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岩手◆遠野/賢治の銀河鉄道が見られます【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年11月30日

▲恋人の聖地でもある「眼鏡橋」。

遠野市宮守町は、今から約950前の「前九年の役」による蝦夷の長「安倍貞任(あべのさだとう)」率いる安倍一族と鎮守府将軍「源義家」が奥州の覇権を掛けて戦った歴史は、日本史にも記されているところです。

この戦に敗れた貞任は一族が治めていた宮守町の舘に逃げのびて一時隠れていたとの逸話が、この地帯には多く語られています。源義家の命により、戦勝を祈願して砥と森山(もりやま)の山頂に宮を建てたのが宮守町の名の始まりとの説もあるところです。

近代に至っては、詩人で童話作家の宮沢賢治が、この町の国道283号線に架かる眼鏡橋を黒い煙を上げて蒸気機関車が渡るのを下から見上げた姿は、まさしく空に向かって進んでいく銀河鉄道を思わせたのでしょう。

現在はこの橋の下には、宮守町の産直「MM1」と、宮守川の岸辺を活用した公園が整備されて、眼鏡橋を前にカップルが二人で写真を撮れる処を「恋人達の聖地」と称し、通常の年であれば、野外コンサートや橋のライトアップを背景にしたイベント等で賑わいます。

この眼鏡橋の近くにも、当事務所の物件が有りますので、是非、お寄り願いたいものです。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲周辺は親水公園にもなっている。

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岩手◆遠野/牛の博物館に行ってみまして【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年10月20日

▲奥州市前沢にある「牛の博物館」

岩手和牛の名産地は、なんといっても「前沢牛」が名高いところで、最近の当事務所の取り扱い物件は、不思議とこの近くに多くなっています。この「前沢牛」の地元に「牛の博物館」がありましたので寄ってみました。

牛専門の博物館は世界で唯一ここだけにあるとのことで、雄大な北上川の流れを一望できる高台の草原にありました。牛は古代から人類に食料、労働、衣料、肥料のほか、闘牛などの娯楽をもたらしてきたとのことに、なるほどと頷かずにはいられませんでした。

▲博物館内の様子。

「前沢牛」といえば、当然ながら霜降り状態の高級な肉をイメージし、地元町内にも焼き肉屋やレストランが立ち並んでいるのですが、この博物館の展示をみて、世界的にみても、最も人類に恩恵をもたらしてくれる家畜だと、改めて感心させられました。

ある国では「神の化身」と崇められ、また、トラクター・自動車にも匹敵する農耕や運搬、牛車、食料としての肉、牛乳、しいては革・毛は衣料として、人類の営みを何千年と支えてきた事に、感謝、感謝です。奥州市にお越しの際は、「牛肉料理」だけでなく、是非「牛の博物館」にもお立ち寄りください。
(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

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岩手◆遠野/人類の足跡は病魔との闘いの歴史 ~平穏な時が来ることを信じて ~【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年9月29日

▲遠く西国巡礼(金毘羅山)を祈願した供養塔もある。

昨今、世界的な流行を見せている新型コロナウイルスの国内で、唯一の未確認地であった岩手県に遂に保菌者が出ました。当事務所の遠野市はもとより、県内の市町村に緊張が走りました。そもそも、岩手県だけが未発生地で過ごせる訳もなく、偶然の重なりと思ってはいましたが、いざその場面がくると、心穏やかでないのも事実です。

人類の足跡を遡れば、病魔との闘いの歴史だと言われていますし、この日本でも数々の疫病と称される流行り病に苦しみ、大飢饉に苦しんできた歴史があるといいます。この遠野市内にも、道又の角や、集落の出入口には、多かれ少なかれ、道祖神や供養塔、お地蔵さんが立っています。

現代は細菌とかウイルスとか原因が解明されているが、昔の人々は日々の生活の中で、目に見えない流行り病の恐ろしさを知り、集落内に悪しき病が入り込まないように、邪悪な者が訪れないように、道の角々に悪魔よけの神々や仏法の石碑を立てて護ってきた歴史の名残です。

歴史が証明するように、新型コロナウイルスも必ずや人類は克服し、平穏な時が来ることを信じて、日々の生活に気を付けて頑張りましょう
(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲遠野では道の角々に供養のための石碑が建つ。

 

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岩手◆遠野/早くも6年が経ちまして【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年9月3日

みちのく岩手事務所が営業開始して、早くも6年目を迎えています。皆様の御支援を頂きまして、徐々にではありますが物件数も御客様も年々増えてきました。

活動エリアも本州で一番広い岩手県と宮城県の北部を含めると、四国地方四県より広い面積となりました。そこでの移動方法とは、自家用車に頼るほかは無い事情です。当事務所の愛車のトヨタ「プリウス」は平成24年型でまもなく8年経過しますが、走行距離は19万㎞になろうとしています。

年間24000㎞、月平均約2000㎞走行している計算で、地球をおよそ5周もしたことになります。今まで無事故、有違反(信号無視一件)と、恙なく小生を運んでくれています。

この愛車無くして、営業は成り立ちません。知人の初代プリウスは、40万㎞の走行実績が有るそうです。当愛車はまだ半分、これからも一緒に頑張ります。(みちのく岩手事務所 佐々木 泰文)

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岩手◆盛岡/ふるさとの山はありがたきかな【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年8月20日

▲岩山公園より見た日本百名山・岩手山。

「南部片富士」と言われる「岩手山」(標高2038m)の優雅な風景を、久々に撮影できました。盛岡市は、旧盛岡南部藩のお膝元で、当みちのく岩手事務所のある遠野南部家の御本家にあたるところです。

盛岡バイパスの北側に盛岡市街を一望できる「岩山公園」があり、動物園、遊園地、ゴルフ場、そして展望台が有ります。その近くには「啄木茶屋」と称するお土産屋と展望レストランがあり、西方向に別名「岩鷲山」(がんじゅさん)が右峯は綺麗な溶岩流跡のスロープを、左峰は奥羽山脈の山々に繋がる威厳さを示した優美な姿を見ながら、憩いの時間を過ごせます。

▲啄木の歌をしみじみ味わえる「啄木茶屋」

現在は盛岡市になっていますが、市内北部に位置する旧渋民村(しぶたみむら)。渋民を挟んで向かい合って見えるのは「姫神山(ひめかみさん)」(標高1123m)で、喩えには「岩手山」が夫で「姫神山」は妻の夫婦山だとも言われてます。

渋民村は、岩手の歌人石川啄木の故郷として有名です。啄木の「ふるさとの山に向かひて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」(歌集『一握の砂』)との一首は、この岩手山、姫神山を回想しての言葉なのかもしれません。盛岡にお越しの際は、是非この公園にお寄りください。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

啄木茶屋のある岩山公園

渋民運動公園より岩手山(西)と姫神山(東)

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岩手◆遠野/北行ロマン ~ 種山高原を越えまして【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年7月25日

▲高原ロッジ「星座の森」の敷地にある像。

岩手県南中央部に位置する種山高原は、遠野市、住田町、奥州市にまたがった各方面への峠越えの難所で、ちょうど躑躅(つつじ)が咲き誇り、爽やかな風が吹き抜けていました。

峠の上には道の駅「種山ヶ原」があり、豊富な山菜や野菜がいっぱい並んでいます。そこから10分程度で標高870m の種山高原の頂上付近にある高原ロッジ「星座の森」とレストランに併設の入浴施設があり、高原の雰囲気を満喫しながら、癒しのひと時を満喫できます。

この高原は宮沢賢治が同僚と土性調査に何度か訪れて、「風の叉三郎」「種山ヶ原の夜」等の構想のモチーフとなった場所の一つと言われています。藩政時代から牛馬の放牧地として開発が盛んに行われた所です。

▲平泉から落ちのびた一行が通ったとされる姥石峠の入り口。

そんな頂上付近の旧道を通ってみると、「姥石峠」に源義経の北行伝説の謂われのある案内板が目に入りました。それによると、平泉から落ちのびた一行が、ここを越えて峰づたいに進み、住田に入ったと言われる峠です。

その後に当事務所がある遠野をとおり宮古、青森へと繋がる北行ロマンの一コマに出会って、史実好きの小生としては、なんとも有り難い出会いでした。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

岩手◆遠野/鍋倉城址公園の寂しい春【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年6月19日

▲威風堂々とした南部神社社殿。

当事務所のある「民話のふる里・遠野」は、明治42年に国文学者柳田国男が遠野を訪れたことから始まる『遠野物語』から成るのであるが、その土壌となった遠野郷とは、中央部に位置する物見山山麓にある鍋倉城を中心とした遠野南部藩の城下町でした。

当地域は鎌倉初期より阿曽沼一族が治め、かの有名な豊臣秀吉の天下統一舞台の小田原評定事件の際に小田原に参陣しなかった為に阿曽沼氏は領主権を没収され、南部藩の領地となりました。

そして、盛岡南部家の南部利直は、南の伊達藩との境の要として分家格の根城(ねじょう・八戸城)の八戸直義を入部させたことから、遠野南部家12000石の城下町造りが始まって今日に至っています。

明治2年に廃城となり、現在は鍋倉公園として、市民の憩いの場となり、山城の上部には城下を一望できる天守を模様した展望台がるほか、本丸、二の丸、三の丸跡、そして中腹部には遠野南部家を守護した南部神社が構えています。

遠野市民が待ちに待った鍋倉城址の桜の開花は、札幌市と同じ頃に咲くのですが、今年の桜は花見客もなく、南部神社の祭りもなく、寂しい限りでしたが、往時を偲ぶには良い静かな花見でした。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲南部神社に向かう石段。

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岩手◆遠野/いわてtsunamiメモリアル【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年5月24日

▲復興記念公園の様子。

当事務所から大船渡市や気仙沼市の物件案内に行く時に通る陸前高田市松原地区は、9年前の3・11東日本大震災の被害を受けて、風光明媚だった松原海岸と高田市街は一瞬にして大津波にのみ込まれました。

海岸地区の中で唯一残った「奇跡の一本松」は、当時の関係者が何とかして生き残らせようとしてあらゆる手当をしましたが、残念ながら塩害で立ち往生してしまったのです。そこで、この一本松をモニュメントとして残そうと取り組み、現在は加工処理して悠々とその場に建っています。

この度、津波被害の大きかった岩手・宮城・福島の3県に国と地方公共団体が連携して復興記念公園を整備し、国営追悼・記念施設が設置されました。その一つが、「高田松原津波復興記念公園」として完成して、そこに「震災伝承施設」と「道の駅・高田松原」が入っています。

震災伝承施設には、津波の破壊力を示す展示物やガイダンスシアター等で教訓を学べる他、公園内には現在、松原を復元しようと松苗木の植栽事業が継続されています。岩手の沿岸を訪れる際は、是非お寄り頂きたいと思います。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲道の駅・高田松原のエントランス。