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栃木◆那須/毎年恒例!ヒヤリと安堵の手作り味噌作り【高久の里山日記リターンズ】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2018年5月14日


3月24日 味噌作り一日目 参加者31名

年に一度の味噌作りイベント本番の朝がやって来ました。今日と明日の2日間は大釜に火を焚き付け、皆さんが集まるまでに味噌豆を煮ておくという責任のある仕事が任されています。

早朝4時ちょっと過ぎ、懐中電灯の明かりを頼りに大釜のあるテントの方に向って歩き出すと、シャリ!シャリ!と霜を踏み締める音がして、枯草や薪の上に霜が降りてキラキラ光っています。大釜のそばに行くと、昨日準備の時に、誰かがすぐ焚き付けられるようにと焚き付けや薪等をセットして置いてくれていたので、とっても楽でした。お陰様で刻々と変わっていく朝の空を眺めながら今日一日の無事を祈る余裕もありました。

その後順調に燃え続けた大釜から、7時頃になると、予定どおりふきこぼれが始まったので、後は焦げ付かないように火加減するだけです。集合時間近くになると、ボチボチと集まってくる参加者に「一度に作ることができないので、順番に始めて下さ~い!」と日野屋さん(※毎年手作り味噌の指導をお願いしているお味噌屋さん)の声が掛かり、いよいよ味噌作り開始です。


大釜から熱熱の味噌豆が入った大きなザルが運ばれてくると、次にその味噌豆を潰すのですが、今は電動なのでとっても楽で捗ります。潰した味噌豆の中に麹と塩を混ぜ合わせ、煮汁を入れて良く練り合わせ桶に詰めます。

その時に味噌玉を思いきり桶に叩き付ける人がいますが、日野屋さんの話では、重石を載せるのでそうしなくても大丈夫だそうです。自分の味噌は自分で作るのですが、皆さんそれぞれにお手伝いをして、和気あいあいと味噌作りをしていました。

1年たって味噌が食べられるようになると、嬉しくって30㎏入った桶から大盤振る舞いで知り合いにあげて気が付いたら自分の食べる分が無くなってスーパーから買って食べた、という人が数人いました。貰った人達も一度食べると次も催促されるのだとか。嬉しいことですね。

3月25日 味噌作り二日目 参加者29名

寝過ごしては大変!と、うたた寝程度の睡眠で、今朝も4時に起きて大釜に向う。昨夕大雨が降りテントまでの道はグチョグチョで、テントの中にある大釜の焚き口や薪が濡れたり湿ったりと想定外の事が起こっていた。

色々な焚き付けを探して火を付けてもその時だけですぐ消えてしまう。頻り色々試しながら考えていると、同級生のいっちゃんの言葉が閃いた。イベントの度「割箸捨てないで取っておいて~。これ焚き付けにすごく良いんだよ~」と言っていたのを思い出し、それを持って来て直接火を付けると、初めはポヤポヤと頼りない炎が、あっという間に釜口に詰めておいた色々なものに燃え移り、バンザーイ!と叫びたい心境でした。昨日より1時間遅れで始まった味噌豆煮ですが、30分遅れぐらいでふきこぼれが始まったので「ふぅ~やれやれ~」と安堵の胸をなでおろしました。


昨年1歳8ヶ月で参加した男の子が、今年は2歳8ヶ月になりちょっと男っぽく?なって再び参加しました。坊主頭にエプロン姿で忠実に動く姿は、パパのコピーそのものです。お母さんの側でちょこまかとお手伝いをしているので、熱熱お煮しめを差し入れするとおいしそうに食べていました。


昼食の準備が整い、それぞれ席に着き「いただきま~す!」と食べ始まって少したった時、男の子が突然大声で泣き叫び出しました。焼魚の小骨が喉に刺さったとかで、何としても泣き止まないので病院に行くことになり、パパが迎えに来ました。男の子の名前が呼ばれると、「ウワ~ッ!」とご機嫌な声を張り上げ、大きく広げたパパの腕の中に駆け込みました。男の子を抱き上げると、「喉が痛かったんだよ」という男の子の話をやさしく聞いているパパの姿に、シルバー世代の私達は「CMかドラマのひとコマを見ているようだね~」としばし見入ってしまいました。


病院の診断は、いつの間にか小骨は取れてしまったらしく、大丈夫だとのことで安心しました。泣きじゃくっているうち取れたかな?

今年も無事終わりました。1年後の味噌がおいしくできることを祈っています。お疲れ様でした。
(那須店 高久 タケ子)

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投稿者プロフィール

ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子
ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子
栃木県那須町生まれ。1994年7月より「ふるさと情報館・那須店」として連携。「那須をもっと知ってもらいたい!自分の理想とする不動産業をしたい!」と里山イベントを企画し、子供の頃から駆け巡った里山で野菜作り・田んぼ・そば打ち・漬物づくり・味噌づくりなど、移住者と地元の友人と一緒になって活動中。