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秋田◆秋田/秋田の赤い靴【地域駐在スタッフ・秋田からの風】 

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年10月18日

▲「秋田の赤い靴」像

♫ 赤い靴 はいていた 女の子

秋田にも明治時代に赤い靴の話があります。

昨年、市内図書館に写真の像があるのを見かけたのと同じころ『みちのく秋田の赤い靴の女の子』というタイトルの映画試写会(壇蜜出演)をしたということを知りました。

八郎潟の北のある村に住むふじは姑に虐待されていたがある日、姑が斧を振り翳してきたので奪ったが誤って子供の喉を直撃し死亡させ終身刑で服役していたが、すでに身籠っており獄中で女児を出産し亡くなった子と同名のハツと名付けた。

その後について銘板には次のとおり書いている。

明治20年(1887)11月14日、金子ハツは秋田女囚監獄で生まれた。

息も絶え絶えの赤子を引き取ってミルクを与えたのが、若い宣教師ミス・カラー・ハリソン(1895〜1937)である。

六歳になったハツを学校で学ばせたく、ハリソンは教え子の川井運吉に相談した。

結婚前の運吉は分家してハツを養女にした。

ハリソンの帰国はハツが十二歳の時。残して行くにしのびず、ハツを連れて横浜から船に乗った。

後にハツをロサンゼルスの大学に入れるが、当時は排日の嵐で、卒業しても思うような就職口はなく、ハツの将来を案じたハリソンは日系人の多いハワイに渡り共に教師の道を歩むが、ハツは34歳でこの世を去った。その後ハリソンは78歳で生涯を閉じ、2人はホノルルの墓地に眠っている。

―かっては苦悩にうちひしがれし 異邦人なれど いまぞわが故郷にたどり着きぬ―

1922年胸を病み死の覚悟したハツが残した詩の一節です。(秋田駐在 片山保)

秋田◆秋田/菅江真澄~その3~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年6月13日

▲菅江真澄の肖像画。

旅日記『雪(ゆき)の陸奥雪(みちおくゆき)の出羽路(いでわじ)』より(現代訳)

漁師たちが「鰰(はたはた)の網引きする」と言ってたくさんの小舟を漕ぎだした。

冬の漁師の世渡りは、蝦夷地のオットセイ狩と同じである。

岸辺の岩の上では男女が群がって立ち、魚群のいる場所を教える。この岩舘の浦では鰰が大変多く獲れ、八森神魚(はちもりはたはた)と呼んでいる。

▲左)ぶりこ漁。右)熊手、縄でつないだ「ぶりこ」、鰰の腹から絞り出して固めた「折敷ぶりこ」

漁期の終わりには、鰰が藻に産み付けた「ぶりこ」(卵)を柄の長短がある金熊手(かなくまで)のような道具でかき寄せて獲ったり、波に打ち上げられた浜の「ぶりこ」拾ったりする。

浦乙女が熊手のような漁具で荒磯の藻に付いた「ぶりこ」をかき寄せ、それを腰に付けた「こだす」(編籠)にとり入れている姿絵。

▲鰰 左)オス 右)メスと「ぶりこ」。

「八森はたはた男鹿ぶりこ」という諺(秋田音頭の歌詞にある)があり岩舘の浦は岩が多く、波にあてられた「ぶりこ」の半分は傷むが、男鹿の浦は藻が多く、「ぶりこ」は姿がよいので、このように言う。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その4

秋田◆秋田/秋田城と薬師寺は同世代【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年3月14日

▲薬師寺金堂(1976再建)

秋田城から離れますが、秋田城(773年)と同世代に建立された薬師寺(718年)金堂を高田好胤(こういん)管長の発願で再建したとき、その木材調達に携わったことがありました。

大阪万博が終わった頃、金堂の柱材調達の依頼が会社にあり、当時、名古屋にいたので寺と建設関係者を営林局や貯木場に案内したが、その方々に会って驚いたのは、西岡常一法隆寺宮大工と薬師寺執事長でした。

求める木材は、長さ10m以上のヒノキを何十本ということでしたが該当するものは木曽をはじめ日本にはもうないことを理解していただきました。

そこで、アメリカの米桧は如何ですかと提案すると、執事長は少し考えて、あそこは宗教が違うからなぁと、無信教の私には考えられないような反応があり驚きました。

それでは台湾桧はと云いますとあそこは宗教が同じだなぁと考えていました。

西岡棟梁からは上棟の主柱に「一千年の木には一千年の命あり」と墨書するのだ、樹齢一千年の木は一千年後に力が一番強くなり、さらに一千年後までは力が衰えない、ということを教えられました。

その後、薬師寺、建築関係者が台湾に行き、台湾桧を使うことになったと聞きました。今は台湾では丸太を輸出禁止にしています。

この体験は私が同世代創建の秋田城に出会い古代にロマンを寄せるきっかけの一つになったといえます。(つづく) (秋田駐在 片山保)

秋田◆秋田/秋田城でボランティアガイド~その4~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2023年2月18日

▲政庁正殿の真正面に鳥海山。

政庁正殿の真正面に鳥海山の雄姿が見えるのは、秋田城を創建した当時は山岳信仰が盛んだったからであろうか。

鳥海山との距離は約70㎞と近いが余程運がよくなければきれいに見えることがありません。

晴天でも春がすみ、海霧などで鳥海山は不思議なくらい雲に覆われている。

春はかすみなどと風流に聞こえるが、何故だろうかと考えていて、ひょっとするとこれは黄砂のためではなかろうかと思えてきた。古代の人々は粋な言葉を作り出したものだと妙なところで感心している。

▲古代沼越しの外郭東門・築地塀

もう一つのパワースポットは写真の古代沼越しに見える外郭東門と築地塀(ついじべい)の眺望です。

この眺望のよい場所には四天王寺跡があり、渤海国使節団の客館も併設されていたので一行が都へ行くまでの間、帰国するまでの間、都合半年位は秋田城に滞在していたようなので、彼らはこの眺望に疲れや心労を癒されていたことでしょう。

使節団は、現在、首相が外遊するときには経済界の人々100人くらいが同行するように、当時も多くの人が来ていたようで、中には亡命者も相当いたようです。

古代沼は祈祷が行われていた神聖な沼だったのでしょう。ここからは祓いの儀式にともなう祭祀遺物、人面墨書土器、人形、斎い串ぐし、呪符木簡などが多数出土しており、陰陽道関係の呪術が執り行われていたようです。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※秋田城でボランティアガイド~その1~はこちらから

※秋田城でボランティアガイド~その2~はこちらから

※秋田城でボランティアガイド~その3~はこちらから

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秋田城跡
住所:〒011-0939 秋田県秋田市寺内大畑5
営業時間:24時間営業
※城跡近くに、秋田市立秋田城跡歴史資料館あり。
詳細は歴史資料館公式HP(https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003616/index.html)でご確認ください。

 

秋田◆秋田/秋田城でボランティアガイド~その1~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年11月11日

▲秋田城跡復元外郭東門と築地塀。

秋田に転居して市内のあちこちを探検していると、赤い立派な門が目についた。これはなんだ、秋田城跡復元外郭東門(写真)と書いていた。

それから何年か後に知人から「秋田城跡の学習講座があるので聴きに行かないか」と誘われて、あぁあの門があるところだなと思い、興味を持って聴講した。

講座の終わりに「秋田城跡のボランティアガイドの会」がある。興味があれば入会しないかと誘われ、臆面もなく怖いもの知らず、入会申込書にサイン。

あれから十七年、次第にのめり込み事務局も担当しながら見学者のガイドを続けている。

会員五十余名が三名一組で毎日交代出勤するので月に三日前後の当番なので負担は少なく、年相応の良い運動になっている。

秋田城と云ってもメジャーではなくほとんど知られていないので概要を若干述べさせていただきます。

奈良時代編纂『続日本紀』の天平五(七三三)年の出来事として、「出羽柵(いではのき)を秋田村高清水岡に遷置く」とある。

時の朝廷が本州全域を支配下にするために太平洋側には多賀城を、日本海側は秋田城(七六〇年頃に出羽柵を改称)が最北の城柵として設置された。

秋田城の役割にはもう一つ、渤海国との交易で使節団は船が小さいために樺太、北海道の沿岸伝いに来航するのでその受け入れ窓口としての役割がありました。(つづく)(秋田駐在 片山保)

※秋田城でボランティアガイド~その2~はこちらから

※秋田城でボランティアガイド~その3~はこちらから

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秋田城跡
住所:〒011-0939 秋田県秋田市寺内大畑5
営業時間:24時間営業
※城跡近くに、秋田市立秋田城跡歴史資料館あり。
詳細は歴史資料館公式HP(https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1003616/index.html)で確認してください。

秋田◆秋田/我が家のカモシカ~その2~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年9月13日

▲カモシカのトレーニング。

びっくりした冬の一日でしたが、翌々日、またまたびっくり。
早朝カーテンを開けるとテラスのカモシカとご対面。その間は約1m、またやってきたのでした。

アオキ、ヘデラ、ツルマサキ、マサキなどの青物を少しずつ食べてはゴロリを繰り返して夕方まで過ごしていた。

翌朝、新聞を取りにでて振り返ると、軒下に寝転んでいたカモシカと鉢合わせ、ニコット笑いかけて家に入ったが、一日中食っちゃ寝、食っちゃ寝と優雅な気ままな一日を過ごしていた。

もう来ないだろうと思っていたが三月までの一か月間に九回も来宅し、何日かは我が家にホームステイしたようだ。

最終日にはカモシカに気付いた小学生たちがタブレットによる撮影会を楽しんでいた。

秋田に住んで二十余年、カモシカには幾度となく出会っているが、一緒に生活をしたのは初めてである。

車の運転中に前に飛び出してきて来たのにはびっくりしたり、犬と散歩中に吠えるので見たらカモシカがいたり、今後記す史跡秋田城跡では子連れのカモシカが調教しているところに出会ったりと県都とはいいながら大いなる田舎で、憧れていた田舎暮らしとはほど遠いものの、まずは満足した生活をしている。(秋田駐在 片山保)

▲秋田城址で観光ボランティアもやっています。

「我が家のカモシカ~その3~」へ続く

※「我が家のカモシカ~その1~」はこちらから

🌸秋田県の物件はこちらから

秋田◆秋田/我が家のカモシカ 〜 その1 〜【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年8月23日

▲突然目が合い驚きの我が家の敷地内にて。アオキを食べ終わりこの後に休みはじめた。

旧聞になりますが、雪が降りしきる二月十二日の朝、カーテンを開けるとそこに見慣れぬ大きな動物の背中が・・・。よくみると10㎝くらいの可愛い角をはやしたカモシカ。

ムシャムシャとアオキの葉をユックリと食べている。やがて腹を満たしたのか、弱っているのかヨタヨタと歩んで軒下にごろりと横たわった。

時には顔を上げて様子を見ているようであるが、三時間あまり休んでいる。
これは弱っているのだ、ここで息絶えてもらっては困る。

どうしようと、あれこれ考えて市役所に相談しようと思ったが生憎、日曜日。
それではと、動物園に電話をしたが当園ではそういう対応はしていないが、「市の担当者に連絡してみましょう」と親切に対応してくれた。

午後、市の鳥獣担当者が来宅、曰く、生きている動物には市は何も手出しはしないとのことで、ゆっくりと刺激をしないように追うとカモシカはフラフラと弱っているような足取りで去っていった。

カモシカはこのような弱々しい素振りをするので心配なく、親離れをしたばかりの若いオスとのことで可愛らしい角が印象的でした。(その2へつづく) (秋田駐在 片山 保)

▲「東海林太郎音楽館・大鵬ギャラリー」の管理人もしています。どうぞお立ち寄りください。

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東海林太郎音楽館
http://www.donpu.net/tarotya.htm

電話番号:018-823-5145(東海林林太郎音楽館)
住 所:秋田県秋田市大町2丁目1-11榮太楼大町
休業日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
※年末年始(12/29~1/3)、冬期間(1月~2月)
営業時間:AM10:00~PM4:00
入館料:無料

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昭和の大横綱・大鵬が愛した秋田の地。旅館・榮太楼は大鵬部屋が夏合宿の際に約20年間、力士の宿泊所として利用され、2006年に閉館。1階にコミュニティスペース、2階は社長の姉・芳子が大鵬の妻であることから「大鵬ギャラリー」を設置し「秋田三大女傑」の一人といわれた社長の祖母・キセが幼馴染であったことから「東海林太郎音楽館」も併設されている。

北東北◆秋田/物件ウォッチ誌上オンエアー【文化放送「大人ファンクラブ」より】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年10月4日

「秋田県」というと思い浮かべるものってなんでしょう?

「秋田こまち」に「比内地鶏」、「稲庭うどん」、「いぶりがっこ」などの食べ物。「武家屋敷」と「桜の町・角館(かくのだて)」、深さが日本一の「田沢湖」と花火競技会で知られる「大曲(おおまがり)」。古くから北前船で賑わった「土崎港(つちざきこう)」や男鹿半島の「ナマハゲ」。そして「秋田美人」や「秋田犬」などなど・・・。

実はもう一つ、秋田県を代表するのが「地下資源の宝庫」だということをご存知でしょうか?

秋田内陸縦貫鉄道(総延長は94・2㎞)角館駅と鷹ノ巣駅を結ぶ第三セクターの鉄道沿い、「またぎの里」としても知られる「阿仁(あに)」地区では、明治期にすでにドイツ人技師を招いた鉱山開発が進められていました。そのゲストハウスの洋館はなんと東京銀座の鹿鳴館(ろくめいかん)よりも古く、国の重要文化財にも指定されています。

▲秋田大学「鉱業博物館」の展示施設。

秋田大学の前身「秋田鉱山専門学校」が明治43年に開校していて、「鉱山学部」もありました。(平成10年に工学資源学部に改組)その研究成果でもある「鉱業博物館」は見ごたえ十分です。有名なアニメ映画に出てくる「飛行石」とおぼしき美しい鉱石も展示されています。

さて、物件は秋田市内から北へ行った場所。この物件の地名にもある「黒川」とはかつてこの近くで原油が採掘された名残です。また「金足」とは明治22年に近隣12村が合併してできた「金足村」のことで、甲子園でも活躍したこの名を冠した高校生たちの活躍はまだ記憶に新しいところです。周辺はのどかな山里で周辺には10数軒ほどの集落が点在しています。

歴史をひもとくと、なんとこの地は江戸時代より交通の要衝地として開かれていた地域で、関東地方相模の豪族三浦氏の流れを汲んだ三浦氏が村の肝煎(きもいり・庄屋)を代々務めていた場所です。この居館は保存状態も良くて国の重要文化財に最近指定されました。

▲三浦氏館跡。

そこから1㎞ほど先の田園地帯にこの物件(16416N)が建っています。微に入り細部にこだわった作りは必見です。大工さんが自宅としてかつて建てた家で、米蔵もあり敷地内ではほぼ100坪ほどの広さの菜園用地もあります。

詳細は『月刊ふるさとネットワーク』9月号に掲載していますので、どうぞご覧ください。現況は空き家で室内はきれいに片づけられています。(北東北担当 中村健二)

▲敷地西側には広い菜園用地がある。

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物件ウォッチ誌上オンエアー (文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06:25 より。中村の放送回は毎月第4週目)