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山梨◆八ヶ岳/師走の候、12月の八ヶ岳事務所【八ヶ岳南麓・たかねの里だより】

この記事の投稿者: 八ヶ岳事務所スタッフ

2024年12月7日

▲雲の先から現れる、夜明けの富士。(山梨県北杜市大泉町)

12月は本格的な冬の始まりの月といえる。

11月後半からは朝方の気温が0度を下回り、対策をしてなければ、水道管の内部が凍り、破裂する時期となる。別荘の方は水抜き作業をしておかなければ、多額の水道料を払うことになるかもしれない。

この時期から私が気にするようになるのが、夜の天候だ。

昼の天候が気になるのは当たり前だが、夜に晴れているか、雨が降っているか、曇っているかが気になるのである。

晴れ渡った朝の冷え込みは強く、逆に曇っている日の朝は暖かい。路面が凍りやすいのは、晴れた日の朝なのだ。

一番に恐れる天気は、雨が降り、夜半過ぎから晴れ渡るという時だ。

この翌日には路面がスケートリンクのように、ツルツルになり、ブレーキを踏むと、車はクルクルとダンスを踊りだしてしまう。雪の方が安心なくらいなのだ。

そんな日は許されるのであれば、気温が上がる、お昼くらいまでは家に閉じこもりたいのだが、そうもいかないのが苦しいところだ。

▲冬晴れの八ヶ岳南麓。(山梨県北杜市高根町)

カレンダーをめくると、最後の1枚だった。

1枚のペラペラとなったカレンダー。元々は厚く重なったものが、毎月減っていくのだから、当たり前なのだが、何だろうか、もの悲しい気持ちになってしまった。

それは多分、今年が終わってしまうという事を、心の準備なく、視覚と触覚(皮膚)とで体感してしまったからだろう。

年を重ねるにつれ、時間が早く過ぎていくと言われる。同じ3年間でも学生時代と今が同じとは思えない。

そんな疑問の答えは、たまたま読んでいた本に書かれていた。生物学者である福岡伸一先生の「動的平衡」という本。〝生命とは何か〞という著作を多く出している方だが、学者とは思えぬ、ユーモアと艶のある文章が魅力的だ。

その中で、人は年を取るにつれて、自分の中に流れる時間をゆっくりと感じようになるとの記述があった。

自分の中に流れる時間と、実際に流れる時間の差。自分で感じている以上に、時間は刻々と過ぎてゆく。毎年12月を迎えると、過ぎ去った時間がまるでどこかに消えてしまったように感じるのは、このギャップによるものだろう。

ただ、スマホに撮りためた写真を見て、振り返ってみると、それなりにやってきた記録が、記憶となって甦ってくる。

今年も少ないながらも登山に行けたな、季節の花や食材を満喫したなと。日々の積み重ねを思い出せば、それは決して消えてしまった時間ではないのだ。

来年も日々を楽しく積み重ねていきたいものである。(八ヶ岳事務所 大久保武文)

東京◆本部/決闘の聖地へ赴く【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 広報

2024年12月4日

▲唐戸桟橋から唐戸市場へ進む道中にあった看板

10月終わりに、ヴォンフォーレ甲府の今季最後のアウェー試合の応援をすべく、山口県へ行きました。

試合が日曜日の昼過ぎということで、土曜日には下関へ、日曜午前中には巌流島へ観光に行きました。

巌流島へ上陸、云わば、「決戦の前に決闘の聖地へ赴く」ということです。

島へは唐戸桟橋より船に乗り約10分程度で着き、1時間もあれば島内立ち入り可能エリアを十分散策できる広さでした。

▲巌流島から見た開門橋。右は門司港、左は唐戸。

武蔵・小次郎については、漫画「バガボンド」で得た知識しかありませんでしたが、武蔵小次郎像や武蔵が乗った船を再現したものまで拝見でき、観光しながら散歩するには丁度いい場所でした。

「巌流島」という名前は小次郎の流派より名付けられ、現在は無人島ですが、昭和半ばまでは居住者もいたようです。

▲今季最後のアウェーは黒星で終わる。

「決闘の聖地」に言ったおかげか、いつもより張りのある声で応援できた気がします。

尚、結果は・・・でしたが、来季もまたアウェー遠征を楽しもうと思います。(本部 大野 美紗子)

長野◆佐久地方/ぴんころ地蔵と布引観音【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2024年12月1日

▲佐久市ぴんころ地蔵。

先日、いつか行ってみたいと思っていた佐久の「ぴんころ地蔵」と小諸の「布引観音」に行ってきました。

成田山薬師寺の入り口にある「ぴんころ地蔵」は、「ピンピン生きてコロリと逝く」と願っている高齢者で結構賑わっていて、私もしっかりとご祈願してきました。

それから小諸に回り「布引観音」登り口に着いて見上げると、急峻な岩山でその入口には杖が用意されていました。

参道は、山登りのように険しく、つづら折りの石段を杖をつきながら、30分ほどがんばりなんとか布引山釈尊寺(布引観音)に着き、布引山の断崖絶壁に建てられた静寂の中にたたずむ観音堂に、念願のお参りをすることが出来ました。

▲「牛に引かれて善光寺参り」でお馴染みの布引観音(画像はイメージです)。

よく言う「牛に引かれて善光寺参り」はここが舞台とのこと、「昔強欲な老婆が川で布をさらしていたところ、突然牛が現れ、その布を角にかけ走り出した。それを追いかけて遠く離れた善光寺へたどり着いた老婆はすっかり改心し、極楽往生をとげた」という「ぬのびき伝説」に由来し、他人の誘いや思いがけない出来事で良い方に導かれる事を例えた諺とのことでした。

佐久地方にまた来ることがあったら、元気なうちはお参りに訪れたいと思っています。(信州蓼科エリア案内スタッフ 星野 登美夫)