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東京◆四谷/オフィス街に新しい憩いの場【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 編集

2021年8月28日

「番町皿屋敷」のお岩さんや「君の名は」の聖地として有名な四谷が再開発の対象になり昨年の2月上旬に「コモレ四谷」という商業ビルが駅前にオープンした。隣の赤坂に「迎賓館赤阪離宮」があるため以前は高層の建物を四谷に建てることができなかったが再開発によって容積率が緩和されたことにより「コモレ」が四谷で一番高い建物となった。

上の階にはオフィスとマンション、下の階には飲食店やスーパー、ドラッグストア、携帯ショップ、銀行、病院等が入っている。そのビルの入り口が「コモレビの広場」といって樹木やお花、植物などが植えられて、オフィス街の中に自然と触れ合える広場ができた。そこはお昼時やちょっとした休憩にはちょうど良い場所なので人が常に集まっている。弊社からコモレ四谷までは歩いて7~8分。お昼を食べた後の散歩コースとしてベストな場所だ。

オフィス街の四谷に憩いの場所ができました。(本部 井上 美穂)

山梨◆甲州市/扇状地に住まう人々(中萩原~下小田原)【行くぞ!甲斐路・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年8月25日

▲緑濃い梅雨時の慈雲寺。

中央本線塩山駅の北東方向にある「甲州市塩山萩原地区」は、かつて養蚕農家が軒を連ねていた。水田ではなく畑の赤土土壌で、水はけが良い代わりに「痩せた土地」であり、桑畑が広がる農村だった。今では国道と県道の続くこのあたりはその土壌と寒暖差を活かしたモモやスモモ、ブドウの一大産地として人気が高まり、「大菩薩の湯」から秩父路を目指す人々が往来するほか、名刹やワイン醸造所など甲府盆地の東エリア(峡東地区)における拠点となっている。

また、このあたりは別名「一葉(いちよう)の里」とも呼ばれ、春から秋にかけては格好の散策コースとなっている。「一葉」とは明治期の夭折の女流作家で五千円札の肖像でも知られる「樋口一葉」のこと。ご両親のご生家がこの近在の「中萩原」であったためだと言われる。イトザクラの名所・慈雲寺には一葉を偲び幸田露伴の碑文や文学碑も建っている。周辺の民家はこの地区特有の養蚕に適した屋根の中央が出っ張っている甲州民家が数多い。

▲桃畑より見る甲府盆地。

さて、大菩薩などの奥秩父連山を源とする重川(おもがわ)が作り出した地形は、この先南西方向に向かい甲府盆地につながる。いわゆる東郡(ひがしごおり)の扇状地が甲府盆地に広がっていくのだ。そして道路は甲府盆地までずっとずっとくだっていく。そのため、このあたりの民家は南向きであるにもかかわらず、屋敷は道路より西側が一段高くなっていて、きれいに石垣が積まれた家々がまるで西側を正面にしているようで面白いと思った。

▲大菩薩の湯の横を流れる重川。

初めてこの「萩原地区」に来たときのこと。今から20 年ほど前の話である。特に冬の時期夕日が沈む方向に真っ白な南アルプスの北岳(標高3193m)、間ノ岳(同3190m)、農鳥岳(同3026m)の白根三山が雄々しく光り輝いていたことが強く印象に残っているのだ。ある年の春、甲州市で鎌倉時代から続く工務所の社長からこんな電話があった。

「突き上げ屋根の甲州民家が多く残った場所があるんですが、一度見てみませんか」と。

時はまさに「民家再生」が全国的なブームとなっていたころ。ギャラリーや酒蔵や旅館などに古材が利用され移築再生された民家などが一般誌なども賑わわせていた。それはリーマンショックあたりまで続く。今その流れは、環境配慮型の化石燃料を抑えた持続可能なこの時代の生活様式に引き継がれていこうともしている。

さて、われわれは国道411号線(青梅街道)を北上し、下小田原地区の脇道をさらに山側へと向かっていった。東西の山裾にはモモ畑が広がり由緒ありそうな寺院や神社が続く。と、その先はぐっと開けた場所である。見上げると、段々畑の上にはみごとな突き上げ屋根の民家が、かみしもを身にまとい、居住まいを正すように整然と建ち並んでいるではないか。その数は10軒以上もあるようだ。

金剛山より真南に伸びる舌状台地に形成された「上条集落」。一説には戦国時代の黒川金山衆(くろかわきんざんしゅう)が居を構えたのが始まりだという。武田が滅んだ後も、この集落の人たちは脈々と生きながらえてきたのだと思うと、少なからず気持ちが震えたのだった。

▲上条集落入口から見たもの。

その後この社長が中心となって設立された「NPO 法人山梨家並保存会」の努力により、この地区は「重要伝統的建築物群保存地区」に指定され、見学コースも徐々に整備されてきた。地区の中心にある「中村家」(いまは「もしもしの家」)で、わたしも福生里(ふくおり)の広瀬さんたちに招待され何ごとかを話し、丁重にお昼をおもてなしされたことがある。心暖まるひとときだった。今でも地元の子供達などにも開放されているという。

▲「もしもしの家」スタッフの内田さん。

甲州市は隣接の山梨市と同様に移住定住に積極的で「甲斐適生活応援隊」メンバーでもある。当社においても甲州市は人気エリアのひとつだ。
(八ヶ岳事務所 中村健二)

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甲州市役所のお問合せ
甲州市塩山上於曽1085-1
Tel 0553-32-2111

▲甲州市役所。

東京◆本部/草刈りで健康的に【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2021年8月22日

四十代最後となる本年度、お医者さんから一つの課題を宣告されました。放っておくと捉え方によっては重大な事案になるようなこと。いつも本情報誌をご購読されていらっしゃる諸先輩方には皆迄ご説明しなくともおおよそ察しがつかれるでしょう。

「まずは体重を減らしましょう」と。

見た目はそれほど肥満体型ではないと自覚していますが、体の内部は誤魔化せませんね。お医者さん、栄養指導の先生曰く、「簡単ですよ、食べ過ぎないことと適度な運動です」の一言。専門的に言うと「私の一日の基礎代謝量1800(kcal)以上食べないで、少し体を動かしなさい」という内容。三食お腹いっぱいには食べられませんが、そこは徐々に慣れてくるものです。

あとは適度な運動。田舎暮らしを始めると元気になった、というお話をよく聞きます。それは都会にいた時よりも体を動かすことが多くなった、それが健康に良いのでしょう。

体を動かす=外仕事≒庭仕事≒草刈り、という自己解釈。試しにお客さんの住宅敷地約1000坪を刈払機で草刈りを実施、要した時間は2時間。その後、体重計に乗ってみると一の位の数字が「1」小さくなっているではありませんか。

敷地も自分もきれいに、これは良い!田舎暮らしは草との闘いですが、その先には健康というご褒美も付いてきます!今更ながら田舎暮らしの良さを身を持って実感しました。(本部 金澤 和宏)

▲腰を捻るのがいい刺激になります。

岩手◆遠野/荒川高原 ~ 馬の産地・遠野 ~ 【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2021年8月19日

▲毎年100頭ほどの馬が放牧される。

「民話の里」や「日本の原風景」として知られる「岩手県遠野市」には、全国有数の馬の産地としての一面もあります。遠野の人と馬との関りは深く、古くから農耕馬などとして生活を共にし、民家と馬屋がつながった南部曲がり家の名残の残る民家も多く見られます。

また、遠野市には1998年に日本初の乗用場生産施設として設立された「遠野馬の里」があり、農耕馬の需要が減った現代でも、乗用馬の生産にとどまらず、競走馬の調教や乗馬教室の開催など、積極的に馬との触れ合いが行われています。

春から秋にかけ多くの馬は放牧に出され、自然の中ですくすくと育ちます。その放牧地として代表的なのが遠野市北東部に位置する「荒川高原」です。この牧場は遠野三山最高峰の早池峰山の裾野、標高1000m近くの高原に広大に広がり、道中からの景色も非常に良いため、ドライブやツーリングのコースとしても人気のスポットです。

▲ドライブコースとしても人気。

ようやくコロナ禍の出口が見えつつある今、連休を利用し美しい自然の中に涼みに、癒されに訪れてみてはいかがでしょう。牧場には牛も放牧されている他、野生動物も多く出没するので、互いに安全に、是非ゆっくりのんびり過ごしていってください。
(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

岩手県の物件一覧はこちら

東京◆本部/地方創生化から関係人口へ【北の国から・制作スタッフ進行日誌】

この記事の投稿者: 編集

2021年8月16日

「地方創生化」とは「東京一極集中」の是正を促し、地方に人口を分散させようと、地方の人口減少に歯止めをかけるための政策ですが、移住に興味を持っている人でもいきなりの移住はハードルが高いので、段階的に移住を考えてもらいたい。と「関係人口」という言葉が新たに生まれました。

「関係人口」とはご当地の商品を購入したり、ふるさと納税で寄付をしたり、旅行に行ったり、プロモーションビデオを見たり一言でいえばその地域の「ファン」のことを指します。この関係人口と定義される人達がゆくゆくは移住に繋がればと政府は長い期間で考えているのです。

「関係人口」の1つの事例でクラウドファンティング型のふるさと納税があります。体験型の返礼品を通して寄付した自治体に実際に足を運び、その土地ならではのものを体感できるため、その自治体を好きになる人が多いのです。(返礼品は商品もあります)

このようにクラウドファンティングやふるさと納税が自治体の名前を知る1つのきっかけとなるので、知名度が低い自治体にとっては名前を知ってもらい現地に来てもらえる。まさに一石二鳥なのです。

10年後、20年後に関係人口と定義されている人々がどのくらい移住に繋がるのかはわかりませんが、移住へのハードルが緩和されれば今よりももっと移住者が増えるのかもしれません。(本部 井上 美穂)

本誌2015年12月号のラーバニスト訪問でも登場頂いた渡部見さん・ゆかりさん夫妻からDMを頂きました。長野県立科町の女神湖湖畔で「B & B sora」を開業、その後、ジビエ料理の加工場・居酒屋、そして「バンガロー・キャンプサイト焚き火hat」などを事業展開中の方です。

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このたび私たちの白樺林保全の活動が立科町で初の地域課題解決事業の対象事業として認定されたことを受けて、白樺林保全に関する寄付を募るガバメントクラウドファンディング(※)を始めることとなりました。

https://www.furusato-tax.jp/gcf/1246

※ふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」を企画・運営する㈱トラストバンクが提供する、クラウドファンディング型でふるさと納税を募る仕組み「ガバメントクラウドファンディング®」期間は6/16より開始、9/13終了予定 目標額は125万円。ご覧いただければ幸いです。

信州白樺クラフト製作所(町の任意団体・代表渡部ゆかり 白樺の保護を図りながら間伐材による特産品作りに取り組み、昨年3月に8人で発足。現在約70人が会員登録中)

岩手◆奥州市(江刺)/中尊寺と賢治のあいだ ~ 江刺探訪 ~【行くぞ北東北!所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年8月13日

▲種山高原の賢治像(住田町)。

「みちのく岩手事務所」の設立時から、いやその前からかもしれないが、農地法や国土利用計画法など、なにかとお世話になってきた市がある。岩手県南西部の「奥州市」だ。

この名前、岩手県内における絵に描いたようなネーミングだが、東京の「西東京市」、山梨県の「中央市」、秋田県の「北秋田市」などと同様、わたし的にはその名前から特徴がつかみづらい市のひとつだとも言えるのだが、どうだろう。

さらに「奥州市」の周りを見渡せば、南には中尊寺の「平泉町」、北には宮沢賢治の「花巻市」、東には遠野物語の「遠野市」といった県内外での知名度が圧倒的に高いビッグネームのエリアに挟まれているのだ。

いっぽうで、平安時代の英傑・アテルイや胆沢(いさわ)そして幕末から戦前の近代日本のすぐれた立役者も輩出していて、市内には城址や趣きのある町並みが残っている。また、水稲や大豆、ピーマンの収穫量が県内トップだという。

かといってそこを目指していくようなスポットとも言いがたい。要は控えめに言っても地味目な市というのが一般的な評価なのかも知れない。

▲アテルイの名を冠した地元の銀行。

しかしながら・・・。

「奥州市」は平成18年(2006)「水沢市」、「江刺市」、「前沢町(まえさわまち)」、「胆沢町」、「衣川村」が合併してできた市で、約1000平方キロメートルの市域に11万人強が住む県南の中核都市だ。製造業の事業者数も288あり、これも県内トップ。旧市町村のいずれも謂われや歴史が古い。

さて、これまでに弊社が取り上げた物件は、胆沢川の作り出した扇状地が広がり人口の集中した生活利便性の高い「水沢地区」は案外少ない。逆に北上川右岸の河岸段丘が広がる「江刺地区」が圧倒的に多い。それはなぜか。以下わたしなりの見解だ。

高台の市街地を見下ろす中央運動公園や高校など坂道のある岩谷堂(いわやどう)地区は個人的に静岡の久能山あたりの景色を想起するし、なんとも岩盤がしっかりしているイメージが強い。市のハザードマップを見てみると急傾斜地指定は思いのほか少ないし、なんとも地形がユニークだ。

高台からはくりこま高原も遠望でき、南西側傾斜地のため、日当たりや降雪時の心配も意外と少なそうだ。さらにその西側にある「江刺稲瀬地区」のうち、山付きの場所は神社や民家が点在し稲作を中心とした農地が広がる可住地面積県内一の真骨頂ともいえる場所である。

視線が遠くまで伸びる場所で、商業地にも近い。ただし浸水想定域にも隣接しているため場所選びには慎重を期したい。

▲民家の配電盤(江刺稲瀬地区)。

いっぽう江刺の東部に目をやれば、そこは市内でももっともディープな場所として根強い支持者もいらっしゃる人首(ひとかべ)地区がある。人首川に向かって舌状に伸びる北傾斜地と河岸段丘の上にあり、古くからの宿場として一時代を築いた場所だ。対岸には人首小学校があり、元気に通学する児童たちの声がけも日課だ。

さらにその東側の「米里地区」のその先には山あいに開けた種山(たねやま)高原がある。「星座の森」としてかつては宮沢賢治もしばしば訪れた名所で、『風の又三郎』など彼の作品にも多く登場する場所だ。

▲「宇宙遊学館」内のスパコン(白い建物)。

ここで、先月号で物件のご紹介もさせていただいた「江刺梁川(やながわ)地区」。伸びやかな丘陵地で南東側に田んぼが大きく広がり、空も大きい。のどかで牧歌的そしてどこか懐かしい。夜は真っ暗で星空も美しい。

その後、水沢の市役所に戻って移住担当の大越くんと話しをしたところ、「そうですかねぇ」と不思議そうにわたしを見ていたが、その後大きく頷いた。「ここは魅力的な町ですよね」。地味目で控えめだが底力がある。それがここ奥州市なのだ。「ロンバケ」と大リーガーを生んだところでもあるし、ね!(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

▲江刺梁川の点在する民家。

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奥州市の移住相談は、「一丁目1番地」奥州市総合企画部都市プロモーション課
〒023-8501 岩手県奥州市水沢大手町1-1
Tel 0197-34-2116(ダイヤルイン)
Fax 0197-22-2533

東京◆本部/しぶとい雑草との奮闘【地域深堀り・のぞむ歴史紀行】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2021年8月10日

暖かくなる春から急速に元気になる草花たち。花が咲き、新緑が広がるのは、何とも言えない嬉しい気分にさせてくれます。時期を同じくして、ひっそりと成長と増殖を始める雑草たち。5月の連休にはすっかりと大きくなり、慌てて刈払いをしても、しっかりと根をはりめぐらせ、1ヶ月もすれば元通りになってしまします。

風にのって、鳥のフンに交じって、人や動物にくっついて・・・あの手この手で運ばれてきた種が発芽したり、地中に潜む根や茎が、その時を虎視眈々と待っています。

菜園の予定が無ければ、除草剤を撒いたり、砂利を敷いたりと手軽な対策がとれますが、田舎暮らしの醍醐味の一つ『家庭菜園』を楽しみたい方は、除草剤は避けたいところ。力任せに抜けば、根が残り元の木阿弥。しっかりと根まで抜きたいですよね。

ホームセンターには除草グッズも多くあり、どんどん新しいアイテムが出ています。人力で大変!と思われる方は、ヤギなどの動物の力を借りるのも良いでしょう。最近では、ロボット芝刈機も販売されており、表面はヤギやロボットの手を借りて、根っこだけ人力で抜ければ、「草刈で一日が終わってしまった!」なんて事も少なくなるかもしれません。(本部 長内 望)

長野◆蓼科/戦時中でも中止されなかった「御柱祭」【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2021年8月7日

昨年から始まったコロナ感染症の拡大に各地の行事やお祭りの縮小や中止が相次いでいます。長野県諏訪地方でも毎年お盆の「諏訪湖湖上花火大会」が昨年は中止、しかし今年は連日連夜、約10分間、約500発を打上げるとの発表がされました。

そして待ち遠しいのが、令和4年の7年ごとの天下の奇祭「御柱祭」。開催を心配していましたが、4月「山出し」、5月「里曳き」に向け、各地区の役員等での柱の見立てなど着々と準備が進められ、八ヶ岳山麓のモミの大木(上社8本)御用材が決まりました。

▲上社の「木落とし」。

八ヶ岳山麓3市町村と諏訪市の半分が諏訪大社上社の担当する柱で、私が東京から移住して今回で9回目を迎え、今回も上社の「曳き子」として参加しようと思っています。

下社の「木落とし」は、最大斜度35度、距離100メートルを御柱の大木に氏子が乗って豪快に滑り落ちる様子がテレビ等で放映されて全国的にもよく知られていますが、上社も「木落とし」や「川越し」など、勇壮そのものです。

平安時代から約1200年の歴史を持ち、織田信長の諏訪大社焼き討ちの時も、戦時中でも中止されなかった「御柱祭」。このお祭りは「人を見るなら諏訪の御柱」と言われるほど三密、飲酒の世界です。コロナ禍でどのような祭りになるのか、興味深々です。(信州蓼科エリア案内人  星野 登美夫)

▲上社の「川越し」。

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諏訪湖の花火
https://suwako-hanabi.com/kojyou/
式年造営御柱大祭・諏訪大社【公式ページ】
http://suwataisha.or.jp/onbashira.html

御柱の本・ガイドブック