売主様から連絡がありました
6月号に掲載の12361H富士見高原のアトリエ付き住宅が大幅価格変更です
人気の八ヶ岳カントリーキッチンさんからも近い、精錬なカラマツ・アカマツ林の中の建物
熱帯夜知らずの富士見高原でお探しの方、是非ご見学下さい
※物件は終了しました。
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通年楽しめる富士見高原リゾート
http://fujimikogen-resort.jp/
売主様から連絡がありました
6月号に掲載の12361H富士見高原のアトリエ付き住宅が大幅価格変更です
人気の八ヶ岳カントリーキッチンさんからも近い、精錬なカラマツ・アカマツ林の中の建物
熱帯夜知らずの富士見高原でお探しの方、是非ご見学下さい
※物件は終了しました。
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通年楽しめる富士見高原リゾート
http://fujimikogen-resort.jp/
『月刊ふるさとネットワーク』5月号の安曇野特集、思いがけぬ反響を頂きました
北安曇郡池田町の町議会で、弊社の『月刊ふるさとネットワーク』が空き家対策のひとつとして紹介された模様です
41:48くらいからです
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都市への人口流出と農村回帰の機運が高まる中、過疎化・空き家対策という大きなテーマを前に、官民がどのように共同してこの大きな問題に取り組んでいけるのか。
池田町は鉄道が無いものの、安曇総合病院をはじめ、暮らしやすい適度な町の広さと立地、都市生活者の方の目を惹く美しい水田とアルプスの眺めがあります。
今後も信州安曇野・池田町に注目ですね。
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長野県池田町議会(池田町ホームページ内)
http://www.ikedamachi.net/gikai/chukei.html
長野県池田町
http://www.ikedamachi.net/
15日、東京・有楽町の交通会館12階にて、認定NPO法人ふるさと回帰支援センター主催による3県の合同セミナーが開催されました。
当日は山梨15ブース、長野8ブース、静岡11ブースが集まり、午前中から熱心な参加者がご来場され場内は非常に活気があふれていました。
ふるさと情報館は山梨県内に設けられたブースでしたが、お一人おひとりのご相談時間がとても長く、あらためて「田舎暮らし人気」を感じた次第です。
出展者ブースの中で特徴的だったのは、山梨は山村留学を積極的に推進している丹波山村・小菅村・早川町、長野は新規就農相談センターと山村移住を目指している筑北村、静岡は大井川上流の川根本町、伊豆半島の松崎・西伊豆・南伊豆の各町。
こうしたセミナーが皆様の田舎暮らしの一助になることを願っております。
(八ヶ岳事務所 中村健二)
桜の満開一ヶ月楽しめる八ヶ岳南麓
八ヶ岳清里高原は現在では全国的にも知られた観光地。八ヶ岳南麓は標高500mから1500mまであり、春の桜の開花期は下から上まで一ヶ月間も楽しめる。その最上部が清里である。近年の温暖化の影響で現在はさほどでもないが、かつて冬は厳寒の地だった。
JR小海線清里駅から上は、清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュが高原実験農場として開いたキープ協会の諸施設。駅から下は、昭和13年から始まった開拓地である。
地域の歴史と暮らしを学ぶ
都会から八ヶ岳に移り住む人々の会「八ヶ岳ふるさと倶楽部」は、地域の歴史と暮らしを学ぶ連続講座を「萌木の村」の「オルゴール館」で開いた。
「萌木の村」は国道141号線沿いにあり、広い敷地にホテル、レストラン、店舗、オルゴール館などを持つ複合施設。今回の講座は、そこを主宰する舩木上次さん(64)が講師である。
舩木さんは集まった80名の人々を前に、開拓時代の苦しかったことを振り返りながら、「開拓者は様々な境遇に直面し、多くの仲間はこの地を去りましたが、私たちは、この地が好きでここに残り、この地に生き抜こうと今日までやってきました」と語り、新たに新住民となった人々に「一緒に地域づくりを」と呼びかけた。
厳しい清里開拓の歴史
昭和13年、小河内ダムで水没する丹波山村などから28世帯が開拓に入る。その地は、水源の乏しい、火山灰の酸性度が強い荒地。入植に当たり県から手渡されたのは鍬一丁のみ。赤松や雑木が茂る原野を徒手で伐採抜根。岩や熊笹を除去するのは大変な労苦。畑にするのに10年を要した。最初は野菜や雑穀を播いても、ソバ以外はほとんど採れなかった。
笹小屋と呼ばれた粗末な家。丸太を組み、屋根に杉皮を張り、むしろを入口に垂らす。冬は厳しかった。囲炉裏で松の根を燃やすと、松脂の煙で顔は真っ黒、目は赤く腫れ、体は臭く臭った。最大の苦しみは水汲みだった。遠くの泉から天秤で熊笹の山道を日に数回も運ぶのである。
東京の水問題を解決するために故郷を失った人々が水に苦しみ、水問題を解決したのは大門ダムが完成した昭和63年、なんと50年の歳月を要したのである。
貧しいながらも、互いに助け合い励まし合う関係は、やがて逞しい共同体意識に成長し、住宅、分教場、簡易水道、公民館などの建設へと発展していった。
昭和25年酪農が導入され、牛乳は甲府市に出荷、バター、チーズも製造するようになった。開拓農家のほとんどが酪農家となり、耕作地は雑穀農地から牧草地となった。そして緑の牧草地に赤い屋根の畜舎、とんがり帽子のサイロが建てられ、ここに新しい清里の原風景がつくられた。日本の高原農村のモデル地域といわれた。
突如起こった「清里ブーム」
昭和40年代に入ると牧場民宿が始まった。そして昭和46年になるとレジャーブームで、アンアン・ノンノン族の若い女性が都会から押し寄せるようになる。
突如起こった「清里ブーム」は、清里駅前を東京原宿通りのように一変させた。地価は高騰し、それまで酪農を基盤に民宿を経営していた農家も、酪農を辞め民宿だけになるものも多かった。
50年代にはいると、洋風のペンションブームに移行して民宿は客が途絶え、土地も売却して去っていく農家が増えた。
平成に入り、文化的レジャー施設が増えるに従い、来訪者は若い女性から家族層に変わり、最近は都会から移り住む人々も多くなってきている。
“選択的土着民”が互いに力を併せて
このように清里は、都会に翻弄された時代を経て今日に至っている。
舩木さんは、「田舎には、都会にない宝物があります。地元の人はそれに気付かないで、そこで生まれたから仕方がないとか、都会の華やかさだけを追い求める人もいます。私は、その地が好きで、その地の宝物を大切にする生き方を選ぶ人を”選択的土着民“と呼び、そうでない人を”宿命的土着民“と呼んでいます」。
「皆さんは、都会からこの地が好きで、ここを選択されました。皆さんも 同じく”選択的土着民“です。双方が互いに力を併せて、これからの新しい地域を創っていきたいと思っています」。
その土地の歴史、先人の想いを知ると、より一層その土地に対する愛着が生まれる。田舎暮らしで新しい土地で暮らすなら、まずその土地の歴史を知ろう。
この号は次月号に続く。
(ふるさと情報館 佐藤 彰啓)
富士見高原の有名店、『月刊ふるさとネットワーク』の常備店でもある八ヶ岳・カントリーキッチンの小池さんよりお知らせを頂きました。
以前から定期的にLIVEを開催しているのは聞いていましたが、今年から第3土曜日はサンサタLIVEと称し、特に6月と12月はチケット制で広く告知をされているようです。
地元の二胡演奏者である劉津閣さんと、東京からアコースティックギターの有望な若い演奏者・松井祐貴さんをお迎えして、富士見高原の自然の中で、音楽と食事を楽しむ贅沢な夜を過ごせそうです。
詳細は八ヶ岳・カントリーキッチン TEL0266-66-3339 まで
八ヶ岳・カントリーキッチン
http://country-kitchen.info
手作りパンの焼きあがり時間をチェックしてでも食べたいパンがここにはありますよ!
是非一度ご賞味あれ(西麓担当)
連日暑い日が続きますね。
さて、仕事の調査で高崎市役所に立ち寄りました。
ここはもともと高崎城があった場所で、駅から一直線、ちょっと離れていますが歩ける距離です。現在は櫓の一部や石垣、お堀しか残っていませんが、平成10年に建てられたという現在の市役所、そういえば訪れたのは初めてかもしれません。
ちょうどお昼に差し掛かったので地上21階のレストランに行ってみました。結婚式の2次会で使うようなおしゃれなお店。意外と格安で素朴な市役所系のレストラン巡りが楽しいものなのですが、なるほど、庁舎から近隣にお昼を買いにいく姿が多かったのも納得。当方もここでの昼食は断念しました。
しかしながら、眺めは最高です。東京都庁以来ですかね。
2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』は吉田松陰の妹、文(ふみ)さんのお話だとか。
再婚相手である楫取(かとり)素彦は群馬県令在任中に群馬県庁移転問題で前橋を正式な県庁所在地と決定し、高崎から反発を受けた因縁の中。
そういえば先月訪れた前橋市役所では「群馬県と前橋市の【恩人】である楫取素彦の妻」と横断幕が張ってありましたね。
最近はゆるキャラ・ぐんまちゃんの快進撃にはじまり、郷土料理・ひもかわうどんやおっきりこみ、その他色々なジャンルで群馬県を聞くようになりました。
次月号7月号では東毛・桐生黒保根町の住宅と古民家物件を掲載予定。
ご期待ください。