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東京◆本部/浄化槽種類の見分け【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年10月30日

▲田舎暮らしでも下水道の設備は大事です。

田舎では公共下水道が整備されているところが少なく、今でも汲み取りトイレ物件があります。そのような地域で水洗トイレに改修する場合は住宅毎に浄化槽を設置する必要があります。

昔、分譲地では集中浄化槽というそのコミュニティーだけの大きな浄化設備がありましたが、管理維持の困難さのため今は見なくなっています。

水洗トイレへの改修費用を一番抑えられる方法は「簡易水洗」という、見た目は水洗トイレで水が少しだけ流れます。ただ、浄化はしませんので汲み取りが必要で、水を流す分便槽の溜まりが早いので注意が必要です。

浄化槽には単独(トイレのみ浄化)と合併(トイレ、浴室、台所、その他の雑排水全て浄化)の2種類があります。

▲単独浄化槽 丸い蓋が2つのものが主流。蓋の下にそれぞれ槽がある。

合併浄化槽 丸い蓋が3つのものが主流。3つでも単独浄化槽のものもあります。

▲メーカーによっては新しいものは蓋2つでも合併浄化槽の場合があるので要注意。

浄化槽法では昭和40年代から使用されてきた単独浄化槽は、平成13年4月1日から製造、販売が禁止され、それ以降は合併浄化槽のみとなっています。

ただ、単独浄化槽の住宅は使い続けて大丈夫であり、自治体によっては、合併浄化槽への転換工事費用の助成金もあります。

物件見学の際には単独なのか合併なのか注意して見てみて下さい。(本部 金澤和宏)

栃木◆佐野市/天明鋳物【北の国から・制作スタッフ進行日誌】

この記事の投稿者: 編集

2022年10月27日

▲平蜘蛛茶釜

天明鋳物(てんみょういもの)をご存じでしょうか?

戦国時代に松永久秀が平蜘蛛(ひらぐも)の茶釜を抱えて爆死した茶釜が正に天明鋳物です。この異常なほど愛された天明の茶釜とは一体なにものなのでしょうか?

栃木県佐野市は約千年前に鋳物の生産で栄えた街でした。天明はかつての宿場町だった佐野市の古い地名です。

現在でも「天明町」という地名が残っています。天明の茶釜は「西の芦屋、東の天明」と並び讃えられたほどです。

平安時代に佐野を治めていた豪族の藤原秀郷が武器製造のために5人の鋳物職人を招いたことが天明鋳物の起源とされています。

しかし、その技術を受け継いでいるのが現在4軒しかありません。そのうち1軒は後継者がいないそうです。

多くの伝統工芸が後継者不足と言われていますが天明鋳物もその1つなのです。

安土桃山時代に千利休や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの多くの武将に愛された天明鋳物の技術を途切れることなく後世にも受け継がれてほしいと切に願います。(本部 井上美穂)

宮城◆仙台/船岡周五郎の樅(もみ)ノ木は残っていた【いくぞ東北!所長・ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2022年10月24日

▲船岡城址公園。

春まだ浅い3月の末に仙南地域の物件調査ともう一つの目的があり仙台市中心から4号線を福島方面へ南下したことがあった。10日ほど前の地震がいまだ話題にもなっていたときだ。

長町(ながまち)を過ぎ名取市に入る。左折すれば仙台空港へ通じている。さらにその先岩沼市に入り6号線と交差しながら白石川(しろいしがわ)沿いを行けば、巨大な製パン工場が現れる。そこは花の町で知られる柴田町(しばたまち)だ。54平方キロとこじんまりとした町に3万7千人ほどが暮らしている。町の花は「さくら」。白石川沿いの8キロにも及ぶ花回廊は圧巻だ。そして町の木は「もみの木」。

白石川、東北本線、阿武隈鉄道に囲まれた川の右岸は城下町の風情がいまも色濃く漂っている。目線の先にあるのが今回の目的地の一つである船岡城址公園だ。遠い記憶の彼方にあって、いまもどこかで気にかかるその場所はわたしのすぐ目の前にあった。

1970年(昭和45)は大阪で大規模な博覧会が開かれていて、特にアメリカの宇宙飛行士が月面から持ち帰ったという「月の石」を一眼見ようと連日超満員の活況をみせていた。

私たち小学生はマットの上で飛び跳ねたりしながらアポロ11号から月に降り立ったアームストロング船長のまねごとを繰り返していたように思う。

▲東北本線船岡駅

▲船岡駅前のホテル

地元の鉄道会社に勤務していた父はもうほとんど家にも帰らず、会社と万博会場を往復していた。その父がたまの休みにうちに帰ったときに見ていたのが、その年NHKで放送されていた大河ドラマ「樅ノ木は残った」であった。徳川4代将軍家綱の治世、仙台藩62万石を揺るがしたいわゆる伊達騒動を描いた作品で原作は山本周五郎。主人公は伊達藩船岡館主(たてぬし)原田甲斐宗輔。

中卒ですぐに働きに出たわたしの父は文学の素養もほとんどなかったと思われるがドラマの最終回に画面に向かって深く息を吐いていた。それはわたしがこの年までどこかで引きづってきた父の数少ない記憶でもあった。

山本周五郎は1967年(昭和42)2月14日(火)に63歳で急逝する。その最晩年の4年間を身近で身辺の世話をし原稿整理まで任されていた女性が、山梨県北杜市にいらっしゃる。齢80歳をゆうに超えたいまもすっきりとした姿勢でなぜかわたしのことを「恩人」だと言ってくださり、「(周五郎)先生のように肉中心の食事ではダメですよ。60を超えたらね」とアドバイスもされる。

その彼女が有隣堂の関係雑誌に周五郎の横浜・本牧にあった仕事場「間門園(まかどえん)」を引き払うまでのほぼ3ヶ月間にわたる日記を昨年12月号に寄稿している。「私は今、八ヶ岳山麓の小さな庵で山本周五郎先生の仕事場にありました品々を傍に暮らしています。」(「えりないと」2021 No.36)

▲船岡城址公園の周五郎文学碑(書はきん夫人による)。

2003年にDVD として発売された「樅ノ木は残った」総集編を観た後、わたしが「城址公園の文学碑はテーマ曲の映像に出てくる能面に似ていました」と電話をすると、彼女は少し喜んでくれたようだった。

▲「樅ノ木は残った」(新潮文庫)とDVD。

主役の原田甲斐を演じる役者の一徹に信念を貫きながらもどこか寂しげな表情は全編を貫いているが、先生はどう思っていたんでしょうかとのわたしの問いには、「自然は厳しいものだけれどそれだけではないんです。山に遊ぶことがなければこの小説はなかったと思いますね」とキッパリ言われる。

ある事件があって直木賞をはじめすべての文学賞を辞退した周五郎の評価はその後の読者にこそ委ねられた。そして周五郎の代表作の多くは50歳を過ぎてから生み出されている。

▲雪を抱いた遠くの山並みが蔵王連山。

東北の3月は春まだ浅く、川沿いの「ひと目千本桜」のつぼみは硬いままだった。これからわたしが向かうその先の蔵王連山もまだ雪深い。それでも大河ドラマの最終回に伊達家家臣で逆心とされた畑与右衛門の遺児・宇乃を演じた吉永小百合が、庭に残された樅ノ木に寄り添い抱きしめる姿に、わたしも一人息を漏らしていたのだった。

そして【「ながい坂」は僕の最高の作品だから五十を過ぎたら読むように。】「間門園日記」より

人が集いあうことが難しいいまの世の中においてこそ、ひとり静かに秋の夜長を過ごす時間を作ることも必要なのかもしれない。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)

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船岡城址公園
所在地:宮城県柴田郡柴田町大字船岡館山95-1
アクセス:JR船岡駅下車 徒歩約15分
駐車場:あり
※詳細は柴田町HP(https://www.town.shibata.miyagi.jp/index.cfm/78,26972,151,html)まで

 

福島◆奥会津/11 年ぶりの復活!国内屈指の絶景ローカル線【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年10月22日

▲秋には燃え盛る紅葉の渓谷をゆっくり走るディーゼルカー(只見線早戸~会津水沼)

2022年10月1日から国内外問わず人気の高いローカル線「JR 只見線」が全線で運転を再開します。

この路線は11年前の東日本大震災から4ヶ月後の豪雨災害により、只見線の中間に位置する会津川口駅と只見駅の間は11年間不通となっていました。

只見線はたびたび旅行雑誌や旅番組にも取り上げられ、好きなローカル線ランキング等でも常にランキング上位をキープ。

その四季折々の景色が美しさは国内だけに留まらず、中国や東南アジアからも観光客が訪れるほど。

そんな只見線は人口希薄地帯を走行することから、不通区間は1日たった上下3往復と、運行本数は常にワーストランキング上位に入っている赤字路線。

このことからJR は被災後に鉄道運行を廃止し、バス転換を沿線自治体に提案したものの、依然として反対の姿勢を貫いていました。

ただし復旧したとしても赤字であることに変わりはなく、結果的に列車の運行は引き続きJRが、鉄道施設の保守管理を福島県が費用負担する「上下分離方式」を採用することで運行再開が実現しました。

沿線の紅葉シーズンは例年10月下旬から11月上旬頃。全線通しでの運行本数は被災前と変わらず、1日3往復と少ないものの、車窓から広がる絶景を見に、この秋は奥会津の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。(本部 高橋瑞希)

 

岩手◆住田町/まち家世田米駅【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2022年10月19日

▲まち家世田米駅。左奥にレストランkerasseがある。

みちのく岩手事務所がある遠野市から岩手県の沿岸南部に向かう道中、赤羽根峠(あかばねとうげ)を越えた先に、住田町(すみたちょう)という小さな町があります。

緑と清流に恵まれたこの町は、遠野地域との交流も盛んに行われていたそうです。

今回はそんな住田町にある「まち家世田米(せたまい)駅」という施設を紹介します。

まち家世田米駅は、藩政時代の明治30年代からその場所にほとんど変わらず残されていた建物を保存改修し、平成28年に住民交流拠点施設として営業が開始されました。

敷地には交流スペースやギャラリー、カフェなどがありますが、イチオシは地産地消レストランの「kerasse(けらっせ)」さん。

地域の恵みをふんだんに使った定食や丼などのメニューの他、ランチプレートやパスタ、ピザは日替わりメニューで、季節ごとの野菜を使った味わいの変化も楽しむ事ができます。

▲この日は盛岡胡蝶の牛タンカレー+清流どりの唐揚げのトッピングをいただきました。

現在住田町に取り扱い物件はありませんが、岩手の自然を五感で感じたい方は是非立ち寄ってみてください。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)

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けせんだいどころkerasse
住所:〒029-2311 岩手県気仙郡住田町世田米字世田米駅13
電話番号:0192-22-7828
営業時間:ランチ11:00~14:30(L.O.14:00)
     ディナー18:00~22:00(フードL.O.21:00/ドリンクL.O. 21:30)
定休日:不定休(詳しくはSNSをご確認ください)
アクセス:東北自動車道水沢ICより車で50分
     釜石自動車道宮守ICより車で30分

秋田◆秋田/我が家のカモシカ~その3~【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年10月16日

▲蓮の花が満開の千秋公園(元佐竹藩の久保田城)。

定年を前にして田舎暮らしにあこがれて当時住んでいた大阪の周辺をあちこちと探している内に東京へ単身赴任。

ならばと、千葉、茨城、埼玉と休日毎に探し、山梨のふるさと情報館の体験住宅も見学してきた。

そうこうするうちに妻の郷里で両親の傍に住むのも親孝行ではなかろうかという思いに至って秋田を終の棲家とした。

街はずれの小さな団地ではあるが、散歩道にはミズバショウ、カタクリなどの珍しい花やハクチョウ、ヒシクイ、などの春先の北帰行には西日本育ちの私には圧倒される風景である。

思わず小中学生のころの国語の教科書の一文、帯になったりたすきになったりと学んだものの実感がなかったが、目の前に繰り広げられるハクチョウ、ヒシクイなどが明け方から昼頃まで南の空から長がぁい帯が次から次へと湧き出るように迫って来て上空を通り過ぎてゆく様は圧巻以外の何ものでもありません。

秋田の良さや楽しさを少しでも皆さんにお届けして移住の候補の中にいれて検討していただければと期待しています。

▲来年もカモシカお会いしたいですね。

来年もカモシカがホームスティに来ないかなぁ、と今から楽しみにしています。(秋田駐在 片山保)

※我が家のカモシカ~その1~はこちらから
※我が家のカモシカ~その2~はこちらから

 

北海道◆弟子屈町/弟子屈町ってどんな所・・・(2)【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年10月13日

▲エア・ドゥの飛行機までは場内バスで移動します

道東エリア・弟子屈町に行くには北海道の翼・エア・ドゥの利用が便利です。

羽田空港から釧路空港まで約1時間20分のフライト。9月1日現在で1日2便、7時40 分発9時20分着と16時15分発17時55分着があります。

現在のエア・ドゥ社はANAとの包括提携契約を行い、機内では共同運行便とアナウンスされていました。

飛行機に乗る前は保安検査で30分程度かかり、特に釧路便は搭乗口が遠く、空港内もバスで搭乗場所まで移動が伴うので、さらに余裕ある時間設定が必要です。

座席は約140席で左右両側に3列シートが並ぶボーイング社製。1時間20分の空の旅は、ドリンクサービスが終わるとあっという間に到着する印象です。

▲釧路に着陸体制に入れば雄大な釧路湿原を一望できます。

正式には「たんちょう釧路空港」と表記され、海岸から約5㎞、市街地から北西に約22㎞の丘陵地にあります。

到着ロビー内には各社レンタカーカウンターが並んでいるので、事前に予約した会社で手続きすると空港内にある事務所まで送迎してくれます。レンタカーを利用せず釧路市内で宿泊される方は連絡バスで市内へ約45分です。

湿地に囲まれ、霧で有名な道東エリアは、出かける前に快晴でも一枚羽織れるものを準備した方が良いでしょう。弟子屈町までは北へ約70㎞、雄大な景色が広がっていきます。(本部 星野 努)

※欄外メモ:釧路レンタカーでは9月まで期間限定でキャンピングカーのレンタルなどもあるようです。

※「弟子屈町ってどんな所・・・(1)」はこちらから。

※「弟子屈町ってどんな所・・・(3)」はこちらから。

🌸弟子屈町の物件は<u><strong><a href=”https://furusato-net.co.jp/bukken/searchResult.php?address1=%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%B1%88%E7%94%BA&amp;pref_code=1″>こちら</a></strong></u>
<a href=”https://furusato-net.co.jp/bukken/searchResult.php?address1=%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%B1%88%E7%94%BA&amp;amp;pref_code=1″ target=”_blank” rel=”noopener”><img class=”aligncenter wp-image-22794 size-full” src=”https://furusato-net.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2023/08/teshikaga_bukken.jpg” alt=”” width=”800″ height=”167″ /></a>

山梨◆八ヶ岳/清秋の候、10月の八ヶ岳事務所【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2022年10月10日

▲黄金色に輝く田んぼにトンボの姿。(山梨県北杜市)

10月初旬。北杜市では稲刈りの最盛期を迎えます。

黄金色の稲穂の間を、コンバインが駆けていく。5月に始まった田んぼの水はり、田植え、毎日の水の調整、週末毎の草刈り、傍から見ていても、稲を育てるという事は大変な作業ですね。

そして今年も田んぼの1サイクルが終わろうとしています。10月の中旬には八ヶ岳、南アルプスの山も冠雪となるでしょう。空気も澄んで、山を眺めるのに良い季節となります。

▲10月中旬。南アルプスがうっすらと雪化粧。(山梨県北杜市)

▲稲刈りの季節。コンバインが駆けていく。(山梨県北杜市)

皆さんご存じでしょうか、北杜市は知る人ぞ知る米どころなんです。

正直、私は移住するまで、北杜市の米というものを聞いたことがありませんでした。思い返せば「コシヒカリ」「あきたこまち」「ひとめぼれ」といった銘柄は気にしていても、どこの産地の米かを気にしていませんでした。

住み始めた当初も、田んぼがあるくらいの認識でした。ただ北杜市の食堂やドライブインで出てくる米(武川米が多かったでしょうか…)がとても甘くて、甘くて、ビックリしてしまいました。

その事を地元の方に話したところ、ご自分が褒められたように喜んでくれた記憶があります。こんな話も聞きました。「北杜市須玉町の米は、新潟魚沼産の米の在庫が少なくなると、魚沼産として市場に出されるのだと」。

これは都市伝説のようなもので、魚沼産に劣らず美味しいという話が誇張されたものだと思います。ただ、それくらい地元のお米への信頼というか、誇りがあるのだなと感じさせられたエピソードでした。

調べてみると、JA 梨北管内で栽培された「梨北米こしひかり」は、食味ランキングにおいて最高評価の「特A」を通算10回獲得しているそうです。そして平成20年には魚沼産こしひかりをおさえ、日本一美味しいお米にも選ばれたことも( ㈱米福HP より)。

食味ランキングとは(社)日本穀物検定協会が実施しているもので、専門家20名が毎年、お米の「外観・香り・味・粘り・硬さ・総合評価」で審査し、基準米とおおむね同等のものを「A’」、特に良好なものを「特A」、良好なものを「A」、やや劣るものを「B」、劣るものを「B’」として評価をするものだそうです。

こんなシビアな戦いが毎年行われていたのですね。私の方は、ここ3年程から顔見知りの農家さんからお米を買うようになりました。知っている人が作っているお米なので、なんでしょう安心感があるのは勿論、応援したくなる気持ちまで湧いてきます。

「梨北米こしひかり」のここ3年の結果は「A」の成績、「特A」からは遠ざかっているようですが、個人的には、それは何かの間違いなのでは?と言いたくなるくらい、北杜市のお米推しの今日この頃。北杜市においでの際は、是非、お土産にお米をお買い求めください。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

【八ヶ岳事務所エリアの物件】
八ヶ岳南麓エリア・・・北杜市高根町、北杜市長坂町、北杜市大泉町、北杜市小淵沢町
韮崎・茅ヶ岳エリア・・・北杜市須玉町、北杜市明野町、韮崎市、甲斐市
武川・白州エリア・・・北杜市白州町、北杜市武川町