶴の頭の赤色は毛の模様が赤いからでなく、皮膚の血豆が露出しているから赤いという事実。あなたは知りたくなかったですか?

場所は釧路市北部の釧路湿原国立公園の北隣に位置し、釧路空港へのアクセス環境や手厚い福祉・医療制度をアピールしていることから、札幌一極集中が進む中で珍しく人口が増加しており、日本で最も美しい村連合に加盟中。

村内の主要施設は徒歩で回れる範囲で完結していることも、移住の決め手となる理由の1つだそうなので、今後弊社で新着物件が鶴居村で発生すると、担当営業としてすぐ成約に至るような気がしてなりません。(本部 髙橋瑞希)

山梨◆八ヶ岳/晩秋の候、11月の八ヶ岳事務所【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】 

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2025年11月6日

▲紅葉の山肌を背に農作業が続く。(長野県川上村)

時は刻々と過ぎ去り、季節は再び廻ってきます。北杜市は秋の盛りを迎えています。そして冬の足跡が刻一刻と近づいてきているようです。

春には標高の低い場所から高い場所へ、絨毯を広げるように桜前線が駆けあがっていきましたが、秋はその逆で絨毯を再び巻き直すように、標高の高い場所から低い場所へと紅葉の前線が移動をしていきます。

同じ場所にいて、たとえそこから動かなかったとしても、自然という世界は勝手に巡り、その様を見せてくれます。

今年の春から夏にかけては、仕事が忙しく、目の前の事をこなすことで、精一杯の自分がいました。今日が何月なのか、何日なのかも体の感覚とは一致せず、頭で生きているような生活。忙しさから今を生きているようで、今というものを見ていないような生活でした。

今年の夏の記憶は、映像というよりは、皮膚感覚でしょうか。ヒリヒリと肌を突き刺すような太陽光。元々、紫外線が強い地域ではありますが、皮膚が痛くなるという感覚は北杜市では初めてでした。

強い日差しの中では、のんびりと景色を眺めることもせず、ただ、ただ日差しが沈む夕方を心待ちにし、気温が一気に下がるこの気候に身をゆだねていた夏だったように思います。

▲紅葉の丘と夕日で染まる岩肌。(長野県川上村)

気付けば、そんな夏も終わり、今年は山に登ることなく、目の前には、ただただ紅葉が広がっています。

木々の葉が枯れる様子が、何故こんなにも美しく感じられるのだろうか。それは葉のそのものの色だけでなく、かつてその葉が新緑として芽吹き、深い緑となり木陰を作っていた様を我々が覚えているからでなないでしょうか。

自然は巡り、我々の目に、時は刻々と過ぎていったことを教えてくれます。古代ローマのストア派哲学者のセネカは、「人生は短いのではない。我々が多くの時間が浪費しているのだ。」と教えてくれます。

今年の私は、人生という観点では、時間を浪費していたのだろうと思います。せめて、この自然の営みである紅葉を楽しみ、今というものを取り戻したいと思う秋の日。

昨年出会った、川上村で山の全てが黄色に染まった景色。今年もこんな景色に出会いたいものです。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

東京◆本部/五所川原立佞武多たちねぷた祭り【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2025年11月3日

▲地元の誇る五所川原立佞武多祭りへ行ったときのこと。(写真はイメージです)

私事ですが、お盆中に地元青森県五所川原市に帰省しておりました。

夏の時期に五所川原立佞武多たちねぷた祭りが開催され、東京に上京してからも毎年見に行く大好きなお祭りです。

歴史を遡ると立佞武多は明治時代から大正時代の初期にかけて巨大ねぷたとして始まったそうです。

その後小型化していきましたが、平成8年に巨大ねぷたが復活して立佞武多と命名され、平成11年からは祭りの名称も五所川原立佞武多になりました。

青森ねぷたと構造は同じですが五所川原立佞武多は、高さが約23メートル重さが19トンと私より少し小さいぐらいです。冗談はさておき、非常にサイズの大きい迫力ある立佞武多が台車に乗り数十人の引き手が台車の左右に付けたロープにとりつき2列になって引きます。

2列の間には、太鼓、笛、手平鉦てびらがねで構成される数人の囃子方が囃子を奏し先頭となり、次いで数十人のハネトが「ヤッテマレ」などのかけ声をかけてはねながら続きます。何度見ても感動するものです。

ふるさと情報館で働き始め沢山の都道府県に行きましたが、やはり地元青森もいいなと思いました。(本部 浅見 修光)

山梨◆八ヶ岳/秋の夜長と流星群☆彡【八ヶ岳スタッフ・ゆるり☆星空さんぽ】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2025年11月1日

▲澄んだ夜空を眺めると見えてくる流星群。

八ヶ岳暮らし、夜はエアコンなしでも快適に過ごせます!・・・と話していたのが懐かしく思えるここ最近の夏の暑さ。

合言葉のように「八ヶ岳も暑いですね~」「ここ最近はとても暑くなりました~」とお客様とお話しする日々。

昨年八ヶ岳事務所に取付けたエアコンが大活躍したこの夏。暑さはいつまで続くのかと思いきや、9月に入ると朝晩の寒暖差が大きくなり、気がつけば秋の夜長に秋虫の声。

このお話を書いている10月初旬になるとますます夜が長くなり、虫の音を楽しみながら星見ができる季節へと巡っていました。

夏の名残の星から、メインの秋の星座たち、夜更かしすれば冬の星座が昇ってきます。

秋は明るい星があまりないのですが、流星群がいつくかあるので、星見をしているとふいに流れ星を見つけるのが嬉しい。

また、だんだんと寒くなっていくので防寒に気をつけながら、ホットワインを飲みつつ、冬の星見に備えて寒さに身体を慣らすのにもいい時期です☆(八ヶ岳事務所 安江 美香)

田舎暮らし四方山話よもやまばなし~その3~【情報館設立35年。その体験をもとに田舎暮らしへのアドバイス】

この記事の投稿者: 総務

2025年10月30日

第3話:田舎の土地事情

◆自分だけのものと言い切れない田舎の土地

「一度見に来てくれませんか?昨年、都会の方にお譲りした土地のことで困ってるんです」。電話の向こうで信州でりんご園を経営している実直な農家の主人の大きな声が響いている。話を要約するとこうだ。数年後に夫の定年を控えた山歩き好きの都会の夫婦が「リタイア後は、北アルプスを眺めながら野菜を自給する暮らしを」と、その農家の所有する200坪の土地を購入した。

集落の外れでりんご畑が点在し、一面に水田が広がる典型的な安曇野の田園風景である。すっかりそのロケーションが気に入り、数年後を夢見ながら契約したのであった。そこまでは良かったが、購入後、その土地をすぐには利用しないからと境界線上に杭を打ち、有刺鉄線を張りめぐらした。

そして、この夏、草丈2m以上の雑草が生い茂り、地元では困った存在になっているという。通学路に面し、自転車の中学生が有刺鉄線で怪我をする。雑草の種は、周囲の畑に飛び散る。このまま冬になれば枯れ草で火災の恐れもというわけである。

「土地は自分のものでも、自分だけのものじゃないということが、都会の人間にはわからないんだよな」。売主は集落の人たちからなぜ都会の知らない者に土地を売ったんだ?と言われて困っているという。

都会の土地に対する感覚と、田舎のそれとは大きな相違があり、特に都会側の人間がその違いに気がついていないことが多い。そのために起こるトラブルも結構多いのである。

都会では、土地は購入して自分名義に所有権登記すれば、自分のものとしてどうしようが自由であるという風潮が強い。しかし田舎では、これは根本的に違う。

自分の土地に、有刺鉄線を張り巡らそうと、ブロック塀で囲もうと、所有者にはお構いなく、地下水は脈々と隣地から隣地へと流れているのであり、そこはタヌキの通る道であるかもしれないのだ。そして、そこに住む人みんなが暗黙の了解のうちにそれを受け入れている。

土と太陽と緑の自然循環の中にあっては、土地はすべての生命体を育む母なる大地であり、それはまさしく連鎖的につながる、どっしりと動かぬ不動産なのである。それは個人が好きなようにどうこうできる財産というよりそこで暮らす人々の共有財産という意味合いが強いのである。

◆土地選びは結婚相手を決めるがごとし

「本当に迷ってしまうんです。あの土地も素敵だし、ここもいいって。決め手がないんです」。

田舎探しをする夫婦から土地の選び方について、しばしば問いかけられる。迷うことは無理もない。唯一無二の土地などこの世にないのである。自分のイメージは頭の中での「青い鳥」であって、現実にはない土地かもしれない。仮にあったとしても、それは他人の土地で売地ではないことが多い。

こんな質問を受けた時、土地選びは結婚相手を決めるのと同じですね。と決って私は答えにならない答えをする。結婚も何かの縁があって今の相手に決めたのであって、ひょっとすると別の人に決めていたかもしれない。

Aさんだったら幸せ、Bさんだったら不幸、とは限らない。Bさんだったらまた別の幸せがあったかもしれない。結婚後どのような家庭を築くかが大切なように、どの土地を選ぶよりも、選んだ土地とどのように付き合うかが大切なのである。

土地は人が働きかけることによってその姿を変える。どんな土地も、愛情のある人の手が加わることによって、優しい表情に変わるものだ。

たとえば、あなたが森の中の少々薄暗い印象の土地を購入したとしよう。あなたが住まうことによって。雑草は刈り取られて、すっきりするだろうし、ほのぼのと明るい雰囲気が漂ようになるだろう。土地の印象は驚くほど変わるはずである。あなたが愛情を込めれば、土地は必ず答えてくれる。

敷地内に低湿地があり、それは一見マイナス要因なのだが、そこをビオトープ(トンボやメダカが生息する空間)として生かした例もある。土地のデメリットも活かし方次第である。

田舎に土地を購入し、一本の木を植える。すると、そこには成長する植物への愛情がめばえる。都会に戻っても、次にその木に会う時はどれほど成長しているだろうかと思いを馳せる。それがその土地への愛着となる。もうその時は「あの土地も素敵だし、この土地もいい」というわけではない。「この土地しかない、唯一無二のもの」となるのである。

結婚も、自ら結婚しようという思わない限り、どんな素敵な相手でも素通りして行くように、土地選びも「いつまでに購入しよう」と心を決めない限り、迷うばかりで「決断できない」のである。(本部 佐藤彰啓)