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東京◆本部/遠距離通勤住居の終焉【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年3月24日

▲東京から成東・勝浦・上総湊を結ぶ通勤快速は、3月15日がラストランとなりました。

3月と言えば皆さんはどんな行事を想像しますか。

私はまず鉄道各社のダイヤ改正を意識してしまいますが、今年の発表内容には現在進行形で世間を騒がせているものがあります。

それは東京と千葉を結ぶJR京葉線の朝夕の快速・通勤快速の全面廃止、全列車各駅停車化です。

京葉線はディズニーランドへの輸送はもちろんのこと、総武快速線のラッシュ緩和を目的として1990年に全通し、その当初から快速・通勤快速が房総方面と東京の通勤輸送を支えてきました。

これを契機に千葉県内ではベッドタウン化が加速し、不動産業者は「東京駅まで最速○○分」というマイホームニーズをくすぐる魅力的な物件広告で時代を謳歌しました。

しかしここに来て突然の廃止発表に沿線自治体は廃止撤回要請を表明。

その結果としてJR側が一部譲歩し朝の快速を2本のみ維持する形となりましたが、2本だけでは何の意味もないと未だにJRと沿線の間ではわだかまりが残っている現状。

快速・通勤快速で遠距離通勤することを前提に、千葉郊外にマイホームを構えた方々にとっては、まさに寝耳に水といった話でしょう。

今回はJRの沿線自治体への事前打診がなかった点が、騒動の最たる原因と思われますが、JRも一民間企業とはいえ、利用客があってこその交通インフラ事業という社会的責務を全うするよう、自治体と協力して魅力的な沿線づくりを行って頂きたいと切に願います。(本部 高橋瑞希)

埼玉◆横瀬町/日本一チャレンジする町に〜よこらぼ大会議2024〜【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年3月21日

▲よこらぼ大会議2024

本誌でも物件紹介のある秩父郡横瀬町。数多くの方が購入頂く人気エリアだ。人口は約8,000人、秩父盆地の玄関口にあたる町である。

商店街は存在せず、石灰石の武甲山、秩父市内との境にある羊山公園の芝桜、寺坂棚田や観光農園、道の駅がある芦ヶ久保など、やはり観光のイメージが強い。

しかし都会で活躍されているクリエイター達が近年この地を選んでいる印象があり、私のお客様にもこの地を選んだ事例は多い。

今回のイベントもSNSで積極的に情報発信され、誰でも参加OK。令和6年2月3日㈯に「よこらぼ大会議2024」なるイベントがあることを知る。

▲会場の町民会館

会場となる町民会館は駅からも歩け、「よこらぼを振り返り、今後についてみんなで考える」という大会議の主旨、かつて「ニコニコ超会議」なるイベントに参加したことがあるが、雰囲気やノリがちょっと似ている気がして興味が惹かれた。

そもそも「よこらぼ」とは何なのか。HPによれば横瀬町と民間(民間企業や個人、大学や学生など)が実施してきた官民連携プラットフォームとのこと。

過去7年間で234件の提案に対し、141件が採択され、その採択率の高さは驚きである。

令和4年度ふるさとづくり大賞優秀賞を受賞、横瀬町をフィールドにした実証実験や企画が現在も進行形だという。

コロナが落ち着き、今までの成果、これからの未来を考えるための「大会議」。これは参加するしかないと、特急ラビューで横瀬駅に降りた。

▲いざ、大会議へ

大会議は大きく4部構成のトークセッション。

第一部がスタートアップ企業で、東京の映像会社や全国で町づくりのコンサル会社など若い人が町を知り、いつしか町との関わりを深める。培ったノウハウが先例となり、各地の地方公共団体で効果的なアプローチになったという。

第二部は大企業。通信会社の町で行った防災放送の実証実験の技術は全国に広がり、今や海外まで展開。

また秩父の大動脈・鉄道会社の創業一族の重役までも登壇。海外ファンドから不採算路線と突きつけられ、秩父全体での署名活動は記憶に新しい。秩父の魅力を伝えるCMやTV番組、企画列車を走らせるなど、今や危機を共有する欠かせないパートナーだ。

第三部の大学も圧巻の登壇者。キャンパスが無いのに15校を超える関わりがあり、今回7校からそれぞれ登壇。さらに見事なファシリテーター、冒頭から最後まで立ち回る町長。各参加者の取り組みや人柄に至るまで丁寧に説明する姿に驚いた。

第四部は地元とし、採算は難しいが社会的意義の高い事業を行う3つの民間団体が登壇。ジビエによる害獣駆除や、子供達の貧困問題、障害者のための福祉事業など、もはや日本が抱える社会問題を、この町の最前線で活動する方達だ。

▲約200人が参加し、最後は官民一体で武甲山ポーズで記念撮影。

大会議を通じて印象的だったのは「横瀬町は決断が早い」という言葉。同時に「ファースト」は大切だが、本来の暮らしは「スロー」が大事と説く。

失敗を恐れない約5時間の手作り大会議。5年後の横瀬町の人口推移が楽しみになる関係人口の多さと熱気・熱量を感じた。

チャレンジすることを応援する姿勢が組織まで浸透している横瀬町に今後も注目したい。(埼玉エリア担当 星野努)

「よこらぼ」横瀬町とコラボする研究所:https://yokolab.jp

群馬県◆安中市/日本最古の温泉記号【本部スタッフ・地方出張余話】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年3月18日

▲磯部詩碑公園内にある温泉記号碑。

群馬県安中市にある磯部温泉は、日本人であれば誰もが知っている温泉マーク発祥の地です。

そのルーツは万治4年(1661年)、付近の農民の土地争いに決着を付けるため評決文が、江戸幕府から出され、その添付図に、磯部温泉を記した温泉記号が2つ描かれていたのです。

専門家が調査した結果、この温泉記号は日本で使われた最古のものと判明。

こうして磯部温泉は温泉記号発祥の地となりました(諸説あるようですが…)。

▲磯部駅から徒歩1分のところにある温泉案内図。

正式な温泉マークの湯気にあたる3本線には、意味があるようです。③本線の意味は、体にいい温泉の入り方として、湯に浸かる時間を3本の湯気の線として示している、と言われています。

1本目(一番左の線)の意味は、1回目の入浴は、5分程度とほどほどに、2本目(真ん中の線)の意味は、2回目は8分程度じっくりと、3本目(一番右の線)の意味は、最後は3分間程度サッと湯に浸かる。

この入浴方法をおこなうことによって、基礎体温の低下を防ぎ、体の芯まで温まるとされているようです。

温泉三昧が楽しめる群馬県。磯部温泉から楽しんでみるのはいかがでしょうか。(本部 角南辰彦)

東京◆四谷/たどりついた自分らしく生きる場所【本部スタッフ・日々の業務より】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年3月6日

▲不惑の40を超え、新たな気持ちの50代。(画像はイメージです)

私事で恐縮ですが、この3月でいよいよ50歳。不惑の40歳は戸惑いの中で、覚悟のような気持ちになったのを憶えています。

北海道へ独り旅をし、帰京して就職したのがこの会社。社会経験の無かった27歳、本誌を創る編集人として運良く入社したのが2000年の10月でした。

対人取材はもとより、人様に見せるような文章を書くことなどまったく経験が無く、初回の取材対象者は白州町に2年前に移住されたという小説家の方で、今更ながらに若さ故、いい経験をいたしました。

今でも文章は苦手で、この業務日誌も徹夜明けでハイテンションになりながら、切羽詰まって書いていたりします。

体力には自信があり、多少の無理も効きましたが、寄る年波に勝てないことも。当然働き方改革が進み、このような取り組み方は通用しなくなっています。

新しいスタッフ達も経験を重ね、ベテランになるほど見えなくなった矛盾点など、ハッとさせられる意見に驚く日々。

時代遅れの重石とならぬよう日々努力。「たどりついた自分らしく生きる場所」初原稿のタイトルがなぜか身にしみます。(本部 星野 努)

静岡◆浜松市/令和の大合併の始まり【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年2月29日

▲市町村名が入るJR東海の駅名標は、この度市内の浜松駅他4駅が修正されました。

県庁所在地である静岡市を抜いて静岡県No.1の人口を誇り、全国の市町村でNo.2の面積を有する静岡県浜松市は、先月1月1日をもって、北部の天竜区を除く、中区・東区・西区・南区と北区( 三方原(みかたはら)地区)が中央区へ、北区(三方原地区以外)と浜北区が浜名区へと編入されました。

政令指定都市の区再編事業はこれが全国初となり、かつて2005年の前後数年間で全国的に進められた平成の大合併の令和版と言えるでしょう。

その中でも現在の浜松市は、2005年7月1日に浜北市・天竜市・引佐町(いなさちょう)・細江町・三ヶ日町(みっかびちょう)・雄踏町(ゆうとうちょう)・舞阪町・佐久間町・水窪町(みさくぼちょう)・春野町・龍山村(たつやまむら)の11市町村を吸収合併し、一気に全国No.2の面積に躍り出たという歴史があります。

そして2007年4月1日に政令指定都市へ移行した際に中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区の7区に編入され、今度は3区とかつての4分の1までに行政区が減ったことになります。

前回は行政区ではなく全国各地の小規模な市町村が地図上から姿を消し、その多くがもうかれこれ15年以上の月日が経過しました。

ふるさと情報館の物件ページで(旧市町村)と表記のある場合がありますが、もはやその地名すらピンと来ない方が現れる時代が到来していると思います。

しかし行政再編が進む昨今でもなお、書籍はいつまでも一枚一枚にその名を刻むことに意義を見出してると信じ、毎月中旬に物件ページ作成の締切に追われるふるさと情報館の一営業マンの呟きでした。(本部 髙橋瑞希)

東京◆本部/励みになる田中先生の言葉【本部スタッフ・日々の業務より】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年2月27日

▲ふるさと情報館は今年で創業34年。

令和5年12月28日、ふるさと情報館仕事納めの日は恒例の大掃除。

とは言っても事務所が引っ越しをして3年。まだまだきれいさが感じられ、掃除は非常に容易な年が続く。

そんな中で象徴的だったことが一つ。社員同士の机を仕切るように置かれたアクリル板を撤去しました。同じ空間で、同じ目的を持った同士の絆を分断するように置かれた厄介もの。4年の月日を経てようやくお役御免としました。もう、使うことのない世の中が続いて欲しいと小さく願いました。

新型コロナが感染症5類に移行され、日常が戻った令和5年。

同時に蘇ってきたのは田中角栄先生の言葉。

現代でも参考にしたいたくさんある名言の中で、我々を勇気づけてくれる「日本という国土がある限り、不動産業と観光業は無くなりません」という言葉。

外国とのビジネス競争が避けられない現代においても、この2つの業種は国土を土俵としています。

今や観光名所はコロナ禍以上に国内外の観光客で賑わい、行く先々でアクリル板を見ることはめっきりなくなりました。

世界に誇る観光名所のある日本、観光業が無くなるなど考えられません。

共にふるさと情報館が紹介する田舎物件も相通ずるものがあります。観光名所的な場所に限らず、のどかな田園、海、山がある限り田舎暮らし物件の需要と共有は無くならないと確信しています。

50年前に唱えた田中先生の言葉を胸に秘め、創業34年に突入したふるさと情報館で、日々仕事に従事していきます。(本部 金澤和宏)

東京◆本部/過去の経験から未来へ【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年2月21日

▲賑わいが戻りつつある深大寺の山門前。

能登半島並びに北陸各地の被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。

私自身は岐阜の車中で大きな揺れに遭いましたが、東日本大震災で見た映像がすぐに重なり、海や河川側に出ることなく退避できました。

特に震災の時に貴重な一次情報をSNSで取得でき、旅先から戻ってテレビで流れ続ける壮絶な映像で改めて事態の大きさを認識しました。

地震のメカニズム、翌日の飛行機事故も事実情報が積み上がっていく度に、専門家を含め数多くの方が冷静にSNS上で検証され、新たな対策、復旧活動について明文化されていくスピード感に驚きました。

またコロナで途絶えていた4年ぶりの会社の深大寺参詣&新年会。

御焚き上げの拝殿には小さい椅子が並べられ、履物は脱がず土足「解禁」。冷たい床に腰を下ろし足が痺れることなく、何より経を唱える時間もコンパクトで、心無しか聴き取りやすいようにも感じました。

拝殿からの出口も二方向となり、毎回混雑するお札取得も広場になり、伝統を重んじる古刹がこうも変わるものかと驚きました。

「新年からご利益、変化がすごいね」と説法前に隣りのベテラン経理に話しかけたら「うるさいよ」とひと言住職より先にありがたい御言葉を頂きました。(本部 星野努)

千葉県◆いすみ市/厄除石と厄除玉【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年2月15日

▲県境なような看板。

昨年、前厄・本厄・後厄の3年間が終わりました。

厄年とは、肉体的にも精神的にも調子を崩しやすい人生の転換期のことのようで、振り返ると、これまで風邪も引かないくらい心身ともに健康的な私でしたが、確かに色々あった3年間でした。

千葉県いすみ市に国吉神社という1500年以上前に創建されたといわれている由緒ある神社があります。

もとは諏訪神社と称していましたが、明治時代に周辺の神社が合祀(ごうし)され、当時の町名から国吉神社となり、厄除けや交通安全・家内安全などの神社として信仰されています。

国吉神社に隣り合って上総出雲大社が鎮座しており、両社は親子の神様という事で、片参りにならないよう両社をお参りするようになっており、近年はパワースポットとしても人気です。

▲近距離から厄除石に投げます。

国吉神社の境内には、厄割石という石があります。

厄除玉の穴に息を吹きかけ厄災を移し、厄割石に投げ、厄除玉が割れる事で厄を落とす事ができるとの事で、厄除玉を購入し、石に投げ、厄を落としました。

3年間、色々とありましたが、大事に至らず、無事に終わっていったのは、厄除玉のお陰でもあります。

この程度で終わって良かったと感謝し、これからも参拝したいと思います。(本部 角南辰彦)