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《田園からの風》 小学校廃校と地域の文化力

この記事の投稿者: 総務

2014年5月7日

新たな再出発

小学校が消えていく。

いま全国各地で、少子化の影響で明治初期に尋常小学校として発足した歴史ある小学校の廃校が進行している。

桜が満開となった4月10日、旧日野春小学校は新たな再出発の日となった。

昨年、山梨県北杜市長坂町にあった4つの小学校がひとつに統合された。廃校となった旧日野春小学校は、公募の結果、地元の社会福祉法人が借り受けた。障害者自立支援施設として、さらには地域の人々の交流施設、山岳画家の美術館として複合的な活用がされることになった。

私たちの「八ヶ岳ふるさと倶楽部」(本誌を通して八ヶ岳に移り住む人々のゆるやかなネットワークの会)も、理科教室を借り受けて「いつでも気軽に利用できるサロン」として第一歩を踏み出すこととなり、甲斐駒ケ岳を望む広い校庭で「桜の花をめでる会」を催したのである。

福祉法人事務局長の坂本ちづ子さんは、「ここを拠点に、地域の人々と一緒にNPO法人『野はらファーム』を設立し、遊休農地を利用した有機野菜づくり、味噌や果実ジュースなどの食品加工、直売所やそれを通した都会との交流などもしてゆきたい」と抱負を語る。。

学校制度と町村の歴史的推移

日本の学校制度は、町村の歴史的推移と連動してきた。

江戸時代、日本には7万余の「むら」(現在の集落の大字)があった。明治になり一町村に一つの尋常小学校を創るために「むら」が合併し1万5千の町村が誕生した。「明治の町村制」である。そして戦後、一つの新制中学校を創るため「昭和の町村合併」が行われ約3千5百の市町村となった。そして「平成の市町村大合併」は。少子化に即応した小学校の統廃合を図ることも目的の一つであった。

小学校の廃校は、単に校舎や校庭の施設が無くなることにとどまらない。小学校は、誰にとっても子どもの頃の「心の原風景」であり、幼なじみの友達や地域の大人たちとの出会いと繋がりの広場であった。小学校は単なる建物ではなく、小学校区というコミュニティ空間の精神的な中核を成している。廃校はそれが契機となって、地域コミュニティの衰退崩壊に繋がりかねない。

日野春小学校は、明治時代に旧日野春村の人々が土地と労力を出しあって、子どもたちのために、地域でも最も景観のよい高台に建てられた。昭和の町村合併で長坂町に、平成の市町村大合併で広域の市に移管された。もともと地元の人々が創った学校なのに、市の意向だけで売却処分されかねない状況となった。地元の人々はそのことを快しとせず、廃校後は地域づくりのために活用することを強く望んだ。その結果、同じく廃校となった2校に先駆けて活用策が実現したのである。

コミュニティが地域の活力を生み出す

日野春小学校の近くに八幡神社がある。夏祭りには、その神楽殿でその年7歳となった女の子による「稚児の舞い」が奉納される。男の子による「子ども相撲」とともに、江戸時代から続く伝統行事で、都会に出た人々も帰郷して賑やかな夏の夜となる。

田舎には、豊かな自然とともに、よく耕された田や畑、五穀豊穣を願う神社の祭り、そこで暮らす人々が織りなす長い歴史と文化がある。小学校も地域の子どもたちの”共同の子育て“の場としての役割を果たしてきた。

そうしたコミュニティが地域の活力を生み出してきたのである。

祭りの復活が地域を復興させる

2004年10月23日の新潟県中越地震で山古志村は、壊滅的な被害を受け全村民離村を余儀なくされた。村の再興は不可能で閉村とさえ言われたが、やがて村は息を吹き返す。

私の所属するNPO日本民家再生協会では、地震直後から現地に支援隊を派遣し救援活動に取り組んだ。傾いて危険家屋として赤紙の貼られた古民家の診断と再生相談活動を行う。そんな中、倒壊した小さな観音堂を再興するため、カンパと資材を集め大工さんを派遣した。その観音堂は、集落の人々にとっては、春と秋の祭りの大切な場所だったのである。集落の家々よりいち早く再建された観音堂では、さっそく春祭りが開催され、村に帰ろうかどうかと迷っていた人々を大きく励ますことになった。

山古志村では、重要無形文化財の「牛の角突き」(闘牛)の復活も村再興の大きなエネルギーとなった。

今回の東日本大震災でも、地域に伝わる伝統的な祭りの復活が地域の人々を大きく励ましている。

農村には、地域が育んだ豊かな文化がある。田舎で暮らしてみると、誰もが実感することである。

(ふるさと情報館 佐藤 彰啓)

《田園からの風》 自然災害に強い自給率高い暮らし

この記事の投稿者: 総務

2014年4月9日

◆大雪で5日間閉じ込められる

最近は「異常気象」続きである。

今年2月中旬、関東甲信地方は記録的な大雪に見舞われた。甲府市では、明治24年からの観測史上、最高の114㎝の積雪であった。120年来、記録にない大雪である。

八ヶ岳南麓(山梨県北杜市)では150㎝を超えた。私の家は、JR中央線日野春駅から約2㎞の高台にある。朝起きてみると、降りしきる雪が宙を舞い、屋根から落ちた雪が背丈を超えるほどうず高くなっている。とても外に出られる状況にはない。

私は、それから5日間家の中に閉じ込められることになる。集落の外れに我が家があるため、「あの家は別荘で今は誰も居ないだろう」と、300メート ル先で除雪車が帰ってしまったからである。「集落の外れ」で環境がいいと思っていたことが裏目に出たのである。とてもそこまでスコップ一丁で除雪するのは 無理と悟る。

薪ストーブで家の中はポカポカ、食料のストックは十分で食べ物には困らない。となれば「雪はいずれ消えるもの」と籠城を決め込む。

そうすると不思議なもの。いつも「何かしなくては」という脅迫観念に追いたてられるような気持が何処かに消え、心がとても落ち着いてきて、ゆったりと至極の時間が過ぎていく。

ストーブの中のゆらりと燃える炎を眺めながら、「何もしない。何もしなくていい」という時間を持つことがいかに人間を回復させることか、をしばし考える。

昔、雪国では囲炉裏を囲み、ゆったりと冬を過ごした農家の暮らしに思いを寄せる。

 

豪雪地帯ほど雪に備えて準備万端

 

5年ほど前、八ヶ岳南麓に60㎝の雪が降った。「びっくらしたなー。こんな雪を見た
のは、生まれてから初めてだぁ」。近所の80歳過ぎのバアちゃんの言葉である。

100年に1回もないような大雪が数年に2回もやってくる。これはもう「数十年に一度」の異常気象と言ってはいられない。

八ヶ岳南麓の冬は、陽光に恵まれて窓辺一杯に太陽光が差し家の中は暖房が要らないほど暖かい。年間日照時間が日本で最も長いことで知られるが、これは冬季の晴天日が多いからである。

冬、太平洋沿岸を北上する低気圧が関東地方に雨や雪をもたらすが、富士山や丹沢山系があるため甲府盆地まで影響をもたらすことは少ない。東京や神奈 川が雨や雪でも、中央高速道で笹子トンネルを抜けると晴天ということもしばしばである。また日本海側ではシベリア寒気団が押し寄せ山間部に豪雪をもたらす が、北アルプスや中央アルプスなど大きな山脈に阻まれてその影響を受けることはない。

こうした内陸性の気候のため、八ヶ岳南麓は雪が降っても、せいぜい20㎝程度、ひと冬に2〜3回であった。今回は、太平洋岸の低気圧が富士山や丹沢山系を乗り越えてやってきたしわざである。

豪雪地帯では、雪に備えて体制と準備が整っている。雪が降り始めると、深夜でも除雪車に出動指令が出て、朝の出勤通学時までには生活道路が確保され る。あまり雪の降らない東京では、5㎝程度の積雪でもバス電車は大混乱する。山梨県も除雪体制が整っているとはいいがたい。除雪は建設用重機で代用してい るため、今回のような豪雪にはあまり役立たず、新潟県や長野県から除雪車を派遣して貰うほどである。

市町村が除雪する道路は、生活道路や通学道路などあらかじめ決まっている。したがって、田舎暮らしの地を積雪地帯に選ぶとすれば、その道路がどれなのかを調べておく必要がある。

薪ストーブは災害時の救世主

薪はひと冬に、薪小屋に幅2間分が必要である。我が家の薪小屋には来冬までの薪が積まれている。

薪ストーブは、3年前の東日本大震災の際、長時間の計画停電にも救世主の役割を果たした。暖房はもちろん、料理にも照明にも活躍した。

 

田舎暮らしの魅力は自給自足にあり

 

田舎暮らしの魅力は、何といっても自給自足ができることである。菜園ではあらゆる野菜が作られ、シーズンに収穫されたものは、さまざまな方法で加工され、それぞれに適した方法で貯蔵される。

我が家の食品庫には、上開きの大型冷凍庫(320リットル)があり、手づくりの生ハムやベーコンが一年分、収穫したトマト、トウモロコシ、エンドウ、ブルーベリーなど、様々な冷凍食品が蓄えられている。

都会の暮らしは、毎日のようにスーパーに買い物に出かけるが、田舎では自給自足、ストックのある暮らしが基本である。だから田舎暮らしは自然災害に強い。

数日間雪の中に閉じ込められた人も多いはずなのに、私の知る限り誰一人「田舎暮らしって大変!」とぼやく人はいなかった。

(ふるさと情報館 佐藤 彰啓)

東京◆本部/おいしいお便り〜各地からの名産品に舌鼓を【総務のつぶやき】

この記事の投稿者: 総務

2013年1月21日

Sugihebi

冬のシーズンになると、ふるさと情報館にはおいしい便りがたくさん届きます。

 

各地のりんごやみかんの食べ比べが出来たり(どの地方にも特色があって、同じ品
種でも味わいが違うのが良くわかります)、素晴らしい香りの七味をいただいたり、
自慢の干し柿やお漬物に舌鼓を打ったり。

送って下さった方の姿を思い浮かべながらいただくおやつの時間は楽しいひと時です。

 

昨年は、ふるさと暮らしを始められたお客様の元気な姿がテレビで放映されて、本
当に嬉しく思いました。夢を叶える手助けをほんの少しでも出来たらいいな、と思い
ながら今年もがんばっていきたいと思います。     (本部 杉田 玲子)