▲ 蝦夷百合のスケッチ 左は女草、右は男草。
朝ドラで牧野富太郎がにぎわっているが、真澄の『男鹿の涼風』(1810年)に「蝦夷百合」のスケッチがある。
真澄が北浦(男鹿市)の辺りを歩いていると、馬草を刈った中に蝦夷百合が交じり、その花に朝露が置いていた。
アイヌは蝦夷百合を「ぬべ」といって食料にしていたが、男鹿の人は「えぞろ」といって、米に混ぜて飯にしたり、餅にしたり、煮たりして食べている。味がいいのだろう。
草には雌と雄があり、多くは女草の根を採り、男草は四月末から五月初めに採って食べる。男草は紫黒色の小花を開くが、女草は花を付けない。
真澄研究者の調査では、地元の「えぞろ」を食用とした人に聞くと、「おとこえぞろ」には「す」があって食べられないが「おんなえぞろ」は根に養分があってうまい。
今年「おんなえぞろ」と呼ばれても来年は花を付けるので「おとこえぞろ」になるという区別を指す。
葉が萌え出てから田植え頃までに堀り、根元のしゅろ皮を剥いて白いところを食べる。
従来、これら植物は根茎に毒を持つといわれているが、男鹿・八森地方では近来まで「えぞろめし」を食べていたという。(つづく)(秋田駐在 片山保)