旅日記『雪(ゆき)の陸奥雪(みちおくゆき)の出羽路(いでわじ)』より(現代訳)
漁師たちが「鰰(はたはた)の網引きする」と言ってたくさんの小舟を漕ぎだした。
冬の漁師の世渡りは、蝦夷地のオットセイ狩と同じである。
岸辺の岩の上では男女が群がって立ち、魚群のいる場所を教える。この岩舘の浦では鰰が大変多く獲れ、八森神魚(はちもりはたはた)と呼んでいる。
漁期の終わりには、鰰が藻に産み付けた「ぶりこ」(卵)を柄の長短がある金熊手(かなくまで)のような道具でかき寄せて獲ったり、波に打ち上げられた浜の「ぶりこ」拾ったりする。
浦乙女が熊手のような漁具で荒磯の藻に付いた「ぶりこ」をかき寄せ、それを腰に付けた「こだす」(編籠)にとり入れている姿絵。
「八森はたはた男鹿ぶりこ」という諺(秋田音頭の歌詞にある)があり岩舘の浦は岩が多く、波にあてられた「ぶりこ」の半分は傷むが、男鹿の浦は藻が多く、「ぶりこ」は姿がよいので、このように言う。(つづく)(秋田駐在 片山保)