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秋田◆秋田/秋田城でボランティアガイド~その3~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年1月19日

▲発掘された漆紙とそれを赤外線カメラを通して見たもの。

秋田城跡の発掘調査が本格的にはじめて今年で50年になるが史跡の一割弱程度です。

この間に発掘された遺構、遺物は相当な数量です。遺構は前回に記した古代水洗厠舎をはじめ、政庁の塀や正殿など約九百点、遺物は漆紙文書(うるしがみもんじょ)、木簡、人面墨書土器、胞衣壷(えなつぼ)など一万点余で、中には大変めずらしいものもあります。

漆紙文書は役所が保管期限を過ぎた文書を漆職人に払い下げ、それを漆容器の蓋に使いそれに漆がついために腐らずに残っていたもので、赤外線カメラでみると、文字が現れてくるものです。

例えば奈良時代の暦は何年かで新しい様式に変わっていますが、具注暦(ぐちゅうれき)と大衍暦(だいえんれき)の二種類の暦(漆紙文書)が同じ遺跡から発掘されたのは全国初とのこと。

胞衣壷は生まれた子供の胎盤と針・糸・筆・硬貨などを壷に入れて埋める風習があり、大学病院で調べたところ、B型の男児とのことでした。

和同開珎銀銭は全国で50枚位しか発掘していませんが、その一枚が秋田城から出土しています。

文献資料が少ない遺跡なので今後の発掘で何が出てくるか興味津々でガイド活動を楽しんでいます。(つづく)(秋田駐在 片山保)

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秋田◆秋田/秋田城でボランティアガイド~その2~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年12月23日

秋田城は外郭を東西南北550m、約23ヘクタールの周囲を巾2m高さ4mの瓦葺き築地塀(ついじべい)を巡らし、中央にも築地塀で囲った政庁を設けた豪華なものでした。

これは地元や渤海使節史に対する威厳や防備のためでもあったことでしょう。

▲復元古代水洗厠舎。

▲同上推定復元図。

秋田城跡の目玉は何といっても「古代水洗厠舎(かわや)」(上写真)です。

三年前の秋にブラタモリで紹介されたのでご覧の方も多いと思いますが、760年頃にできた日本最古の水洗トイレです。便槽から幅が50㎝位の丸太を半割りして中をくり抜いた木樋を約6度の傾斜角度で埋設し、排泄物を水で便槽から沈殿槽に流すという方式です。

沈殿槽からは豚の寄生虫卵が見つかり、当時、東北では豚の食習慣がなかったので厠舎に隣接する四天王寺跡が渤海使節の宿所と思われることから厠舎は渤海使や都人が使用していたのだろうと想像されています。

また籌木(ちゅうぎ。トイレットペーパー・・・割り箸より一回り太い棒)も出土していますが、籌木はいつ頃まで使用していたと思われますか。

実は昭和33年の青森県の新聞に南部地方の籌木製造町工場の写真を掲載しているのをHPでみかけました。

また、見学に来たフィリピンの女性は、「私の国では今も使っています」と話していました。(つづく)(秋田駐在 片山 保)

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秋田城跡
住所:〒011-0939 秋田県秋田市寺内大畑5
営業時間:24時間営業
詳細は歴史資料館公式HP(https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003616/index.html)で確認してください。

秋田◆秋田/秋田城でボランティアガイド~その1~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年11月11日

▲秋田城跡復元外郭東門と築地塀。

秋田に転居して市内のあちこちを探検していると、赤い立派な門が目についた。これはなんだ、秋田城跡復元外郭東門(写真)と書いていた。

それから何年か後に知人から「秋田城跡の学習講座があるので聴きに行かないか」と誘われて、あぁあの門があるところだなと思い、興味を持って聴講した。

講座の終わりに「秋田城跡のボランティアガイドの会」がある。興味があれば入会しないかと誘われ、臆面もなく怖いもの知らず、入会申込書にサイン。

あれから十七年、次第にのめり込み事務局も担当しながら見学者のガイドを続けている。

会員五十余名が三名一組で毎日交代出勤するので月に三日前後の当番なので負担は少なく、年相応の良い運動になっている。

秋田城と云ってもメジャーではなくほとんど知られていないので概要を若干述べさせていただきます。

奈良時代編纂『続日本紀』の天平五(七三三)年の出来事として、「出羽柵(いではのき)を秋田村高清水岡に遷置く」とある。

時の朝廷が本州全域を支配下にするために太平洋側には多賀城を、日本海側は秋田城(七六〇年頃に出羽柵を改称)が最北の城柵として設置された。

秋田城の役割にはもう一つ、渤海国との交易で使節団は船が小さいために樺太、北海道の沿岸伝いに来航するのでその受け入れ窓口としての役割がありました。(つづく)(秋田駐在 片山保)

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秋田城跡
住所:〒011-0939 秋田県秋田市寺内大畑5
営業時間:24時間営業
※城跡近くに、秋田市立秋田城跡歴史資料館あり。
詳細は歴史資料館公式HP(https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003616/index.html)で確認してください。

長野◆青木村/生まれ変わったマイホーム【東信州あおき・小県からの手紙】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・上田青木店 / 山本 幸哲

2022年11月2日

▲リフォームのイメージ図

前職のJA時代にお世話になった方の、家の売却のお手伝いをすることになった。

10年間放置された畑は、藁に覆われ、家の中にまで進入していた。白アリの駆除、被害箇所の修繕等家主に変わって対応したが、次から次へと問題が発生した。

経費がだいぶ掛かってしまったので、最後はDIYに突入。勝手の壁紙(クロス)は売主様に磨いてもらい、外壁の一部は私と妻、息子で塗装し直した。

柱、天井、廊下も磨き上げ、見違えるように。庭先の畑を耕して里芋・長ねぎ・ジャガイモを植えた。

物件見学を開始してまもなく購入希望者が決まり、お礼にジャガイモ掘りをご夫婦とお二人の子供さんと一緒にして、お土産にお持ち帰りいただいた。

「子供達に良い思い出が出来ました」と奥様。物件に愛情を込めて対応すれば、すばらしい物になると確信した物件だった。(上田青木店 山本 幸哲)

秋田◆秋田/我が家のカモシカ~その3~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年10月16日

▲蓮の花が満開の千秋公園(元佐竹藩の久保田城)。

定年を前にして田舎暮らしにあこがれて当時住んでいた大阪の周辺をあちこちと探している内に東京へ単身赴任。

ならばと、千葉、茨城、埼玉と休日毎に探し、山梨のふるさと情報館の体験住宅も見学してきた。

そうこうするうちに妻の郷里で両親の傍に住むのも親孝行ではなかろうかという思いに至って秋田を終の棲家とした。

街はずれの小さな団地ではあるが、散歩道にはミズバショウ、カタクリなどの珍しい花やハクチョウ、ヒシクイ、などの春先の北帰行には西日本育ちの私には圧倒される風景である。

思わず小中学生のころの国語の教科書の一文、帯になったりたすきになったりと学んだものの実感がなかったが、目の前に繰り広げられるハクチョウ、ヒシクイなどが明け方から昼頃まで南の空から長がぁい帯が次から次へと湧き出るように迫って来て上空を通り過ぎてゆく様は圧巻以外の何ものでもありません。

秋田の良さや楽しさを少しでも皆さんにお届けして移住の候補の中にいれて検討していただければと期待しています。

▲来年もカモシカお会いしたいですね。

来年もカモシカがホームスティに来ないかなぁ、と今から楽しみにしています。(秋田駐在 片山保)

※我が家のカモシカ~その1~はこちらから
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秋田◆秋田/我が家のカモシカ~その2~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年9月13日

▲カモシカのトレーニング。

びっくりした冬の一日でしたが、翌々日、またまたびっくり。
早朝カーテンを開けるとテラスのカモシカとご対面。その間は約1m、またやってきたのでした。

アオキ、ヘデラ、ツルマサキ、マサキなどの青物を少しずつ食べてはゴロリを繰り返して夕方まで過ごしていた。

翌朝、新聞を取りにでて振り返ると、軒下に寝転んでいたカモシカと鉢合わせ、ニコット笑いかけて家に入ったが、一日中食っちゃ寝、食っちゃ寝と優雅な気ままな一日を過ごしていた。

もう来ないだろうと思っていたが三月までの一か月間に九回も来宅し、何日かは我が家にホームステイしたようだ。

最終日にはカモシカに気付いた小学生たちがタブレットによる撮影会を楽しんでいた。

秋田に住んで二十余年、カモシカには幾度となく出会っているが、一緒に生活をしたのは初めてである。

車の運転中に前に飛び出してきて来たのにはびっくりしたり、犬と散歩中に吠えるので見たらカモシカがいたり、今後記す史跡秋田城跡では子連れのカモシカが調教しているところに出会ったりと県都とはいいながら大いなる田舎で、憧れていた田舎暮らしとはほど遠いものの、まずは満足した生活をしている。(秋田駐在 片山保)

▲秋田城址で観光ボランティアもやっています。

「我が家のカモシカ~その3~」へ続く

※「我が家のカモシカ~その1~」はこちらから

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栃木◆那須/コロナ終息を枝豆にこめて・・・【地域店・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店 / 高久 重廣

2022年9月4日

▲枝豆の収穫。

コロナ禍のご時世で、皆さんが楽しみにしているイベントを控えて早三年が経ちました。

今まで何かにつけて仲間が集まり、情報交換やお互いの近況報告などを、ワイワイガヤガヤと楽しいひと時を過ごしたものでした。

仲間達が集まる機会が無くなり、張り合いのない日々でしたが、「これだけは続けたい」と言う仲間からの希望で今年もやることになりました。

6月25日苗床(なえどこ)を作りタネをまき、7月9日15名参加で畑に定植したのですが、お天気が続き畑の土がパサパサです。

三日後待ちに待った恵みの雨が降り何とか生きのびた感じでしたが、枯れてしまった苗もありました。

その二日後大雨が降り、水没の心配です。

両極端の天気に一喜一憂の日々を過ごしているうちに、枝豆は成長し雑草も負けじと生えてきました。

先日仲間二人が管理機を持ってきて、中耕してくれたので除草はもちろん土寄せも楽になりました。

9月下旬には甘くておいしい枝豆が収穫でき、仲間の皆さんは毎年お待ちかねの、友人知人に送ったり、保存したりと大忙しです。

その頃には、お隣のそば畑の花見を兼ねての弁当を食べながら「枝豆の収穫祭」を想う今日この頃です。(那須店 高久 重廣)

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秋田◆秋田/我が家のカモシカ 〜 その1 〜【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年8月23日

▲突然目が合い驚きの我が家の敷地内にて。アオキを食べ終わりこの後に休みはじめた。

旧聞になりますが、雪が降りしきる二月十二日の朝、カーテンを開けるとそこに見慣れぬ大きな動物の背中が・・・。よくみると10㎝くらいの可愛い角をはやしたカモシカ。

ムシャムシャとアオキの葉をユックリと食べている。やがて腹を満たしたのか、弱っているのかヨタヨタと歩んで軒下にごろりと横たわった。

時には顔を上げて様子を見ているようであるが、三時間あまり休んでいる。
これは弱っているのだ、ここで息絶えてもらっては困る。

どうしようと、あれこれ考えて市役所に相談しようと思ったが生憎、日曜日。
それではと、動物園に電話をしたが当園ではそういう対応はしていないが、「市の担当者に連絡してみましょう」と親切に対応してくれた。

午後、市の鳥獣担当者が来宅、曰く、生きている動物には市は何も手出しはしないとのことで、ゆっくりと刺激をしないように追うとカモシカはフラフラと弱っているような足取りで去っていった。

カモシカはこのような弱々しい素振りをするので心配なく、親離れをしたばかりの若いオスとのことで可愛らしい角が印象的でした。(その2へつづく) (秋田駐在 片山 保)

▲「東海林太郎音楽館・大鵬ギャラリー」の管理人もしています。どうぞお立ち寄りください。

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東海林太郎音楽館
http://www.donpu.net/tarotya.htm

電話番号:018-823-5145(東海林林太郎音楽館)
住 所:秋田県秋田市大町2丁目1-11榮太楼大町
休業日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
※年末年始(12/29~1/3)、冬期間(1月~2月)
営業時間:AM10:00~PM4:00
入館料:無料

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昭和の大横綱・大鵬が愛した秋田の地。旅館・榮太楼は大鵬部屋が夏合宿の際に約20年間、力士の宿泊所として利用され、2006年に閉館。1階にコミュニティスペース、2階は社長の姉・芳子が大鵬の妻であることから「大鵬ギャラリー」を設置し「秋田三大女傑」の一人といわれた社長の祖母・キセが幼馴染であったことから「東海林太郎音楽館」も併設されている。