JR磐越西線は福島県郡山市の郡山駅と新潟県新潟市秋葉区の新津駅を結ぶ全長175.6kmの地方幹線。
観光都市である会津若松市や喜多方市を通っているものの、
全線にわたり並行する磐越自動車道の開通や沿線人口の過疎化などによって、
都市間輸送と呼べるほどの旅客流動は多くないのが実情。
▲かつては主要幹線として栄えたが、今では学生や高齢者が主な乗客となっている。
遡ること今から半世紀以上前、ヨンサントオ白紙ダイヤ改正前年の1967年(昭和42年)に郡山駅~喜多方駅が交流電化開業した頃は、
上野駅や仙台駅直通の特急や急行などの優等列車が多数設定されていたが、今では普通列車と快速列車が行き来するだけの路線となっている。
そんな中で去年JR東日本は会津若松駅~喜多方駅の電化設備撤去計画を発表。
当然喜多方市はこの計画に反発したものの、今年3月ダイヤ改正をもって会津若松駅~喜多方駅の電車運転を取り止め、
定期列車は全列車気動車ディーゼルカー(気動車)での運転となり、事実上の電化設備廃止となってしまった。
地方路線の電化開業は高度経済成長真っ只中の時代、まさに地方の発展ぶりを象徴する出来事であり、
列車のスピードアップと都市間輸送の活性化は、当時の人々に多くの恩恵と希望をもたらした。
日本の電化路線は主に直流電化と交流電化の2種類に分類され、後者は列車本数が大都市に比べ少ない北海道・東北・北陸・九州を中心に採用され、
電化が本格的に行われ始めたのも戦後十数年が経ってからと遅いものだった。
それ故に「汽車から電車へ」を合言葉に全国各地で電化開業が待ち望まれ、今の電化路線網が出来上がったわけである。
ところがそれと同時期に自家用車の普及によるモータリゼーションの進展と、都市部への人口集中で地方の人口減少に拍車がかかったこともあり、
鉄道利用は現在に至るまで衰退の一途を辿り、列車本数や連結両数は全国的にますます減っている。
気が付けば磐越西線の優等列車も消滅し、会津若松駅~喜多方駅を走る電車も1日2往復しか設定されなくなっていた。
このわずかな列車のために電化設備を残すのは割に合わないという結論に至ったからこそ、今回の発表と列車設定の廃止に至ったのであろう。
▲会津若松~喜多方間は現在全てディーゼルカーで運行される(写真の車両は2年前に引退し、遠く離れたミャンマーに渡った)
一度も電化されることもなく路線廃止になる例はよくあるが、電化設備を撤去の上で非電化路線に戻した例は全国でも数えるほどしかない。
その中でもJRグループにとってはここが初めての例となり、遠く離れた九州のJR長崎本線でも西九州新幹線開業による優等列車消滅で、
今年9月22日限りで佐賀県鹿島市の肥前浜駅~長崎県長崎市の長崎駅の電車運転の終了が決定している。
こちらも磐越西線と同じく交流電化で、電化開業も1976年(昭和51年)と磐越西線よりも10年ほど遅い。
長崎本線の場合は新幹線開業と引き換えという条件があるものの、磐越西線に至っては特にそういった補填措置はなく、
一度作ったものを実質無条件でただ剝がされる喜多方市の無念ぶりにも頷けるものがある。
年々道路網の整備で自家用車での移動は便利になるにつれて、鉄道は地域の足として見向きもされない存在となっているが、
何かのきっかけで鉄道という交通機関が見直され、また日の目を見る機会が来ることを願ってやまない。(本部 髙橋 瑞希)