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東京◆本部/無性にしたくなること【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年8月30日

▲無心で黙々と草を刈る。

あるお客さんから「木を伐りたいんだけど、そういう木ない?」と言われたことがあります。

その方は現役時代、林業に携わっていて大木をバッサバッサと伐っていました。

木を伐りたいという潜在意識が時々込み上げ、衝動に駆られるそうです。

面白いものだなと、その時は気にも留めませんでしたが、その思いが自分にもあることが判明しました。

3年前、諸事情により自分の刈り払い機をお客さんへお譲りしました。

それ以来、自宅物置では主を失ったガソリンやオイルが寂しそうに出番を待っていました。

それらを見るたび申し訳なさを感じる日々。

▲只々草を刈るだけでストレス発散&ダイエットに効果あり。(画像はイメージです)

つい先日その思いを打ち破る転機が。

縁あってお客さんからきれいな刈り払い機を譲って頂きました。

久方ぶりに〝草刈りしたい症候群〞を治療できることに。

30℃超えの真夏日にも係わらず一心不乱に腰を振る。罪悪感なく切り刻むことはストレス発散でき、ダイエットにも効果あり。実際この日だけで体重が1㎏減りました。

マンション暮らしが長かったお客さんからは庭の草取りが楽しい、なんて声も聞きます。

元々広い屋敷に住んでいる諸先輩方には「何を言っているんだ」と叱られそうですが、それも最初の内かもしれませんので良いじゃないですか。

人の楽しみは十人十色、寛大な心で見守ってあげて下さい。(本部 金澤和宏)

福島◆檜枝岐村/近くて遠い会津最奥の秘境「ひのえまた」【本部スタッフ・ふるさと見聞録】 

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年6月17日

▲檜枝岐村の家屋は特段条例等で指定されているわけではないものの、景観統一の面でほとんど赤い屋根となっており、赤くすると村から助成金が出るとのこと。

国内最大級の山地湿原が広がる観光地「尾瀬国立公園」は、その唯一無二の自然風景から今日に至るまで多くの登山客を惹き付けている。

尾瀬へのアクセスは、群馬・福島・新潟県側からの計6ルートがあり、そのうち福島県側は檜枝岐村の沼山峠となるが、この村名を初見で読める方はそう多くはいないのではないだろうか。

檜枝岐村開村の歴史は、日本史語呂合わせでお馴染み「鳴くよ(西暦794年)うぐいす平安京」の今から約1200年前まで遡る。

当時平安遷都に伴う権力闘争に破れた藤原氏の落人がこの地に住み着いたのが始まりとされ、その後西暦1200年頃に源平合戦で破れ、全国各地に伝説のある平家の落人が住み着き、西暦1600年頃の戦国時代に織田信長軍より追われた楠木氏の落人も住み着いたことで村が形成されていったという。

そして檜枝岐村のほとんどを占める三大苗字は、「星」姓(約5割)が藤原氏の末裔、「平野」姓(約3割)が平家の末裔、「橘」姓(約1割)が楠木氏の末裔とされている。

▲村名物の檜枝岐歌舞伎は、江戸時代にお伊勢参りで江戸を訪れた村民が、そこで見た歌舞伎を見様見真似で村に広めたのが始まりという。

檜枝岐村はその名前の通り、良質な黒檜が産出されたことが由来で、昭和30年代まで村の基幹産業は林業だった。山で働く男性は沖縄の「海人(うみんちゅ)」とは対照的に「山人(やもーど)」と呼ばれ、豊富な山菜や裁ち蕎麦、イワナや焼き餅など山間部ならではの山人(やもーど)料理が特徴だ。

昭和40年代に尾瀬観光開発が進み、村が主導となり林業から観光業への転換を図ったことで財政が好転。村の2割以上の世帯が民宿業に転換したことで、次第に尾瀬の玄関口として登山客を中心にその名が知られるようになった。

加えて1986年に浅草と南会津を結ぶ野岩鉄道会津鬼怒川線が開通したことで、陸の孤島であった檜枝岐村への交通アクセスも幾分か改善された。

▲東京から高速利用で片道4時間強(約250km)。浅草駅から特急リバティと路線バス利用で片道4時間20分(現行運賃6,530円)。

しかしながら檜枝岐村は落人伝説があるほど今なお山深い奥地なのは確かで、東京駅から直線距離で約150㎞と那須高原に訪れるのと同じ距離にも関わらず、まず日帰り観光は考えられない場所であるのも事実。

▲会津高原尾瀬口駅から発着している会津バスが、檜枝岐村へ向かう唯一の定期公共交通機関。毎年11-4月が1日2往復、5-10月が1日4往復運行されている。

最寄りの会津高原尾瀬口駅からも車で片道約1時間(約50㎞)かかり、(離島を除く本土で)ふるさと情報館史上、最寄り駅から最も離れた市町村と言っても過言ではない。

そのためこの地へ移住することは、単に売買代金を支払い移転登記を済ませるということ以上に、気候・生活・交流面で相当の覚悟が必要だろう。

だがコアな檜枝岐ファンのリピート率は相当なもので、檜枝岐の自然・文化に魅せられて何十年と通い続ける方も珍しくないとか。

そんな尾瀬の玄関口「檜枝岐村」にまだ訪れたことのない方は、是非一度観光で訪れてみることをおすすめしたい。

都市部では決して手に入らない自然の恵み・人の温かさを、思う存分五感で味わうことの出来る今や数少ない市町村、それが会津最奥の秘境、檜枝岐村である。(本部 髙橋瑞希)

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ひのえまた暮らししませんか?? 檜枝岐村役場公式ホームページ「移住・定住」より
※役場ホームページ内に「移住ガイドブック」あります。ぜひ参考にしてください。

☆檜枝岐村取り扱い物件

物件番号17845T ペンション

VR内覧 1階

VR内覧 屋外+2階

群馬◆下仁田町/“上州姫街道” 古き町並み、本宿に暮らす【地域担当・エリア紹介】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2009年6月22日

甘楽郡下仁田町は、下仁田ネギやコンニャクの産地として知られる群馬県南西部にある山里。妙義山や荒船山麓には、奇岩の山肌とその麓の段々畑などの独特の農村風景が見られる。

 “甘楽(かんら)”という地名の通り、群馬県の中でも気候温暖で暮らしやすい地域でもある。ここでご紹介する物件は、嘗て江戸時代は上州と信州を結ぶ街道の宿場町として栄えた「本宿」にある土地。

嘗ての面影を残す小さな宿場町の中には、枝垂桜の見事なお寺、商家の蔵などがある他、和菓子処、ドーナツが美味しい菓子処、手打ち蕎麦屋、評判の肉屋さんなどがあり、散策するのも楽しそう。首都圏からも関越・上信越道で本宿まで1時間半程で行ける他、軽井沢もすぐ近くにある。

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「本宿」へのアクセス

 車   東京(関越道練馬IC)→75分→上信越道下仁田IC→20分で本宿へ
電車  東京(長野新幹線)
50分→高崎駅(上信電鉄線)60で下仁田駅

 

下仁田町の紹介

 人口:9295人(2009年3月) 面積:188.27k㎡(町の84%が森林)

 町の木:スギ 町の花:桜 町の鳥:ウグイス

 地理:長野県境にかけて「妙義荒船佐久高原国定公園」があり、奇岩で有名な妙義山や荒船山がある。物見山(1375m)の山裾には明治20年開設で日本最初の洋式牧場「神津牧場」が広がっている。

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本宿の概要

中山道の本庄から分岐し、「本宿」を通って信州追分に通じる下仁田道(または追分街道)は、中仙道の脇往還(裏街道、現在は上州姫街道と呼ばれている)として重要な街道であった。古くから上州は上質な麻の産地であったため、江戸だけでなく遠くは近江からも商人が頻繁に買い付けに訪れてた等の記録もある。旅籠もあり今も旅館として営業されている。

 

現在の「本宿」は、観光地ではないが素朴な街並みと景観が人々の心を和ませるのか、訪れる人が少しずつ増えている。最近は高齢化が進み、住民にも危機感が芽生え、3年前から町おこし等も始まっている。

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林業の里  下仁田  
地元産の材で安心な住宅を。

下仁田町は、標高は500m1,400mの山々に囲まれた古くから林業が盛んな里。気候的にも年平均気温11.4度、平均降水量1,300mm、降雪は回数・量も少なく年間を通じて温暖な気候で暮らしやすい地域と言えます。

林業が暮しに根付いており、森林組合の活動も活発で、町内には27社の製材業工場があります。終戦直後から植林が始まり、植林率(杉が約90%)は、群馬県のなかで一番高く、また気候と地味にも恵まれた影響で、下仁田産の材は材質が良いと言われています。   記事協力:本宿まちおこし推進協議会

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