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東京◆本部/「おちゃのみず」という街【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 総務

2025年12月3日

▲6月末に四谷から御茶ノ水(写真内のNCKビル(白いビル)の3階)に移転しました。

事務所が本郷に引越してから5か月がたちました。まだまだ町に慣れ親しんだとは言えない日々です。

郵便局や銀行、昼食(とても大事!)に行くのもたどたどしくて、なんだか借りてきた猫の気分です。

会社の場所を説明する時「おちゃのみずに移りました」と話していましたが、調べて見ると「御茶ノ水」は駅名で「御茶ノ水・お茶の水」、どちらも公式な町名としては存在しません。

AIに「おちゃのみず」とは、と聞くと「千代田区神田駿河台、文京区湯島などにまたがる一帯の通称」と答えてくれました。

最近知ったのですが、散歩によく行く神保町が『世界で最もクールな町』に選ばれていました!

「書店・喫茶店・カレー等の食」が魅力的、落ち着いた街並みが「良い」と感じる人が多いようです。

毎日いろいろな発見があり楽しんでいます。

ふるさと情報館事務所に立ち寄られる機会がございましたら、周辺を散策してみてはいかがでしょうか。(本部 杉田 玲子)

田舎暮らし四方山話よもやまばなし~その4~【情報館設立35年。その体験をもとに田舎暮らしへのアドバイス】

この記事の投稿者: 総務

2025年11月29日

第4話:田舎の土地事情

◆田舎に土地はあっても売り地は少ない

▲田舎はアナログ、一期一会である。上の物件は、茨城県石岡市物件(番号:18311)

田舎に行き、広々とした水田や畑、山や丘陵地を見ると無尽蔵に土地があるように見える。しかしながら、新しい人々を迎えるための、受け皿となる土地は意外と少ない。

日本の農山村の土地を大きく分けると、「集落の宅地」「道路」「農地」、それに「山林」である。

「宅地」はすぐに利用できるのだが、空き家になった農家の売り家は、さほど多くはない。近年、山村では空き家が増えているが、盆には都会に出た一族が帰省するために、手放す人は少ない。

「農地」は、多くが農業振興地域に指定されていて、ここには住宅は建てられない。一面に畑や水田が広がり、そこに家を建てたらさぞよかろうと思うような農地は、ほとんどが「農地振興地域」に指定されているのである。そんな農地にポツンと住宅が建っていることがあるが、それは農家の次男三男の分家が多い。農家の子弟の場合には特例で許可されるのである。

「山林」にはすぐ家が建てられるのだが、集落から離れていれば飲用水が確保できるかどうかが問題だし、平坦地ならいいが、傾斜がきついと住宅を建てるには不向きとなる。

日本の農山村には、伝統的に「土地は先祖伝来のもの」という意識があり、自分の代で手放すのは先祖に申し訳ないという考えがある。最近は、そうした意識も薄れてきているのだが、いずれにしても売り物件は多くはない。

売りたいという情報があっても、道路つきが悪かったり、電気、飲用水などライフラインの確保が難しかったりと、都会の人が移り住むのに適する物件となると、これまた少ないのである。

◆都会の土地はデジタル、田舎はアナログ

都会で不動産を探す場合には,物件情報誌やパソコンで条件を設定して検索すれば、おおむね自分の希望物件が検索できる。

都会の不動産は極めてデジタルである。鉄道沿線に都心から離れるごとに土地価格は安くなり、しかも下車駅からの距離によって価格が変動する。

分譲地に至っては、東南角地が最も高く、北西角地はその15%安という評価方法もある。周辺の時価より10%高ければ、買い手がつかず、逆に10%安ければ決まるのも早い。

マンションに至っては初めから商品として企画され、販売されている。性能も価格もすべて数値で表現されている。都会では、不動産といっても頻繁に取引される動産なのだが、それが田舎では、まことにアバウトでアナログなのである。

土地は自然界の一部であって、一度も取引されていない土地も多い。境界も山林に至っては「あの大きな松からこの杉の木まで」と極めておおらかな場合もある。土地価格も取引事例の少ない地域では、いわゆる「相場」が形成されておらず、売り主側の事情で売出し価格が表示されていることも多い。

田舎の土地は、傾斜地があったり、敷地内に泉があったりと、一つ一つが実に個性的で変化に富んでいる。土地の利用法も、その人次第である。田舎の土地は、都会の分譲地のようにデジタルではないのである。

そのため、物件情報を見て田舎に出かけてみると、「似て非なるもの」ということも多く、また逆に「掘り出し物の宝」ということもある。

いずれにしろ、都会的感覚を捨てて田舎的なおおらかさを持たないと、購入する決断もつかないのである。

◆「使わせていただく」という謙虚な気持ちで

土地の所有権の登記制度は、明治以降の近代法により確立し、登記簿に所有者が記載されることになっている。

では、「土地の所有権」とははたして何なのであろうか。土地は、すべての生命体の母なる大地であり、人間が作ったお金や消費財のように、自分が勝手に処分できる所有権とは基本的に違うことを認識しなければならない。

土地を購入すれば登記簿に所有権者として記載されるが、それは人間社会において他人に対して「これは私のものです」と主張できるにすぎない権利なのである。

事実それは、その人間が生きている限りの権利であり、亡くなれば当然別の人に権利が移動する。墓場に持って行くことも、使い切ることもできないのである。

人間も自然界の一部であり、自然界の母なる大地を「使わせていただく」という謙虚な気持ちが大切なのであろう。

「すべてがお金で買える」という都会の風潮と「都会の利己心」を田舎に持ち込んでもらいたくない、と信州のりんご園農家のご主人は言うのである。(本部 佐藤彰啓)

田舎暮らし四方山話よもやまばなし~その3~【情報館設立35年。その体験をもとに田舎暮らしへのアドバイス】

この記事の投稿者: 総務

2025年10月30日

第3話:田舎の土地事情

◆自分だけのものと言い切れない田舎の土地

「一度見に来てくれませんか?昨年、都会の方にお譲りした土地のことで困ってるんです」。電話の向こうで信州でりんご園を経営している実直な農家の主人の大きな声が響いている。話を要約するとこうだ。数年後に夫の定年を控えた山歩き好きの都会の夫婦が「リタイア後は、北アルプスを眺めながら野菜を自給する暮らしを」と、その農家の所有する200坪の土地を購入した。

集落の外れでりんご畑が点在し、一面に水田が広がる典型的な安曇野の田園風景である。すっかりそのロケーションが気に入り、数年後を夢見ながら契約したのであった。そこまでは良かったが、購入後、その土地をすぐには利用しないからと境界線上に杭を打ち、有刺鉄線を張りめぐらした。

そして、この夏、草丈2m以上の雑草が生い茂り、地元では困った存在になっているという。通学路に面し、自転車の中学生が有刺鉄線で怪我をする。雑草の種は、周囲の畑に飛び散る。このまま冬になれば枯れ草で火災の恐れもというわけである。

「土地は自分のものでも、自分だけのものじゃないということが、都会の人間にはわからないんだよな」。売主は集落の人たちからなぜ都会の知らない者に土地を売ったんだ?と言われて困っているという。

都会の土地に対する感覚と、田舎のそれとは大きな相違があり、特に都会側の人間がその違いに気がついていないことが多い。そのために起こるトラブルも結構多いのである。

都会では、土地は購入して自分名義に所有権登記すれば、自分のものとしてどうしようが自由であるという風潮が強い。しかし田舎では、これは根本的に違う。

自分の土地に、有刺鉄線を張り巡らそうと、ブロック塀で囲もうと、所有者にはお構いなく、地下水は脈々と隣地から隣地へと流れているのであり、そこはタヌキの通る道であるかもしれないのだ。そして、そこに住む人みんなが暗黙の了解のうちにそれを受け入れている。

土と太陽と緑の自然循環の中にあっては、土地はすべての生命体を育む母なる大地であり、それはまさしく連鎖的につながる、どっしりと動かぬ不動産なのである。それは個人が好きなようにどうこうできる財産というよりそこで暮らす人々の共有財産という意味合いが強いのである。

◆土地選びは結婚相手を決めるがごとし

「本当に迷ってしまうんです。あの土地も素敵だし、ここもいいって。決め手がないんです」。

田舎探しをする夫婦から土地の選び方について、しばしば問いかけられる。迷うことは無理もない。唯一無二の土地などこの世にないのである。自分のイメージは頭の中での「青い鳥」であって、現実にはない土地かもしれない。仮にあったとしても、それは他人の土地で売地ではないことが多い。

こんな質問を受けた時、土地選びは結婚相手を決めるのと同じですね。と決って私は答えにならない答えをする。結婚も何かの縁があって今の相手に決めたのであって、ひょっとすると別の人に決めていたかもしれない。

Aさんだったら幸せ、Bさんだったら不幸、とは限らない。Bさんだったらまた別の幸せがあったかもしれない。結婚後どのような家庭を築くかが大切なように、どの土地を選ぶよりも、選んだ土地とどのように付き合うかが大切なのである。

土地は人が働きかけることによってその姿を変える。どんな土地も、愛情のある人の手が加わることによって、優しい表情に変わるものだ。

たとえば、あなたが森の中の少々薄暗い印象の土地を購入したとしよう。あなたが住まうことによって。雑草は刈り取られて、すっきりするだろうし、ほのぼのと明るい雰囲気が漂ようになるだろう。土地の印象は驚くほど変わるはずである。あなたが愛情を込めれば、土地は必ず答えてくれる。

敷地内に低湿地があり、それは一見マイナス要因なのだが、そこをビオトープ(トンボやメダカが生息する空間)として生かした例もある。土地のデメリットも活かし方次第である。

田舎に土地を購入し、一本の木を植える。すると、そこには成長する植物への愛情がめばえる。都会に戻っても、次にその木に会う時はどれほど成長しているだろうかと思いを馳せる。それがその土地への愛着となる。もうその時は「あの土地も素敵だし、この土地もいい」というわけではない。「この土地しかない、唯一無二のもの」となるのである。

結婚も、自ら結婚しようという思わない限り、どんな素敵な相手でも素通りして行くように、土地選びも「いつまでに購入しよう」と心を決めない限り、迷うばかりで「決断できない」のである。(本部 佐藤彰啓)

田舎暮らし四方山話よもやまばなし~その2~【情報館設立35年。その体験をもとに田舎暮らしへのアドバイス】

この記事の投稿者: 総務

2025年9月15日

◆不便な田舎は昔語り?

「ホトトギス鳴きつる里に来てみれば、酒屋に3里、豆腐屋に2里」は、江戸時代の狂歌であるが昔の田舎は不便だった。酒を買うにも歩いて3時間もかかったのである。

道路が整備され、車でひとっ走りの時代となった。流通や通信の発達した現代では、5里どころか100キロの道のりも、もはや問題ではない。

とはいえ、いくら田舎が便利なったからといって、コンビニが徒歩圏内にあるのを期待するのは間違っている。

「JRの駅から近くて、坂道が少ない所で、病院やスーパーの近い所に移り住みたいのですが・・・」と相談を受けることも多い。そんな人には「では、都会で暮らしたら」というしかない。

田舎にデパートはないし、買い物は都会に比べて不便である。しかし、たとえ駅が近くても、毎日どこに出かけるのだろう。

坂道を歩き、さんさんと輝く太陽の下で、畑仕事に精を出す。だから田舎のお年寄りは元気なのである。

利便性だけを求めるなら都会がいい。でも都会では、水も空気も食べ物も作ることはできない。消費だけの都会と比べて、田舎ではさまざまなものを「手づくり」することが出来る。

都会にはない、余りあるものが田舎にはある。それを求める人のみが田舎暮らしの有資格者なのである。

◆農村と都市が共に手を携えて

人生90年の高齢化社会となり、50年の会社勤め後、健康に30年をどう過ごすか。

リタイア後も都会に住み続けなければならないという理由はない。おいしい水と空気があり、新鮮な野菜と果物に恵まれた田園暮らしを望むのは、高齢社会における暮らし方の大きな選択肢の一つとなってきたのである。

阪神大震災や東日本大震災級の大災害が何時大都市を襲うかも分からない。これまでの「都会は快適で安全」という神話が崩壊し、都会の不安は増大している。

一方農山村では、過疎高齢化がいっそう進行し、休耕地が増え山林が荒れてきている。

今こそ、都市と農村が共に生きる方策を探るべき時である。

農山村は都会で疲労した人々を回復させる力を持っている。農山村が求めているのは農山村を活気づける都会の元気な人々との結びつきである。人がいて初めて地域がよみがえる。一度上流から下流に下った人間が、上流に上るとすれば、それなりの心構えが必要である。

それは、上流の環境を汚さないこと。疲弊した上流がよみがえることに、わずかでも役立つというということである。

消費と浪費ばかりの都会生活とは違った、田舎での充実した暮らし方があるはずである。

◆まずは田舎に出かけてみよう ~あなたは「海彦」派?「山彦」派?~

「田舎暮らしは、山村がいいのか、海に近い場所がいいのか」。それも人それぞれである。

気高くそびえる山々や渓流に心の安らぎを感じる「山彦」の人もいれば、海を見て安息を覚える「海彦」の人もいる。

ひょっとしたら潮騒に心臓の鼓動が共鳴する人は、原始海から上陸した祖先を感じるのかもしれないし、また山のほとばしる渓流に祖先を感じる人は山から生まれたのかもしれない。

あなたが「海彦」なのか「山彦」なのかを決めるのは、あなたしかいないが、冬の寒さを避けたいという人は、海岸地方の温暖な地方を選んだ方がいいし、夏の蒸し暑さを避けたいという人は山間地の農山村がいいだろう。

しかし、人はそんなに簡単に「山彦」と「海彦」派に分けられるだろうか。人はそのどちらの要素も兼ね備えているのではないではないかと思う。

たとえば、海辺に近い所をと海辺に近い所を千葉県南房総で長く土地を探していたある人の場合。

ある秋の日の休日、その日も南房総に行く予定だったが、朝のテレビで那須の紅葉を見て急に那須に出かける気になった。その時案内された雑木林がすっかり気に入り、終のすみかに決めてしまった。「海彦」が「山彦」に急変したのである。

この場合、自分は「海彦」だとばかり思っていたが、実は内面的には「山彦」で、山間部の出かけて、はじめてそのことが分かったということだろう。(本部 佐藤彰啓)

田舎暮らし四方山話よもやまばなし~その1~【情報館設立35年。その体験をもとに田舎暮らしへのアドバイス】

この記事の投稿者: 総務

2025年8月17日

▲水田の向こうに南アルプスが・・・。

◆「心の原風景」に出会う旅

「あ!ここなんです。私が求めていた風景は・・・」

夏の青々とした田んぼが広がり、遠くに南アルプスの甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山を望む場所に立って、初めて高瀬さんは自分の希望の物件に出会ったと感じた。その日何か所も回ってたどりついたのがその場所だったのである。

これまで見た、林の間からの南アルプスの山並みも、甲斐駒が眼前に迫る壮大な風景も高瀬さんのフィーリングに合わなかったのだ。

高瀬さんは田んぼが広がり、遠景に南アルプスを望む風景に出会って初めて心を揺り動かされ、やっと答えを見つけたのだった。

茨城県土浦に育った高瀬さんにとって、「青々と広がる筑波山」は懐かしい少年時代の原風景だった。

人それぞれに原風景がある。それは子どもの頃出かけた田舎であったり、体験したほんのひとこまであったりする。

どんな土地がいいか、こればかりは他人が決めるわけにいかない。高瀬さんのように、自分でも何がぴったり合うのか、すぐには分からないこともあるだろう。

田舎探しは、自分の「心の原風景」に出会う旅といえるのかもしれない。

◆社縁社会の崩壊がもたらしたもの

田舎暮らしという言葉がポピュラーになった昨今であるが、果たして「田舎」とは何であろうか。

「田舎」は、「都会から離れた土地。在郷。ひな。地方」(『広辞苑』岩波書店)を意味しているが、みやこがなかった縄文や弥生時代には田舎は存在しなかった。

「田舎」は、都会が形成されてはじめて誕生した概念なのである。

田舎暮らしにも二種類あって、「自分の意思で田舎に移り住む」場合と、「自分の意思に反して移り住む」場合がある。

これまで日本の歴史を紐解いてみると、京に都が誕生して以来今日まで、「田舎から都会へ」という大きな流れの中にあった。

そして、農村は常にダサくて遅れており、「田舎暮らし」は、その多くが自分の意思に反しての「島流し」や「都落ち」であり、明治以降の企業社会にあっては「左遷」の代名詞であった。

地方転勤となったサラリーマンは「いやぁ、しばらくは田舎暮らしですわ」といい、「田舎暮らし」にはどこか暗いイメージを伴っていた。

それが、近年大きく変化した。1990年代初頭のバブル経済崩壊が都会の社縁社会を変えた。企業は終身雇用をかなぐり捨てて早期退職を迫り、自分のことは自分で考えてくれという。

自分の生き方を自分で作らざるを得なくなった。近年、田舎暮らしを求める都会人が増えているのも、社縁社会の崩壊と密接に結びついているのである。(本部 佐藤彰啓)

東京◆本部/本部移転のお知らせ

この記事の投稿者: 総務

2025年6月30日

ふるさと情報館はおかげ様で本年35周年を迎えます。

長らく新宿区四谷の地で活動してまいりましたが、6月30日より文京区本郷に本部を移転致します。

以下、新住所です。電話・FAX番号の変更はありません

〒113‒0033
東京都文京区本郷3-3-11 NCKビル3F

JR中央線・総武線「四ツ谷駅」より各駅で4つ、快速で一駅移動となり、【御茶ノ水駅】が最寄駅になります。

駅からも近くなり、丸ノ内線・千代田線もご利用になれます。お近くにお寄りの際は、お気軽にお立ち寄りください。

1990年に四谷の地で事務所を開き、まだ「田舎暮らし」という言葉が一般的でない時代に、「ここから都会の人達に田舎暮らしを広めていこう!」という志を立て、奮闘してまいりました。

『月刊ふるさとネットワーク』表紙裏に「ラーバニスト宣言」を毎回掲載していますが、都市(アーバン)から田園(ルーラル)への暮らし替えや、田舎に拠点を持つ生活を考えるきっかけになればという思いがふるさと情報館の始まりです。

今日、田舎暮らしは特別な事ではなく、選択肢の一つとなりました。ふるさと情報館の活動がその一助になっているなら幸いです。

新しい事務所でさらなる飛躍を目指して頑張ります。

どうぞ今後とも宜しくお願い致します。(本部 杉田玲子)

東京◆本部/物件見学に出掛ける際は…【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 総務

2025年5月6日

▲季節の移ろいが早い昨今ですが、余裕を持った行動計画を心がけたいです。

外出が楽しみな季節になりました。

とはいえ、四季のある国、日本のはずがいつのまにか、冬と夏だけの国になってしまったようです。

昨日までは肌寒いなぁと思っていたのに、今日は半袖でも汗がでる。そんな天気にびっくりです。

私の思い出の中では、季節はもっとゆっくり巡っていたように思えるのですが、今はなんでも強烈に変化していく気がします。薫風は何処に?

とはいえ気候が良くなれば、外出したくなるのも人情です。

すっかり定着した大型連休のこの季節、「ついでに物件見学を」というお気持ち、よくわかります。

ただ、名所旧跡、観光地に限らず、思いもかけない場所が渋滞になり、「見学のお約束をしましたがたどりつけなくて」というお声を聞きます。

いろいろ計画を詰め込まず、自然に親しむ、人と会う事を一つ一つ楽しまれてはいかがでしょうか。

ご見学は人込みが落ち着いてから、周囲の環境がよく見られる時期にぜひいらして下さい。(本部 杉田 玲子)

山梨◆本部/八ヶ岳に行ってきました【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 総務

2025年4月21日

▲青い空に映える八ヶ岳。

久しぶりで八ヶ岳を訪れました。

先日「ふるさと情報館」では数年ぶりに八ヶ岳で会議を行いました。普段、東京本部に居ついている私が山梨を訪れるのは十年ぶりです。

当日は気持ちのいい晴れ空で、真っ青な空に富士山、八ヶ岳の山々がくっきりと映えていました。「これこれ」と思わず声が出ます。

いつも八ヶ岳に来るたびに八ヶ岳の山の名前って?と思っていたので八ヶ岳山岳ガイド協会のホームページで調べてみました。

北八ヶ岳が「剣ヶ峰」「北横岳」「縞枯山しまがれやま」「稲子岳」「中山」「天狗岳」「根石岳ねいしだけ」「箕冠山みかぶりやま」。

南八ヶ岳は「硫黄岳」「峰ノ松目みねのまつめ」「赤岩の頭」「横岳」「赤岳」「中岳」「阿弥陀岳」「権現岳」「編笠山あみがさやま」。

不明な私は、北と南の二種類があることさえ知りませんでした。

独特な山の名前を見るだけでなんだかわくわくしてきます。今度は山ごとの物語について興味がわいてきました。

会議の方も活発な議論があり有意義でした。美しい自然に囲まれた場所で行う話し合いは新しい発想も湧いてくるようで、お勧めです。

会議後は、八ヶ岳スタッフに美味しいカフェに連れて行ってもらい大満足。見た目も味も最高のケーキを堪能致しました。

会議の成果を生かして、がんばろう!と、山に元気をもらいました。(本部 杉田玲子)